オーマンディの思い出


 ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団は、1967、1972、1978、1981年と四度に
わたって来日しその至芸を日本各地で聴かせてくれました。その二度目の来日時には指揮者
の大町陽一郎氏のインタビューにこたえたりしています。
 
 自分がオーマンディの実演に接したのは、1978&1981年でした。特に77&78年は実は
生涯最も充実した海外のオケの実演に接した時期で、(1977)ベーム&VPO、ハイテインク
&ACO、ショルティ&シカゴ、ムラヴィンスキー&レニングラード、カラヤン&BPO(1978)オ
ーマンディ&フィラデルフィア、マゼール&フランス国立、マゼール&クリーヴランド、スイトナー
&ベルリン国立歌劇場というふうに聴いていた時期でした。そのためオーマンディ&フィラデル
フィアを他の団体と否応なく比較して聴くこととなってしまいました。

 結論からいうと、オーマンディ&フィラデルフィアはこれら団体となんら劣ることの無い、きわ
めて情報量が巨大でしかも見事なオーケストラ・アンサンブルを誇る団体でありました。特に弦
の風圧をともないながら、「透明感のある色彩的」な響きと、その巨大な壁のように立ち上がる
弦ごしに聴こえる美しくブレンドされた管楽器の響きは、なんともいえない絶妙なものでした。そ
して「ここ」というときに弦の壁とともに客席にすり足のように、しかも「重くひきずった感覚は皆
無の」音が、大きくグングンとせりだしてくる様はこの団体だけのもので、しかもそれが目的で
はなく、ひとつの手段として用いられているというところに感心し、そして驚嘆したものでした。こ
のオーケストラ・コントロールの力というものはとにかく凄いものがあり、そう意味でムラヴィンス
キーとレニングラードがこの時イメージとして浮かんできたものでした。

 たしかにオーマンディは1936年、ムラヴィンスキーは1938年からそれぞれの手兵と約40
年かかわっており、両者ともあたりまえといえばあたり前なのでしょうが、とにかくそのオケとの
一心同体ぶりは完璧という気がしたものでしたが、考えてみるとこの両者、とてもよく似た指揮
者だと思います。両者ともにトスカニーニを尊敬し、弦に対して驚くほどの鋭敏な感覚を持ち、
巨大な情報力とスケールを持ち、そしてそれぞれの「国」らしい音を最ももったコンビというとこ
ろです。録音に対しては決定的に違うものの、これだけ共通点を持っているのはたいへん珍し
いというべきでしょう。

 さて自分が聴いた日の演奏会ですが、


1978
6月1日:神奈川県民ホール
バッハ/パッサカリアとフーガハ短調
シベリウス/交響曲第1番
ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲
レスピーギ/ローマの松

  一曲目のバッハ。オーマンディ版による演奏の為冒頭のテーマが弦で強く奏でられるのです
が、その瞬間音圧をともなった圧倒的な響きに、一瞬会場がざわついたほどでした。ですがこ
のコンビの本領を発揮したのは次のシベリウス。ふつうこの曲はちよっと音が薄くなるところが
多いのに、このときはまったくそういうことが感じられず、常に豊かな響きが中央の空間を中心
にホール全体を支配していました。そしてそこからあふれるなんともいえない情感と、北欧の美
しさと厳しさのようなものが完璧なアンサンブルに支えられ「これぞシベリウス」といわんばかり
の世界を形成していました。これは自分にとって最高のシベリウス体験のひとつとなっていま
す。そして後半質感充分のブラームスの後に演奏されたレスピーギの輝かしさ。これもまた有
無を言わさぬ素晴らしいもので、この年の3月に聴いたチェリビダッケの超絶的な演奏に匹敵
する、壮麗極まりない演奏となりました。
  この日のシベリウスやレスピーギはヨーフムやチェリビダッケのブルックナーや、ムラヴィン
スキーのチャイコフスキーに匹敵しうる、まことに巨大きわまりないものでした。


1981

6月2日東京文化会館
プロコフィエフ/古典交響曲
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
チャイコフスキー/交響曲第5番

