その1


    谷間を抜ける街道に、突然脈絡も無く、石造りの門が立っている。今、その門に差しかかった二人の旅人が、門の頂を振り仰いで立ち止まった。
    一人は背の高い男で、胸甲冑ブレスト・プレート長剣ロング・ソードを携えている様子は傭兵だろうが、整った顔立ちと背中にかかる長い金髪が、血生臭い印象をかき消している。もう一人は歳若い女性で、つぶらな瞳に艶のある豊かな栗色の髪は、美少女という表現がぴったりである。彼女は宝石の護符ジュエルズ・アミュレットをあしらったショルダー・ガードに黒く長いマントをまとい、胸元に覗くローブには魔道文字の縫い取りが見える。明らかに魔道士の衣装である。
    男性が連れの少女に尋ねた。
    「リナ、あれ、何て書いてあるのか読めるか?」
    リナと呼ばれた少女が、声に出して読み上げる。
    「我を通る者は偉大な知識に至る
      我を通る者は無窮の真実に至る
      我を通る者は博学の民のもとに至る
      完璧な叡智が我を作り
      我はここに知の象徴として存在せり
      我を入る者は一切の自我を捨てよ
    ……って書いてあるわ。どうやらこの先に《知識の泉》があるのは間違い無
いわね」
    「どうして?」
    素朴な感じで問い掛ける男の言葉に、リナと呼ばれる少女のこめかみの血管が震えた。
    「つまり、ここから先にはありがた〜い知識が転がっているから、馬鹿なことを言うと罰が当たるよ、って忠告してんでしょ。すなわち、この先に《知識の泉》があるってことよっ!」
    「知識が転がってるって、魔道書か何かのことかぁ?」
    少女が、ぎぎぃっ、と首を回して、連れの男性をキツイ目で見上げた。
    「ガ・ウ・リ・イ……ここに来た目的、忘れたんじゃないでしょうね?」
    「覚えてるぜ。《知識の泉》に行くんだろ?」
    「だから、その《知識の泉》からうんとこさ知識を得ようって、来ているわけでしょ!投げかけられた質問には、何でも答えるという《知識の泉》!これはつまり、異界黙示録クレアバイブルに通じる《門》なんじゃないか?    だったらここで、魔族と戦う方法とか、あなたの持っている魔法剣について詳しいことを教えてもらうとかしよう、って考えて来ているんでしょ!」
    「うん、前にもそんな話、聞いたけど。でもさ、転がってる、なんて言うから、泉が答えた内容が魔道書か何かになって、その辺に落ちてるのかと……」
    「だあぁっ!それが馬鹿なことなんだって言ってるんじゃないっ!」
    めき。
    少女の肘鉄が、傭兵の顔面にめり込んだ。
    どうやらガウリイと呼ばれるこの傭兵、言葉のアヤというものを理解しないらしい。しかし、いくら相手が物分かりが悪くとも、年長で力もある男に問答無用で暴力を振るう少女も、性格がいいとは言えなさそうである。

    門をくぐってかなり歩いた二人連れは、谷間の奥で洞窟を利用した館のような場所にたどり着いた。洞窟の入り口はいくつもの怪獣の彫刻で取り囲まれており、通廊となっている奥までそれらの彫刻は並んでいた。
    通廊の突き当たりに鉄の扉があり、その表面には大きな怪獣の顔らしきものが浮き彫りになっている。目鼻口があるから、顔なのだろう。
    「泉って屋内にあるのか?」
    扉までの階段に足をかけて、ガウリイが尋ねる。
    「さあね。とにかく門からここまで一本道だったから、この先に行ってみるしかないじゃない」
    彼らは、重い門を押し開けて中に入った。
    中はまるで王城のようだった。扉を入ると大きな空間になっていて、正面の数段高くなったところに、玉座のような椅子が一つある。高い天井から下がったシャンデリアに点っている光は、明かりライティングだろう。左右の壁際には上階へ上がる階段が見える。
    すべて、天然の洞窟をくり貫き、磨き上げて作られたものだ。
    「空家……ってことはないよな?」
    「ないでしょうね。だったら真っ暗のはずだもの」
    「なら、呼んでみるか。おお〜い!誰かいませんかぁ〜!」
    せんかぁ〜。んかぁ〜。かぁ〜。あぁ〜。ぁ〜    ……
    ガウリイの声が遠くまで反響していく。しばしの沈黙。
    返事がなく、二人が顔を見合わせた時。
    「お客人方、何がお望みか?」
    突然、彼らの頭上から男の声が降って来た!
