や行の作曲家

八木 伝 (1909〜 ?)  Tsutae YAGI
   交響詩「黄昏」、狂詩曲「神楽ばやし」、序曲「祈念」、舞踏曲「鳳凰の舞」、「日本舞踏曲」、組曲「夏」、「美しき行進」、「隣邦」,、「大空高く」他行進曲18曲

 陸軍戸山学校卒。其間大木正夫、堀内敬三に師事。作曲賞に数多く入賞しながら、放送音楽作成にも従事した。終戦後は満州にて音楽指導にあたっていた。1949年に帰国、映画音楽を中心に創っていた。農耕的な素材を用いた作風が特徴である。
 「黄昏」は1938年の作で演奏時間7分。 「鳳凰の舞」は演奏時間10分。陸上自衛隊中央音楽隊の1960年委嘱。東京佼成吹奏楽団も1965年に演奏している。 「神楽ばやし」も1965年の陸上自衛隊中央音楽隊の委嘱作で、演奏時間8分。東京佼成吹奏楽団も1966年に演奏。 「祈念」は1967年の東京佼成吹奏楽団(現:TKWO)委嘱作。 「夏」は戦時中の作品。 上記の行進曲もすべて戦時中の作品。「美しき行進」は、コロムビアからレコードがでていたこととがある。演奏時間3分の1940年の作。 行進曲「隣邦」および「大空高く」の楽譜はかつて共益商社というところから出版されていたらしい。どちらも演奏時間3分で1940年の作。
 交響詩「祖国の土」(合唱とオーケストラ)、朗読詩曲「雨ニモマケズ」、交響詩「歓喜の世界」(orch.)


矢代 秋雄 (1929〜1976)  Akio YASHIRO
   吹奏楽のための祝典序曲「白銀の祭典」、「第30回みえ国体式典曲集No.1」

 8歳より作曲を始める。1947年に東京音楽学校(現:芸大)作曲科卒業までに豊増昇、諸井三郎、橋本国彦、池内友次郎、伊福部昭に師事。1951年、フランスのパリ国立音楽院に給費留学、アンリ・シャラン、ノエル・ギャロン、トニー・オーバン、オリヴィエ・メシアン、L.クロイツァー、J.P.L.プレル、N.プーランジュらに作曲を師事、極めて優秀な成績で卒業した。 じっくりと熟成させた音の世界を構築し、冴え渡る豊潤な響きをかもし出した作風で、あまりにも前衛的な作品にはやや拒絶的な態度を取っていた。病気のため47歳の若さで急逝、あまりにも早過ぎる死であった。
 「白銀の祭典」も「みえ国体〜」もあまり矢代氏らしくない曲だが両曲とも式典付随音楽であるのだからいたしかたないところ。 「白銀の祭典」は1971年作で冬季オリンピック閉会式のために書かれた。大規模な別動のファンファーレ隊が必要なのが大きな特徴で演奏時間6分。楽譜は音楽之友社刊。 「みえ国体〜」は1973年に書かれたもので「式典序曲」、「讃歌」、「ファンファーレ」、「式典終曲」の四曲からなっている。合唱付きである「讃歌」は作詞が遠藤周作である。手元の資料によれば楽譜は日本吹奏楽指導者協会の所有となっている。
 「ピアノ協奏曲」、「チェロ協奏曲」、「交響曲」


矢内 和三 (1947〜 )  Kazumi YANAI
   吹奏楽の為の「祝典序曲」

 長崎市生まれ。東京藝術大学音楽部作曲科卒業。同大学大学院作曲専攻修了。池内友次郎、松村禎三に師事。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会会員、オーケストラ・プロジェクト同人。
 上記吹奏楽作品は1994年の作で演奏時間6分。昭和音楽大学吹奏楽団の委嘱により創られた。 また、氏には「炬火賛歌」というブラスオーケストラと混声合唱のための作品も2作(1996年および1998年の国民体育大会のため)ある。
 「密林の夜明け」(Saxアンサンブル)、「尺八と管弦楽の為の四章」


柳田 孝義 (1948〜 )  Takayoshi YANAGIDA
   「協奏的タブロー」、「Sound relief」、「ブリージングフィールド」、「西風の肖像」

 武蔵野音楽大学を経てミュンヘン音楽大学に留学。作曲はプリングスハイム、田村徹、ゲンツマーに師事。現音会員、オーケストラプロジェクト同人で、詩情的な作風が知られる。
 「協奏的タブロー」は第一回吹楽で取り上げられたことで広く知られるようになった文教大学吹奏楽部の委嘱作。演奏時間7分。 「Sound relief」は7分あまりの1985年に創られた文教大学吹奏楽部の委嘱曲。 「西風の肖像」は1993年に文教大学吹奏楽部の委嘱で書かれた作品で、第5回響宴でも取り上げられた。
 「黄昏に見たものは」(Fl、Vn、Pf)、「Aubade」(Fl.、弦楽オケ)、「砂時計の淵から」(弦楽九重奏)


