ま行の作曲家

まえだ しゅいち (1952〜 )  Shuichi MAEDA
   「エピローグ・セレモニー」、「レインボー・ブリッジ」、「マリン・スノー」、「ミステリアス・スペイス II」、「キャッチ!」、行進曲「ウィットキンプソン」、「ウェイブ」

 作曲者については後日追記。平仮名表記は公式のもの。
 「エピローグ〜」は1981年にびわこ国体のために書かれたもの。10分。 「レインボー〜」は1981年作で7分。 「マリン・スノー」は1982年作で7分。 「ミステリアス〜」は1982年作で10分。 「キャッチ!」は1983年作で7分。 「ウィットキンプソン」は1983年作で4分。 「ウェイブ」は1984年作で6分。 「ウィットキンプソン」以外はいずれも大津市で初演されている。「ウィットキンプソン」は長浜で初演。
 「アフェクション」(13 Fl)、「ヴァイオリン協奏曲」、「交響曲」(orch)


増田 宏三 (1934〜 )  KohZoh MASUDA
   作品一覧

 作曲者については後日追記。
 青少年のための喜歌劇「ハルミールの森の祭り」


松下 功 (1951〜 )  Isao MATSUSHITA
   「飛天の舞」

 作曲者については後日追記。
 上記作品は東京佼成ウインドオーケストラ委嘱の15分ほどの曲。2001年作。「誘いの調べ」、「飛天の舞」という二部構成からなり、第一部では奏者、指揮者がステージ外より演奏しながらステージ上に集まってくる。第二部は氏の代表作である「飛天遊」と関連がある。
 「飛天遊」(和太鼓、Orch)、「グラン・アトール」(Sax 4重奏、Orch)


松下 真一 (1922〜1990)  Shin'ichi MATSUSHITA
   「偉大への讃歌」、独唱・合唱と管楽器・打楽器のための「詩篇第105番」

 作曲は永井巴、父・松下久一に師事。また、指揮を朝比奈隆に師事。1945年、九州帝国大学理学部大学院を修了、こののち大阪市立大学、ハンブルク大学の教授となり、位相解析学の世界的権威となった。この数学者・松下ではあるが、作曲家としても非常に優秀な人物であった。数学的書法も部分的に用いられてはいるものの、感性的なものによって書かれた曲も少なくない。「国際的な運動のなかで仕事をする」ことを目標にし、日本人作曲家として仏教を題材とした音楽も多数書いていた。
 「偉大への讃歌」は1975年に立正佼成会の会長、庭野氏の古希の為に書かれたもので、東京佼成ウインドオーケストラの委嘱作。が、彼の普段の作法とはかけ離れたものとなっている。なんと途中でドイツの民謡が流れる。演奏時間14分。 「詩篇第105番」は1960年の作品である。
 「星たちの息吹き」(室内オーケストラ)、交響曲第6番「シンフォニア・サンガ」(ソプラノ・バリトン・Pf・電子オルガン・尺八・笙・混声合唱・オーケストラ)


松平 頼則 (1907〜 )  Yoritsune MATSUDAIRA
   「蒙古行進曲」、「日本舞曲 第一・第二」

 日本の西洋音楽の胎動期から現在に至るまで、常に日本の現代音楽界の重要な役割を担ってきた松平氏。慶應義塾大学仏文科在学中に聴いたピアノリサイタルがきっかけで音楽の道を志す。和声学・対位法・楽式論をヴェルクマイスターに師事。一時期、小松耕輔に作曲も習ったが、ほぼ独学。なお、小松門下だった時期に清瀬保二と知り合い、それ以来交友関係にある。 1930年に清瀬保二、箕作秋吉らとともに「新興作曲家連盟を結成。終戦後の1946年に「新作曲派協会」を清瀬、早坂、伊福部らと結成。 作風はフランスの流れを汲んだものや、セリエルの技法を用いたものに雅楽などの日本音楽の要素を混合させたもの。 著作「近代和声学」は今日でも多くの後進の作曲家の学習の手引きとなっている。 また、息子は現代音楽界の鬼才、松平頼暁氏である。
 上記の吹奏楽曲は全て戦時中の作品。
 管楽アンサンブル編も参照のこと。
 「フィギール・ソノール」(orch.)、「振鉾三節による変奏曲」(室内アンサンブル)


