さ行の作曲家
- 斎藤 高順 (1924〜 ) Takanobu SAITOH
作品一覧
父は作曲家、斎藤太計雄。東京音楽学校研究科作曲専攻を卒。作曲を池内友次郎、信時潔、細川碧、金子登に師事。自由作曲家協会会員。映画やテレビなどのための音楽も多数制作していた。
吹奏楽作品は、自身が所属していた航空自衛隊音楽隊のための作品が多く目をひく。 行進曲が多く、また、自然保護や交通安全、といった願いをこめていることも多い。
「ヴァイオリン、ハープ、打楽器のためのコンポジション」、歌曲「風鐸」、「岩魚」、「今様」(orch.)
- 三枝 成章 (1942〜 ) Shigeaki SAEGUSA
Overture「FIVE RINGS」、ピアノと吹奏楽のための「ピアノ協奏曲」、打楽器と吹奏楽のための「The Game II」
東京芸大、同大学院卒。卒業よりしばらくは極めて前衛的な手法を模索する。上記のピアノ協奏曲も、管楽器奏者がコーラのビンを吹く、という異色の作品。1977年の「Game I」は100人の打楽器奏者とシンセサイザーによるものであった(余談だが、Ob奏者の茂木大輔氏も演奏に加わっていた)。 しかし、この後「現代音楽が一般の聴衆から遠ざかっている」という事態を憂慮、1975年から四回にわたって「ニュー・ミュージック・メディア 現代音楽祭」を開催し現代音楽の流れに一石を投じようとした。 これ以後、とくに1990年代からは美しい旋律や調性を復活、広く聴衆にアピールする作風となる。
上記吹奏楽作品は’85年課題曲「FIVE RINGS」以外はいずれも前衛時代の作品で、「Pf協奏曲」は1971年に東京音楽大学シンフォニックウインドアンサンブル、高橋アキのピアノによって初演された。 「The Game II 」は東京吹奏楽団によって1977年に初演された。
オペラ「忠臣蔵」、、「Orchestra'89」、Vn協奏曲「雪に蔽われた伝説」
- 座光寺 公明 (1958〜1987) Kohmei ZAKOHJI
「室内チェロ協奏曲」
作曲者については後日追記。
上記作品は1985年の作で18分のチェロ協奏曲。東京で初演された。
「モノディア」(Fl , Pf)、「コンティヌーム」(orch)
- 佐藤 眞 (1938〜 ) Shin SATOH
「飛翔のとき」、カンタータ「土の歌」より「大地讃頌」
1963年、東京藝術大学作曲科卒。下総皖一、池内友次郎に師事。在学中より代表作「土の歌」などで知られるように合唱作家としてデビュー。調性の、オーソドックスな作曲技術を用いた音楽性豊かな音楽が人気を博した。 オーケストラの分野でも、常に新しい語法を模索しながらも独特の親しみやすさをもつ音楽を創っている。しかし、決して現代音楽の語法に通じていないわけではなく、実に多彩な才能を見せている。
「飛翔のとき」は1993年の作品。 「大地讃頌」(1967 原曲はオーケストラと合唱)はあまりにも有名な曲だが、佐藤氏自らが編曲したものがある。しかし、原曲に忠実なH-durで書かれているため、吹奏楽としては少し厳しい調性となっている。かといって安易に移調することは絶対に避けたい。
「交響曲第三番」、「打楽器のための音楽1985」、「木管合奏のための即興曲」
- 佐藤 長助 ( 〜 ) Chohsuke SATOH
行進曲「産業戦士」
作曲者については後日追記。
この作曲家には他にも多数の作品が確認されている。戦後にはコンクール課題曲も書いている。
- 塩見 充枝子 (1938〜 ) Mieko SHIOMI
「トロムプルイエ」
作曲者については後日追記。
上記作品は1985年の作で20分。東京で初演されたテノール独唱を伴う作品。
「グランドピアノの為のフォーリングイヴェント」、「顔のための消える音楽」
