ゼルガディス
・オン
・ザ・カウチ
作:クイーン・オブ・ソード
挿絵:ユージン・チャン
翻訳・日本語版製作:キューピー/DIANA
<パート1>
「さあ、グレイワーズさん」
そう切り出した女医の声は、なだめるようで高くも低くもなかった。彼女は精神科医だ。
「まずあなたの子供時代についての話から始めましょう。一番嬉しかった思い出はなんですか?」
ゼルガディスは大きな布張りの椅子の中で身じろぎした。
組んでいた足をほどき、また組みなおし、椅子の肘掛を指でこつこつと叩く。
「一番嬉しかったこと?
俺が四歳の時だったか、母が俺に古い占星術の本をくれたことがある。それは俺の一族にずっと受け継がれてきたもので、美しい挿絵が施され、装飾文字も見事なものだった。余白には、一族の魔道士たちの手による覚書も書き込まれていたが、恐らく、将来その本を読む者が、その覚書を目にすることを意識していたんだろう。どれもはっきりと読み取れる文字で書かれていた。
母が俺にその本をくれたのは、俺には兄しかおらず、かれも魔術には興味が無かったためで、それ以来、俺はその本をずっと持っていた」
女医は小さくうなずき、丸縁の眼鏡を鼻の上で少し持ち上げ、ノートを取った。
「あなたはその本を子供に譲るつもりですか?」
ゼルガディスは思わずため息をついた。質問の方向がたまらない。
しかし、このカウンセリングに臨む前に、彼はどんな質問にも――たとえそれが個人的なものであっても――答えると覚悟を決めていた。
「もし俺に子供がいれば、本を子供に譲る。だが、あんたも知っているように、俺は未婚だ」
女医は物思い顔ながら微笑んだ。暗い緑色の瞳が、好奇心で輝いている。
「その見込みはない、と?」
「あんたが言う『見込み』がどの程度のものか、による」
答えをはぐらかしたゼルガディスの意識に、アメリアの存在が浮かぶ。
「セイルーンの姫君は、俺に恋をしている、と言ったが、俺は彼女に恋をしていない。俺が求める女性は、彼女とは違う。彼女はただ俺に憧れているだけ、というのが俺の率直な見解だ。彼女はまだまだ幼い」
「あなたが配偶者を持つとしたら、どんな条件を満たしている女性を望むのですか?」
答えを模索しながら、彼は視線を、今、自分が居る小さな事務所の景色に泳がせていた。
オーク材が張られた壁にはタペストリーが掛かり、床にはエキゾチックな柄の絨毯が敷き詰められているが、それが年代物であるところは、この部屋の主の趣味をうかがわせる。その上に並ぶ家具も、年代はさまざまだが、いずれもアンティークだ。
女医の後ろの壁を埋め尽くす本棚は、本やら小さな神像がぎっしりと詰め込まれ、出窓にも踊る女神像が見える、像の前には金属製の香炉が置かれていて、香木のかぐわしい煙が細く立ち上っている。
彼女の右側には小さなテーブルがあり、縁飾り付きの明るい色合いの絹のスカーフが掛かり、その上にあるのは水晶球、タロットカード、そして七色の蝋燭。
蝋燭の光が座っている二人を映し出し、何もかもが心慰められる雰囲気だった。
ゼルガディスは、香炉から立ち昇る煙を眺めながら言葉を紡ぐ。
「知性があって成熟した女性がいい。そう、上品な会話が交わせるような相手が。その女性が魔道を扱うなら、いっそういいだろう。魔道は俺の生活にとってとてもに重要だ」
彼は視線を、香の煙から本棚に並ぶ本に移した。何気なく見出しを拾うと、いくつかは彼も読んだことがある本で、初めて見る見出しも魔術、科学、文学の古典だった。
「俺は自分の身体を治す方法を探して、よく旅をする」
ゼルガディスは、自分の肌が岩であることを女医に思い出させるように、自分の顎を指で引っ張って見せた。
「もし、俺の求める女性が俺の前に現れたとして、彼女が俺と一緒に旅をするのが嫌だったら? その女性と、旅を好むアメリアと、どちらが理想的なのだろう? 俺の求める女性が、俺が彼女を置いて旅に出て、長い間留守にしてしまっても平気だとしたら……」