    「どわぁっ!な、なんで、そんなところに現れるのよっ!」
    リナが思わず叫ぶ。無理もない。声の主はいきなり、彼らの頭の上の空中に出現したのだから。
    「失礼。ちょっと奥に行っていたので、急いで来なければ、と思ったら、ここに出てしまった」
    男はそう言いながら下りて来る。どうやら浮遊レビテーションを使っていたらしい。すると、まともな(?)魔道士なのかな?
    目の前で見ると、年齢は三十歳前後。よくいる研究没頭型魔道士の典型を、かなりハンサムにした感じだが、リナをジロジロ上から下まで見つめて、彼女に思い切り睨みつけられてしまった。
    「あなた、急いでここに来た、って言ったけれど、歩いて来たわけじゃないでしょう?空中を飛んで来たの?」
    「私の名前はトウテツだ。普通に扉をくぐったり、通路を通ったりして来たのではない。向こうの魔法陣からこちらの部屋に飛ばしてもらったのだ。
    そちらのお名前は?」
    「あ、あたしはリナ=インバース」
    「俺はガウリイ=ガブリエフ」
    「で?お二人はここへ、どんな知識を求めて来られた?」
    「……質問は《知識の泉》にするんじゃないの?」
    「《知識の泉》は私が管理している。泉にも答えられない質問があるので、一応尋ねなければならない」
    「あら?《知識の泉》って何にでも答えられるんじゃないの?」
    「占いなど、将来に関することは答えられない。例えば、自分が将来誰と結婚するか、などというのは駄目だ。時々そういうのがいるからな」
    リナはムっと、ガウリイはポケっとしている。リナが食って掛かる。
    「こう見えても魔道士のはしくれよ。そんな馬鹿なこと聞くはずないじゃない!」
    「しかし、男と二人連れではないか。この男との将来を知ってみたい、と考えているんじゃないのか?見たところこちらの男は傭兵のようだが、身分違いの恋路の悩みの答えを見出そうと考えていてもおかしくはない。
    お前ほどの美人ならややこしい恋の一つや二つ、縁があるだろう」
    美人、という言葉がなかったら、この男の運命は先ほどのガウリイと同程度の悲惨なものだったろう。しかし、男と女の二人連れと見れば、み〜んな恋人で、それもややこしい事情を背負っている、と言い切るトウテツも、よほど欲求不満が溜まっているのか。三文小説の読み過ぎかも知れない。
    「ち・が・う!それよりさっき、飛ばしてもらった、って言ったけれど、誰か他の人がいるの?」
    「……いや、違う。魔法陣の力で飛ばしてもらった、という意味だ」
    リナはトウテツの緊張を見破り、彼が嘘をついている、と断定したが、それをおくびにも出さず言う。
    「ふうん。ま、いいや。その《知識の泉》に案内してちょうだいよ」
    トウテツは眉をひそめたが、ガウリイがなにやら彼に目配せしているのを見て、一つため息をついた。
    「意地っ張りなお嬢さんだな。まあ、いいだろう。こちらへ」
    彼が先に立って歩き出すと、ガウリイが大股で近寄り、なにごとかトウテツの耳にささやいた。魔道士の背中に盛大な冷や汗が吹出す。リナも見逃さない。
    「ガウリイ?何を言ったの?」
    「え?いや、ありがとう、って」
    答えるガウリイも額に汗したりしている。
    「ふうん……案外、リナの言うことをきいて正解。さもないと暴れたぞ、くらいは言ったかな〜、と思ったんだけど?」
    「あは、あははは。そ、そんなこと、言うわけないじゃないか。ははは」
