みちえさまの作品
<空の名前、風の行方(第2話)>
母さん!!しっかりしろよ!母さん!!」
シュンは少年には似合わないヒステリックな声で母親を呼びながら、懸命に抱き起こそうとした。
ビクトールとフリックも慌てて駆け寄る。
今迄にも”真の紋章”の影響で体調を崩す彼女を何度も見てきたが、意識を失う程酷い症状は初めてだったからだ。
「え?え?ええー!!」
突然ナナミが叫び出した。
「ルクレツィアさんがシュン君のお母さん???うそうそうそー!!」
「ナナミ、病人がいるんだから、静かにしなくちゃ駄目だよ。」
姉を窘めたシオンだったが、内心はナナミより驚いていた。
まさかこんな所で、自分と同じ真の紋章の継承者に出会うとは・・・。しかも二人も。
「だってだってだってー!!ジョウイのお母さんだって、もっと歳取ってるよ!!」
とは言っても、正直シオンもナナミも数える程しか会った事のないジョウイの母親である。
しかも幼い頃の話であった。記憶にも曖昧なところがあるが、それでもルクレツィアよりは年上に見えた。
「・・・大丈夫だ、シュン。気を失っているだけだ・・・。」
ビクトールが自分の左手をルクレツィアの口元に翳し、息をしているのを確認する。
「でも・・・???」
尚も取り乱すシュンに、いきなり野太い中年の男の声が彼を一喝した。
「狼狽えるでない、シュン。」
ビクトールの腰に下げられている星辰剣だった。その場の全員が彼を見る。
「この場に4つもの”真の紋章”が集ったのだ。”輝く盾の紋章”に共鳴した紋章達の負荷が全てルクレツィアに罹った。気も失うだろう。」
星辰剣の、横柄だが落ち着いた物言いに、シュンも次第に自分を取り戻す。
「それでは、どうすれば良いのですか?」
「・・・寝かせておけ。ルクレツィアの体が紋章の共鳴に慣れる迄・・・。全く、何の因果か・・・。」
「・・・。」
シュンは星辰剣から、苦しげな母親の顔に視線を移す。
「・・・どうしていつも母さんだけ、こんな目に遭うんだろう・・・。僕だって”真の紋章”をもっているのに・・・。」
独り言のようなシュンの言葉に、星辰剣は静かに答えた。
「どの継承者も、他の”真の紋章”と出会うと共鳴を感じるらしい。」
お前も感じるだろう?と星辰剣はシオンを見る。
頷くシオンを確認して、星辰剣は再び口を開く。
「だが彼女は特別だな。子供の頃の体験・・・・、そしてお前の分も身代わりになっている。」
「・・・僕の、為?」
「お前が気に病む事は無い。こいつも無意識にやってる事なのだから。・・・母親と言うのは厄介なものだ。
子供の為なら世の理さえ崩してしまう・・・。」
星辰剣の言葉は、その場の全員に深い共感を与えた。
「だからシュン。狼狽えてはならぬ。たった一人、肉親のお前だけが彼女の、唯一の支えなのだからな。」
ビクトールは項垂れたシュンの肩を、ポンと一つ叩いた。
「・・・シュン、部屋をとって来てくれないか?此奴を寝かせてやらないと・・・。」
フリックはシュンに代わって、気を失っているルクレツィアを背負った。
シュンは小さく頷いて立ち上がる。
「・・・あの・・・うちへ来ませんか?」
シオンの申し出に、シュンは驚く。
「え・・・でも良いのかい?」
「勿論だよ。今は僕とナナミしかいないしね。もうすぐジョウイも帰ってくると思うけど。」
シオンはシュンを見て、にっこりと笑った。
「え?え?ほんと?本当に皆が泊まってくれるの?」
ナナミも嬉しそうにシュンを見た。
「うん・・・迷惑でないのなら・・・。」
と、シュンはビクトールとフリックを振り返った。
二人も微笑んで頷き返した。
ルクレツィアが眼を覚ますと、見慣れぬ天井が視界に入ってきた。
先程までの息苦しさと吐き気、そして右手の痛みは嘘のように退いていたが、未だ頭が重い。
自分が情けなくなる。
何とかしなければ、シュンを護るどころか足手まといになってしまう。