精神科医はうなずいてまたノートを取った。
金髪がひと房、目のあたりに落ちかかる。ゼルガディスはその光景を、この部屋に入って以来、何十回目撃したのだろう、といぶかった。
一方、彼女は髪に刺していた銀の櫛を、音が立つほど乱暴に、いらだたしげに引き抜いて、肩のあたりで絡まった巻き毛をすいた。
そして、視界をさえぎる髪をじっと見つめたかと思うと、彼女はそれを息で吹き飛ばし、ゼルガディスの方へいたずらっぽく笑って見せる。彼がわずかに微笑むと、彼女は一つせき払いをしてまた質問をした。
「あなたはこれまで旅をして来ましたね。そういう理想の女性に出会ったことは?」
「一人、いた。しかし、彼女は男だった」
女医は一度漏らしかけた笑いをかみ殺した。彼があまりに真剣だったからだ。
「男? それは残念でしたね」
「ああ、残念だ」
ゼルガディスは、椅子の袖に張られた真紅のヴェルヴェットのけばを指でもてあそんでいた。布の端にはタバコの焼け焦げがある。
これが自分の椅子だったら、たちまち激怒して張り替えただろうな。なるほど、このセラピストは、それほど神経質ではないらしい。ゼルガディスは心につぶやいた。
「兄がいた、と言いましたね?」
急にギアを切り替えるように、女医が質問を飛ばす。
「彼とはよく一緒に行動を?」
ゼルは首を横に振った。
「いや、兄は傭兵だった。兄の行方が分からなくなってもうだいぶになる」
「あなたのご両親はいかが?」
「死んだ」
女医は彼がもっと詳しく話すのを待った。また質問して事情をはっきりさせようか?
しかし彼の表情を見て、その質問はまた別のカウンセリングの時にしよう、と決める。
彼女は足を組み直し、長いスカートの裾をさばいて、また眼鏡を持ち上げた。
ゼルガディスはそれを見て、早く眼鏡を直せばいいのに、と思う。彼は彼女がその眼鏡を鼻筋に持ち上げるのを見るたびに、落ち着かなくなるのだ。
幸いなことに、彼女もわずらわしくなったのか、横のテーブルに眼鏡を置いた。
「レゾについて話してください。あなたは彼のもとで数年、魔法を学んだのでしたね? 彼はかなり波乱万丈なうちに亡くなった、と理解していますが」
話題が自分自身のことから、彼が憎いほどにこだわっている人間に移ったのを嬉しく思いながら、ゼルは一つうなずいた。
「ヤツは、魔王シャブラニグドゥに食いつぶされた。魔王はヤツの閉ざされた目に封じられていた。リナが魔王を倒した時、レゾも一緒に滅んだ。しかし、レゾはコピーを残していたんだな。俺はそいつと旅の途中で出くわしたが、また、リナが殺した。聞くところによると、そのコピー・レゾもまた自分のコピーを残していたそうだ。しかし、レゾ3号はそれほど強力ではなく、見習い魔道士に毛が生えた程度らしい」
そこでゼルは、ニヤリと口を歪めた。
「まさに皮肉な成り行き、と言うほかあるまい」
女医が片方の眉を跳ね上げて問うた。
「コピー・レゾがいっぱい、というわけ? 彼らはオリジナル同様、目が見えなかったのでしょうか?」
「いや、目は見えていた」
「では、魔王はコピーたちの中には封じられていない?」
「信用できないのか?」
彼女はからかったつもりなどなかったのだろう。女医はせわしなくまばたきしながら彼を見つめて言った。
「どうして私があなたを信用していない、などと?」
ゼルガディスは目を落として自分のブーツのつま先を見つめながら言った。
「済まない。あんたが冗談を言っているのかと思って……
最初のコピー・レゾには魔王は封じられていなかった。が、ヤツは魔獣ザナッファー
(
訳者注1
)
を召喚した。そいつはシャブラニグドゥと同じくらい手強かったな。コピーのコピーはさっきも言ったが、たぶん、魔王なり魔獣を召喚するだけの魔力はないだろう」