柳谷 清道 (1959〜 )  Seidoh YANAGIYA
   「レゾノンス」

 作曲者については後日追記。
 上記作品は1986年の作で13分。パリで初演された。
 「乱反射の風景」(3 Perc)


山口 常光 ( 〜 )  Tsunemitsu YAMAGUCHI
   行進曲「喜悦」

 作曲者については後日追記。
 最初期の吹奏楽コンクールの課題曲。


山崎 妥 (1950〜 )  Yasushi YAMAZAKI
    道化芝居の行進曲「最終戦争」、リチェルカーレ「還鐘」、「狂詩的一章」、行進曲「春の足音」、行進曲「聖火」、行進曲「五月の風」、「タントラ」、「太陽賛歌」

 作曲者については後日追記。
 「最終戦争」は1981年の作で7分。 「還鐘」は1981年の作で4分。 「狂詩的一章」は1982年の作で8分。東京で初演。 「春の足音」は1982年の作で3分。大阪で初演。 「聖火」は1982年の作で3分。浜松で初演。 「五月の風」は1983年の作で4分。川口で初演。(1986年に改作もしくは同名曲あり?) 「タントラ」は1984年の作で10分。東京で初演。 「太陽賛歌」は1986年の作で7分。
 「みやまをとめ」(混声合唱)、「ウムイ」(弦楽四重奏)、喜遊曲「四季」(Cl , Pf)


山田 耕筰 (1886〜1965)  Kohsaku YAMADA
   「初春の前奏と行進曲」、「美皇儲歓迎祝祭前奏曲」、「空の行進曲」、「大陸行進曲」、「連合艦隊行進曲」、「皇太子殿下行進曲」、「愛国行進曲」、「野球大会行進曲 −高校野球入場行進のために」、「前奏曲<英国頌歌>」、「オリンピック行進曲<輝く朝日>」

 ミッションスクールに通っていた姉などの影響、自身もキリスト教の学校に入学していたために幼い頃より英語の賛美歌に親しむ。横須賀の軍楽隊の音楽にも小さい頃親しんでいた。1904年、東京音楽学校に入学(ただし当時は作曲科は設立されておらず、声楽科に入学している)、作曲をケーベル、ユンカー、ヴェルクマイスターに師事。1910年に同学校研究科修了後ドイツ、ベルリン王立アカデミー高等音楽院(現:ベルリン芸術大学)に留学、ブルッフ、ヴォルフに師事。1913年に卒業、一年間ベルリンにて交響詩やオペラの創作活動を続ける。1914年帰国、東京フィルハーモニー管弦楽団を組織する。1915年、小山内薫とともに劇団「土曜劇場」並びに「新劇場」を興す。1917年渡米し、カーネギーホールで個展を行う。1919年、ニューヨーク近代楽協会名誉会員に推挙される。このころアメリカに起こっていたドイツ楽曲上演拒否運動のさなかにカーネギーホールでワーグナー作品を上演し拒否運動解放のきっかけを作った。このことにより全米演奏家組合の名誉会員に推挙される。帰国後(1919年)日本楽劇協会を設立、ワーグナー「タンホイザー」によって日本初のオペラ上演を行う。1922年、北原白秋と知り合い、これ以後数多くの歌曲、童謡を制作する。1925年日本交響楽協会を設立。このときに結成された交響楽団が後のNHK交響楽団となる。昭和にはいるとフランス、ロシアなど世界各地に招聘され自作のオペラが数多く上演される。1936年、フランス政府より勲章を、ドビュッシー協会より名誉会員章を贈られ、さらにサンサーンス協会より名誉会員章を贈られる。1937年、軍国主義が強まるとナチスのヒトラーおよびゲッペルスより感謝状が送られる。この頃より軍のための戦争色の強い音楽も創るようになる。 なんにせよ、日本の西洋音楽の発展にもっとも貢献した作曲家であることは疑いようもない。 作風はシューベルト、シューマン、モーツァルト、ベートーヴェンに影響を受けており、特にワーグナーに強く影響を受けており、ドイツの流れを色濃く受け継いでいる。そうかと思えばスクリアビンにも強い影響を受けていたと思われ、ピアノ曲などには増三和音の多用なども見られる。「歌曲王」などとも呼ばれることから分かるように歌曲作品が有名だが、その実、管弦楽作品などでの貢献も目を見張るものがある。全ての作品をあわせると1600曲以上にもおよぶのだが、東京大空襲の際に多くの楽譜が焼失してしまっている。
 「初春の前奏と行進曲」は1932年の作品で「日本のコドモの為に」という副題を持つ。東京中央放送局の委嘱で、1933年1月にJOAKによる放送初演。「お正月」の旋律が引用されている。 「大陸行進曲」と「愛国行進曲」は1938年の作。 「連合艦隊行進曲」は1938年の作であり、この作品の前身である松島慶三作詞による歌曲は1934年の作。 「皇太子殿下行進曲」は1953年の作で管弦楽版もある。「英国頌歌」は1922年作。 これは1922年4月16日に行われた「英国皇太子殿下歓迎日英交驩音楽界」というイヴェントで初演されたもので「Rule Britania」の旋律が引用されている。 「オリンピック行進曲」は1936年の作。 この他にも戦時中には多くの作品(吹奏楽伴奏の歌曲を含む)が書かれているが、それらについてはCD紹介のコーナーにも多少みられる。
 交響曲「昭和賛頌」(オーケストラ、オルガン、合唱)、ピアノのための前奏曲「聖福」、オペラ「黒船」


