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は行の作曲家
橋本 国彦 (1904〜1949) Kunihiko HASHIMOTO 「若人よ!」、「興亜」
東京音楽学校(現:東京藝大)の器楽科を卒業、在学中より独学で作曲を学んでいた。昭和9年より文部省留学生として欧米に留学した。シェーンベルクなど、多くの作曲家に習った。器楽の作品は極めて少なく、作品のほとんどが独唱歌曲である。 作風はフランス印象派のもの。優れたメロディメーカーであった。
「若人よ!」は1937年の作曲。楽譜はかつて共益商社というところから出版されていた。 「興亜」は1943年以前に書かれた、としか分からない。
交響組曲「天女と漁夫」、「前奏曲と遁走曲」(オーケストラと合唱)
服部 逸郎 (レイモンド服部) (1908〜1973) Itsuroh HATTORI (Raymond HATTORI) 作品一覧
慶応大学中国文学部卒、その後ハワイに留学。帰国後「東京シンフォニックバンド」を主宰。歌謡曲も多い。指揮者としても活動、ラジオ放送などでも活躍した。
「親恋道中」、「ヤットン節」、「ゴメンナサイ」(歌謡曲)
服部 公一 (1933〜 ) Koh'ichi HATTORI 序曲「北の国から」、序曲「南の島から」
作曲者については後日追記。
上記作品はどちらも吹奏楽コンクール課題曲で、「北」が1967年、「南」が1980年のもの。
服部 正 (1908〜 ?) Tadashi HATTORI 「朝の喜び」
男声合唱により音楽を知り、中学5年のときにマンドリンアンサンブルを組織した。1931年に慶應義塾大学法科を卒業。作曲コンクールに応募した際、審査員だった菅原明朗、武井守成と知り合い、作曲を師事した。後には近衛秀麿にも師事している。主に映画音楽分野において活動した。 作風としては、菅原に近代フランスの作法を、近衛にドイツの作風を仕込まれたため、結果としてこざっぱりした軽快なものとなっている。
「朝の喜び」は1942年の作品で、4分程度のもの。
交響曲「海」(合唱とオーケストラ)、「荒野乱舞」(オーケストラ)、「若人の饗宴」(マンドリンオケと大合唱)
早川 正昭 (1934〜 ) Masaaki HAYAKAWA 行進曲「開会式」、行進曲「僕らの学校」、「小人の行進」、「プレルーディオ・フェスティーヴォ」 5才より作曲を始める。東京大学林学科、東京藝術大学作曲科を卒業。作曲を長谷川良夫に、指揮を渡辺暁雄に師事。両大学在学中にすべての楽器を一通り習得、プロのホルン奏者として活動。卒業後、東京ヴィヴァルディ合奏団を結成、ヨーロッパ公演などで指揮活動とともに自作品を発表。芸術祭奨励賞、武井賞を受賞。映画音楽の作曲なども手がける。新ヴィヴァルディ合奏団常任指揮者。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会会員。
吹奏楽では子供のための作品を書いている。「開会式」は1967年の作で演奏時間3分30秒。日本コロンビアの委嘱。 「僕らの学校」と「小人の行進」も日本コロンビアの委嘱。どちらも演奏時間3分の小編成用行進曲。 「プレルーディオ〜」は1994年の作で演奏時間6分。楽譜は「YAMAHA MUSIC FOUNDATION オリジナルシリーズNo.14」に収録されている。
「イントロダクションとアレグロ」(Trb四重奏)、「ディヴェルティメンティーノ」(Tuba六重奏)
林 光 (1931〜 ) Hikaru HAYASHI 「架空オペラ組曲」、「プロメテウスの火」、「受難のはじまり」
尾高尚忠、池内友次郎に師事。東京藝術大学在学中、学校側の学外作品発表に対する態度などに疑問を抱いて中退、同時に間宮芳生、外山雄三とともに「日本の国民音楽の発展に役立つ仕事を」と「山羊の会」を結成。 作風としては人間的・社会的な視点を明確に捉えた作品創造と活動スタイルで「音楽の社会的使命」を重視。それゆえに社会的要素をもった作品は少なくない。語法としては多彩な旋法、特に沖縄とアイヌのものを用いたものに強い個性がある。
