あ行の作曲家
- 青島 広志 (1955〜 ) Hiroshi AOSHIMA
「<<十二支>>より<<序・ね・うし・とら>>」、「フルバンドのためのパレード」、「普門バンドフェスティヴァル’87」、「モッピーのマーチ」
東京藝術大学作曲科を首席で卒業。池内友次郎、宍戸睦郎、林光に師事。藝大卒業作品でもある歌劇「黄金の国」で注目を集めた。また、林光の助手も務めた。オペラ、オーケストラ作品からTV番組のテーマソング、CM音楽と幅広い創作活動を行っており、また、イラストレーターや少女漫画家としても活動している。 作品としては声楽曲が圧倒的に多く、肩肘を張らない子供にも分かるような音楽を多く創っている。
吹奏楽にも、当然その傾向が顕著。 なお、「十二支」は全体としてはオーケストラ作品であり、その全曲は1976年に東京藝術大学管弦楽団によって初演された。現在作品として残っているのは上記のもので、吹奏楽版へは1980年に編曲された。 「パレード」は青島氏の母校でもある玉川学園高等部吹奏楽部の委嘱作で、1979年のもの。全部で10の部分からなる全体的に軽いノリの曲。楽譜はカワイ出版。 「普門バンドフェスティヴァル」は1987年に東京佼成ウインドオーケストラと佼成文化協会の開催したバンドフェスティヴァルのテーママーチとして創られた。 「モッピー」は1996年に書かれた。
オペラ「黄金の国」、「マザーグースの歌」(合唱)
- 芥川 也寸志 (1925〜1989) Yasushi AKUTAGAWA
「栄光をめざして」、「風に向かって走ろう」、「祝典組曲No.3行進曲」、「JAL March」、「マーチインド」、「ユニバーシアード開会式行進曲」
父は文壇の鬼才、芥川龍之介。始め、井口基成に師事し、東京音楽学校(現:東京藝大)作曲科入学後は橋本国彦、下総ユ一、細川碧に師事。他にも作曲は永井進、金子登にも師事している。二年次に学徒動員のため戸山陸軍学校軍楽隊へ入隊、テナーサックスを担当。終戦後、伊福部昭の講義に魅了され、押しかけて行って三日三晩泊まり込み、その影響を強く受けた。当時作曲した「交響3章」がN響により、ピアノ組曲「ラ・ダンス」が園田高弘により繰り返し演奏され、作曲家としての名声を確かなものとした。1952年、NHKの委嘱により日本初の「マイクロフォンのための音楽」を作曲。このころから映画などの放送音楽も数多く手がけ、その中にも録音技術上の新しい特殊効果を取り入れて行った。 1953年、黛敏郎、團伊玖磨と共に「3人の会」を結成。それ以後も精力的な作曲活動を展開して行った。 作風は、復調的な和声を用い、やや野生的な強烈なリズムを部分的に持ち、オスティナートを多用する。
「栄光を目指して」は正式タイトルは「マーチ1979」。朝日新聞社の委嘱によって書かれた。 1982年作の「風に向かって走ろう」は第38回国民体育大会(あかぎ国体)の際に群馬県が委嘱したもの。どちらも管弦楽版が存在する。 「祝典組曲No.3行進曲」は1959年にNHK放送記念日特集のために書かれたもの。 「JAL
March」は1964年に創られたもので、1963年に氏が作曲した日本航空のための作品を行進曲に編曲したもの。 「マーチインド」は演奏時間3分、「ユニバーシアード〜」は演奏時間2分40秒としかわからない。
「トリプティーク」(弦楽オーケストラ)、オルガンとオーケストラのための「響」、「エローラ交響曲」
- 安達 弘潮 (1935〜 ) Hiromi ADACHI
「フルートとバンドによる三つの童謡」、幻想曲「わが故郷」、ファンタジー「縄文」、「ラプソディー・イン・津軽」、「山形民謡行進曲」
作曲者については後日追記。
「三つの童謡」は1989年の作。陸上自衛隊第9音楽隊の女性フルート隊員の結婚退職を記念して作られた。「浜千鳥」「おさるのかごや」「花嫁人形」の三曲からなる。10分。 「わが故郷」は1988年に作られた管弦楽曲「青森讃歌」を1990年に吹奏楽用に改編したもの。陸上自衛隊第9音楽隊が初演。13分半。 「縄文」は1979年に作られた管弦楽曲「ストーンサークル」を1994年に吹奏楽用に改編したもの。弘前大学吹奏楽部が初演。13分。 「ラプソディー・イン・津軽」は1969年に作られた管弦楽曲を1997年に吹奏楽に改編したもの。陸上自衛隊第9音楽隊が初演。12分。 「山形民謡行進曲」は1990年に作られた5分の曲。山形で初演。
バレエ「天人女房」(Orch , Mix-Chor)
- 安彦 善博 (1951〜 ) Yoshihiro Abiko
「トランスフォーメーション II −鳥は今…−」、「祝い歌」、「セプテナリウス」、「遠い鏡」
作曲者については後日追記。
「トランスフォーメーション II」は1989年の作で13分。川崎で初演された。 「祝い歌」は岐阜県飛騨高山地方の民謡をモチーフにした作品。 「遠い鏡」は1994年作で女声合唱を伴う。
「トランスフォーメーション I -パガニーニの主題による」(Bsn、Pf)
- 安部 幸明 (1911〜 ) Kohmei ABE
「あふれる元気」、「今日も元気で」
音楽を男子のするものではないという考えだった父のもとで育てられたが、中学3年のときに音楽、特に弦楽器に魅せられ、親に隠れて練習、見つかって激しく叱責されるも、なんとか一度だけ音楽学校の受験を許され、1929年に東京音楽学校チェロ科に進学した。本科卒業後、研究科作曲部に進み、プリングスハイム、ローゼンストックに師事。1935年に日本現代作曲家連盟に入会。1939年に深井史郎、山田和男、小倉朗などと楽団「プロメテ」を結成。 終戦後の1949年、平尾貴四男、高田三郎、貴島清彦らと「地人会」を結成。多くの作品を書いた。 安部は4つの弦楽による編成を好み、作風は19世紀のドイツロマン派に近いものである。
「あふれる元気」は1966年にカワイの委嘱で書かれた5分ほどのマーチ。楽譜もカワイから出版されている。 「今日も元気で」は戦時中の作品である。
アルトサキソフォーンとピアノのための「嬉遊曲」、ピアノと管弦楽のための「パストラール」、弦楽四重奏曲1〜7番
- 安部 盛 (1905〜 ?) Sakae(?)