山本 純ノ介 (1958〜 )  Jun'nosuke YAMAMOTO
     交響吹奏楽「カオス」

  1983年に東京藝術大学大学院作曲科を修了。1990年に日本音楽コンクール作曲部門入選。1991年にシルクロード国際管弦楽作曲コンクール優秀賞。作曲を北村昭、小林秀雄、松村禎三に師事。また、父は作曲家・山本直純。
 管弦楽や室内楽の作曲のほか、自らCGを制作するなど新しい音楽と映像の融合についての研究も行っている。
 上記作品は1990年の作で28分。熊本で初演された。
 「ウナ・プレギュラ・シンフォニカ」(orch)、「スーパー薪能」(コンピュータ、シンセサイザー、能)


山本 直純 (1932 〜 2002)  Naozumi YAMAMOTO
     行進曲「白銀の栄光」

 父は指揮者、山本直忠。1958年に東京藝術大学指揮科を卒業。指揮を斎藤秀雄、渡邉暁雄に師事。カナダ、アメリカ、メキシコに留学。その後日本フィルの客員指揮者となる。 幼いころから父親に仕込まれた音楽教育のために、早書きの劇伴作曲家としてマスコミに重宝がられ、そのために時間を労する大作に手をかけることがなかなかできなかった。
 上記吹奏楽曲は札幌冬季オリンピックの選手入場行進のためのマーチ。楽譜は東亜音楽社から刊行されている。1971年作。演奏時間5分。
 「和楽器とオーケストラのためのカプリチオ」、「リンデンバウムの歌」(歌曲)


山本 裕之 (1967〜 )  Hiroyuki YAMAMOTO
    「トランペット・リリース 〜ソロ・トランペットとウインド・オーケストラ内の主にトランペット群のための協奏曲」

 1992年東京藝術大学大学院作曲専攻修了。作曲を近藤讓、松下功に師事。これまでに国内外の多くの作曲コンクールに入選している。作曲家集団「TEMPUS NOVUM」メンバー。「ENSEMBLE d'AME」ディレクター。2002年、湯浅譲二審査員の武満徹作曲賞で第一位。
 上記吹奏楽曲は2000年11月5日に草加市民吹奏楽団によって初演。演奏時間12分。ソリストは曾我部清典氏。
 「私に触れてはいけません」(solo-Sax,Fl,Cl,Tp,Tb,Perc,Vn,Vla,Vc,Db)


湯浅 譲二 (1929〜 )  Johji YUASA
    行進曲「新潟」、「炬火讃歌

 慶応義塾大学医学部中退、作曲は中田一次に師事したこともあるが、ほぼ独学。1951年にかの総合芸術団体「実験工房」を創設。不確定性を導入した第一期、電子音響によって新たな音素材を志向した第二期、音楽の時間的空間へ目を向けた第三期、時間空間を多様にする第四期と作風は分けられる。 ホワイトノイズに代表されるようなすさまじい音響世界と静謐さの融合、すばらしいモチーフ構造が特徴。まさに日本の代表的作曲家と言える。
 「新潟」はややマーチとしては長め。1983年作。演奏時間10分。新潟交通社の委嘱で、作曲者自身の指揮で新潟市内の合同バンドによって初演された。 炬火讃歌は1993年の作で混声合唱を伴う作品。何かの式典歌と思われる。
 「内触覚的宇宙I,II,III」、「芭蕉の俳句によるプロジェクション」、交響組曲「奥の細道」


湯山 昭 (1932〜 )  Akira YUYAMA
    行進曲「朝をたたえて」、「走れフェニックス」、「みどりの讃歌

 作曲者については後日追記。
 「朝をたたえて」は1979年の吹奏楽コンクール課題曲。これは岩河三郎が補作を行っている。 「走れフェニックス」は1993年に書かれた女声合唱、児童合唱を伴う作品。 「みどりの讃歌」は1983年の作で、混声合唱と児童合唱を伴う3分の曲。神奈川で初演。


吉松 隆 (1953〜 )  Takashi YOSHIMATSU
    祝典序曲「鳥たちへのファンファーレ」

 作曲者については後日追記。
 上記吹奏楽曲は渋谷区区政70周年記念委嘱作。演奏時間8分。2002年10月に初演。