現にルカ・ブライトの前で倒れてしまった事もあった。命に関わる事態も引き起こしかねない。
ルクレツィアはふうと大きく息を吐くと、頭を振り振りベッドから立ち上がった。
(・・・此処、何処かしら・・・。)
決して贅沢とは言えない部屋を見回していると、ドアをノックしてシュンが入って来た。
「母さん!未だ寝ていなくちゃ駄目だよ!!」
立ち上がっている母親の姿を見て肝を潰したのか、水の入った洗面器を投げ捨てる勢いで、シュンは彼女をベッドに戻そうとする。
「もう大丈夫よ。ご免ね、心配掛けて。」
「本当かい?」
「ええ。”始まりの紋章”とは相性が良いみたい。・・・それより、此処は何処?」
「何でも昔、都市同盟軍の英雄だったゲンカク老師の家だよ。シオン君とナナミさんはその人の養子なんだって。」
「ああ・・・。そうか。」
ルクレツィアは、昔一度だけ、遠くから垣間見た事のある若い頃のゲンカクを思い出していた。
「嬉しそうね、シュン?」
息子の明るい表情に、彼女も嬉しくなる。
「うん。友達になったんだ。シオン君と。」
「そう・・・良かったね。・・・ところで。」
ルクレツィアは、隣の部屋と分け隔てている壁を人差し指で差す。
「・・・どうしたの?」
先程から、言い争う声が聞こえて来る。彼女が眼を覚ましたのも、その声の所為だった。
「・・・それがね・・・。」
シュンは少し困った顔をした。
「だからあ!私が作るよ!!」
「駄目だよ、ナナミは!僕やジョウイが食べるならともかく、お客さんが来ているんだよ!!」
姉弟の喧嘩の様子を呆れて見ていたビクトールが、ルクレツィアに気付き、声を掛けた。
「お?うちの軍師さんは、もう大丈夫なのか?」
「嫌ね、茶化さないでよ・・・。何の騒ぎ?これは?」
「誰が夕食を作るか・・・ってな、もめてんだ。」
フリックが苦笑混じりに答える。
「ナナミの料理じゃ、こっちの命が幾つあっても足りないからな。」
ビクトールが肩を竦める。
「・・・そんなに凄いの?」
ルクレツィアの問いに、二人は思いっ切り、首を”縦に”振った。
「彼奴・・・。何て言ったっけ?ハルモニアの・・・。」
「??ナッシュの事?」
「そうだ。統一戦争の時、彼奴、ナナミのシチュー食べてひっくり返った。」
「あれま。」
シュンも肩を震わす。助けを求めるように母親を見た。
「・・・仕方ないわね、私に任せて。」
「ねえ、ナナミちゃん。夕食、私に作らせてくれないかな?お世話になっているお礼よ。」
とっておきの笑顔を向ける。
「えー!でもぉ、お客様に作ってもらうなんて・・・。」
ナナミは上目使いにルクレツィアを見た。
「あら、もうお客様じゃないわ?お友達になったでしょう??」
この一言はてきめんだった。
とたんにナナミの顔が輝く。
「そうだよ!お友達だもんね。じゃ私、手伝います!!」
男性陣はこのルクレツィアの快挙に、心の中で盛大な拍手を送っていた。
(流石元軍師、戦の駆け引きを解っているな。)
フリックがビクトールに耳打ちする。
(悪知恵だけは働くんだよな、彼奴。)
自分の事は棚に上げ、ビクトールが答えた。
食事の間中、ずっと楽しげにしていたルクレツィアであったが、その微笑みが徐々に曇ってゆくのを、ビクトールは不審に思った。
後片づけの為、台所に入って行ったルクレツィアとナナミを見届けると、”オデッサ”の手入れをしながら、
シュンとシオンの会話を聞いていたフリックに、そっと
話し掛ける。
「彼奴、未だ具合が悪いのか?」
「いや・・・。もう体の方は大丈夫だと思うが・・・。」
フリックは、視線を残された席へと走らせた。
そのテーブルには今迄、冷めてしまったシチューの皿があったのだが、
席の主が戻ってきたら直ぐに暖め直せるようにと、ルクレツィアが下げたのだ。
「・・・・ジョウイの事か・・・。」
ビクトールの表情が、複雑なものに変化する。
確かに母親に会いに行った、と言うだけでは、帰りが遅すぎた。