松永 通温 (1927〜 )  Michiharu MATSUNAGA
   「トーナルゲーム」

 1949年に大阪外事専門学校インド科を卒業後、1955年に大阪学芸大学特設音楽課程理論作曲専攻を修了。1958年より入野義朗に師事。 作風は、無調や調性などの既存のスタイルに捉われずに自分に必要な音を選び取って、日本の伝統的美意識を具体化するように努めたものである。
 上記吹奏楽曲は1977年の作品。
 「翠氷」(尺八、筝、Vib)、「Sound First」(打楽器7重奏)、ピアノとオーケストラのための「時の星座」


松本 日之春 (1945〜 )  Hinoharu MATSUMOTO
   「ノヴァ」、「クリムソンスカイ」

 作曲者については後日追記。
 「ノヴァ」は1986年の作で20分。浜松で初演。 「クリムソンスカイ」は1989年の作で10分。浜松で初演。
 「レ・レオニード」(Orch)、オペラ「幸福の王子」、チェロソナタ「フィレンツェ」


間宮 芳生 (1929〜 )  Michio MAMIYA
   「カタロニアの栄光」、「序曲」、「ベリーを摘んだらダンスにしよう」、行進曲「岩木」

 1952年、東京音楽学校(現:藝大)卒。池内友次郎、田村宏に師事。NHKの資料をもとに、日本の民謡を研究、そのなかから発見したノンセンス・シラブルの言葉だけによる民謡に衝撃を受け、ここから新たな民族的語法を導き出した。この研究の軌跡が「合唱のためのコンポジション」シリーズである。 これとは別に、ジャズの語法を取り入れた作品群もある。
 吹奏楽作品の「岩木」以外の三曲はいずれも過去のコンクールの課題曲として作曲された。「カタロニア」は’90年、「序曲」は’86年、「ベリー〜」は’94年のもの。 「岩木」は昭和52年(1977年)の国体のために書かれたもの。
 尺八とチェロのための「KIO」、「合唱のためのコンポジション」、歌曲「郵便切手」


黛 敏郎 (1929〜1997)  Toshiroh MAYUZUMI
   「トーンプレロマス55」、「花火」、「テクスチュア」、「打楽器とウインドオーケストラのための協奏曲」、「彫刻の音楽」、「祖国」、「黎明」、「RITUAL OVERTURE」(女声合唱と管楽アンサンブル)

 中村太郎に師事後、1945年に東京音楽学校作曲科に入学、橋本国彦、池内友次郎、伊福部昭に師事。大学3年のときにジャズバンド「ブルーコーツ」に入り、一年間ピアノを弾く。これが大きな影響を与えている。卒業と同時に数多くの賞に入選、委嘱も多数受ける。このころN響より委嘱され「シンフォニック・ムード」を書く。 1951年、フランスのパリ・コンセルヴァトワールに留学、トニー・オーバン、アンリ・シャランに師事。1952年帰国、この年に三島由紀夫と知り合う。1953年に團伊玖磨、芥川也寸志とともに「3人の会」を結成。1955年に日本初の電子音楽のみによる作品をNHKの協力で創る。 作風は、当時としては斬新な、常に前衛的なもの。極めて理論的に構成されたものである。
 上記吹奏楽曲のうち、マーチ以外のものはほとんどがアメリカン・ウインド・シンフォニーの委嘱作。そのためSaxを編成として欠くものが多く、楽譜もペータースより出版されている。「トーンプレロマス55」は第2回「3人の会」作品発表会において東京交響楽団によって初演された。1964年、これにアメリカンウインドシンフォニーの委嘱で女声合唱を加えて改訂したものが「RITUAL OVERTURE」、すなわち「典礼序曲」であり、この楽譜もペータースから出版されている。
 「祖国」は1981年に陸上自衛隊の委嘱で書かれた5分のマーチ。 「黎明」もやはり1981年に書かれた5分のマーチで、こちらは防衛大学校の委嘱。
 「涅槃交響曲」、「ミュージックコンクレートのための作品X,Y,Z」、「電気楽器、打楽器および弦楽器のための「エクトプラスム」


