1990年を回顧する
(平成二年)



 この年は初めて来日オーケストラが60の大台を超えた。考えてくるいくつかオーケストラの来
日が増えるきっかけとなった年がある。(ここでいうオーケストラはフルオーケストラをさします。
室内管弦楽団は原則含みません。)

 1955年にシンフォニー・オブ・ジ・エアが来日してかにしばらくは、年に海外からくるフルオーケ
ストラはだいたい2団体どまりだった。だが1964年の東京オリンピックの年に三団体が来日す
ると今度はその数がベースとなる。

 1968年には前年の倍もの団体が来日、1970年の大阪万博時には歌劇場公演のため来日し
たオーケストラを含むとついにその数は二桁となり、1978年以降はほぼ毎年二桁のオーケスト
ラが来日する。

 そして1987年にはついに来日オケは二十を超えました。1978年といい1987年といい、その前
年にいわゆる「世界三大オケ」とシカゴ、それにレニングラードとチェリビダッケが来日するが、
その翌年で各々の年がそれに呼応するかのように、来日オケの数がひとつの枠を突破してい
くのが奇遇とはいえじつに面白い現象です。

 そして平成に入りその二年目となるこの1990年には三十台、そしてその翌年には40台を超え
る。バブル、新しいホールの完成、旧ソ連の開放政策等、いろいろと原因はあるでしょうが、と
にかく日本の海外オーケストラ公演史上その大隆盛期を迎えることになります。それは1994年
ウィーン国立歌劇場公演や1995年のブーレーズフェスティバル、そして今世紀最後の一大コンサートとなった、2000年のヴァント指揮NDRまで続くこととな
ります。

 さてこの1990年。とにかくチクルス公演がいくつも登場しさらに我々を仰天させるることとなり
ます。シュタインのブラームス、スヴェトラーノフのチャイコフスキー、シノーポリとベルティーニ
のマーラー、チェリビダッケのブルックナーがそれです。その他にもバーンスタインの最後の来
日、ショルティ&シカゴの最終公演、ヴァントのブルックナーの8番から、ジョン・ウィリアムスと
ボストンポップス、ヘンリー・マンシーニとロイヤルフィルハーモニーポップス、エリック・カンゼル
とシンシナティポップスという、豪華な公演もありました。

 今回はそういう天文学的来日公演の中から当時話題になったものと、自分が行った公演(日
本のオケ公演も一部含む)を中心に扱って行きたいと思います。


1〜4月
ピンカス・スタインバーグ&マンフレット・ホーネック指揮オーストリア放送響
ロストロポーヴィチ指揮ナショナル、ベルグルンド指揮ストックホルムフィル
5〜7月
スラットキン指揮セントルイス、ショルティ&バレンボイム指揮シカゴ
シュタイン指揮バンベルク、アンドリュー・デービス指揮BBC
スヴェトラーノフ&チブジェリ指揮ソビエト国立、ドホナーニ指揮クリーヴランド
バーンスタイン、トーマス、大植、佐渡、オルソップ&ブヤランド指揮ロンドン響
ヘルビッヒ指揮トロント、ムーテイ指揮スカラフィル、
8月〜10月
メニューイン指揮アジア・ユース、チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル、
若杉指揮チューリヒ・トーンハレ、ジェルメッテイ指揮シュツットガルト放送響、
11〜12月
ヴァント&ペンデレツキ指揮NDR、シノーポリ指揮フィルハーモニア
チェッカート、フリッケ&朝比奈指揮ベルリン国立歌劇場、
ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ
ベルティーニ指揮ケルン放送、マゼール指揮フランス国立

※室内オケ公演等はこの項では省略します。


参考までに1990年がどういう年であったか[ザ・20世紀]1990年の項目をご覧ください。
 各頁右上にもリンクしておきます。

※茶色で記した公演は自分が行った公演です。

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