独奏ユーフォニウムを伴う「架空オペラ組曲」は1987年の、「プロメテウスの火」は1988年の、ともにヤマハ吹奏楽団浜松の委嘱作。 「受難のはじまり」は1961年に書かれた岩田宏氏の詩による混声合唱と吹奏楽のための作品。演奏時間7分の東京混声合唱団委嘱作。 また、ヤマハ吹奏楽団浜松の依頼で様々な作品のアレンジを手がけており、とくにムソルグスキー「展覧会の絵」が有名。
原民善の原爆詩による「原爆小景」(合唱)、交響曲第三番「八月の正午に太陽は…」(オーケストラとソプラノ)
原 博 (1933〜 2002) Hiroshi HARA マーチ「スタウト・アンド・シンプル」、「ミニ・シンフォニー」
1957年、東京藝術大学作曲科卒。1961年より三年間パリに留学、パリ音楽院で研鑚を積む。作曲を池内友次郎、J.リヴィエ、S.プレに師事。 作風は、「古典の形式を超える美しい形式は、未だこの世に存在していない」として古典の形式を使ったものが少なくない。また、あまりに突飛な演奏法・楽想に対しては非常に慎重に対応しており、「アンチ・前衛」肌の作曲家として知られている。
上記吹奏楽曲は、1988年度吹奏楽コンクール課題曲。「シンプル」とついているものの、吹奏楽のマーチの中ではかなり高度な構造を持っている(音楽界全体からすれば、それでも「シンプル」であることは明白だが)。ここにある種のメッセージを感じて欲しいものだ。 「ミニ・シンフォニー」は2002年度吹奏楽コンクール課題曲で、極めてシンプルかつ古典的な四楽章の全曲あわせてわずか6分ほどの交響曲。図らずも遺作となったこの作品は感慨深い。
「ソナタ・ファーチレ」(Pf)、「ヴァイオリン協奏曲」、「ピアノ協奏曲」
原田 敬子 (1968〜 ) Keiko HARADA 「Music for brassband」
7歳より作曲を始め、桐朋学園大学作曲科卒。ダルムシュタット国際セミナー、秋吉台国際音楽祭セミナーなどで研鑚を積む。作曲を川井学、三善晃、B.ファニホウに師事。 「演奏する」という行為を念頭においた作品群が特徴的で、演奏家に高度な要求がなされている。
上記吹奏楽作品は1985年の作、つまり作曲者が高校生のときの作品で10分ほどのもの。最初期の作品にあたるので、ここに引き合いに出すのは気の毒だったかもしれない。
「Sonara Distancis II 」(12 Instruments)、「After the Winter...」(Cl , Vla , PF)
桧原 弘 ( 〜 ) Hiroshi HIKIHARA 「Experiment」
作曲者については後日追記。
上記作品は1997年の秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティヴァルにおいて竹中俊二指揮の防府市立桑山中学校吹奏楽部によって初演された。
平石 博一 (1948〜 ) Hirokazu HIRAISHI 「ウォーキング・イン・スペース」、「時は時の向こうにある」
作曲は独学。1970年代からおよそ10年間、CM音楽などの商業音楽のスタジオで作曲活動を行っていた。1972年にグループ展「ミュージック・スペース」で初めて作品を発表。 日本における数少ないミニマルミュージックの作曲家である。数十音にも及ぶ長大な音列に基づくスタティックなミニマリズムは、ケージやフェルドマンの影響も見られる。また、近年ではMIDIシステムやコンピュータによる電子音楽によるミニマルも行っており、NHKの委嘱によって書かれた「回転する時間」ではテクノ・ミュージュックのようなスタイルも見られる。
1994年に創られた「時は〜」は、吹楽II において初演された吹奏楽史に残るミニマルの傑作。その多彩な音色感は多くの人に味わってもらいたい。 「ウォーキング〜」は1978年の作品。