女医は椅子の背にもたれ、ペンの軸を噛んだ。
「あなたはコピー・レゾのことを好きでしたか?」
「いや」
「コピーたちはオリジナルのレゾとは違っていた?」
ゼルは椅子の中でいずまいを直したが、視線は女医の目からそらしたままだった。
「最初のコピーはオリジナルよりも残忍だった。おしゃべりでもあったが、人を惹きつけるような物言いはしなかったな。コピーのコピーにはお目に掛かったことがない」
かりかり かりかり……
彼女がノートにペンを走らせていると、蝋燭の炎が女医の暗い緑の瞳に輝く。
どうしようもなく惹きつけられて、ゼルガディスはその様子を眺めていたが、彼女が顔を上げて彼と向き合うと、またすばやくあらぬ方に目をやった。
この行動一つから、彼女は精神的兆候を見つけるに違いない──ゼルは気まずく思い、そこからどういう精神状態を彼女は導き出すのか、と考えてみる。
「レゾはどうしてあなたをそのような姿にしたのでしょう? 彼は何か、あなたに腹でも立てていたのですか?」
ゼルガディスはまた頭を振った。
「そうは思わない」
言いながらも、彼はほかの答えを検討していた。何を彼女に話し、何を話さずにおくべきか。
結局、ゼルガディスは正直に話すことにした。
「俺は貪欲だった。俺はヤツが持っているのと同じような力を、努力せずに手に入れたかった。ヤツは、俺が『賢者の石』を探す手伝いをするのなら、俺の望むものをなんでも与えよう、と言った。ヤツは、俺が力を得るには完璧に変身する必要がある、と言ったが、俺に告げたのは力の面についてだけ、だった。身体まで変わるとは告げなかったんだ。そして、後で気づいたら俺はこの通りの身体になっていて、ヤツは俺を元に戻そうとはしなかった」
「ゼルガディス、あなたはなぜここにいるのです?」
彼女のこの質問に、ゼルガディスはめちゃくちゃ面食う。
「何?」
彼は激しくまばたきしながら、女医の顔を見つめた。三十分前、この事務室に入って来て以来、このように彼女の顔を正面から見つめるのは初めてだ。美しい。
「どういう意味だ?」
彼女は肘を椅子の袖に預け、組んだ手に顎を乗せ、言った。
「このセラピーが全て完了したあかつきには、何を望みます? あなたのゴールは? あなたはどうしてここにいるのです?」
ゼルガディスは、しばし椅子の袖の布にあいた穴を指でほじくった……自分の椅子だったら、そんなことは許せないだろうに。
甘い香りが部屋を満たし、立ち昇る薄い煙の中でテーブルの小さな蝋燭の炎がゆらめき、ちらちらと踊る。その光が、テーブルの上に打ち捨てられた女医の眼鏡と水晶球に照り映える。
彼女は水晶球の使い方を知っているのだろうか、いや、多くの人間同様、飾り物として置いてあるのだろう。しかし、同じテーブルにあるタロットカードは使い込まれているし、本棚に並ぶ魔法書の背は何回も開かれていることをうかがわせる。なるほど、彼女は水晶球の使い方を知っているに違いない。
ゼルガディスの剣と短剣は扉の横の壁に立てかけられ、蝋燭の明かりもそこまで届かず、彼の鋭い視力を持ってしてもただの影としか見えない。彼のマントはその近くの壁についた金属のフックにぶら下がり、その隣には女医のマントがかかっている。
彼の視線は、まるでそれ自体が生きているように、室内の様々な物から目の前の女医へと移って行く。
最初に見えたのがなめし皮でできたブーツ、続いて黒い絹とヴェルヴェットのロング・スカート、黒いゆったりした絹のブラウス、ブラッシングの足りない髪……そして最後に、鋭い瞳。
彼女は、彼が答えるまで断固として待つ決意をした者だけが持つ、確固たる表情を浮かべていた。
早く終わらせるに限る。彼は思った。
