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遠くで女性の悲鳴がする。 アメリア姫は涙をぬぐいながらそちらに駆け出して行く。 もう、こんなことをどれほど繰り返しているだろう? ゼルガディスの取り巻きたちは、王族を居室に押し込めると、見張りもせずに女官や神殿の巫女たちを見境なしに襲い始めたのだ。 巫女ながら攻撃呪文も使えるアメリア姫は、現場に駆けつけると男たちを一喝、呪文でふっ飛ばして犠牲者を救い出す。しかし、彼女が一人救っても、次々に悲鳴が聞こえてくる。最初五十人程度だったゼルガディスの兵士たちは、町で略奪をしていたというグループも加わったらしく、どんどん人数が増えて来て、アメリアの孤軍奮闘ではとても追いつかない。 疲れ果て、涙にまみれながらも、アメリア姫は止まることができなかった。 「待った、あんた!」 足がよろけかけたところを、力強い腕に支えられる。見上げれば、それはゼルガディスの取り巻きの中でもリーダー格の男だった。 「放してくださいっ!」 「いい加減にしないか。足だってふらふらだし、そんな状態で攻撃呪文を使っても、疲れるだけだぞ。そんなところを襲われたらどうする?」 諭すような言い方に、思わずアメリアは相手をまじまじと見てしまった。背の高さは平均よりもやや高い、という印象。黒髪に狭い額の下で、黒い瞳が油断無く輝いている。年齢は三十に手が届くかどうか、という感じだ。レザー・アーマーの下に鎖帷子を着、ブロード・ソードとダガーを下げて、いかにも軍人の雰囲気。 「あなたは……?」 「俺は……ラスターという」 「ラスター……さん?あなた、たしか、あの兵士たちの指揮官ですよね?」 「まあ、そんなようなものだ」 「じゃあ、彼らの愚行をやめさせてください!今、すぐに!」 「そいつはできない。俺は命令権を与えられていない。彼らの行動に制限を設けられるのはゼルガディスだけだ」 王の座にまで就いた上司を、肩書きも敬称も無しに呼ぶラスターに目を丸くしながら、アメリア姫はさらに畳みかけた。 「じゃあ、ゼルガディス……のところに連れて行ってください」 「今はダメだ」 「なぜです?」 「さっき、彼が『しばらく邪魔するな』と言ったんだ。そんなところにあんたを連れて行ったら、俺が殺される」 「じゃあ……彼がどこに居るのか、教えてください」 「…………」 「あなたから聞いた、とは言いません」 「…………」 「教えてくれないなら、わたしはあの人たちを止めて回るだけです」 「……わかった。強情な姫君だ」 ラスターは彼女の先に立って王宮の通廊を歩き始めた。 「ところであんたは、ゼルガディスと顔見知りのようだったが……」 「……昔、一緒に旅をしたことがあります」 「あの男と二人でか?」 心底驚いた、というようにラスターは振り返る。 「いいえ。……あなたも聞いたことがあるでしょう?リナ=インバースという名を」 「リナ=インバース!」 「彼女と、彼女の連れと、ゼルガディスとわたしの四人で旅をしました」 「ふうん、そうかい」 アメリア姫は、この、気は許せないものの、物事の常識をわきまえていそうな男が、先ほどの狂気じみたゼルガディスの取り巻きに収まっていることが、どうしても解からなかった 「あなたは、どうして今のゼルガディスに従っているんです?」 「そりゃあ、まあ、死にたくなかったから……だろうな」 「部下にならなければ殺すとでも言われたのですか?」 「違う……俺の国はアイツに潰された。隣国に逃げ込んで助かった、と思ったのもつかの間、今度はその国もヤツに潰された。俺が兵士である限り、アイツと戦うのを強制される立場はどこへ行っても変わらないし、そんなのは犬死だ。……俺は死ぬのが怖かった。 アイツが蹂躙して行く国の中で生きて行くにはどうしたらいい?――アイツの味方になればいい。もっとも、ヤツは俺たちを味方だなんて思っちゃいないがね。少なくとも、ヤツの攻撃の対象にはされない。それが俺がヤツについて来ている一番の理由さ……おまけに役得もあるしな」 「役得?」 アメリア姫のこの問いに、ラスターはポケットから一掴みの宝石を引っ張り出す。 「ヤツは俺たちを自分の軍勢とは考えていないから、俺たちに統率や規律を強制しない。おかげで一つの町を侵略する度にこういうモノが手に入るし、酒も美味い食い物も……」 そして女も……ラスターはアメリア姫をおもんぱかったのか口には出さなかったが、彼女はその意味を飲み込んでいた。 