この日の最大の聴きものは「火の鳥」。一曲目の古典交響曲の舞台の上をすべるように疾走
する弦の音に耳を奪われた跡に聴いたこの「火の鳥」は、無類の迫力に満ちた演奏のひとつと
なりました。特に「カスチェイ」と「終曲」における巨大な音の壁が、風圧と透明感のある色彩を
ともなってぐんぐん観客席に立ち上がりながらせり出してくる様は壮観そのもので、おもわず身
体が後ろにのけぞるようなかんじがしたものでした。後半のチャイコフスキーも見事な演奏でし
たが、この日はこの「火の鳥」に完全に圧倒されつくしてしまいました。
尚この演奏会はオーマンデイが日本で演奏した最後のものとなってしまいました。

 自分にとって1978年に接したシベリウスやレスピーギ、そして1981年の古典交響曲や火
の鳥の途方もない演奏は今でも忘れがたい最高の演奏のもののひとつとなっています。それ
にしても彼の写真をみるとどれも「目」の厳しさが印象に残ります。彼の実演時に聴こえる「自
然体の厳しさ」をこの目をみるたびに思い出してしまいます。この指揮者は私達が想像する以
上にはるかに厳しいスタイルと音楽のその底辺に秘めているのかもしれません。それを考える
とこの指揮者の奥行きが、とてつもなく深く広いというかんじがしてきます。

 この指揮者の真髄が評価されるのは、むしろこれからなのかもしれません。

 余談ですが、この人の音楽はほんとうに録音に入りきらない部分が多いですし、あの巨大さ
というのがなかなか伝わらないです。録音に入っているのは、この人の聴きやすい部分のみ
で、その背後にある巨大なスケール感、と情報量がすべて溢れてしまっているようにすら感じて
しまうことがあります。おそらく現在彼の巨大さを一番とらえている録音は、EMIに録音した、シ
ベリウスの「四つの伝説曲」くらいでしょうか。(あとテラークのサン・サーンスの3番や、BMGと
の「英雄の生涯」なども素晴らしいです。)特にこの第1曲の終盤は圧巻で、息を呑むような圧
倒的な高揚感が、奔流のように流れ出るその素晴らしさは、「これぞシベリウス」と言いたくなる
くらい素晴らしいものです。実際のオーマンディがいかに巨大な指揮者だったか、このCDはそ
の最高の手がかりとなるかもしれません。

 とにかく風圧をともなった透明感のある色彩的な音の壁が、舞台上からぐんぐん客席にせり
出してくるあの感覚は、このコンビからしか聴けないものでした。あの音圧感と量感はいったい
何に例えればいいのでしようか。

 (この文は以前自分が書いたものに加筆修正等を加えたものです。)


 このすさまじい容量をもったこのコンビの公演は初来日以来一般の聴衆には概ねたいへん
好評で、かなり支持されたものでした。ただ一部評論家の受けが異常なほど悪く、「精神的に
浅薄」「機能万能主義」そしてついには「オーディオ・ファンのみをよろこばせる内容の無い演
奏」や、「このような演奏を支持している街の音楽性を疑う」といった内容のものまで飛び出すと
いう、たいへん荒れたものまで見受けられました。そして不幸なことにその後、この批評のみが
文字として受け継がれ、後のこのコンビの来日公演もこの影響からか、放送されることはつい
にありませんでした。自分はこのコンビを先に記したとおり78年と81年の二度聴く機会がありま
したが、それは演奏は評論家のそれとはあまりにもかけはなれた素晴らしいもので、その音楽
のもつ圧倒的に豊かな情報量が、みごとなアンサンブルとあいまって、類まれな巨大な演奏を
展開していきました。

