た行の作曲家

竹内 健治 (1942〜 )  Kenji TAKEUCHI
   「南海道」

 作曲者については後日追記。
 上記作品は1989年の作で17分。
 交響曲第三番「万国津梁」(orch)


田中 邦彦 (1936〜 )  Kunihiko TANAKA
   「ピアノと打楽器群と管楽器群のための協奏曲」

 大阪生まれ。ドイツのデットモルト音楽大学およびスイスのチューリヒ大学を卒。作曲を高田三郎、鏑木貢、ルドルフ・ケルターボーンに師事。作曲活動の他にコンタルスキー「ピアノ現代曲の演奏法」(シンフォニア社・刊)をはじめ、ブラッハーなどの多くの外国の音楽文献の翻訳などでの貢献も知られている。現在大阪音楽大学教授。
 上記吹奏楽曲は1980年の作。演奏時間22分で、大阪音楽大学の委嘱により、同大学の吹奏楽団によって初演された。
 「尺八、筝、十七絃とオーケストラのためのファンタジー」、「Omnes gentes...」(合唱、Orch)、「透明な時」(Orch)


田中 照道 (1951〜 )  Terumichi TANAKA
   「Bachへのオマージュ」

 作曲者については後日追記。
 上記作品は1989年の作で5分。
 「美称太鼓」(邦打楽器)、「唄」(Fl)


田中 利光 (1930〜 )  Toshimitsu TANAKA
   「スポーツの祭典」、「小組曲」

 国立音楽大学作曲科を1956年に卒業。高田三郎、島岡譲、外崎幹ニ、富永三郎に師事。 郷里である青森に伝わる伝統芸能に基づいた作品も多く、日本的な素材も用いることが多い。「鎮魂と復活」という一大テーマによる作品群も一貫してその創作姿勢に現れている。国立音楽大学作曲科の教授として飯島俊成や天野正道などを育てた人物であり、このことからも日本の吹奏楽においても無視できない人物であろう。 全く関係無いが、この人は相撲が滅茶苦茶強い。
 「スポーツの祭典」は1975年の作品。 「小組曲」は1990年の作で15分。千葉で初演。
 「管弦楽によるレクイエム四部作 (鎮魂曲<墓>、群像、パトス、迷路)」、「マリンバ組曲」


田中 賢 (1946〜 )  Masaru TANAKA
   作品一覧

 東京音大付属高等学校トランペット科を経て東京音大作曲科に入学。南弘明、保科洋に師事。その後留学しベルリン国立音楽大学を中退。尹伊桑に師事。また、ガムラン音楽も学ぶ。 初期の作風は規定された音程関係による旋法的なものであった。しかし、近年ではそれに捕らわれない、自由なものとなっている。また、邦楽器を用いた作品にも強い個性がある。
 吹奏楽の世界ではヤマハ吹奏楽団浜松の連続委嘱で有名になり、打楽器の使い方に新しい風を送りこんだ。特に「メトセラ」は吹奏楽作品にしては珍しく現代音楽界から高い評価を得た。
  オーケストラとマンドリンのための「弧」、「雲烟」(2筝)、「ジムルターン」(orch.)


田中  吉史 (1968〜 )  Yoshifumi TANAKA
   「Outer Music」

 作曲は独学で始めた後、Chaya Czernowin に師事。現音作曲新人賞に入選、秋吉台国際作曲賞を授賞。作曲家グループ "TEMPUS NOVUM"の設立メンバー。様々な国の音楽祭でその作品が演奏されている。
 上記吹奏楽曲は1998年の作品で、秋吉台にて山口県立岩国高等学校吹奏楽部によって初演された。
 「Attributes II」(a-sax,pf)、「fuggitivi」(String-Quartet)


谷川 忠博 (1935〜 )  Tadahiro TANIGAWA
   吹奏楽のための協奏曲「銭太鼓」

 作曲者については後日追記。
 上記作品は1985年の作で20分。太牟田で初演された。
 「2つのトランペットのためのカンツォーネ」


 
谷中 優 (1945〜 )  Suguru TANINAKA
   作品一覧

 「教育と音楽」の関係を模索している作曲家。とくにコンピュータを用いた音楽教育に精通しており、「コンピュータ音楽教育ソサイエティー」の会長でもある。
 紹介している吹奏楽曲は、中学生向きの親しみやすいものと、現代性を強く前面に押し出したものとはっきり二つの傾向に分かれている。リスト中、下にいくほど現代性が強くなっている。とくに「ゲーム」は偶然性を導入したもので、6つの部分を自由に並び替え、反復させることができるようになっている。