「……いつまでこんなことが続くと思っているのですか?悪行には報いがありますよ」 「……だといいんだがな」 「えっ?」 「ゼルガディスは俺たちを味方だとは思っちゃいない。俺は降りようと思えばいつでも降りられる。だがよ、俺は見届けたいんだ。あの男が、いつ、誰の手で止められるのか、を」 ラスターの声には苦笑以上の苦味がにじんでいる。 アメリア姫は昔のゼルガディスを知っているから、彼の冷酷な態度にもかつての優しさをダブらせて見ていた。初めてあの冷たい態度に接した人間の目には、ゼルガディスはさぞ血に飢えた悪魔のように映るのだろう。正気の人間が、恐怖のあまり狂った所業に手を貸す道を選ばせるほどに…… 「ここだ……この向こうにヤツがいる」 「ここ……ですか?」 そこは賓客用の部屋の前だった。 「あんたがどうやってヤツを説得するつもりは知らんが、ヤツには色仕掛けは通用しないぞ」 「……彼はここで何を?」 「そりゃあ、見てみりゃ解かるさ」 投げやりな調子で言って、ラスターは立ち去った。 しばらく、扉を見つめていたアメリア姫は、意を決して取っ手を握り、扉を押し開ける。 部屋の中は暗かった。賓客用の部屋なので、掃除の時以外はカーテンが降りているのだ。分厚い布を通してわずかに注ぐ日の光で、目が慣れるとどうやら物陰の形・色が見通せるくらいになる。 アメリア姫が踏み込んだのは二間続きの居間の部分だった。そこには誰も居ない。 隣の寝室との間には戸口はあるが扉は無い。彼女はそちらに歩み寄る。 壁に身を寄せながら寝室の中を窺うと。 「ふっ…む…う…」 「あ…はっ…ん…」 天蓋から下りる毛織物のカーテンに包まれたベッドから、なまめかしい息遣いがする。そちらに目をやれば、カーテンの中に灯りが点っているのだろう、ぼんやりとだが、人影が二つ絡み合っているのがシルエットで映し出されていた。 「今日は……う……いつもより……激しいですね……」 「黙れ。興醒めだ」 後の声は紛れもなくゼルガディス。 (……ゼルガディスさんが……ゼルガディスさんが……女の人を!?……) アメリア姫の両足ががくがくと震える。信じられない。 二年前、「一緒にセイルーンへ来てくれますか?」と申し出た自分の気持ちを知っていたはずなのに。毎月欠かさず手紙を送ってくれたのは、自分への優しい気持ちがあるからだと信じていたのに。その自分が居る王宮の中で、別の女を抱くとは、どういうことか?これは嘘!悪夢なら覚めて欲しい! ふらつく身体を支えようとサイドボードに手をついた時、その上にあった軍馬の置物がはずみで床に落ちた。 がしゃん! 派手な音に立ちすくむ。 じゃっ! 鈍い音とともに、ベッドを覆っていたカーテンの一枚が横に真っ二つに裂け、その陰から抜き身の剣を下げたゼルガディスが現われる。 「ひっ!」 アメリア姫がうめいたのは、彼の目に冷たい怒りが宿っているのを見たため。その目から視線を逸らそうとして、彼が全裸なのに気づく。 慌てて顔を背けた時、ベッドの中からこちらを見ている顔を見とがめた。 宙に浮かんだ光に照らし出される白い身体。艶やかな黒髪。覗かれたことをむしろ面白がるように場違いな笑みを浮かべた隠微な唇。 「……う……そ……」 一言うめき、アメリア姫は気を失った。 目を覚ました時、アメリア姫は自分の部屋のベッドに居た。 どうしてここに居るの?何があったの? 思い出して胸が悪くなる。 疲れた身体を引き起こすと、突然、暗かった部屋に光が満ちた。 「誰?」 見回すと、壁際の椅子に腰を下ろした人影が一つ。アメリア姫はベッドから飛び出した。 「ゼロス!」 「お久しぶりです、アメリアさん」 「あなたの……あなたのせいですね!あなたがゼルガディスさんを操って、あんな真似を繰り返させているのですね!彼をたぶらかして……」 「彼をたぶらかした?おやおや、ゼルガディスさんはけしてたぶらかされるような人じゃありませんよ」 「だって……さっきあなたたち……」 先刻、アメリア姫が目撃したゼルガディスの情事の相手がゼロスだった。 ゼロスが誘ったのでなければ、ゼルガディスがあんな真似をするはずは無い。アメリア姫は固く信じている。 「さっきのアレは、僕が誘ったんじゃありません。彼の要求に僕が応じただけです」 「まさか!冗談はやめてください!」 「どこが冗談だ、と?」 「どうしてゼルガディスさんが、あなたなんかを……魔族を相手に……」 「それは彼が“優しい”からですよ」 「え?」 