- 四反田 素幸 (1952〜 ) Motoyuki SHITANDA
「フェスタルマーチ」、幻想曲「壁画」、「祝典前奏曲」、「響きの素描」
作曲者については後日追記。
「フェスタルマーチ」は1985年の作で3分。東京で初演。 「壁画」は1989年の作で7分。東京で初演。 「祝典前奏曲」は1989年の作で7分。オルガンを伴う作品で秋田で初演。 「響きの素描」は1990年の作で4分。東京で初演。
「夢幻歌」(筝合奏)、「童詩抄」(女声合唱)
- 柴田 南雄 (1916〜1996) Minao
SHIBATA
「Perfect Liberty 〜祝教祖32年祭式典の音楽」
東京帝国大学理学部植物科を経て同大学美術史学科を1943年に卒業。在学中に細川碧に和声法と対位法を、諸井三郎に作曲を師事。また、短期間ではあるが斎藤秀雄に指揮法を習う。1946年に入野義朗らと作曲家グループ「新声会」を結成。この頃より池内友次郎に短期間フーガを習う。1948年に斎藤秀雄らと「子供のための音楽教室」をはじめる(これが後の桐朋学園大学音楽部)。1953年により入野らと共に十二音技法の研究を始める。1957年に黛敏郎らとともに「ニ十世紀音楽研究所」を開設、日本の現代音楽研究の礎となった。 作風はロマン主義的抒情の第1期、ミュージックセリエルの第2期、前衛手法の第3期、晩年様式の第4期に分けられる。十二音技法に代表されるような極めて理論的構造を持つ作品群や、日本の民俗的伝統に基づいたシアターピース作品などに特徴がある。 また、柴田は作曲家としての活動も勿論ではあるが、論評などを通じた啓蒙活動における功績も大きく、日本の現代音楽黎明期において極めて重要な位置にある。
柴田は自作に作品番号をつけているが、上記吹奏楽曲には残念ながら作品番号は与えられていない。この作品は1970年に書かれたもので、吹奏楽とともにテープも用いられている。演奏時間4分で、大阪のPL吹奏楽団によって初演された。テープパートは既製の柴田のテープ作品が用いられている。 なお、東京佼成ウインドオーケストラにより録音されているCDに収録されている「エッセイ(no.29)」は金管六重奏曲。十二音技法によって書かれた作品である。
「シンフォニア」no.25(Orch.)、立原道造による「優しき歌」op.13(歌曲)、「追分節考」no.41(混声合唱、尺八)
- 渋谷 澤兆 (1930〜 ) Takutyoh SHIBUYA
「北海盆歌の<主題と変容>」
熊本県の寺院に生れる。戦後映画音楽に興味をもち、作曲を志す。上京し諸井三郎に和声法、対位法、管弦楽法を師事。その後清瀬保二に師事し日本的音素材とその構築法ならびに作曲法と音楽観やその姿勢を学ぶ。さらに、和声、対位法、楽曲分析を島岡譲に師事。 1955年から創作舞踊や劇団のための作曲を担当、この作曲活動が「抽象と具像」という作曲方法論の根底をもたらしている。耕人会、日本現代音楽協会、日本作曲家協議会の会員。また、音楽教育のために書かれたものも多数ある。
上記吹奏楽曲は1993年の作。演奏時間17分。茅ヶ崎文化会館の委嘱によった。
「モノローグ」(Euph ens)、「チェロ4群による3楽章」(40のVc)、「岩手山」(混声合唱、Orch)
- 清水 脩 (1911〜1986) Osamu
SHIMIZU
「三つの前奏曲」、「スイート・プロファーヌ」、「小組曲」、式典曲「東京オリンピック讃歌」
中学生のころから音楽を志した。作曲家になるつもりは当初無く、フランス音楽の研究者になるつもりだった。合唱団で音楽活動を行う。大阪外国語大学仏文科卒業後の1937年、東京音楽学校(現:東京芸大)に入学、橋本国彦、細川碧に作曲を師事。その後、作曲賞に次々と入選、これまでの仕事を辞めて作曲に専念することになる。1946年、全日本合唱連盟を創設。アマチュア合唱の生育にはげんだ。 男声合唱の産みの親として、また現代邦楽のパイオニア的存在として知られている。