「ドリーム・スケイプ」(オーケストラ)、「手の記憶は耳に届く」(鍵盤ハーモニカアンサンブル)、「道は遠い」(MIDIシステム)
平尾 貴四男 (1907〜1953) Kishio HIRAO
諧謔曲「南風」、「みいくさ」
慶応大学医学部に入学、独文科に転科し卒業。大学を出た後、17歳より大沼哲に師事した。 1931年にフランス、パリのスコラ・カントルムに入学、ベルトラム、レオンクールに師事。その後学校の内部抗争によってセザール・フランク音楽学校へ移った。 1935年帰国。翌年、日本現代作曲家連盟に入会。盛んに作曲活動を展開した。終戦後、「新作曲派」が旗揚げすると、それに対抗すべく安部幸明、高田三郎、貴島清彦などと共に1949年、「地人会」を結成した。翌1950年、日本現代音楽協会第三代委員長となる。 戦後の音楽としては極めて高い音楽レヴェルを持った作品を書いていたが、45歳という若さでの死であるために、その作品は数が少ない。また、メシアンの「我が音楽語法」を日本語訳するなどの活動もしていた。また、フルート奏者として当時の雅楽界に与えた影響も大きい。
「諧謔曲」は1943年作の5分程度の曲。その他の曲も戦時中の作品。
管楽アンサンブル編も参照のこと。
楽劇「隅田川」、「Fl,Vn,Pfのための三重奏曲」
平吉 毅州 (1936〜1998) Takekuni HIRAYOSHI 「ラプソディ」、「コンポジション」、「高校祝典序曲」、合唱と吹奏楽のためのミュージカル「あいと地球と競売人」
東京藝術大学大学院卒。長谷川良夫に師事。子供のためのピアノ小品から合唱、現代音楽にいたるまで、広い分野に高い完成度を持つ曲を提供しつづけていた。 芸術作品としての作風は堅実な語法、骨太な発想によるスケールの大きい展開が特徴で、テンションの高い現代語法を用いながらも、どこか聴衆の心を惹き付ける独特の魅力がある。 また、子供のための教育音楽の作曲家としても大変貢献しており、誰もが知っている「気球にのってどこまでも」の作者でもある。
「ラプソディ」はよく知られた名曲。ヤマハ吹奏楽団浜松の委嘱により1977年に創られた。演奏時間7分。 やはりヤマハ吹奏楽団浜松の委嘱により1972年に創られた「コンポジション」という曲は、平吉氏の作品リストから抜け落ちているなどして、その存在があまり知られていない。 「高校祝典序曲」は1978年の兵庫高等学校の委嘱作。演奏時間6分40秒。 合唱と吹奏楽によるミュージカル、という非常に珍しい「あいと地球と〜」は1994年の作品。
オーケストラのための「交響変奏曲」、「ひとつの朝」(合唱組曲)、「悲歌」(Pf)
廣瀬 量平 (1930〜 ) Ryoh'hei HIROSE 行進曲「ハナマス」、吹奏楽のための「祝典音楽」、「はなますマーチ」、「炬火賛歌」、「君よ今」
北海道大学教育学部卒業後、東京藝術大学作曲科に入学。筒井秀武、池内友次郎、島岡譲、矢代秋雄に師事、また、直接の師弟関係はないが、柴田南雄のアナリーゼ、入野義朗の私的ゼミナールを受けた。1960年代は邦楽器群のための音楽を中心に活動、自己の美学の端緒を発見する。こののち、洋楽器などのアンサンブルも多く書くようになり、邦楽器も交えた独特の編成の曲を書く。
しかしながら、上に挙げた一連の吹奏楽作品は氏のそのような路線とは一線を隔している。「祝典音楽」の原曲は札幌冬季オリンピックのために1971年に書かれたオーケストラ曲で、上埜孝氏によって吹奏楽版にされた。原曲と調が異なり、さらに拍子なども違うのだが、廣瀬氏本人がそれを承認しているので、きっとそれでいいのであろう。なお、その編曲版であるが、1982年に作成され、音楽之友社から楽譜が出版されている。演奏時間12分。 合唱曲三曲の吹奏楽編曲版である青字の三曲も上埜氏による編曲である(いずれも1988年の作)。よって、廣瀬氏自身による吹奏楽作品は存在していないといってもよいかもしれない。
「悲(トリステ)」(チェロ協奏曲)、持続音を伴うアルトフルートのための「波羅蜜多」、「海の詩」(合唱)
弘田 龍太郎 (1893〜1952) Ryuhtaroh
