カール・ベーム日本ライヴ
[ベートーヴェン]


シューベルトの交響曲(1975)(グラモフォン)
 ベームとウィーンフィルの来日。それはひとつの事件といっていいくらいの衝撃を日本に与えました。(この件につきましては「カール・ベームとウィーンフィル」をご参照ください。

 この公演はFMで放送、さらにはNHKでTV放送されたりしましたが、ベームの没後LPBOXとして二回に分けてFM放送がコンプリート化され、さらに1993年11月には翌年のベーム生誕百年を記念してCDBOXとして登場したりしていました。

 因みにCD化されたのは

3月16日:NHKホール
君が代(日本国歌)
Land der Berge, Land am Strome (オーストリア国歌)
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベートーヴェン/交響曲第7番
JシュトラウスU/美しく青きドナウ(アンコール)

3月17日:NHKホール
ベートーヴェン/レオノーレ第3番
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ブラームス/交響曲第1番
JシュトラウスU/美しく青きドナウ(アンコール)

3月19日:NHKホール
シューベルト/交響曲第7番「未完成」
シューベルト/交響曲第8番「グレイト」
ワーグナー/ニュルンベルクのマイスタージンガー、第一幕への前奏曲(アンコール)

3月20日:NHKホール
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベートーヴェン/交響曲第7番

3月22日:NHKホール
ベートーヴェン/レオノーレ第3番
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ブラームス/交響曲第1番
ワーグナー/ニュルンベルクのマイスタージンガー、第一幕への前奏曲(アンコール)

3月23日:NHKホール
シューベルト/交響曲第7番「未完成」
シューベルト/交響曲第8番「グレイト」

3月25日:NHKホール
モーツァルト/交響曲第41番
JシュトラウスU/南国のばら
JシュトラウスU/アンネン・ポルカ
JシュトラウスU/皇帝円舞曲
JシュトラウスU/常動曲
JシュトラウスU&ヨゼフ・シュトラウス/ピッツィカート・ポルカ
JシュトラウスU/こうもり、序曲
JシュトラウスU/トリッチ・トラッチ・ポルカ(アンコール)
ワーグナー/ニュルンベルクのマイスタージンガー、第一幕への前奏曲(アンコール)

 と青字のもので、CD化されなかった方が少ないというかなり特例的な収録ぶりでした。

 最近このCDを収録日ごとに順次聴いていったのですが、たしかに二日目のブラームスも凄い演奏ではあったのですが、個人的には1日休みを入れての三日目に行われたシューベルトの両交響曲がとても印象に残りました。

 前半の「未完成」はとにかくじっくりと腰をわって演奏し、特に第一楽章などはとても「アレグロ・モデラート」とは思えないほどのものがありました。しかもそこにはまるでその後のブラームスやブルックナーの出現を予告しているようなものさえあり、ウィーンフィルの美しさとベームの凄みがじつに理想的な形で結実した演奏という印象が強く残りました。この演奏の7年前に、クレンペラーが同オケを指揮した「未完成」とはまた違った意味で見事な演奏ということが言えると思います。

 ですが後半の「グレイト」はさらに強烈でした。テンポをほとんど動かさず、じっくり練り上げながら音楽を巨大に構築していくその指揮ぶりには、なんともの凄いことをこの指揮者は行い、そしてオーケストラもそれに応えていることかと、かなりの驚きをもって聴き入ったものでした。特に第一楽章の終盤のとてつもないほどの重量感を保ちながらの素晴らしい高揚感はあまりにも圧倒的なものがあり、音楽が終わった後ちょっと一瞬虚脱状態になったものでした。

