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1960
イスラエル・フィルハーモニー
12月5日:日比谷公会堂
ハイドン/]交響曲第94番
シェリフ/詩篇による交響的2楽章
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
プラームス/交響曲第4番
12月6日:日比谷公会堂
ベートーヴェン/交響曲第6番
レスピーギ/リュートの為の古代舞曲とアリア第3番
ベン・ハイム/ピアノとオーケストラの為の奇想曲(P/プニーナ・バイスマン=ザルツマン)
ファリャ/三角帽子、組曲
12月8日:フェスティバルホール
ロッシーニ/アルジェのイタリア女
ドヴォルザーク/交響曲第8番
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
12月10日:フェスティバルホール
ベートーヴェン/交響曲第6番
レスピーギ/リュートの為の古代舞曲とアリア第3番
ベン・ハイム/ピアノとオーケストラの為の奇想曲(P/プニーナ・バイスマン=ザルツマン)
ファリャ/三角帽子、組曲
12月13日:京都会館
ハイドン/交響曲第94番
シェリフ/詩篇による交響的2楽章
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
プラームス/交響曲第4番
12月14日:名古屋市公会堂
ベートーヴェン/交響曲第6番
レスピーギ/リュートの為の古代舞曲とアリア第3番
ベン・ハイム/ピアノとオーケストラの為の奇想曲(P/プニーナ・バイスマン=ザルツマン)
ファリャ/三角帽子、組曲
12月15日:神奈川県立音楽堂
ベートーヴェン/交響曲第6番
レスピーギ/リュートの為の古代舞曲とアリア第3番
ベン・ハイム/ピアノとオーケストラの為の奇想曲(P/プニーナ・バイスマン=ザルツマン)
ファリャ/三角帽子、組曲
12月18日:日比谷公会堂
ロッシーニ/アルジェのイタリア女
ドヴォルザーク/交響曲第8番
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
ムソルグスキー/展覧会の絵
1975
ウィーン交響楽団
9月29日:フェスティバルホール
ウェーベルン/パッサカリア
モーツァルト/交響曲第40番
ブラームス/交響曲第1番
9月30日:フェスティバルホール
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番(P/ルドルフ・ブフヒンダー)
マーラー/交響曲第1番
10月2日:名古屋市民会館
ベートーヴェン/エグモント、序曲
モーツァルト/交響曲第41番
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
10月3日:東京文化会館
ウェーベルン/パッサカリア
モーツァルト/交響曲第40番
ブラームス/交響曲第1番
10月4日:厚生年金会館
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番(P/ルドルフ・ブフヒンダー)
マーラー/交響曲第1番
10月5日:普門館
ベートーヴェン/エグモント、序曲
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番(P/ルドルフ・ブフヒンダー)
モーツァルト/交響曲第41番
1982
ロサンゼルス・フィルハーモニー
5月13日:東京文化会館
モーツァルト/交響曲第35番
ブルックナー/交響曲第7番
5月14日:東京文化会館
ラヴェル/マ・メール・ロア、組曲
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ブラームス/交響曲第1番
5月15日:昭和女子大人見記念講堂
ヴェルディ/シチリア島の夕べの祈り、序曲
ヴェルディ/椿姫、第1幕への前奏曲
ヴェルディ/椿姫、第3幕への前奏曲
ヴェルディ/運命の力、序曲
チャイコフスキー/交響曲第6番
5月16日:神奈川県民ホール
モーツァルト/交響曲第36番
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ベートーヴェン/交響曲第5番
5月18日:水戸文化センター
モーツァルト/交響曲第36番
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ベートーヴェン/交響曲第5番
5月19日:聖徳学園川並記念講堂
ヴェルディ/シチリア島の夕べの祈り、序曲
ヴェルディ/椿姫、第1幕への前奏曲
ヴェルディ/椿姫、第3幕への前奏曲
ヴェルディ/運命の力、序曲