だがビクトールは、アナベルを暗殺したと思われるジョウイに面と向かった時、果たして自分は冷静を保てるだろうか?と正直自信が無かった。
「シュンと同じ年頃の子供を見ると、放っとけないんだろう。彼奴・・・。」
フリックの苦笑にビクトールも頷き返す。
・・・だから俺達も放っとけないんだろうな・・・。
「有り難う、ナナミちゃん。お陰で早く片づいたわ。いつも男共ばかりで、片づけ余り手伝ってもらえないから・・・。」
ルクレツィアは洗い上がった食器を手早く拭いて棚に戻すと、ナナミを振り向いた。
が、今の今迄、ルクレツィアの耳が痛くなる程色々と話をしてくれたナナミが俯いている事に気が付き、
慌ててナナミの肩を掴み自分の方へ向かせた。
「どうしたの?ナナミちゃん!具合悪いの?何処か痛い???」
まさか、何か悪い物でも食べさせてしまったのであろうかと、ルクレツィアは慌てふためいた。
「あ、お医者!?キャロにお医者さん、いる???」
「ううん!!違うの、ルクレさん。そんなんじゃないの。」
ナナミは両眼に浮かんだ涙を拭うと、にっこり笑って見せた。
「只ね、シュン君が羨ましくなっちゃって。お母さん、生きてて良いなって。シオンも私も、お母さんいないから。」
「・・・ナナミちゃん・・・。」
「あ!!でも、でもぉ。お母さんいないからゲンカクじいちゃんの子供になれたし、シオンのお姉さんになれたし、
ジョウイの友達になれたし、寂しくなんかない
よ。」
そうは言っても、心の何処かで母親を求めている・・・。
健気に笑う少女を、ルクレツィアは痛々しく感じた。ナナミを抱き締めようと、手を伸ばす。
するといきなりナナミは、「あああ!!」と大声を上げると、顔をずいっと寄せてきた。
「ねえねえ、ルクレさん!!ルクレさんって、フリックさんの恋人なの???それともビクトールさんの???」
「はあ???」
ナナミの思考回路の変化に、ルクレツィアはついて行けない。
「どっちなんですか???」
真剣なナナミの視線に苦笑しながら、ルクレツィアは悪戯っぽく答えた。
「そうねえ・・・。強いて言えば。」
「強いて言えば?」
「シュンの恋人、かな?」
「ええええーーー!!だってルクレさん、シュン君のお母さんでしょ!!!」
「そうよ。息子ってね、母親にとって永遠に恋人なの。」
片目を瞑ったルクレツィアに、
「狡いーーー!!!誤魔化して!!!」
ナナミは頬を膨らませた。
シオンとシュンの二人は、食後のお茶の香ばしい香りを楽しんでいた。
「まさか君が、ハルモニア独立軍のリーダーだったなんて、ちっとも知らなかったよ。」
デュナン統一戦争の英雄であるシオンの言葉に、シュンは照れを隠せなかった。
「うーん、何て言うか・・・成り行きでね。最初の独立軍のリーダーって言う人が私利私欲しか考えない人で、僕を目の敵にしていたんだ。」
「へえ?それでどうなったんだい???」
キラキラと眼を輝かすシオンにシュンは苦笑したが、次の瞬間苦しげな表情を浮かべた。
「独立軍の皆が新参者の僕を認めてくれたから邪魔になったんだろうね・・・。結局、僕を殺そうとして・・・。
僕を守ろうとしたルクレ・・・母さんに斬られて・・・死ん
じゃった。」
そうだ、あの時。
負傷したシュンを庇い、ルクレツィアは瞬間的にビクトールの腰に下げられていた星辰剣に手をやると、
一言も無くリーダーのオウリンを斬り殺した。
後に星辰剣は、
「あんな腐りきった男を殺すのに私を使うなど!!!!」
と、大層ご立腹だった
。
自分の姿が返り血で真っ赤に染まってもなお、顔色を変えない彼女を見て、シュンは嫌悪感さえ抱いた。
だが今にして思えば、その時からルクレツィアは、汚い事は全部自分が引き受けようと決意していたのだ。きっと。
シオンは表情を歪めた。やはりこの少年も、自分と同じく、辛い想いを沢山味わってきたのだろう。
天魁星の宿命・・・。それはシオン自身が、一番良く解っていた。