 それにしてもここでのベームの弛みの無い、しかも柔軟性も持ち合わせたしっかりとした足取り、そしてウィーンフィルのもの凄いまでに集中した音には言葉がありません。シューベルト風な柔和な表情や風のような詩情感を見事に表出しながらも、絶対にその雰囲気に頼ったり雰囲気に流されないで、がっちりとした音をそこに刻み、そしてここぞというときに大きな感情の高揚を表出し剛毅な気迫を前面に出すものの、重さと運びの正確さは絶対失わない。でもでてくる音楽はじつに作為が無く自然体で、しかもそのスケールはまことに巨大。でもそこで演奏されているのは決してベートーヴェン風でもなければブラームス風でもブルックナー風でもない。シューベルトそのものという趣が全体から常に感じられるのがやはり素晴らしい。これは特に第二楽章に強く感じられたものでした。

 後半二つのの楽章も心地よい力感とオーケストラの輝かしい張りが素晴らしく、しかもそれらに前述した要素をともなって音楽が進行されるのですから、もうこれ以上望むべくもない演奏となっています。たしかに好みによってはシューベルトにしては堂々としすぎるとか、重みや音の運びが念押しにすぎないか、という部分があるかもしれませんし、現代のそれからみると古いスタイルであることは否めないものがあります。ですが自分はこういうやり方も有りと思っていますし、しかもこのやり方としてはこれはひとつの頂点にたっているのではないかという気さえしています。

 終楽章のコーダなど時には怒号のような迫力を伴っており、もう有無を言わさぬ説得力と集中力をもった、ある意味ウィーンフィルにとってもひとつの頂に達したという感すらしたほどでした。そしてアンコールのワーグナー。これがまたそのシューベルトの集中力と凄さを持続したような輝かしい演奏で、この演奏会そのものがこの時のウィーンフィル公演の頂点だったのではないかという気さえしたものでした。

 2006年12月現在、この演奏はほとんど市場から姿を消していますし、DVDにも「未完成」以外収録されていません。ぜひこの日の演奏会をコンプリートな形で再CD化してほしいものです。

交響曲第5番「運命」(1977)(Altus)
  1977年の3月2日にNHKホールで演奏された、カール・ベーム指揮ウィーンPOによる「田園」と「運命」。これはベートーヴェン没後150年を記念して行われた演奏会の一環として行われたもので、とくに「運命」はこの指揮者の日本公演としては、1963年の「フィデリオ」、1975年のブラームスの第一交響曲やシューベルトの交響曲に匹敵する、空前の名演といえると思います。

 カール・ベームがウィーンPOと来日したこの77年の「運命」。自分はこの録画のあった翌3日に聴きに行きました。前日2日に(今回発売される)「運命」がFMで生放送されたのですが、その轟轟とした圧倒的な響き、一線を越えたようなホルンの咆哮と渾身の力をこめたティンパニーのうちこみに異常なほど興奮したものでした。(この「運命」のとき、オケが入場しチューニングを行った後ホールがかなり静まりかえりベームの登場を待ち構えたいたものの、なかなかベームが登場せず、緊張に耐えられなくなった多くの聴衆が一瞬ざわつくものの、しばらくしてベームが登場、万来の拍手で迎えられるといったことがあったのですが、このときはラジオを聴いているこちらもその異様な間と雰囲気に、一瞬なにか非常事態が起きたのかと緊張したものでした。)

 そして実際に行った3日の演奏も凄絶の限りを尽くした「運命」がホールに轟きました。たしかに自分のいたNHKホールの3階にはそれらはFMに比べ音量的にやや乏しかったものの、FMで聴いた、いやむしろそれ以上の鬼気迫る演奏がそこには展開されていました。1975年に行われた一連の演奏に比べると、わずかに造形が緩やかに感じられるものの、83歳の指揮者が体当たりで渾身の力をこめながら音楽に立ち向かい、鬼のような気迫で音楽を叩き出すその凄まじさには言葉がなく、ウィーン・フィルも音の美しさをたもちながら、ベームの尋常ならざる気迫に音楽をもって音楽の一線を越えようとしているようで、音楽をギリギリのところまで追い込んでいこうとしているような、なにか殺気のようなものすら感じたものでした。

