わ行の作曲家
- 和田 薫 (1962〜 ) Kaoru WADA
吹奏楽のための「交響的変容」、「土俗的舞曲」、「ARεS」、「海響」、「天・地・人」
1984年、東京音楽大学作曲科卒。作曲を伊福部昭に、指揮を汐澤安彦に師事。 師譲りの旋法的旋律と土俗的リズムが大きな特徴。自らの作曲活動とともに伊福部昭のアシスタントとしても活躍している。また、放送音楽の分野でも大変活発に活動しており、その卓越したオーケストレーションを生かした仕事をしている。バラエティー番組の中でその姿を見られることもたびたびある。
「土俗的舞曲」は1984年の吹奏楽コンクール課題曲(後に補筆を加え、管弦楽に編曲。それが「民舞組曲」である)。 「交響的変容」の楽譜はミュージックエイト社から出版されている。 「ARεS」は「アレース」と読む。中間部にコラールをはさむ、この異例のコンサートマーチの初演は1982年、汐澤安彦指揮の東京音楽大学シンフォニックウインドによる。 「海響」の原曲は銚子市の委嘱によって書かれた管弦楽曲。それを和田氏自身が吹奏楽に編曲した。演奏時間9分。 「天・地・人」はそもそもは日本フィルハーモニーが九州公演を行う際に二名の作曲家に委嘱して創られた交響組曲「九州」の第二曲目。それを和田氏自身が独立させて吹奏楽編曲した。楽譜は音楽之友社。
「Metamorphic movement for Orchestra」、「民舞組曲」(orch.)
- 和田 小太郎 ( 〜 ) Kotaroh WADA
意想曲「非常時日本」、「戦捷行進」
作曲者については後日追記。
最初期の吹奏楽コンクールの課題曲。
- 渡辺 浦人 (1910〜1994) Urato WATANABE
作品一覧
両親は熱心なクリスチャンで、本人も幼少より賛美歌などを歌うことを好んだ。1924年、東京府立豊島師範学校に入学すると、当時山本直忠の指揮していた同校の管弦楽団にヴァイオリン奏者として入団、同氏より作曲と指揮法を習う。その楽団の後任の指揮者となり、また1930年に小学校の教員となった後にも東京市教員管弦楽団の指揮者となる。これらの体験がオーケストラ作曲家としての基礎となった。1931年に東京音楽学校ヴァイオリン科卒。大塚淳にヴァイオリンを師事。 1939年、30歳のときに創作活動に入る。1940年、山本直忠、兄内庄一郎、東章夫、後藤治子、富樫康らとともに、作曲・演奏・鑑賞の三部門を主眼とする楽団「3協」を組織。このころ、早坂文雄に強い影響を受ける。その後、数多くの作曲賞に入賞する。終戦後の1946年、新作曲派協会に入会。このころは放送音楽・映画音楽を多数書くことで生計を立てる。 作風は剥き出しの表現、強靭性、素朴な民族性、大胆性であり、これらは長所とであると同時に欠点ともなっている。また、戦時中の作品は当時の彼の国民的感動を率直に表したもので、いわゆる際物に墜さず、或る水準を凌駕している。すなわち、彼の音楽は超時代的なものではなく、即時代の純にして素朴な知性的感情をリアリスティックに表現したものである。
打楽器と交響楽のための「三つの楽章」、交響組曲「聖女」(オーケストラと合唱)、国民歌劇「大伴家持」