田村 文生 (1968〜 )  Fumio TAMURA
   「令嬢アユ」、「饗応夫人」、「かわいい女」、「アルプスの少女」、Trp協奏曲「VOICE」、「シャルロット 〜グロテスクなもの」、「Snow White」

 東京藝術大学大学院およびロンドンのGuildhall school of Music and Drama大学院修了。北村昭、近藤譲、松下功、R.サクストンに師事。 今後の活躍が期待される若手作曲家。前衛作曲集団コンテンポラリーαのメンバーでもあり、日本電子音楽協会の会員。
 「令嬢アユ」は1992年に作成された7分ほどの曲で、未発表。 「饗応夫人」は同名の太宰の小説に題材を得て創られた’94年の吹奏楽コンクール課題曲。 「かわいい女」は同じようにアントン・チューホフの小説より題材を得ている。「かわいい女」と「アルプスの少女」はともにヤマハ吹奏楽団浜松の委嘱により書かれた。前者は1995年、後者は1999年の作。「VOICE」は河上哲夫指揮・今治市しまなみ吹奏楽団によって1999年8月6日に初演された。ソリストは曾我部清典氏だった。 「シャルロット」は2000年の作で長野県立屋代高校の委嘱。 また、2000年にヤマハ吹奏楽団浜松の依頼で編曲したバッハのコラールプレリュードはその独自性から大変話題になった。 「Snow White」はある高校(一応伏せます)の委嘱作。2002年作で未発表。
 「コロス」(邦楽アンサンブル)、「SONG OF LOVE」(Sop.Alt.混声合唱とオーケストラ)


團 伊玖磨 (1924〜 )  Ikuma DAN
   作品一覧

 当初、歴史学者になるべく勉強していたが、そのことで日本の音楽の遅れていることに落胆、一転して作曲家を志した。1945年に東京音楽学校作曲科卒。下総皖一、細川碧、橋本国彦に師事。学徒入営のため陸軍戸山学校音楽隊に入り、そこで芥川也寸志、諸井三郎と知り合う。1953年、芥川也寸志、黛敏郎とともに「3人の会」を結成。 フランスに走りがちな日本の作曲界において珍しくドイツの流れを汲んでいる。
 「祝典行進曲」、「新・祝典行進曲」という吹奏楽層以外からもよく知られた曲を書いているが、その作風はいささか保守的であるという感が拭えない。代表作である「夕鶴」にしても、「ラ・ボエーム」など既製のオペラと聴き比べてみると・・・・・
 オペラ「夕鶴」、管弦楽組曲「シルクロード」、「ブルレスケ風交響曲」


塚原 晢夫 (1921〜1978)  Setsuo TSUKAHARA
   幻想曲「移り気な五度のムード」、「太陽のマーチ」

 東京藝術大学作曲科中退。市川都志春、池内友次郎、斎藤秀雄に師事。1951年よりコロンビア大学に、1960年よりタングルウッドに留学。作曲家としても、指揮者としても活動した。
 「移り気な〜」は1968年の吹奏楽コンクール高校以上の部の課題曲。演奏時間6分。楽譜は音楽之友社。 「太陽のマーチ」は1969年に書かれた3分ほどのマーチ。
 「主題と変奏」(Vc、Orch)、「ピアノ・コンチェルト」、「交響曲第1番・神話」


辻井 英世 (1933〜 )  Eisei TSUJII
   「響像 II 虹の芳香」

 父は作曲家・辻井市太郎。大阪学芸(現・教育)大学特設音楽課程作曲科卒。その作風はスタティックで、個的秘儀照射、夢想の結晶化、などと言われている。また、音楽評論家としても活動している。
 「響像」は、I 、II ともに大阪市音楽団によって初演された。I については別項に記載。 II は1972年のもの。楽譜は音楽之友社より刊行されている。「 II 」は音楽之友社の創立30周年記念の委嘱作品である。
 管楽アンサンブル編も参照のこと。
 「ファンタスマ」、「アナムネーシス」(Orch.)、「ナフタ」(Fl、Gt、Vc)