三上 次郎 (1961〜 )  Jiroh MIKAMI
   「長崎讃歌」、「フーガ」、「ノスタルジア」

 作曲者については後日追記。
 「長崎讃歌」は1994年の作で、混声合唱を伴う作品。 「フーガ」は1989年の作で5分。 「ノスタルジア」は1984年の作で6分半。日本バンドクリニック委員会主催の作品公募入選作。楽譜はヤマハ音楽振興会。 「シンフォニエッタ」は1984年の吹奏楽コンクール課題曲。


三木 稔 (1930〜 )  Minoru MIKI
   式典曲「消えゆく聖火」

 高校の頃に合唱団に所属していたことにより音楽の楽しみを知る。海軍士官学校を経て、1951年に東京藝術大学入学。池内友次郎、伊福部昭に師事。1955年卒。1964年に「日本音楽集団」を結成、現代邦楽の第一人者となる。1969年に筝奏者、野坂恵子と共に21絃筝を開発、以後この楽器が現代邦楽の筝の一般的なものとなる。ごく少数の人数で演奏できる「室内オペラ」を実践する。1986年、「歌座」を組織。1990年、「アンサンブル結」を結成。また、1994年よりアジアの各国の民族楽器のみで構成された「オーケストラアジア」の音楽監督を務める。著作「日本楽器法」は日本の楽器を世界的に広めるための足がかりになる本として、近年特に注目されている。 作風は徹底した日本音楽主義、と思われがちだがその実、しっかりした西洋的骨格も持っている。なによりも「聴いている人のための音楽」という信念に基づいて作曲活動を行っている。
 合唱と吹奏楽による「消えゆく聖火」は、札幌冬季オリンピック組織委員会の委嘱で1971年に書かれた。演奏時間約3分。なお、閉会式の聖火の消える際に用いられた。 それにしても、このオリンピックのために一体何曲の吹奏楽曲が書かれ、どのくらい残ったのだろうか。
 管楽アンサンブル編も参照のこと。
 オペラ「じょうるり」、「鳳凰三連〜序の曲・破の曲・急の曲」(オーケストラ)、「マリンバ・スピリチュアル」(打楽器X重奏)


箕作 秋吉 (1895〜1971)  Syuhkichi MITSUKURI
   円舞曲「青年」

 東京高等師範学校の付属中学三年生だったころに西洋音楽(シューベルトのリートだった)に触れ、作曲に関心を抱くようになった。1921年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業、ドイツに留学し、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所で物理化学を研究する。そうするなかで現地の音楽に触れ、さらにゲオルク・シューマンに和声法を習った。 1925年に帰国。池譲に和声学を、池内友次郎に対位法とフーガを、ヨーゼフ・ケーニッヒに管弦学法を、ヨゼフ・ローゼンストックに指揮法を学ぶ。 「日本的な音楽」を志向し、そのために「1、ドイツ近代和声より出発する方法 2、日本旋律を材料として音楽を研究する方法 3、日本と近似の旋律を有するロシア音楽の和声を研究する方法」を提唱する。 1930年に当時の新進気鋭の作曲家16名と「新興作曲家連盟」を設立、これが後の日本現代音楽協会である。 日本の西洋音楽の基礎を築いた一人として、とても重要な人物である。
 上記のワルツは戦時中の作品である。なお、他に箕作は「秋吉元作」、「秋山準」の名で作曲活動を行っていたこともある。
 歌曲「芭蕉紀行集」(オーケストラ伴奏)、クラリネットと弦楽四重奏のための「無言詩」