    彼らの会話を背中で聞いているトウテツも、何やらビビっている。リナは後で二人に目にもの見せてやる、と決意した(おお怖い)。

    トウテツは二人の訪問者を、一つ高い階の奥の区画に案内した。部屋というより大きな神殿の内部のような広い空間で、人の背丈ほどのオブジェがいくつも雑然と配置されている。その奥、と言っても、空間全体から見れば真ん中よりもやや奥まったところに、水面にぼんやりと光を映す泉があった。それは彫刻に囲まれ、中央に女神像の立つ、岩をくり貫いた人工のものだ。
    泉の脇に、一段高くなったところがあり、その上には演説台のような台座に乗せられた水晶球が鎮座している。水晶球以外はすべて洞窟の岩をくり貫き、磨き上げて作られていた。
    リナはその空間の床が、それまで通ってきた通路の岩を磨いた床と違い、敷石が敷き詰められているのを何気なく眺めていたが、唐突に、その床全体が大きな魔法陣になっていることに気がついた。大きな六芒星と円周が組み合わさって、泉は星形を作る一つの三角形にすっぽりとおさまっている。つまり《知識の泉》には何らかの魔法的な力が働いているのだ。
    先ほどトウテツが言っていた魔法陣とは、これのことだろうか?
    トウテツは水晶球の正面に立ち、手をかざして呪文を唱える。
    その呪文に応えて、泉の底から光が湧き上がり、女神像が神々しく輝く。トウテツは台から降り、替わりにリナを水晶球の前に立たせた。
    「水晶球に向かって質問をすれば、女神像が答える」
    リナは泉から湧き上がる光を見つめて眉をひそめた。
    彼女が期待していたクレアバイブルは、異空間に浮かぶ目に見えない宝珠オーブの形をしたもの。今、彼女たちがいる空間には存在しない。この泉を介して、クレアバイブルとやり取りできればいいのだが。
    「それじゃ……そうね。最初は小手調べってことで、《世界の杖》について教えてちょうだい」
    彼女が質問すると、泉に立つ女神像から声が響いて来た。
    「《世界ノ杖》ワ、平ラナ円盤ノ形ヲシテイル我々ノ世界ヲ支エルモノデアル。世界ハ我々ノ住ムトコロ以外ニモ存在シ、ソレゾレガ同ジヨウナ円盤型ヲシテイテ、ソレゾレノ《杖》ニ支エラレテイル。スベテノ世界ワ《杖》ニ支エラレナガラ、《混沌ノ海》ノ上ニ浮カンデイルノデアル」
    この答えは、魔道士協会の公認見解と同じだ。リナはこの《知識の泉》に違和感を感じた。彼女が以前、クレアバイブルから得た知識は、魔道士協会の見解などあっさりと打ち砕くほどの真実だった。やはり《知識の泉》は、クレアバイブルとは別物の公算が高い。
    彼女は確かめようと、以前、クレアバイブルに投げかけた質問をしてみる。
    「金色の魔王ロード・オブ・ナイトメアについて教えて」
    …………
    しばしの沈黙。続いて、女神像から答えというよりは、何やらぶつぶつと唱える声が聞こえて来る。それを聞きとがめたリナは。
    「ガウリイ!逃げるわっ!」
    彼女は叫ぶと同時に台から飛び降り、ガウリイと一緒に出口へ駆け出した。が、リナの足だけがすぐに止まる。
    「リナっ!」
    ガウリイが振り返ると、彼女の足に床の敷石から生えた枝が生き物のように絡みついている。彼が彼女に駆け寄ろうとした瞬間。
    「うわっ?」
    ガウリイは、自分の身体が吹き飛ばされるような感覚を覚え、気を失った。



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