ABE
「南国風景ニ題」(円舞曲「南の朝」、舞曲「椰子の木の下で)
宮城県生まれの作曲家。詳細は現在調査中。
「赤い山 青い山 白い山 〜北海道地方のわらべ唄」、「静岡地方の子守唄」(混声合唱)
- 阿部 亮太郎 (1962〜 ) Ryohtaroh ABE
「嵌め込み故郷」、「弔いとしての状況」、「尺玉釣瓶打」、「二群の吹奏楽のための3つのファンファーレ」、「五つの巻き貝〜ふるさとの演奏会のために〜」、「吹奏楽の為の抒情小詩」、「バラード」、吹奏楽の為の「まつりのうた」、「なみどけい」、「砂時計」
東京藝術大学作曲科及び同大学院修了。「音と枠組」ということに重点をおいた作曲思考によって作品を創っている。論理的な構造と、それを支える硬質な突き放したようなオーケストレーション、それらの背景に隠れながら流れるノスタルジックな音響空間が魅力。
「嵌め込み故郷」は氏の大学院生時代の作品でありながらも、高い完成度を持った作品。9分程度の作品で、楽譜は国立楽器レンタル。初演は東京藝術大学芸術祭ウインドオーケストラ。 「弔いとしての状況」は1994年に佼成出版社の委嘱により作成された9分程度の曲。吹奏楽を一人一人の演奏家(44人)の集合体として捕らえた、テクスチュア的な点に重点を置いた作品。楽譜は佼成出版社。 それに対し、全体的な音響を重視して書いたのが、作曲者20歳のころの習作「なみどけい」である。1982年に大泉高校吹奏楽部の定期演奏会によって初演されたのち、改訂版が藝大芸術祭ウインドオーケストラによって初演されている。 「尺玉釣瓶打」は大泉高校吹奏楽部OBによって初演され、のちに上越教育大学吹奏楽部の定期演奏会でも再演されている7分の作品。 「3つのファンファーレ」は上越教育大学吹奏楽団と、同大学附属中学吹奏楽部によって1998年に初演された作品。 「五つの巻き貝」は大泉高校吹奏楽部OB吹奏楽団の創立四十周年を記念して作曲されたもの。2001年に同楽団によって初演された。 他にも氏が高校生のころ在籍していた都立大泉高校吹奏楽部のために、高校時代の1979年より1983年にかけて一年に一曲ずつ書いたものが「抒情小詩」以下の計5曲である。
オーケストラのための「逆説の綱目」、「宙吊りの海」(オーケストラ)
- 天野 正道 (1957〜 ) Masamichi AMANO
「Emanacje i Medytacje」、「エクスピエイション(贖罪)」、「架空のバレエのための音楽 第2番」、「From Suite Symphonique "GR" 」他多数
国立音大作曲科、同大学院をともに首席で卒業。幅広いジャンルで活動しており、映像作品とのコラヴォレーションなども行っている。また、吹奏楽においては多くの現代曲をトランスクリプション、その普及にあたっている。 現代音楽分野での活動としては、パデレフスキフェスティヴァルに関わるなど、ヨーロッパを中心とした活動を行っている。とくにワルシャワ近辺における活動が注目されている。また、第23回日本アカデミー賞音楽部門最優秀賞を受賞した。日本現代音楽協会会員。
「Emanacje〜」は「エマナチェ イ メディタチェ」と発音する。1999年に開催された第2回響宴において川越奏和奏友会によって初演された。ソノリティとしてはトーンクラスターを中心として断片的にモティーフが見え隠れする、というもの。何よりも、吹奏楽としては珍しく空間に対する考察が加えられており、熟考された結果の配置で演奏されることにより、より一層音響空間の推移を表現することに成功している。また、ワイングラスやサンドペーパーなどを管楽器奏者が奏する部分があるなど、様々な音響面での創意工夫がなされている。楽譜はブレーンレンタル。 「架空のバレエのための音楽 第2番」は第3回響宴でも演奏された(初演はその前に行われている)もので、やはり楽譜はブレーンレンタル。 「GR」はビデオアニメ「ジャイアントロボ」(氏が音楽を担当)のサウンドトラックより吹奏楽のために組曲として再構成したもので、幾つかのヴァージョンがある。 「エクスピエイション」の楽譜はブレーンレンタル。
「怒りの日」(orch.、混声合唱、org.)、「平和への祈り」
- 有馬 礼子 (1933〜 ) Reiko ARIMA
「紋様」
1960年、東京藝術大学作曲科卒。下総皖一、伊福部昭に師事。東京音楽大学作曲科の主任教授として活動し、主に音楽指導者育成のための作品や、児童合唱曲、独奏曲などを作成している。
上記吹奏楽曲は東京音楽大学シンフォニックウインドからの委嘱で1974年に書かれた15分ほどの曲。極めて現代的要素が強く、チャンスオペレーションが用いられている。
オルガンのための「バラード・雅び」、「失われたものへの三章」(Pf)、合唱組曲「愛のメモリアル」
- 飯島 俊成 (1960〜 ) Toshinari IIJIMA