HIROTA 「国ほがひ」、「土に輝く」
東京音楽学校本科ピアノ専攻を卒業。卒業直後より文部省邦楽調査委員を委嘱されて努める。その後ベルリン高等音楽院に留学。F.シュミットに師事。東京音楽学校の教授として後進の指導にあたった。 現在では数多くの童謡で知られている。
上記の吹奏楽曲はどちらも戦時中の作品。
「すずめの学校」、「靴がなる」、「しかられて」、「雨」(いずれも童謡)、「千曲川旅情のうた」(歌曲)、オペラ「西浦の神」
深井 史郎 (1907〜1959) Shiroh
FUKAI
「葬送行進曲」、「空々たる行進」、満州民謡による交響的組曲「大陸の歌」 、「ビルマ祝典曲」、「英霊を送る」
国立音楽学校に在籍するも、ほとんど出席しなかった。その後、菅原明朗に師事した。 1932年、コンセール・ビジューを結成。1939年、安部幸明、原太郎、小倉朗、尾崎宗吉、山田和男、園部三郎、山根銀二らとともに楽団「プロメテ」を結成。作品には室内楽が乏しく、ピアノ曲が無い。「マイクロフォンのための組曲」という作品が日本初のテープ音楽である。彼は、12音音楽を批判し、ストラヴィンスキーやメシアンなどを「精神的な小児時代への退行」として痛烈に非難している。 なお、深井は終戦後は主に映画音楽の分野で活躍することとなる。 「葬送行進曲」は1940年の作で4分のもの。「大陸の歌」は1943年のもので20分の曲。「英霊を送る」も1943年の作。なお、「大陸の歌」と「英霊を送る」、「葬送行進曲」にはオーケストラ版も存在する(どちらが原曲かは不明)。 「ビルマ祝典曲」は1944年の作品である。
管楽アンサンブル編も参照のこと。
「パロディ的な4楽章」(オーケストラ)
藤井 喬梓 (1959〜 ) Takashi FUJII 「鳥をとるやなぎ」
国立音大、フライブルク音楽大学卒。團伊玖磨、池内友次郎、マイヤー、ニューネスに師事。日本現代音楽協会会員。
「鳥をとるやなぎ」のタイトルは宮沢賢治の童話による。打楽器などによる多彩な音色・音の質量に特徴があり、さらに多種の楽器によるバンダを用いて空間的な音響効果も意図している第3回吹楽で取り上げられた作品。なお、同名でモティーフを共有するピアノ小品も存在する。
「イーハトーブからの手紙 第二集」(Pf)、「星めぐりの歌」(混声合唱、プリペアードピアノ、Orch.)
藤掛 廣幸 (1949〜 ) Hiroyuki FUJIKAKE 「協奏的序曲」、「白鳳狂詩曲」、「ロックンマーチ」、「ノスタルジック・ラプソディー」、「シャコンヌ」、行進曲「青春讃歌」、「ミューズコンツェルト」、「エンジェル・コーラス」
愛知県立芸術大学作曲課程卒業、同大学院修士課程終了。作曲家として、オーケストラ曲、オペラ、合唱曲、吹奏楽曲、 マンドリン曲、シンセサイザー曲、邦楽、NHK「中学生日記」等のテレビやラジオなどの作品を作曲。 編曲家としてもイ・ムジチ合奏団とオーボエの世界的名手ハインツホリガーによるアルバム「日本の四季」のアレンジを担当するなどしている。また、シンセサイザープレイヤーとしても活動している。 藤掛氏は数少ないマンドリンオーケストラのための作品群を創っている作曲家の一人。その多彩な作品群については藤掛氏のホームページ を参照されたい。
「協奏的序曲」は1976年の、「白鳳狂詩曲」は1983年の、「ロックンマーチ」は1991年の吹奏楽コンクール課題曲。 「青春讃歌」は1976年の岐阜北高等学校委嘱作。 「シャコンヌ」は1976年の笹川賞吹奏楽曲A部門第一位受賞作で、5分30秒の曲。 「ノスタルジック・ラプソディ」は1975年の笹川賞吹奏楽曲B部門第一位受賞作で、8分の曲。なお、この曲の前身である「カプリチオ」は浜松工業高等学校吹奏楽部によって初演されている。 これらの作品については藤掛氏のホームページ上にて詳しく述べられており、楽譜・CDが購入できるものもある。
オペラ「紙すきのうた」、「コンストラクション・オブ・レインボウ」(Fl、Orch.)