 特に終楽章はそれらが完全に一本化され、まさに一音一音が「入魂」という言葉でしか表現できないような圧倒的な説得力と、もうこの演奏とともに燃え尽きて悔い無しといわんばかりの尋常とは思えない「燃焼」が、分厚い響きをともないながらベートーヴェンの音楽を抉り出しそして炎上していく、そんなかんじの音楽が展開されていきました。(これらはたしかに現代の感覚からいうとキズが多い古いタイプの演奏かもしれませんが、これはこれで後世に残る音楽遺産のひとつだと思っています。)

 終演後隣の席のひとが連れらしい人に「もう今ここで死んでもいい」と拍手しながらいっている言葉が聞こえてきました。さすがに自分はそこまでは思わなかったものの、この言葉の真意はいたいほど感じたもので、終演後30分以上続いた拍手の嵐は、同じような気持ちになった聴衆が自分やその人だけではなかったことをと如実にものがたっているように感じました。

 さてこの「運命」が現在公式CD化されていますが、これはほんとうに待ちに待ったもので、以前購入した海賊ものは音質が高低音ともぬけが悪く、ホルンと特にティンパニーが著しく抑えれていたことにかなりの欲求不満を感じていたものでした。今度の公式盤がこれらに比べて音質が良くなっており、特に指摘した箇所の音の改善度は素晴らしいものがありました。前半の「田園」の格調の高さと厳しさも特筆もので、これは後世に残る名盤であると思います。

(ただレオノーレの第三番での?もCD化されたはちょっと苦笑ものですが…)

交響曲第2番&第7番(1980)(Altus)
 このベーム最後の日本でのオーケストラ演奏会となったこの公演はいろいろな意味で思い出深いものがあります。

 1977年の公演でも多少気力の衰えのようなものが曲によっては見え隠れしていたベームはその後1978年の3月に読売日本交響楽団、翌年秋にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との来日が予定されていたものの、いずれもキャンセルとなりその体調を危惧する声が少なからずありましたが、1980年の日本初のウィーン国立歌劇場引越し公演にはその姿を三年ぶりに日本の聴衆にみせることとなりました。

 ですがベームはこのとき以前のように立って指揮することが不可能となり、椅子に座って指揮をとるようになっていました。この姿はさすがに体力の衰えを強く印象づけ、またその指揮する音楽のテンポも著しく遅くなっており、曲によっては聴いていてけっこう複雑な心境になったりしたものでした。

 この会場となった昭和女子大人見記念講堂はこのときがこけら落としだったようですが、後で聞くとこの公演のチケットがそれを記念して昭和女子大の学生さんに優先的に販売された枠があったそうで、朝早く新宿の赤木屋プレイガイドに並んだにもかかわらずチケットがとれなかった自分にとっては、なんとも羨望の念を禁じえなかったものでした。(けっきょくその時余ったお金でショルティ指揮のロンドンフィルの公演に行ったのですが…)

 さてこの公演、前日に日本武道館であった山口百恵の引退公演に日本中の話題をもっていかれたものの、FMの生放送もあったことで、クラシックファンの多くの注目はすでにこのとき、この公演に切り替えられていたものでした。

 この公演の翌日自分のまわりは賛否両論が巻き起こっていました。「ベーム老いたり!」というものから「ベーム渾身の名演」というものまで、じつに幅広いものでした。77年にベームの指揮でこの日の前半に演奏されたベートーヴェン交響曲第2番を聴いた友人は、「77年のときよりは全然いい。あのときは振り間違えたり、覇気がまるでなかったりと最低だった。」といい、この日ベームを初めて聴いた別の友人は「ありゃすごい。やっぱ腐ってもベームだ。」と興奮冷めやらぬ面持ちで熱っぽく語ってくれました。