「霧の彼方へ」、「枯木のある風景」、「夢の花…、幻の花…」、「奏楽’98 春の頌歌」、「コンチェルティーノ I〜 IV」、「奏楽II 〜春の朝に」、「風の詩」、「スパークリング・ダイヤモンドダスト」他多数
国立音楽大学作曲科および同大学院卒。作曲を島岡譲、田中利光、間宮芳生に師事。作曲家グループ「蒼」の同人として多くの作品を発表するほか、映像やパントマイムなどとのコラボレーション活動も行っている。また、アレンジャーとしても良質の編曲作品を吹奏楽に提供している。 詩的な印象に基づいた、幻想的な、移りゆく色彩の帯のような曲調が大きな特徴。
「枯木のある風景」、「夢の花〜」では、これまで吹奏楽に見られなかったような持続による非常に緊張感のある展開が見られる。前者は1996年のアンサンブルリベルテ吹奏楽団の委嘱、吹楽IIIで初演された演奏時間9分のもの。 後者は1998年の21世紀吹奏楽委員会の委嘱作で9分30秒。第一回響宴においてアンサンブルリベルテ吹奏楽団によって初演された。楽譜は全日本吹奏楽連盟。 「奏楽’98」はそれらに比べると祝祭的な雰囲気を前面に押し出したもの。川越奏和奏友会吹奏楽団の創立20周年記念演奏会のために委嘱された。演奏時間5分30秒。楽譜はブレーンレンタル。また、「奏楽II」も同楽団の委嘱で吹奏楽コンクール全国大会3年連続出場を記念したもの。 今のところ全部で計四曲ある「コンチェルティーノ」は吹奏楽と独奏楽器のための協奏曲。それぞれ、I がソプラノサックス独奏、II が尺八独奏、III がトロンボーン独奏、IV がアルトサックス独奏である。初演は尚美学園ウインドオーケストラによっている。 「風の詩」は第三回響宴で初演された。楽譜はブレーンレンタル。
「KANAWA」(パントマイムと室内楽)、「夢の花」(Perc.、Sop.)、「二重奏曲」(二十絃筝、尺八)
- 飯沼 信義 (1938〜 ) Nobuyoshi IINUMA
「コンサートマーチ’87」
1964年に東京藝術大学作曲科を卒。作曲を石桁眞礼生に師事。石桁門下生による作曲グループ「環」を設立した。現在、桐朋学園大学作曲科教授。
上記吹奏楽曲は1987年の吹奏楽コンクール課題曲。
「交響的楽章」(オーケストラ)、「僧侶」(4人の歌い手、室内オーケストラ)
- 池田 悟 (1961〜 ) Satoru IKEDA
「イゾルマン」
静岡大学教育学部卒業後、東京藝術大学別科を経て1987年に同大学院修了。佐藤眞、大槻寛に師事。日本音楽コンクール、日本交響楽振興財団作曲賞などに入賞。室内オペラ作品なども手がける。現在、島村楽器株式会社指導スタッフ。
上記吹奏楽曲は1984年に書かれたもの。演奏時間5分。
「管弦楽のささげもの」(Orch)、室内オペラ「あるセールスマンの物語」
- 池野 成 (1931〜 ) Sei IKENO
バンドと打楽器のための協奏曲「ティンパナータ」
作曲者については後日追記。
「ラプソディア・コンチェルタンテ」(Vn , Orch)、「エヴォケーション」(Perc群、Trb群)
- 池辺 晋一郎 (1943〜 ) Shin'ichiroh IKEBE
「ランド・スケイプ」、 「アマデウスのピアノがきこえる」、「交響詩 ひめじ」(ver.I /ver.III)、カンタータ「わたつみのいころのみや」、「胎動の時代」、「水の根」
6歳より作曲を習い始め、1963年に東京藝術大学作曲科に入学。池内友次郎、島岡譲、三善晃、矢代秋雄に師事。多彩な作風で知られ、どのようなタイプの曲でも書きこなす。アルティザン的なその手法で現代音楽の中心に立つと同時に映画音楽なども多く創っている。特に黒澤明の映画音楽は有名。また、N響アワーの司会、大河ドラマの音楽などで有名。
「ランドスケイプ」は1990年度コンクール課題曲で、「胎動の時代」は2000年の同課題曲。 「アマデウスの〜」は「モーツァルトのピアノソナタ集によるニ群の吹奏楽とオルガンのためのコンポジション」という副題がついており、18のモーツァルトのピアノソナタ全てがコラージュ的に現れるという現代曲で、編成は、第一群:Picc 、Fl 2 、Ob 、Cl 3 、A.Sax 2 、T,Sax 、B.Sax 、Hrn 4 、Trp 3 、Trb 3 、Euph 、Tuba 、Perc 5、第二群:Hrn 2 、Trp 4 、Trb 2 、Tuba 、Org となっている。NHKの委嘱により1983年に書かれた14分の曲。初演は駒澤大学吹奏楽部と亜細亜大学吹奏楽団、指揮:大友直人によった。楽譜は音楽之友社。 交響詩「ひめじ」は原曲は混声合唱とオーケストラによる姫路市市政百周年記念としての委嘱作。その後吹奏楽伴奏版であるヴァージョンI が創られ、さらに1999年には吹奏楽のみによる版も創られた。吹奏楽版初演は姫路市吹奏楽団によった。演奏時間30分。楽譜は音楽之友社。 「わたつみのいころのみや」は1990年作。愛媛国際文化祭委嘱の50分の作品。初演は松山大学吹奏楽部・愛媛県ユニオン合唱団、作曲者の指揮だった。 「水の根」は元は管弦楽曲だったものを2001年に吹奏楽に作曲者自身により書き直したもの。大津市で初演。