「・・・ご免。嫌な事、思い出させたね。」
謝るシオンに、シュンは激しく頭を振る。
「君こそ随分辛い想いをしてきたんだろう?ビクトールさんとフリックさんから聞いていたよ、いつも・・・。
僕はいつも心の中で、まだ一度も会った事のない君と自
分を比べて・・・。まだ頑張れる、君が頑張ったんだから僕も未だ頑張れる・・・。
ラムザが死んだ時だって、いつも・・・。」
そしてシオンの顔を正面に捉える。
「だから君が僕に謝る事なんてないんだ。僕はいつでも君に、力を貰っていたのだから・・・。」
「そうか・・・。僕達は同じなんだね。」
大きな運命を戦い抜いた二人の少年は、歳ふりた老人の様に、静かに微笑み合った。
裏庭で佇んでいるルクレツィアを見つけ、フリックは声を掛けた。
「何、してんだ?」
「ん・・・。」
「・・・ジョウイを、待っているのか?」
「・・・。」
隣に並んだフリックを見上げ、やっと彼女は口を開いた。
「・・・ジョウイ、どうしたのかしら?あの子達も心配しているでしょう?」
「ああ。だが、母親の所に泊まってくるかもしれないと言っていた。」
「・・・貴方も、そう思う?」
「・・・いや・・・。」
フリックが首を横に振るのを見て、ルクレツィアはその大きな瞳を伏せた。
「・・・そうだよね。あの子はハイランドの最後の皇王だった。一悶着あってもおかしくないか・・・。」
ルクレツィアはフリックの背後に回ると、フリックの背中に自分の背をもたれさせた。
「・・・本当、なの?その・・・統一戦争の時、ジョウイがミューズの市長を暗殺したって・・・。」
「実際、この眼で見た訳ではないからな。本当の所はどうなのか解らない。だが、その直後にジョウイはハイランド軍に戻っているし、あのルカ・ブライトの下での
破格の昇進だ。何かが・・・有ったとしか考えられない・・・。」
「そう・・・か・・・。」
以前フリックから聞いた。ミューズの市長だったアナベルと言う女性。ビクトールの昔馴染みだったという。
ビクトールの辛さが痛い程感じられる。
「・・・彼奴も、辛いだろう・・・。」
フリックの、相棒を気遣う台詞にルクレツィアは小さく頷くと夜空を見上げた。
無限の宇宙に無数の星々が瞬いている。この中には、昔レックナートが語っていた自分達の”宿星”も含まれているのだろう。
「・・・人って、悲しいね・・・。」
呟いた。
狂った歯車は、容赦なく人間達を巻き込んで行く。その惨さを、ルクレツィアは誰よりも解っていた。
「誰・・・!?」
ルクレツィアは気配を感じ、暗がりに向かって声を掛けた。背中の”降魔の槍”を取り出す。
すかさずフリックが前に出て、彼女を背後に庇い、”オデッサ”に手を掛けた。
正面の闇の中から現れたのは・・・ジョウイであった。
「ジョウイ!!」
ルクレツィアは叫んで駆け寄った。フリックも後に続く。
「ジョウイ!?お前、どうしたんだ!?」
フリックが驚くのも無理は無かった。
当の昔に雨は止んでいるにも関わらず、ルクレツィアが掴んだジョウイの体はぐっしょりと濡れていて、冷え切っている。
ジョウイは虚ろな瞳を此方に向けた。次の瞬間、その眼が大きく瞠られる。
「・・・ルクレ・・・さんに・・・フリック、さん?」
ジョウイはこの奇妙な組み合わせに、相当驚いたようだった。
ルクレツィアがハルモニア独立軍の軍師であった事、フリックとビクトールが独立軍に参加していた事などは全く知らなかったらしい。
「・・・どうして・・・お二人が一緒に・・・??」
しかし、其処までが限度だったようだ。
ジョウイは張り詰めた精神の糸が切れたのか、そのままルクレツィアに倒れかかった。
彼女はジョウイを抱き留めると、額に手を当てる。
「・・・!酷い熱!!」
体全体が炎のように熱い。
一体この少年に何が・・・・?
フリックとルクレツィアは訳が解らず、只、必死にジョウイの名を呼び続けた。