チャイコフスキー/交響曲第6番
5月20日:名古屋市民会館
ラヴェル/マ・メール・ロア、組曲
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ブラームス/交響曲第1番
5月21日:フェスティバルホール
チャイコフスキー/交響曲第6番
ベートーヴェン/交響曲第5番
5月23日:和歌山県民文化会館
モーツァルト/交響曲第36番
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ベートーヴェン/交響曲第5番
5月24日:福岡サンパレス
ラヴェル/マ・メール・ロア、組曲
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ブラームス/交響曲第1番
ジュリーニは今までに3度来日をしています。1回目は1960年12月にベルティーニとともにイス
ラエルPOと来日し、「火の鳥」とブラームスの4番、田園と三角帽子、ドヴォルザークの8番と展 覧会の絵を、各々中心にしたプログラムで来日しました。そして2回目は大きく間隔があいた15 年後の1975年の9月に、巨人やブラームスの1番等を演奏しにウィーンSOとともに来日しまし た。そしてその7年後、1982年の5月に当時手兵だったロサンゼルスPOとの来日公演がありま した。この公演はかなり前評判がよく、特に前年、ジュリーニ自身ベートーヴェンの手稿をファ クシミリで詳細に再検討し、じつに15年ぶりに演奏した「運命」が、このとき日本でも演奏された こともあり、この公演はかなりの話題となりました。
この公演はベートーヴェンにおける圧倒的なスケールと重量感、ブルックナーにおける叙情
的な味わいと柔軟な表現、それに息の長い歌によるおおらかな感興と、後半二つの楽章をボ リフォニックな面白さに注意をはらい、前二つの楽章に聴き劣りしないように演奏したことがた かい評価をうけたようですが、ただブルックナーは多少従来のブルックナー像に異質なかんじ も与えた部分があったらしく、そのへんで好き嫌いが多少生じた演奏でもあったようです。
また平均年齢37歳といわれたオケは上々の評価をえることができたようです。
ここで来日中にジュリーニが朝日新聞のインタビューに応えた時のコメントを記したいと思いま
す。
「このオーケストラは音楽的にもすぐれたものをもっているが、楽員が互いに尊敬の念で結ば
れているということは、それ以上にすばらしいことだと思う。オーケストラ活動にとって大切なの は命令でなく信頼である。-(中略)-肝心なのは『よりよい』演奏をいかに積み重ねていくかとい うことであり、その意味で自分にとっては次に行う演奏会がいちばん大切だと考えている。」
さてこの公演、私は所要でどうしても行けなかったのですが、後で聞いたところじつは初日の
5月13日の東京文化会館大ホールでの演奏会。ブルックナーが演奏された日なのですが、な んとホールの空調が故障してしまったらしいのです。この日東京は27度を超える夏日となり、オ ーケストラのメンバーの中には、上着をぬいで白のシャツ姿で演奏する人がでるほど、演奏す る方にも聴く方にもたいへんな悪条件化での演奏会となったようでした。ただ指揮のジュリーニ は黒の上着をちゃんと着ていつもどおり指揮をしていたようです。因みにブルックナーはこの日 だけだったということなので、ジュリーニが日本で指揮した唯一のブルックナーがこの条件下で はあまりにもついてないなという気がしましたし、できればもう一度だけ来日してブルックナーを 演奏してほしかったものです。
「ラトルはベートーヴェンやブルックナーの第9、ミサソレムニスやモーツァルトの「レクィエム」
といった自分ではたいへん好きな作品であっても、いざ指揮するとなると、どうしてもうまく指揮 することができなかった時期に、親しく話しをする機会を設けてくれたカルロ・マリア・ジュリーニ にも感謝している。ラトルはジュリーニがイギリスを訪れた時には必ずリハーサルを見せてもら ったほどの大のジュリーニ・ファンであるが、思いあまってミラノまで飛んできたラトルにジュリー ニは「なんの心配もいらない。作品の方からあなたに指揮して欲しいとドアを叩きに来るときが あるものです。その時に取り上げればよいのですよ。」と語ったというが、その一言はまさに神 の声にも似てラトルを勇気づけ、作品の選択についても自分の現在の状態に忠実であること の大切さを教えられたという。」
因みに受諾はしなかったのですが、ジュリーニ辞任後のロサンゼルスPOの監督にラトルが
推挙されたという事実も付け加えておきます。
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