「大地は蒼い一個のオレンジのような」(ピアノ)、「交響曲 シンプレックス」、「ストラータV」(弦楽四重奏)
- 伊左治 直 (1968〜 ) Sunao ISAJI
「南蛮回路」
東京音楽大学作曲科および大学院卒。西村朗、湯浅譲二に師事。「演奏する」ということを「スポーツ」としてとらえるなど、音楽の身体表現に着目した作品群などに大きな特徴がある。シアターピース的な作品もあり、作曲者自身がパフォーマーとして自作に登場することも少なくない。
上記吹奏楽曲は、当サイトでも紹介している渡部謙一氏のプロジェクトの一環として2000年に作成されたもの(ある高校の委嘱)。ハープなども入るやや大きめの編成で書かれており、ティンパニをスーパーボールで擦る、ペットボトルやリコーダーのヘッドピースを吹く、一種の朗詠が入る、など吹奏楽でこれまで見られなかったような音響に関する創意工夫が見られる。
「畸形の天女・七夕」(Fl、Orch)、「南蛮トリプル」(打楽器+α)
- 石井 歓 (1921〜 ) Kan ISHII
吹奏楽と合唱のための「大いなる秋田」、序曲「曠野をゆく」
山田耕筰とともに創作舞踏の活動をしていた父親、石井漠の望みもあり、作曲家となることになる。弟は作曲家、石井眞木。1939年、武蔵野音楽学校ピアノ科卒。卒業後、池内友次郎に師事。終戦後、舞踏の作曲やピアノ伴奏を行う。1947年より尾高尚忠に指揮法を師事。1949年、第18回音楽コンクールに管弦楽のための「前奏曲」が第一位、一躍脚光を浴びる。1952年、ドイツのミュンヘン国立高等音楽学校に留学、主に指揮法を習うが、作曲もカール・オルフに習っている。1954年帰国。「民族の特殊感情を尊重して創るべき」という考えのもとで作曲活動を展開した。作品には舞踏音楽も多い。
「大いなる秋田」は1968年に秋田県庁により明治百年を記念して委嘱された。合唱を伴い、四つの楽章からなる、演奏時間が全部で23分かかる大曲である。楽譜はカワイから出版されている。 「曠野をゆく」は1964年の吹奏楽コンクール課題曲。
交響楽詩「山」、交響詩「かおり3章」、舞踏曲「潮鳴」(朗読付Pf独奏)
- 石井 眞木 (1936〜 ) Maki ISHII
「まほろばの秋田」
作曲者に関しては後日追記。
「まほろばの秋田」は2001年8月に秋田で行われた「ワールドゲームズ2001」のために書かれた。 式典讃歌「まほろばの秋田」、「ファンファーレ」、「入場行進の音楽」からなり、「まほろばの秋田」では混声合唱350人、児童合唱50人を伴う。初演は自衛隊の音楽隊によった。
「アフロ・コンチェルト」(Perc、Orch)、「ブラック・インテンション III」(Pf)
- 石桁 眞禮生 (1916〜1996) Mareo
ISHIKETA
ティンパニとシンフォニックバンドによる「協奏曲」
ヴァイオリンを弾いていた兄、ピアノを弾いていた姉の影響で13歳のときに作曲を志す。1936年、東京音楽学校甲種師範科卒。下総皖一に師事。1947年に柴田南雄の主宰する「新声会」に入会、多くの曲を発表する。1952年より東京芸大作曲科の教授となる。 1950年代は邦楽器を用いた音楽の先駆者として活躍、オペレッタ「河童譚」以後は劇的性格を持つ音楽を書く。 ニ世代に渡る多くの門下生による作曲グループ「環」の活動もあった。 作風は増三和音や全音音階を多用するが、印象派とは一線を隔した作品が特徴。すなわち、和声結合にあたってなるべく各声部を機能的に進行させようとするものである。素朴な様式美論を尊重し、作品に標題をつけることを潔しとせず、古典・ロマン・近代・現代に貫流する正統な音楽技法、しかも「拘束されない感情と思想」その両者の結合点としての「一つ一つの音符」を探索することは、彼の作曲上のアイディアである。
「協奏曲」は1980年の作品。
ソプラノとオーケストラによる交響的「黙示」、「級数的遠近法」(18人の打楽器)
- 石田 一郎 (1909〜1990) Ichiroh
ISHIDA
「栄光への兜」、交響的序曲「八尋白智鳥」、「村祭」、交響的序曲「大草原」、「子熊の踊り」
高折宮次、田中規矩士、大沼哲に作曲を師事。1932年に荻原利次、落合朝彦と共に「独立作曲家協会」を設立。主にNHK放送音楽用の曲を作曲。当時のラジオ東京の音楽部に勤務していた。 1946年に新作曲派協会に入会するが、1951年に脱会。翌年に荻原利次と共に自由作曲家協会を設立。 作風はフランスの簡素派ともいうべきもので、静的、音色感は淡く、ダイナミズムやリズム感は弱い。
「栄光への兜」は1938年作で演奏時間3分。 「八尋白智鳥」は1941年作で演奏時間8分。 「村祭」、「大草原」、「子熊の踊り」は戦時中に創られた。とくに「大草原」は演奏時間10分という当時の吹奏楽曲としてはかなりの大曲であった。