 それにしても評論というおそろしさをこれほど感じたものはありませんでした。もし評論家諸氏
のオーマンディ論を鵜呑みにしていたら、聴く前から聴いているような錯覚を起こし、現実の音
に耳をふさぐことにより、このコンビの演奏を聴く機会を自分の意志で永久に葬り去っていたの
かと思うと、ぞっとしたものでした。しかし当時これらの評を書いていた人はこのコンビにいった
い何をのぞんでいたのでしょうか。フルトヴェングラーとベルリンPOの深刻さでももとめていた
のでしょうか?だとしたらそれはあまりにも尺度の違う考えであり、狭い価値観による考え方に
とらわれすぎているのではないでしょうか。オーマンディはオーマンディのやり方でひとつの高
峰にのぼっていっているのですから、そのやり方がフルトヴェングラーあたりと違うから駄目だ
というのは、あまりにも寂しい考えではないでしょうか。音楽とは音の存在する全方向へ無限に
して多様にのびていく可能性があると思います。それを自分のたっている場所と尺度だけです
べてわりきろうというのは、音楽の大きさに対する冒涜のような気がします。この公演のいくつ
かの評は、読むたびに常にそう教訓的に考えさせられてしまいます。またここには独墺系に対
する日本人の潜在的劣等感から逃れるため、せめて独墺より歴史の浅いアメリカよりは精神
的優位に立とうという、へんな意識が働いたように感じ、後味の悪さも感じてしまいました。

 前述したことを繰り返すようで申し訳ありませんが、オーマンディの録音は、その多くがこの
指揮者の聴き易いうわずみの部分だけとらえ、その背後にある巨大な本質を捉えきっていな
い気がします。すでに実演の聴くことのできないコンビ。現在、過去の遺物のような悪評とうわ
ずみのみを捉えた録音がこの指揮者のイメージの形成の主流をなしているとしたら、それはた
いへん悲しいことだと思います。もちろんじゃあオーマンディならなんでもいいかというとそういう
わけではありません。せめてもうすこし真正面からこのコンビを雑念なく聴ける環境にならない
ものかというのが、その願いです。

幸いかなり以前よりは状況は好転しているとは思います。かつて村田武雄氏がフィラデルフィ
ア管弦楽団の1978年来日公演に記された言葉を最後に記して、この文を終わりにしたいと
思います。

 われわれはオーマンディとフィラデルフィアに対して「アメリカ製」のレッテルを貼ってはならない。われわれがトスカニーニに対するようにオーマンディには同じ目と耳とを向けなくてはならないのである。オーマンディがウィーン・フィルに招かれて指揮してウィーンの聴衆を圧倒したのはマーラーの作品であり、リンツのブルックナー音楽祭でブルーノ・ワルターに代わって、それも暗譜で指揮したのがブルックナーの交響曲であった。かれはマーラーやブルックナーの本場でもその最高の指揮者として認められてきたのである。



オーマンディ来日公演一覧
オーマンディの録音





 ところで余談ですが、1967年にあいついで、コンドラシン&モスクワフィルと、オーマンディ&
フィラデルフィアが初来日したのですが、評論家の受けはかなりモスクワの方が良好でした。

ところが最近ある方にこの件で以下のようなことを聞きました。

「それは当時の学生運動やベトナム戦争なんかも関係していて、ようするに裕福かつ保守的
(しかもベトナム戦争を肯定する)アメリカを代弁するようなオーマンディよりも、マルクス・レー
ニン主義にのっとったソ連のオケの、特にショスタコーヴィチの演奏を、肩入れし賞賛すること
が、当時の評論家としての格好付けであり、それをやらないと低俗とか堕落したものと受け取
られかねないため、みななだれをうつようにオーマンディをなんだかんだといい、それが自らが
否定する感覚的なものが動機となっていても、かんけいなく半ば保身のために誹謗するように
なったんだよ。」

というものでした。。

 言っていた本人は笑いながら「もっともこれはいいすぎかもしれないけどね。」といっていまし
た。自分としては当時のことをよく知らないのでなんともいいようがないのですが、なんとなくわ
かるような気もします。

 でももしこれが事実としたら、当時のええかっこしの亡霊が、オーマンディやショルティに対す
る一部評論家のきわめてかたよった評価に、ひょっとして今の今まで影響をもってるということ
も考えられるのでは?と一瞬考えたりしたのですが、やはりこれはさすがに個人的に否定した
い。なぜならあれから何十年もたとうとしているのに、ソ連亡き今にいたってまで、まだそのよう
な価値観にのっとった批評を今の21世紀に生きる人達が後生大事にありがたがっていると
は、どうしても考えられないのです。

 はたしてこれらの真実はどこにあるのか、いずれにせよこれらの話が現在ではその効力を
失っていることを強く信じたいものです。


トップへ
トップへ
戻る
戻る