「三つの前奏曲」は11分の1969年に創られた曲。 1974年に創られた「スイート・プロファーヌ」は全部で三楽章の合わせて15分の曲。 どちらも東京吹奏楽団の委嘱作である。 「小組曲」は戦時中の作品。 「東京オリンピック讃歌」は1963年の作。佐藤春生のテキストによる合唱付きの作品。
男声合唱組曲「月光とピエロ」、「交響曲」、筝独奏のための「無窮動」、オペラ「修禅寺物語」
- 生野 裕久 (1957〜 ) Hirohisa SHOHNO
祝典序曲「Antagata Doko Sa」
作曲者については後日追記。
上記作品は1985年の作で10分。東京で初演された。
「BUGAKU」(S.Sax , T.Sax , Pf)、「ラボラトワール・ベルネソル」(アフリカンマリンバ、打楽器合奏、シンセサイザー)
- 須賀田 礒太郎 (1907〜1952) Isotaroh
SUGATA
「行進曲集 I・II」、行進曲「新中国」、序曲「万民翼賛」、「サラセン舞曲」、「祭典前奏曲」、「フーガによる舞踏曲」、「楽しき歩調」、「台湾民謡による舞踏曲」、「東和行進曲《歓喜》」
関東学院中学部中退。信時潔、山田耕筰、菅原明朗、プリングスハイム、近衛秀麿に師事。病弱故に急逝している。詳しくは後日追記。
上記吹奏楽曲は、須賀田氏が早逝のためもあって全て終戦前のもの。「新中国」は当時の汪精衛政権を称えたものであった。 上記作品のうち、「祭典前奏曲」以下のものは楽譜が確認されている。「祭典前奏曲」は1935年のもの。20曲から成る「行進曲集・第二輯」は1945年の作。1940年の作である「歓喜」は楽譜に部分的に欠落があり、完全な形で現存していないのが悔やまれる。
「日本絵巻」(Orch)、東洋古代舞踏組曲「双竜交遊之舞」(Orch)、「曼珠沙華」(混声合唱、Orch)
- 菅原 明朗 (1897〜1988) Meiroh SUGAWARA
「交響楽」、「秋の歌」、交響楽「スカルラッティ讃歌」、「野外のための交響楽」、「祥歌と祝典行進曲」、「セレナータ」、「バッハによる二つの実践」、「二つの行進曲」、「海の行進曲」、「空の行進曲」、「行列」、「隆豊賀」、「シンフォニア」、「Sei Santi Y. Jeanne d'Arc」、「Sei Santi YI. Don Bosco」
山田、信時のあとの作曲家空白期に現れた作曲家。深井史郎を始めとした多くの弟子を育てた。自身は小畠資八郎、瀬戸口藤吉に師事した。 1914年、川端画学校に入学、洋画を習い1918年に卒業。1926年にオルケスタ・シンフォニカ・タケイの指揮者となり、1930年より帝国音楽学校の作曲科主任教授となる。また、同年松平頼則ら16人と共に「新興作曲家連盟」を結成。1936年には弟子の深井史郎らと共に「楽団創生」を結成した。 彼の全盛期には、彼の指揮棒の軌跡を模した模様の「明朗模様」なる浴衣までも登場したという。ドビュッシー以後の欧州近代音楽の紹介、邦人若手作曲家の紹介などで大きな功績を残した。映画音楽も創っており、「東京北京」はアカデミー賞も受賞している。 作風はフランス印象派に近い。また、彼は日本和声を形式付け、理論付けすることを否定している。室内楽作品は筝を伴うなど、特殊な編成をとることが多い。
吹奏楽作品を数多くかいており、とくに日本人作曲家ではじめて大規模な交響曲を吹奏楽のために書いた人物である。「交響楽」は30分で1933年の、「二つの行進曲」は10分で1934年の、「海の行進曲と「空の行進曲」はどちらも4分で1935年の作。「行列」は5分の1943年の曲である。 「隆豊賀」は1973年、「シンフォニア」は1974年の作。 「Sei Santi」の連作はVとVIが吹奏楽による。どちらも1983年作で10分ほどである。