「チェロ奏鳴曲」、交響的「祭」、Pf協奏曲「譚詩曲」、「朝の唄」(2Hrp)
- 石原 忠興 (1940〜 ) Tadaoki ISHIHARA
「ウインドオーケストラのためのムーブメント I、II(サバンナ)、III」、「詠歌」
真言宗の寺院に生まれ育ったため仏教音楽を幼いうちから体験して育つ。1960年、国立音大作曲科に入学、島岡譲、高田三郎、小倉朗に師事。在学中に作曲コンクール一位を受賞。卒業後、入野義郎に師事し十二音技法に傾倒。1970年ごろより日本音楽の習得に努める。1984年アメリカ留学、ハーバード大、ニューイングランド音楽院で学ぶ。このときジョージ・ラッセルと出会い、大きな影響を受ける。
「ムーブメント」は三作とも航空自衛隊中央音楽隊の委嘱作。I は1988年に創られたブルースに発想を得た曲。II は1989年に創られたアフリカのリズムによるもの。楽譜は国立楽器レンタル。III は1990年に創られた。 「詠歌」は1977年に創られた13分の曲で、玉川学園の委嘱によった。仏教音楽の要素を用いた、まさに石原氏らしい作品と言えよう。
管楽アンサンブル編も参照のこと。
「管弦楽のための序破急」、「バサラ」(Perc.、orch.)、「管弦楽のための雅歌」
- 市川 都志春 (1912〜1998) Toshiharu
ICHIKAWA
「交響的断章第一番」、春の旅人より「讃歌」、組曲「田園風景」
東京音楽学校(現:東京藝大)ヴァイオリン科入学、在学中に課外でプリングスハイムに作曲を師事、卒業後研究科に進み、信時潔に、ついで諸井三郎に師事した。このころから多くの作曲賞、映画音楽賞を受賞。終戦後の1945年、日本音楽文化連盟の設立当時の常任理事を務め、まもなく辞任、1947年に教育芸術社を起し、教科書の出版にあたった。 その音楽の特色は、旋律や和声のふくよかさと、楽曲全体にわたる抒情味である。
「交響的断章第1番」は1966年の作で、演奏時間6分。楽譜は教育芸術社から出版されている。 「讃歌」は1965年の作。演奏時間は6分で、やはり教育芸術社から出版されている。 「田園風景」は戦時中の作品。全部で三部からなり、第1部「野を行く」、第2部「湖」、第3部「山を行く」となっている。
「春の岬より 第一巻」(歌曲)、交響組曲「熱風」、交声曲「鎮魂曲」(オーケストラと合唱)
- 出田 敬三 (1955〜 ) Keizoh IDETA
行進曲「カーニバル」、「くまもと未来マーチ」、吹奏楽のための交響的行進曲「KUMAMOTO2001」、「若人への讃歌」
作曲者については後日追記。
「カーニバル」は1983年に書かれた4分の曲で東京で初演された。 「くまもと未来マーチ」は1998年のくまもと未来国体のために書かれた。 「KUMAMOTO2001」は熊本で開催された「高校総体2001ひのくに新世紀総体」のために書かれた。 「若人への讃歌」は1986年の作で9分。宇戸で初演された。
「弦楽四重奏曲」、「枕草子より<春はあけぼの>」(Sop , Pf)
- 伊東 乾 (1965〜 ) Ken ITOH
「宇宙樹の森」
東京大学理学部物理学科卒。松村禎三、松平頼則、近藤譲、ノーノ、リゲティ、ブーレーズらに作曲を、井上道義、バーンスタインらに指揮を師事。作曲家として、また現代音楽の指揮者・音楽学者として知られている。 高度な理論を駆使した楽曲を創る。 空間性というものを駆使した、オーケストラのための「ダイナモルフィア」が「ネクストミレニアム作曲賞」(武満徹作曲賞)の候補作品として演奏され、同賞の第二位を受賞した。
「宇宙樹の森」はシアターピース的な要素も持つ、朗詠を伴った作品。この曲は作曲家自身が「『コスモトロフ』や『スパルタ』と共に三曲で一緒の音楽の出発を形成します」と語っており、とても高い完成度をもつものとなっている。委嘱は佼成出版社で、楽譜も同社。
「天涯の碑」(オーケストラ)、「コスモトロフ 〜オーケストラの為の管絃・催馬楽」
- 伊藤 俊幸 (1936〜 ) Toshiyuki ITOH
「コンポジション」
作曲者については後日追記。
「コンポジション」は1982年の作で7分の曲。
「みちのくスケッチ」(Pf)
- 伊藤 昇(能矛留) (1903〜1993) Noboru
ITOH
「二つの舞曲」、「故郷の歌」
商業学校を中退し海軍軍学校に入学、軍楽を学ぶ。その後はトロンボーン奏者として活動しつつ山田耕筰に作曲を師事。その後作曲家としてデビューし、小節の概念を廃した作品、多調性、特殊編成、日本歌曲での母音唱法のみのもの、微分音程の使用、などの実験的な作品を残す。しかし、十二音技法は自作には用いていない。 このように常に新しいものを融合させていく作曲スタイルは当時はほとんど理解されなかった。その一方で映画音楽なども多数残した。
上記の吹奏楽曲はどちらも戦時中の曲である。
歌曲「狐の祭」、「幼年の歌」(弦楽四重奏)、歌曲「太陽に歌う」
- 伊藤 実 (1944〜 ) Minoru ITOH