藤沢 孚 (1932〜 ) Makoto FUJISAWA 「希望の賦 」
作曲者については後日追記。
上記作品は山形北高校音楽科管楽合奏団の委嘱で書かれたオラトリオ。1974年作で10分。
藤田 正典 (1946〜 ) Masanori FUJITA 「ブラックホール I」、「水はめぐる命はめぐる 」
1967年より入野義郎に師事。1970年にベルリン市より奨学金を受けてベルリン国立音楽大学に留学、尹伊桑に師事。 アジアの新しい音楽世界を構築、西洋との対比を行うというのが一連の作品の意図。それを現実とするために邦楽器と打楽器が重要な音素材となっている。
「ブラックホール」は1991年の作。ヤマハ吹奏楽団浜松の委嘱・初演。 「水は〜」は1995年の作品で混声合唱を伴う。
「オーロラIV」(ピアノとオーケストラ)、「萩のそよぎII」(ピッコロ、アルトフルート、打楽器)
古矢 弘政 ( 〜 ) Hiromasa FURUYA 「国の鎮め」
作曲者については後日追記。
陸軍軍楽隊隊員。パリ国立音楽院留学。
別宮 貞雄 (1922〜 ) Sadao BEKKU
組曲「映像の記憶」、「清くあれ、爽やかなれ」
池内友次郎に師事。東京帝国大学(現:東大)理学部物理学科および文学部哲学科を卒業後、1947年に柴田南雄の主宰する作曲グループ「新声会」に入会。これまでフランス的だった作風が、小倉朗と知り合ってからは古典主義に傾いたものとなる。1952年、フランス国立音楽院に入学、ダリウス・ミヨー、オイヴィエ・メシアン、S.P.コーサード、J.リヴィエらに師事。 別宮は12音技法を「知的遊戯」として好ましく思っていない。
上記吹奏楽曲の「清くあれ〜」は、1989年度の吹奏楽コンクール課題曲として作成されたが、あまり別宮らしくないと言えよう。 「映像の記憶」は1987年の作。
「ヴィオラ協奏曲」、「二つの祈り」(オーケストラ)、「隠れん坊と鬼ごっこ」(2台のマリンバ)
保科 洋 (1936〜 ) Hiroshi HOSHINA 「風紋」、「響宴I」 、「古祀」 ほか多数
東京藝術大学卒。作曲を石井歓、長谷川良夫に、指揮法を渡辺暁雄に師事。芸大時代の同級生、兼田敏に誘われて吹奏楽の世界へと入っていき、日本の吹奏楽界の基礎を創った。 叙情的な旋律と美しい和声、やや大規模な曲の構成が魅力。吹奏楽作品は実に多い。
「古祀」は元々は1978年に岡山大学管弦楽団の委嘱で創られた「祀」が原曲で、ヤマハ吹奏楽団浜松の依頼で吹奏楽に編曲された。逆に「響宴 I 、II 」も岡山大学管弦楽団委嘱でオーケストラに編曲された。
管弦楽のための「パッサカリヤ」、「祝典舞曲」、「ウリジン・クエーナ」(合唱)
堀 悦子 (1943〜 ) Etsuko HORI 「遥か彼方へ」
1965年に東京藝術大学および同大学院卒。石桁眞礼生に師事。在学中より歌曲から管弦楽作品と幅広い分野で数々の賞を受賞。日本現代音楽協会会員。 作品はテクスチュアの厚みと論理的展開の巧みさが特徴。
「遥か彼方へ」は第3回吹楽で取り上げられた。
「交響四章」、「半跏思惟」(orch.)、「Timp.、Vc.、Orch.のための協奏曲」
堀内 俊男 (1953〜 ) Toshio HORIUCHI 行進曲「朝日の中に」、「ザ・マジェスティック」、「序曲」、「青春の輝き」
作曲者については後日追記。
「朝日の中に」は1981年作の4分の曲。 「ザ・マジェスティック」は1982年作の5分の曲で福山で初演された。 「序曲」は1983年の作の7分の曲で三原市で初演された。 「青春の輝き」は1984年の作の6分の曲で因島で初演された。
「過ぎる」(混声合唱)、「二つの賛美歌によるアンダンテとアレグロ」(室内オケ)