「俺はもう、たくさんだと思っている。憂鬱、憤怒、孤独が暗雲のように重くのしかかってくる毎日。もう飽き飽きした。俺には、俺のことを大切にしてくれる友達がいるんじゃないか。そして俺も彼らのことを大切に思っているじゃないのか? それでも、それでも俺は一人ぼっちに感じてしまう。だから、俺は専門家の助けを得て、こういった感情を解決したいと思っている」
「専門家の助けを得る、というのは、あなた自身の考えですか?」
彼女は平静な様子で問うたが、その声には、彼の答えが肯定ではない、と考えていることがうかがえた。彼女は正しい。
「俺の考えではない。俺は……」
彼はそこで言葉を切り、椅子の袖の布に空いた穴をもてあそぶのをやめた。急に、女医がその穴をそれ以上大きくされたくはない、と感じたからだ。
彼はヴェルヴェットの布目をなでつけ始めた。
頭のいい女性だ。患者を、このように独特の触感のある布張りの椅子に座らせるとは。どんな患者も無意識に神経質な仕草を見せてしまう。
ゼルガディスは彼女のまっすぐな視線に立ち向かう。
「俺の友達が、このカウセリングは役立つだろう、と勧めたんだ」
彼は両手を握り締めた。
「俺は、この魔法を解く方法を三年以上探し続けてきたが、ほんのわずかな可能性にさえ、そのきっかけにさえ出会えなかった。もちろん、治す方法がない可能性もある。そうなったそうなったで、俺はその結果を受け入れなければならない。それは分かっている。
だが、どうしたら受け入れられる? 俺の友人たちは、その方法を俺に教えてくれるのか? 無理な話だ。だから、別の方向に答えを見出そう、ということになり、アメリア姫が俺にセラピーを、あんたのような専門家のセラピーを受けては、と提案してくれたんだ」
「セラピーを受けても成果があるかどうか、疑っていますね?」
ゼルは顔をしかめた。
「ああ……疑っている。俺は自分を語るのがあまり好きじゃない。あんたもそれは気づいただろう?」
女医はゼルガディスに対して注意を集中したまま、ノートとペンを脇に置いた。
「私があなたを助けるためには、あなたについて知る必要があるのです。あなたの人生やあなたの感情について。あなたはこれまでのところ、私に対して非常に打ち解けてくれました。私が知りたかったのは、あなた自身がここにいる理由が、あなたの友人があなたの意に反して勧めたからではなく、あなた自身がそうしたいと望んだからだ、ということです」
ゼルガディスは答えなかった。
彼は深く思い巡らせていた。
彼女の言うことは正しい。もし、誰かの差し金で彼がここに来たのなら、彼女は彼のために何もできない。彼自身が望んでいる以上ら、彼はこの女医とともにセラピーを実りあるものにしなければならない。
「この部屋は気に入らない」
結局、彼が口にしたのはこんな言葉だった。彼はあわてて付け加える。
「事務所の調度、ということじゃなく、この事務所そのもののことだ。ここにある様々なものは俺を安心させてくれる。魔法の道具や魔法書……多分、あんたの趣味の一つなんだろうな。アメリアがあんたを推薦したのはあんたがそれほど……あんたの魔法に対する関心のことを知っていたからだろう」
女医は片方の眉を上げた。
「お世辞がお上手ですね。アメリア姫は私の友人です。お気に触りました?」
「いいや」
ゼルはすばやく答えた。レゾについて話した方がましだ、と考えながら。
「俺はただ……ただ、思っただけだ。あんたとどこか別の場所で……事務所じゃないところで会えたら、と」
自分の口走った言葉が、彼女にどう聞こえたか、という問題に気づくのに、彼は少し時間がかかったが、気づいたとたん、赤面した。
「俺は…その……いや、済まない。俺は別にやましいことを意味していたんじゃない。ただ、ここに来る以外に、あんたに会えないのか、という意味だったんだ」
自分の家で、と考え、彼自身に家がないことを思い出す。