南 聡 (1955〜 )  Satoshi MINAMI
   ブラスアンサンブルのための「新得町マーチ」

 東京藝術大学作曲科卒。 作風は極めて個性的。「いかに視線をそらし、逸脱するか」という問いを発し、その問いに対して自ら別の作品で注解・補遺をしていくというもの。現代の作曲家としては珍しく作品番号をつけているが、「op.15-2/4」などのように、それは作品同士の関連性を示すためのものである。いうなれば、イタリアの作曲家、ルチアーノ・ベリオとも類似性が見られるかもしれない。 また、調性音楽やポップス、映画音楽なども創っており、それらには作品番号は与えられていない。1997年に書かれた上記吹奏楽曲もそうした「番外」の作品である。
 ハープを伴うオーケストラのための「譬えれば…の注解」op.14-3、バスクラリネットとピアノのための「譬えれば…の補遺」op.14-4


南 弘明 (1934〜 )  Hiroaki MINAMI
   「サクソフォーンと吹奏楽のための小協奏曲」、「ディテュラムボス」

 1958年東京藝術大学卒。森脇憲三、長谷川良夫に師事。1961年にドイツ、フライブルク音楽大学に留学、ヴォルフガング・フォルトナーに師事。 日本における電子音楽、ミュージックセリエルの第一人者。1992年、日本電子音楽協会を設立、現在同協会会長。
 上記は二曲ともにかなりの大曲。 「ディテュラムボス」とは古代ギリシアの酒の神の讃歌のことで、この曲はジャズの形式を借用して創られている。東京音大シンフォニックウインドアンサンブルの1972年の委嘱作品。演奏時間20分。 「小協奏曲」は演奏時間15分。1979年に東京吹奏楽団によって委嘱された。なお、初演時の指揮者は山本正人氏。
 ソプラノと管弦楽のための「挽歌」、シンセサイザーと管弦楽のための「オリオン」、電子交響曲「第一〜五番」


三村 恵章 (1951〜2000)  Yoshiaki MIMURA
   「Bird's Solfegio running away from Organ」、「Resonance for Deep Flowers」

 福岡県生れ。作曲を12才より独学後、今史朗、下山一二三、松平頼暁、湯浅譲二に師事。1975年芝浦工大電子工学科卒業。 1975年ISCMパリ入選。 日本現代音楽協会、九州作曲家協会、オーケストラプロジェクト、水石の西風会の会員。
 「Bird's〜」は1976年の作品。演奏時間9分。 「Resonance〜」は1984年の作品。演奏時間10分で福岡で初演。
 「Wave and motions」(Timp、Orch)、「Lethe II 」(Pf)


三宅 榛名 (1942〜 )  Haruna MIYAKE
   「プレイ・タイム」(ピアノ・シンセサイザー・吹奏楽)

 笈田光吉、豊増昇にピアノを、諸井三郎に作曲を師事。1961年に渡米、ジュリアード音楽院にてジャンニーニ、V・パーシケッティに師事。即興性を取り入れ、現代音楽の中に自己の具体性、日常性を盛り込もうとしている女流作曲家。現代音楽を密室から解放しようとシアターピースなどにも取り組んでいる。 作品の特徴として、現代社会、そこに生きる人々のありよう、心の状況の反映が挙げられる。
 1989年作の「プレイタイム」は洗足学園ウインドオーケストラの演奏でCDも発売されているので、ぜひ聴いておきたい一曲である。
 「拾子エレジー」(Pf弾き語り)、「奈ポレオン応援歌」(Tp、E-gt、Pf)、「憂愁の時」(打楽器とピアノのダブルコンチェルト、オーケストラ)


    
三善 晃 (1933〜 )  Akira MIYOSHI
   「深層の祭」、「クロス・バイ・マーチ」、「スターズ・アトランピック’96」、「北上市民の歌」(Pf、合唱付)、「いまここで」、「富士へ」、「木とともに 人とともに」