「綾」
作曲者については後日追記。
「綾」は1982年に書かれ千葉で初演された20分の曲。
- 伊藤 康英 (1960〜 ) Yasuhide ITOH
「交響詩 ぐるりよざ」、 「交響的典礼」ほか多数
1979年に東京藝術大学作曲科入学、86年に同大学院卒。野田暉行に作曲を師事。日本音楽コンクールに入賞。日本現代音楽協会会員。 日本吹奏楽界の中心人物として知られる。吹奏楽作家としての作風は、古典のスタイルを借用したり、民謡の旋律を用いたものが多いが、これは氏の本来の作風ではない。これは吹奏楽の演奏者層を考えた結果として、親しみやすく、古典的なスタイルを身につけてもらいたい、とする意図からのことである。本来の作風は極めて強烈な和声を用い、複雑な対位法が絡み合ったヘテロフォニックなものである。
ぐるりよざはオーケストラにも編曲されている。また、歌曲集「あんこまパン」(小学館・刊)も、親しみやすい。
その作品群、活動の詳細に付いては「ムジクケラー音楽事務所」にて知ることが出来る。
歌曲集「ゆけ、わが想い」、「ツヴァイザムカイト」(Sax,Pf)、「Sax協奏曲」
- 伊藤 宣二 (1907〜 ) Yoshiji ITOH
「Prelludio Della Celebrazione」
作曲者については後日追記。
上記作品は1982年の作。Marutino Ed.より出版されている。
童謡多数
- 伊福部 昭 (1914〜 ) Akira IFUKUBE
「吉志舞(古典風舞曲)」、「ブーレスク風ロンド」、マリンバと吹奏楽のための「ラウダ・コンチェルタータ」
アイヌ地方で育ったが、家系のルーツは鳥取であり、その姓は史跡として内務省の指定を受けている。その、アイヌの民謡に幼少から親しんだことがその作風に大きく影響を与えている。 15歳のころに後に音楽学者となる三浦淳史(当時16歳)と出会い、それがきっかけで独学で作曲を始める。昭和9年に三浦を中心として、早坂文雄とともに仮想アカデミズムに反抗した「新音楽連盟」を札幌にて結成。19歳のときに処女作「ピアノ組曲」を書き、これがジョージ・コープランドに絶賛される。 初の管弦楽曲「日本狂詩曲」がパリでのチェレプニン作曲賞第一位となり、ボストンで初演された。このときの関係で、オネゲル、イベール、タンスマンらと共に審査員をしていたチェレプニンが来日した際に作曲を師事、この短期間の学習が第三者に作曲を習った唯一の期間である。 太平洋戦争後、昭和21年より8年間東京音楽学校(現:東京芸大)作曲科で教え、芥川也寸志・矢代秋雄・黛敏郎・池野成・三木稔などを育てた。その後、著作「管絃楽法」を著し、東京音楽大学学長などもつとめた。 また、「ゴジラ」に代表される映画音楽も創った。 作風はフリギア旋法的な日本の伝統的モードを用い、和声的にはチェレプニンに習ったと思われる投影法を用いている。
「吉志舞」は1944年の作品。戦時中によく海軍軍楽隊によって演奏されていたこの曲は、マッカーサーが厚木に到着した際に演奏された曲。また、いわゆる「自衛隊マーチ」の初出の曲でもある。幻の作品と言われていたが、2001年に益野大成指揮の札幌同人吹奏楽団によって蘇演された。 演奏時間は約6分。 「ブーレスク風ロンド」は1972年の立正佼成会の委嘱の17分の曲。楽譜は音楽之友社から刊行されている。なお、これには管弦楽曲版もあるが、原曲は吹奏楽の方。 「ラウダ・コンチェルタータ」吹奏楽版は、マリンバソリスト安倍圭子の提案で、伊福部自らが弟子の和田薫の協力を得て編曲したもの。吹奏楽版の楽譜は国立楽器レンタルである。
「土俗的三連画」(14人の奏者)、ピアノと管弦楽のための「協奏風交響曲」
- 岩河 三郎 (1925〜 ) Saburoh IWAKAWA
作品一覧
1947年に東京音楽学校本科を卒。平井康三郎、池内友次郎に師事。主に中高生を対象とした合唱曲の分野で活躍している。その「全パートにわたって日本語のシラブルに忠実な音楽を創る」という手法に通じている。ソプラノが上行したときにバスが日本語に反して下行する、というような事は非常に多い。これをしないで曲を創り上げる作曲技法が卓越している。
そんな岩河氏だが、過去の課題曲においてはいささか?な曲も書いている。「南極点への〜」がそう。どうしたのだろう? 「北海の〜」と「サンライズ〜」は楽しい曲に仕上がっている。
「野生の馬」、「木琴」、「巣立ちの歌」(いずれも合唱)、「富山に伝わる三つの民謡」(orch.と合唱)
- 鵜崎 庚一 (1935〜 ) Koh'ichi UZAKI
「カマラード」
東京藝術大学作曲科を経てパリ国立音楽院を卒業。池内友次郎、島岡譲、矢代秋雄、トニー・オーバン、ノエル・ギャロン、マルゼル・ビッチに師事。現在国立音楽大学作曲科教授。
「カマラード」は1986年に国立音大ブラスオルヒュスターによって委嘱・初演された8分の曲。楽譜はカワイ楽譜出版社から出版されている。(金管アンサンブル作品?)