「白鳳之歌」(Pf)、宮城道雄との合作による筝協奏曲「神仙調協奏曲」
- 杉山 長谷雄 (1890〜1952) Haseo
SUGIYAMA
「シンガポール攻撃の歌」
東京音楽学校研究科ヴァイオリン専攻卒。在学中より作曲も行う。安藤幸子、ユンケル、ヴェルクマイスター、モギレフスキに師事。弦楽四重奏団を結成し演奏活動も盛んに行っていた。作曲家としては大衆のための歌謡曲を多く書いていた。
上記の曲は戦時中の作品である。
「出船」、「花嫁人形」(歌謡曲)
- 鈴木 英史 (1965〜 ) Eishi SUZUKI
「ソング・アンド・ダンス」、「祝典のためのコラール」、「Awakening(目覚め)」、「スピリット・ロード」、「カルメン・ファンタジー」、「プレリュード」その他多数
1988年、東京藝術大学作曲科卒。1991年、同大学院卒。間宮芳生、遠藤雅夫に師事。作曲家グループ「ミュヘイ’90」を藤家渓子らとともに創設した。
「ソング・アンド・ダンス」は佼成出版社の委嘱作で、楽譜も同社から刊行されている1995年の作。演奏時間7分の小編成用の曲。 「コラール」は第一回響宴のために書かれたもので1997年作。楽譜は大編成用がアトリエMより、小編成用がユニバースより出版されている。 「目覚め」は第二回響宴でも取り上げられた曲で、96年に秋田県立湯沢高校吹奏楽部の亡くなった指導者のために書かれた曲。楽譜はブレーンレンタル。 「スピリット・ロード」は酪農学園大学吹奏楽部の委嘱によるコンサートマーチ。
「管弦楽のためのエントラーダ」
- 鈴木 輝昭 (1958〜 ) Teruaki SUZUKI
「得賞歌2001」
作曲者については後日追記。
上記作品は2001年のみやぎ国体のために書かれたもので、混声合唱を伴う。
管楽アンサンブル編も参照のこと。
「二群の混声合唱とオーケストラのためのヒュムノス」、「ヴァイオリン協奏曲」
- 鈴木 憲夫 (1953〜 ) Norio SUZUKI
「交響変奏曲」、「シンフォニック・ラプソディ」、「シンフォニック・ヴァリエーション」、「新潟冬の国体 第一マーチ・第二マーチ」
宮城県生まれ。1976年に東北学院大学法律学部を卒業。作曲は土肥泰、伊福部昭に師事。合唱の世界で特に活躍がめざましい。
「交響変奏曲」は1981年の東京音大ウインドシンフォニー委嘱。 「シンフォニック・ラプソディ」は1986年の作で演奏時間7分。東京で初演されており、楽譜はカワイ出版社より刊行されている。 「シンフォニック・ヴァリエーション」は1984年作の7分の曲。東京で初演された。 「新潟冬の国体」の2つのマーチは1989年の作。合わせて11分。
「永訣の朝」、「祈祷天頌」(混声合唱)
- 鈴木 行一 (1954〜 ) Yukikazu SUZUKI
「闇の光彩」
東京藝術大学作曲科大学院卒。松村禎三、黛敏郎に師事。
「闇の光彩」は1996年にヤマハ吹奏楽団浜松の定期演奏会のために委嘱され、同演奏会において初演された。
「ピアノ五重奏曲」、「頌歌」(オーケストラ)、篳篥とオーケストラのための「森と星々の河」、混声合唱組曲「美しいものについて」
- 瀬戸口 藤吉 (1869〜1941) Tohkichi
SETOGUCHI
「軍艦行進曲」、行進曲「産業戦士」
作曲などをエッケルト、アンナレーヤ、アルペ、ユンケル、クローンに師事。元海軍軍楽隊楽長。
上記ニ曲は戦時中によく知られた行進曲。とくに「軍艦行進曲」は1900年に作られたよく知られた曲。
「愛国行進曲」