坪能 克裕 (1947〜 )  Katsuhiro TSUBONOH
   「ウインドアンサンブルの新次元」、「クリエーション IV」

 1972年東京音楽大学作曲科卒。水野修孝、南弘明、湯浅譲二に師事。在学中より日米・日独などの現代音楽祭で作品を発表。作風は2つに分かれており、綿密に五線譜に記されたものと、出演者や参会者と一緒に音楽を創り上げるものとがある。とくに後者は教育的な考えが持ちこまれることも多い。 現音(日本現代音楽協会)の事務局長なども努めており、日本の現代音楽会の中枢にいる立場である。
 「新次元」は「現代の音楽展 ’97 (吹楽III)」において東横小学校吹奏楽部によって演奏されたことで有名な曲。「教育と音楽」というものを極限まで突き詰めて行ったら、この曲になるのではなかろうか。 妻でもある音楽教育学者・坪能由紀子の教育プログラムにのっとって坪能氏によって示された「サンプル」を部の指導者が子どもたちと組み立てて行き、一つの音楽を創り上げていく。これにより、楽器が得意でない(音が一つか二つしかだせなくても)子どもたちでも高い完成度を持つ楽曲を演奏することが可能となっている。 創り上げる人、場、時によって常に異なるものとなる「柔構造の音楽」である。
 オーケストラのための「IIIの像」、「メニスカス」(ソロMar.)、「コンステレーションIII」(100人の木管楽器、10人の打楽器、Cb.)


鶴原 勇夫 (1949〜 )  Isao TSURUHARA
   行進曲「青年」

 作曲者については後日追記。
 上記作品は1984年の作品で3分。


寺島 尚彦 (1930〜 )  Naohiko TERASHIMA
   電子オルガンとウインドオーケストラのための「メッセージ I」

 作曲者については後日追記。
 上記作品は1990年の作品で23分。川崎で初演。
 「サラマンドラ幻想」(Cb , Pf)、「黒い森と白い森」(Pf連弾)


陶野 重雄 (1908〜 ?)  Shigeo TOHNO
   作品一覧

  1930年に広島高等工業応用化学科卒。作曲を個人的に諸井三郎、菅原明朗に師事。
 「変奏的組曲」、「交響曲」(オーケストラ)


徳永 秀則 (1925〜 )  Hidenori TOKUNAGA
   「伊丹三章」

 作曲者については後日追記。
 上記作品は1981年の作で、女声合唱と児童合唱を伴う15分の曲。翌年に管弦楽版も作られた。
 「アギスク」(Pf)


戸田 邦雄 (1915〜2003)  Kunio TODA
   「セザール・フランクの主題によるコラールとフーガ」

 音楽に幼い頃から親しみ、作曲コンクールに何回も応募するも、いずれも落選。その後、東京大学法学部に入学、学内オーケストラでトロンボーンを担当。同オーケストラで共に演奏していた三木鶏郎、柴田南雄、入野義郎と知り合う(戸田の妹は後に柴田の妻となる)。大学卒業後、外務省に勤務しドイツに赴任。ヨーロッパ各地で演奏会、オペラなどに親しむ。 帰国後、柴田の紹介で1941年より諸井三郎に師事。 戦時中、プノンペンに赴任、そこで終戦をむかえたためサイゴンに抑留された。その後イギリス軍によってシンガポールへ移され、さらにフランス軍に戻された。このときの刑務所の守備隊長の友人がパリの音楽評論家の息子であり、この紹介で釈放後にギャルド・レピュブリケーヌ軍楽隊サイゴン支部隊の委嘱を受け、1947年に「セザール・フランクの〜」を作曲、同楽団により初演された。演奏時間7分。なお、この曲にはSaxの入ったオーケストラによるものもあり、そちらは1952年に東京大学オーケストラにより初演された。 帰国後、柴田の「新声会」に参加。作曲家として活動した。 サイゴンで発見したルネ・レイヴォビッツの著作「シェーンベルクとその楽派」を研究、日本に持ちかえったのが日本における十二音技法音楽の始まりである。しかし、戸田本人はドデカフォニストではない。しかし、彼は「十二音も映画音楽などで新分野がひらける」と主張した。
 管楽アンサンブル編も参照のこと。
 交響幻想曲「悲曲」、バレエ音楽「アトリエのサロメ」


外山 雄三 (1931〜 )  Yuhzoh TOYAMA
   行進曲「躍動 I・II」、「ラプソディ」

 16歳の頃より作曲を志す。有馬大五郎、下総皖一、永井進に師事。東京藝術大学作曲科卒。1953年に間宮芳生、林光とともに「山羊の会」を結成。この影響により、「民謡を用いた」作風が外山の大きな特徴となる。これは「日本人の歌を探る。旋律という一つのユニットに内在する力を信用しているから分解も展開もしない」という基本姿勢による。 また、指揮者としての活動も盛んである。
 「躍動」はI ・ II ともに1984年の作品。「I」が6分、「II」が4分。「I」は名古屋で初演された。 日本のオーケストラが海外に行ったら必ずと言っていいほどアンコールで演奏する「ラプソディ」は、よく知られているように原曲は1960年に書かれたオーケストラ作品。
 「日本民謡によるオーケストラ入門」、「クワルテット・チューバ」(4Tub)、「6声部のエッセイ」(3euph、3Tub)