歌曲「冬のもてなし」、「日本のメロディ」(ブラス・アンサンブル)
- 浦田 健次郎 (1941〜 ) Kenjiroh URATA
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東京藝術大学トロンボーン科卒業後、作曲科に再入学。作曲は石桁眞礼生、丸田昭三、末吉保雄に師事。 卓越した管弦楽法が特徴で、きわめてポリフォニックな作品群を書く。東京藝術大学作曲科教授。
プレリュードは1979年度コンクール課題曲。
管楽アンサンブル編も参照のこと。
「アリオーソ」(Vla、Pf)、「誄歌」(Sop、Pf)、オペラ「釘」、「シーナ」(orch.)、「弦楽のための3章」
- 遠藤 雅夫 (1947〜 ) Masao ENDOH
吹奏楽とマリンバのための「ミラージュ」
東京藝術大学、大学院を卒。石桁真礼生、末吉保雄に師事。 ジャズなどに興味を抱く一方で、理路整然とした構成や発展性をもつ作品群でしられている。
「ミラージュ」は1976年に東京音楽大学シンフォニックウインドアンサンブルにより委嘱・初演された。マリンバソリストは岡田眞理子氏。
「軌跡 I 」(orch.)、Pf協奏曲「緑の空は金紅に輝く太陽に組みしかれ」、Vn協奏曲「西風は翼をひろげ」
- 大ヶ瀬 邦生 (1945〜 ) Kunio OHGASE
「貳天奏聞」、「魚・鳥・鹿」、「Silent spring」
1971年に国立音楽大学大学院作曲科を修了。高田三郎、島岡譲に師事。現在も国立音大において後進の指導にあたっている。作曲活動よりも「作曲家からのメッセージ 〜音楽理論から演奏表現へ」(全音楽譜出版社)を著すなどの学術研究で知られている。
「貳天奏聞」は1979年に、「魚〜」は1985年に、「Silent〜」は1988年に国立音大ブラスオルヒュスターにより委嘱・初演された。 「貳天奏聞」は演奏時間17分。 「Silent〜」は演奏時間15分。
「風紋」(Orch)
- 大栗 裕 (1918〜1982) Hiroshi OHGURI
作品一覧
大阪市立天王寺商業学校の音楽部にてホルンを担当しながら独学で作曲を学ぶ。卒業後、音楽学校への進学を希望するものの、両親の反対により断念。その後、反対を押し切って上京、1941年に旧東京交響楽団(現:東京フィルハーモニー交響楽団)のホルン奏者となる。その後、1946年に日本交響楽団(現:NHK交響楽団)のホルン奏者となり、1949年に宝塚管弦楽団に、1950年に朝比奈隆にスカウトされて関西交響楽団(現:大阪フィル)に入団した。1956年、朝比奈がベルリンフィルを指揮した際に「大阪俗謡による幻想曲」を演奏、このとき新聞に「日本のバルトーク」と賞賛される。
「大阪俗謡による幻想曲」はオーケストラから吹奏楽に編曲したものだが、元々が吹奏楽である「神話」は逆に1978年にオーケストラに編曲された。これは朝比奈隆指揮の大阪フィルによって演奏されている。
オペラ「赤い陣羽織」、「雲水讃」、「管弦楽のための協奏曲」、「大阪のわらべうたによる狂詩曲」
- 大沼 哲 (1890〜1944) Satoru
OHNUMA
「奉祝前奏曲」、「昭和奉賛曲」、意想曲「野営の篝火」、「門出」、「立派な兵隊」、「マルシュ・オマージュ」、「ワンステップ」、「大建設」、「従軍記者」、「大歓喜」
音楽学校に進学を希望するも、士族の養父の許しを貰えず、軍部の学校なら、ということで陸軍学校に入り、軍楽隊に入り音楽を学ぶ。1925年、フランスのスコラ・カントルムに留学、ダンディに師事。その後イタリア・アメリカにそれぞれ二ヶ月ずつ滞在、音楽を学ぶ。帰国後、陸軍戸山学校で後進の指導に従事する。1932年ごろから妻子を相次いで亡くし、作曲活動を停止。しかし太平洋戦争勃発後は兵士の士気を高めるためのマーチを創っていた。彼が望んで書いていたかどうかは今となっては不明だが、彼は「立派な兵隊」を後に「立派な青年」と改題している。彼はサイゴンにて輸送船沈没のため戦死した。 山田耕筰が活躍する当時の音楽界の中で、器楽に傾倒していた独特の作風である。彼の弟子には平尾貴四男、堀内敬三、石田一郎、佐藤長助(仙台放送局指揮者)、須摩洋朔(自衛隊音楽隊隊長)などがいる。また、彼はマンドリンの作品も多い。
「奉祝前奏曲」は1924年に今上天皇立太子式饗宴に際して委嘱されたもの。宮中において春日嘉藤治の指揮により初演された。演奏時間15分。 「マルシュ・オマージュ」は1923年に日比谷公園音楽堂にてケーニッヒ指揮の戸山学校軍楽隊によって初演された。後に1927年にオーケストラに編曲されて新交響楽団により放送初演されている。演奏時間10分。楽譜はJOAK保管。行進曲ではあるが描写曲の性質が強いもので日本の旋法を用いたものである。 「昭和奉賛曲」は1927年に「新帝朝見式に際して賜った勅諭の聖旨を体得し、その感激をもととして作られた」(富樫康の著作による)のだそうだ。 「門出」は1924年の作で演奏時間15分。楽譜は共益商社というところから出版されていた。 「立派な兵隊(青年)」は1925年の作で演奏時間15分。楽譜は共同楽譜出版社から出版されていた。 「ワン・ステップ」は演奏時間3分の小編成用行進曲。 「野営の篝火」は1940年に大阪で開催された第1回吹奏楽コンクールの喇叭鼓楽部門の課題曲であった。 なお、「奉祝前奏曲」や管弦楽版「マルシュ・オマージュ」などはCD(白樺録音機企画 SRK-011・非売品)でも聴く事ができる。
