小編成に思う


 近年、吹奏楽を小編成化する傾向が強くなってきている。吹奏楽連盟主催の吹奏楽コンクールの課題曲にしてもそうであるし、吹奏楽界の有力作曲家たちもこぞって小編成のすばらしさを説き、それに呼応する人達も多い。 実のところ、これらの背景には少子化の問題があり、吹奏楽を支えているスクールバンドの規模が小さくなってきているから、という裏事情を無視できないのではあるが、ここではプロの活動に目を向ける意味でも、純粋に音楽的な観点から小編成について見つめてみたい。

 まず、小編成による吹奏楽を聴いた場合、なによりも「洗練された」印象を受けるだろう。ただでさえ濁りやすい管楽器であるから、大人数よりも小人数のほうがクリアな音になるのは自明のことだろう。また、アンサンブル的な難易度と管楽器の敏捷性の兼ね合いを考えてみても、細やかな楽曲などを表現する際には小編成吹奏楽のほうが音楽的に優れた表現ができることは間違いない。楽器間の掛け合いに吹奏楽ならではの音色の多様性を加味した表現は、どの既存の音楽スタイルにも当てはまらない新しい音楽となるだろう。

 しかし、だからといって小編成が吹奏楽にとって唯一絶対の編成であるか、といえばそうではない。考えてみると、小編成吹奏楽の理想を突き詰めていけば「弦なしオーケストラSax付き(Cl倍管)」となるのは目に見えている。つまり、小編成を推し進めていくことは「既存の音楽スタイルに接近する」ことを意味しており、これでは吹奏楽が「独自の」音楽的地位を確立することにはならないのである。吹奏楽をその規模から「ウインド・オーケストラ」と「ウインド・アンサンブル」に分けて呼称する人がいるが、小編成はまさに後者の「アンサンブル」を指向している。そして、そのアンサンブルは「オーケストラ」に内包されるものにすぎなくなってしまうのだ。

 それに対し、大編成吹奏楽はどうであろうか。6人を超えるFl、10人を超えるCl、計20人近い金管群・・・・・これを「オーケストラの部分集合」と言うことのできる人がいれば見てみたいものだ。無論、小編成の持っていたような「繊細さ」は失われてしまうが、その代わりオーケストラとは比べ物にならないほどの音圧、ディナミクスレンジを発生させることができるはずだ。「現代音楽は旋律ではなく音響の開拓」という考え方があるが、旋律(掛け合いを含む)を小編成、音響を大編成と考えた場合、「現代の音楽」に適合したものははたしてどちらであろう?そして、現時点での吹奏楽になされてきた表現はどちらに主眼がおかれていただろうか。せっかく未知の表現領域に手が届くのに、それに触れる前に退行しようとしているのが現在の状況ではないだろうか。

 小編成吹奏楽と大編成吹奏楽。そのどちらが優れている、などということはない。どちらも等しく価値のある、未知の可能性を秘めた演奏媒体だ。しかしながら、それを「吹奏楽は小編成」と決めつけてしまうかのような風潮があることを私はひどく危惧している。それまで肥大化の一途をたどってきた吹奏楽を戒めるのはおおいに結構だ。しかし、コンクール課題曲などで小編成用曲を増やすなどして意識操作を行うのはいかがなものか。私は、小編成が主流になれば大編成を、大編成が主流になれば小編成を支援し、できるだけ両者を拮抗させるべきだと思っている。

 管弦楽に「弦楽オケ」、「一管」、はたまた「六管合唱付き」と色々あるように、吹奏楽にも「室内吹奏楽」、「グランド吹奏楽(?)」などと様々なスタイルを設け、作曲家はそれを書き分けていくべきだと思う。


<提案>
 吹奏楽の規模を表記にて書き分ける
総称 大別 規模別
Band Symphonic band Wind ensemble(小編成)
Wind orchestra(大編成)
Marching band etc.



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