ぽかんと口を開けたアメリア姫を前に、ゼロスはおかしそうにくすくすと笑う。 「さっき彼も言っていたでしょう?『俺は昔から何も変わっちゃいない』って。彼は戦いにおいては容赦ないですけれど、それ以外の場では優しい人ですよ」 「そんな!それなら、なんであの連中の傍若無人な真似を許しているんですか!」 「誰か彼に『止めさせてくれ』と頼みましたか?」 「……!」 確かに、かつて仲間として一緒に行動していた時にも、彼は「正義を愛する心など持ち合わせていない」と公言してはばからなかった。見ず知らずの第三者への手助けも、仲間に「なんとかしてやれないか」と持ちかけられて、初めて腰を上げるような、そんな性格だった。 異形に変身させられ、奇異の目で見る人々と距離を置きたい、と望む彼の心情からすれば当然のことだったろう。それでも必死に頼み込めば、彼は自分を曲げて他人を助けた。 今も、そういうところは変わっていない、と言うのか? 「誰かが彼に、『略奪や暴行を止めさせて欲しい』と、真剣に心の底から懇願すれば、彼は止めさせますよ、きっと。ただし……」 「ただし?」 「あなたが頼んだのではダメでしょうけれど」 「!」 アメリア姫は怒りで顔を紅潮させ、目に魔力があるのならゼロスをその場で焼き尽くさんばかりの激しい視線で睨みつけた。だが、魔族の神官はかえって面白がっている。 姫の激情が爆発した。 「どうせ、あの人は私のことをお荷物としか考えていなかったんです!ええ、昔から変わっていません!」 ゼロスは大げさに肩をすくめてみせる。 「呆れましたね、まったく。あなたはゼルガディスさんを好きなくせに、彼のことを何一つ解かっていないじゃないですか」 「どういう意味ですか!」 変わらぬ剣幕のアメリア姫に、癪に障る笑みを返し。 「論点がズレましたね。なぜ、彼が『優しい』ゆえに僕を抱くのか――その理由を説明しましょう」 ゼロスはわざとらしく人差し指を顔の前に立ててみせる。 「彼は身体は合成獣ですが、心とか感情の面は人間です。本能もね。 そして一人前の男につきものの本能と言えば――肉欲です。しかも、彼のように血生臭い行為を繰り返していると、殺戮の興奮が肉欲を引き起こし、興奮が冷めれば癒しを求めて慰めの相手が欲しくなる―― 彼は最近このサイクルを繰り返していましてね。まあ、例のハゲワシ連中が征服した町で女性を陵辱しているのを知っているから、影響されたのかもしれませんが…… ところで、ゼルガディスさんが普通の人間の女性を抱いたら、どうなります?」 「そ……そんなこと……知るわけありませんっ!」 思わずアメリア姫が叫ぶと、ゼロスはふっと笑みを消し、えもいわれぬまなざしを彼女に向ける。 「彼の身体は隅々まで岩に覆われています。女性と交わる部分まで。生身の女性が彼に抱かれたら、裂けるどころの騒ぎじゃないでしょう――女性は死ぬほどの苦しみを味わい、下手をすると本当に死んでしまうかもしれません。彼はそれを知っているから、生身の女性に手を出そうとしないんです」 「…………」 「しかし、募る性欲は解放しないと身体にも毒――まったく人間というのは面倒くさく出来ているものです。 そこで、彼に抱かれても苦痛を感じることが無く、彼もまた満足を得られる相手として僕にご指名がかかったわけですよ――僕ならその気になれば女にもなれますし」 言いながら、ゼロスの服の胸のあたりが挑発的に膨らみ、腰がくびれ、同時に身にまとった神官の服が変化する。肩までだった髪が、なまめかしい艶を帯びてするすると流れ落ちる。アメリア姫の目の前に、ゼロスと同じ顔ながら、床に届くほどのウェーブした髪以外はほとんど服とも呼べないくらいに透き通る布をまとった、大人っぽい女性が現われた。 「まあ、彼は、力ではかなわない僕を犯すことに喜びを感じるようなので、いつも普段の姿でつきあっているんですが」 魔族は一瞬で、元の黒い神官姿に戻る。 「いつも……!いつもって……」 「だから、彼が僕を抱いたのは今日が初めてじゃないってことです。毎晩とは言いませんが、戦いの前後には必ず、です」 「…………!」 どさり。 緊張の糸が切れたのか、アメリア姫はベッドに腰を落とした。あとからあとから、涙が溢れて止まらない。声もなく涙だけ流す彼女を、ゼロスは不気味な笑みを浮かべながら見守っていた。 |
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