交響曲「平和」、「祝祭序曲」(マンドリン)、「木の葉」(童謡)、「夜の祭」(撥弦曲)
- 大前 哲 (1943〜 ) Satoshi OHMAE
「Cross Lamina」op.43、「Access」op.71、「浸蝕:The Polymer I 」op.95、「流体:The Polymer IV 」op.96
20代の頃より創作活動を始める。関西での多くの活動に参画、活動を行ってきた。各々の楽器の特質を共存させつつ、沈黙と対峙させる日本的な「間」を意識させるような音の空間を構築している。さらに奏者だけのダイアローグに留まらず、視覚的な効果をも取り入れて聴衆をもその対話のなかに誘い込んでいる。 作曲家と奏者、作品と聴衆との対話による相互理解の空間を重視し、さらに異文化の視線を介して新たな世界の構築を目指している。
「Cross Lamina」は1983年作で8分。大阪で初演された。 「Requiem Ricordanza」は1995年、「浸蝕」は1996年、「流体」は1996年の作品。なお「Access」は1984年作のブラスアンサンブルのための同名作(op.53)を1989年に吹奏楽にしたもの。演奏時間6分で大阪で初演された。 「浸蝕」と「流体」は独奏打楽器も伴う作品である。
「Seam of Sound」op.38、「Requiem Ricordanza」op.91というブラスアンサンブルの作品もある。
「Passa il Tempo」op.92(オーケストラ、童声合唱)、「Access II 」op.93(Sax四重奏)
- 岡田 昌大 (1929〜 ) Shohdai OKADA
「バラード」、「飛翔」、「ファンタジー」、「吹奏楽のための交響組曲“錦帶橋の四季”」
1957年に東京藝術大学作曲科卒業。その後中国地方の大学において後進の指導にあたる。日本音楽コンクール入賞の他や、西日本における音楽各賞を受賞。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会会員。
「バラード」は1973年の作で演奏時間6分40秒。山口県立美祢高等学校の委嘱。 「飛翔」は1974年の作で演奏時間5分30秒。日本青年会議所の委嘱。 「ファンタジー」は1974年の作で演奏時間7分。下関市立玄洋中学校の委嘱。 「錦帶橋の四季」は1990年の作で演奏時間23分。
- 岡部 富士夫 (1947〜 ) Fujio OKABE
行進曲「空翔けて」、「アレグロと間奏曲」
作曲者については後日追記。
「空翔けて」は1981年の作で5分。郡山で初演された。 「アレグロと間奏曲」は1982年作で6分。弘前で初演された。
二本の尺八のための「自鬼」
- 荻久保 和明 (1953〜 ) Kazuaki OGIKUBO
「カタストロフィー」
東京藝術大学大学院修了。島岡譲、矢代秋雄、野田暉行、間宮芳生に師事。主として合唱の世界において活動している作曲家。
上記吹奏楽作品は2000年に東邦音楽大学吹奏楽団の委嘱によって書かれた。
混声合唱組曲「In Terra Pax 〜地に平和を」、「黒い典礼」(Percアンサンブル)、「交響曲」(Orch)、「霊山院にて」(Orch)
- 小倉 朗 (1916〜1990) Roh OGURA
「オリンピック賛歌B」(ヴォーカル、ピアノと吹奏楽)、吹奏楽用行進曲(破棄)、「銀の翼」
深井史郎、菅原明朗、池内友次郎、J.ローゼンストックに師事。当初フランスの流れを汲んでいたが後に古典主義に傾倒。「幅広い基盤の上に立つ論理的な転調的展開、リズム・旋律・和声の有機的な交識等を獲得(エタ・ハーリッヒ=シュナイダー)」することを目指した。スケルツォなどに見られるような颯爽とした「躍動感」をもつリズムが特徴的である。
「オリンピック賛歌」は1963年、岩城宏之指揮のNHK交響楽団により初演された。テキストは西条八十による。 「銀の翼」は戦時中の作品である。 「吹奏楽用行進曲」は破棄された正式タイトルを与えられていない1943年に創られた曲だが、NHKに楽譜が保存されている。
管楽アンサブル編も参照のこと。
「コンポジション・嬰へ調」(オーケストラ)
- 奥村 一 (1925〜1994) Hajime
OKUMURA
作品一覧
東京音楽学校(現:東京藝大)本科作曲部卒。作曲を橋本国彦、細川碧、成田為三、信時潔、伊福部昭に師事。
いわゆる芸術音楽の他にも、松竹の専属作曲家として多くの、優れた映画音楽を多数残した。作風は、かなりドラマティックなものが多い。民謡に共感を示した作品態度をとっており、作品の中にも五音音階が多数表れる。
「ピアノ奏鳴曲」、「ピアノ協奏曲」、「屋台ばやし」(2Pf)、トッカータ「工事現場」(Pf)
- 尾崎 敏之 ( 〜 ) Toshiyuki OZAKI
「Kontrast II」
作曲者については後日追記。
上記作品は1982年作のピアノ協奏曲。12分の曲で東京で初演された。
「雅楽のための無明」、「Nirvana」(orch)