 平井康三郎、池内友次郎に師事。東京大学仏文科卒。在学中にフランスのパリ国立音楽院に留学、レイモン・ガロワ=モンブラン、アンリ・シャランに師事。また、アンリ・デュティユーに影響を受けた。多彩なモティーフ操作の作法と美しいフランス和声を巧みに使う。70年代以降、「生者」と「死者」による「弁証法的」な音楽が特徴となり、それらを超越した存在としての童謡を用いた音楽が人々を戦慄させる。 吹奏楽にも理解があり、三善氏の提唱により東京現代音楽祭の日程の中に「吹奏楽の日」が組みこまれる(後に吹楽というシリーズになる)など、積極的に活動を行っている。
 吹奏楽作家としての氏は、それらよりもやや気軽に聴ける音楽を書いている。「深層の祭」は’88の吹奏楽コンクール課題曲のため4分程度の曲ではあるが、類まれな構成密度の高さから、吹奏楽史上最高傑作の一つと断言してもよいだろう。 「クロス・バイ・マーチ」も’92年のコンクール課題曲。マーチとはなっているが、有機的にモティーフが操作された非常に高度な構成を持っており、変拍子・テンポ変化も伴うコンサートマーチの最高傑作の一つ。 「スターズ・アトランピック」は1990年に書かれた作品で、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学音楽学部の委嘱作。「’96」はアトランタオリンピックが開催された年であり、作曲年代とは一致していない。楽譜は佼成出版社刊。 合唱を伴うものは、「北上市民の〜」が1992年、「いまここで」が1993年の作品である。 「富士へ」はピアノと混声合唱・童声合唱と吹奏楽のための作品。静岡のフジテレビ系列のテレビ曲の委嘱により書かれており、テキストは大岡信によっている。 「木とともに〜」は原曲は2台ピアノと混声合唱のためのもので、1999年に上野の東京文化会館で行われた「上野の森コーラスパーク」のために書かれたもの。この後、吹奏楽伴奏合唱曲として2000年12月に同じく行われた「上野の森バンドパーク」のために創られたものが上記のもの。なお、吹奏楽伴奏版初演の15日後には東京文化会館の年越し演奏会において管弦楽伴奏版の初演も行われている。
 他にもブラスサンサンブル作品が数曲あるのでこちらも紹介しておこう。「Choral en spirale I 」、「Choral en spirale II 」という2つの作品があり、前者が1984年、後者は1986年の作品。 また、1997年作で「Fanfare」というものがある。これは札幌コンサートホールkitaraのオープニングセレモニーのために書かれたもの。23の金管楽器という編成をとり、kitaraホールの独特の形状(ワインヤード型)を生かした、数カ所でのバンダの指定がされている。初演は秋山和慶指揮の札幌交響楽団のメンバーによった。
 「海」(合唱)、「遊星一つ」(合唱)、「声とオーケストラのための三部作(響紋)」、「ヴァイオリン協奏曲」


村雲 あや子 (1949〜 )  Ayako MURAKUMO
   「シンフォニック・スペース」

 作曲者については後日追記。
 上記作品は1990年の作で4分。東京で初演された。
 「失われた時への旅」(orch)、「インタースパーション」(Vla , Vc , Cb)


毛利 蔵人 (1950〜1997)  Kurohdo MOHRI
   「SURELY YOU ARE JOKING」

 兵庫県に生まれ、東京都立西高等学校を卒業。全くの独学でピアノと作曲を始める。1971年より2年間、三善晃に作曲を師事。その後武満徹のアシスタントなども努める。ロンドン・シンフォニエッタやアルディッティ弦楽四重奏団などにも作品はよく演奏される。 極めて個性的な音楽活動の展開で知られている。ちなみに、「毛利蔵人」はペンネームであり、これは氏がラヴェルとドビュッシーを愛していたからである(もうりす・くろうど)。氏は病気のため、若くして亡くなられた。
 上記吹奏楽作品はヤマハ吹奏楽団によって1989年に委嘱、初演された。近藤譲氏の作品と同様、貴重な作品でありながらも再演される、録音される機会がないのが大変惜しまれる。
 「GROOM IS GLOOMY」(Orch)、「テネブローソ・ジョルノ」(2Per)、「冬の為に」(Fl、2Per)


森崎 貴敏 (1951〜 )  Takatoshi MORISAKI
   「祝典序曲」

 作曲者については後日追記。
 上記作品は1984年の作で8分。岐阜で初演された。
 「秋の風」(混声合唱)、「経」(Fl)