 概して自分のまわりはこの公演に関しては上記のように、ベストではないものの近年ベームにしては出色の出来という意見で一致していたようです。それは次々と当時発売されていたベームの新録音が、ただオケに下駄をあずけたような冴えないものが多くみうけられた反動もあったようですが、自分もこの時のベートーヴェンには、やはりちょっとただならぬものを感じたものでした。(因みに、このときのベームの指揮したベートーヴェンはそのひとつひとつの音を念入りに強く押し込み、そしてきっちりと折り目をつけながら音楽を一呼吸一呼吸正確に刻み、そしてまた区切りの部分で強く音を押し込み、折り返し、また音楽をすすめる、といったその趣に、ウィーンというよりも、ベームが壮年期に研鑽を積んだドレスデンのオーケストラのような趣を演奏全体から感じたものでした。)

 ベームこの時86歳。2000年にギュンター・ヴァントが日本でブルックナーの9番等を指揮したときよりも2つ若かったものの、当時この指揮者よりも年齢が上というと、すでに引退していた5つ年上のエードリアン・ボールトぐらいだったことを考えると「指揮界の最長老による渾身のベートーヴェン」といった感じに、自分もそうですが当時の多くの聴き手は、少なからず傷がそこには存在してはいたものの、この演奏にそう印象をもったものでした。

 その後、自分はこのベートーヴェンをFMから録音したテープで聴く度に、「指揮界の最長老による渾身のベートーヴェン」というより、「指揮者としての生き様を強く投影させたベートーヴェン」というふうに感じるようになり、今ではベームというと、自分のいった77年公演の「運命」と並んで、この時演奏された交響曲第2番と第7番を思い浮かべるようになりました。これはある意味、指揮者カール・ベームを聴く上で、ちょっと特別な演奏といえるのかもしれません。
 誰にでもお薦めできるタイプの演奏ではありませんが、興味のある方には一聴の価値はある演奏です。


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 余談ですが、ベームがこの世を去ったちょうど20年後、キングインターナショナルの大川さんとAltusの斉藤さんととお会いしたときに、偶然話題にあがったのがこの1980年公演のベートーヴェンでした。あのときはまさか、この演奏がCDになるとは思ってもみませんでした。はたしてベームの死後四半世紀たった現在、この演奏はどう聴こえるのでしょうか。


後記

 自分は最近ベームの1975,77,80の来日公演のCDを集中的に聴く機会をもちました。ベーム
の音楽が年々硬質化していくのがあらためて実感できたものですが、それが老化からきたとい
うよりも次第にかつて音楽的に育ったドレスデンへの原点回帰的な、そんなかんじがあらため
てしたものでした。

 そしてそれは1975、80、のベートーヴェンの交響曲第7番を聴き比べたとき。より明確に感じ
取られたものでした。たしかに80年の録音は弦のしなやかな流動性は後退したものの、強く重
いリズムの刻みと、音楽のきっちりとした折り返しが、念押しとも思われるほど徹底され、それ
がドレスデンのあの重さと明確なリズムの刻み方を強く想起させるものがありました。

 この一連のベームの日本ライブは、この指揮者が最後の数年間ドレスデン回帰といえるほど
その音楽に剛健さを加えていったその過程が、じつによくわかる貴重な記録群といえると思い
ます。もちろん後年に行くにつれ、傷や緊張感の途切れのようなものを感じる、そういう瞬間が
あるようにも感じますが、それ以上に指揮者のむき出しの気迫と気力に、自分は強くひかれ、
より圧倒されるものを感じます。

 歳をとればそれで「巨匠」という風潮は自分は好きではありませんが、ここまで生き様を晒さ
れるような音楽を聴かされると、自分にはもう言葉もありません。あとタイプは違いますが晩年
のクレンペラーとあい通じるような、そんな姿をここでのベームに感じてしまいます。

 この当時の日本公演のライブは、グラモフォン、TDK、Altus、と三社に版権が分かれていま
すし、1975年の録音は現在入手が困難という話を聴きますが、もしこれらを録音順に沿って
聴く機会がありましたら、おそらくそこにベームの終着点への軌跡をみることが出来ると思いま
す。


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