アメリアは、彼を自分の家――もちろん、王宮の中だが――にいつでも歓迎する、と言ってくれる。彼女の家に魅力的な女性を連れて行くことは、彼の姫君に対する態度を見せつける効果があるかもしれない。
しかし、ゼルガディスはその考えを放棄した。アメリアのところでセラピーを受けることは、アメリアが、自分はそのセラピーに必要なのだ、と受け取る可能性がある。
何にせよ、姫君とこの女医は友人なのだ。それだけで、このアイディアは実行に移すことはできない。
女医が提案した。
「あなたが旅の途中で立ち寄るところではいかが?そういう会見を設定することは可能ですよ」
「可能?」
「あなたが嫌でなければ」
ゼルガディスの表情が少し明るくなる。
「嫌だなんて? そんなことはない! そうなったら好都合だ。きっともっとくつろげるだろう。だが、あんたにとっては都合が悪いのじゃ?」
「全然。だって私は旅をするのが好きなんですもの」
彼女は嬉しそうに断言する。
ゼルガディスの鼓動が早くなった。
「旅が好き? 本当に? どれくらい旅をしている?」
彼女は肩をすくめ、髪を手でかきあげたが、すぐにかたまった房にひっかかっる。彼女はその房を指でくしけずった。
「思うほど多くは旅に出られないわ。ところで、次はいつどこで会えますか?」
それを決めるのはたやすい。
ゼルガディスはこれからの旅程に思考を集中する。
彼は普段、人間の身体を取り戻す方法を探して、目的地をその時々で変えるため、いくつかの目的地を系統だって検討することがなかった。そのためか、彼が最初にはじき出した町の名前は、あろうことか、彼が現在いるところだったりする。違う町の名前を模索し、彼が次に思いついたのは、距離もそれほど近からず遠からず、というところだった。
女医はすぐさま賛同し、その町でまず夕食を一緒に摂り、その後彼の部屋(もしくは彼女の部屋)で「公式の」カウンセリングを行うことに決定した。
「ではまたその時に。一週間のうちに会えるでしょう」
微笑を浮かべ、ゼルガディスは立ち上がると、テーブルの上の眼鏡の横に、金貨を一枚置いた。
「一週間以内に。ありがとう、ドクター・ソレス。あなたは思いやりがある方だ」
彼女は微笑み、片目をつぶってみせる。
「だからこそ、皆さんが私にお金を払ってくれるのです」
ゼルガディスは荷物をまとめ、最後の挨拶をし、扉を後ろ手に閉めて女医の事務所を後にした。
女医はゼルガディスの足音が玄関から消えるまで待ち、水晶球を取り上げた。
彼女が触れると水晶球は光り輝き、見つめる顔に薄い金色の光を浴びせ掛ける。
「うまくいったようですね」
彼女は水晶球に向かって言う。
光がほとばしり、消え去ると、先ほどまでゼルガディスが腰を下ろしていた椅子に、背の高い赤毛の男が、僧侶の錫杖を携えて座っていた。
彼は赤い服を身にまとっている。赤いズボンは赤いブーツに押し込まれ、上半身には赤いコートと赤いローブ。彼は錫杖を膝に横たえ、微笑んだ。
「さて、どれだけ長く彼を苦しめられると思う?」
コピー・レゾが平然と尋ねる。女医は水晶球を台座に戻した。
「私が望む限り。そのためにも、この香をもっといろいろな香りで調達しなくては。パターンを読まれたくはありませんから」
椅子に戻ったとたん、彼女の髪は金髪から黒髪に変わり、緑の瞳は紫色になる。
たちまち、彼女は「彼」になっていた。
抜け目のない笑いを口に浮かべながら、ゼロスは頭の後ろで手を組み、足を伸ばして足首を軽く重ねる。
「彼は彼女にまいるでしょうね」
コピー・レゾが顔をしかめる。
「それは重畳。たぶらかしておいて真実を暴けば、彼は気が狂うだろう」
「少なくとも、再起不能にはできますよ」
ゼロスはくすくすと笑う。
「ゼルガディスさんは、僕が彼を嫌っているのと同じくらい、僕のことを嫌っていますからね。彼はあなたが彼を狙っていることさえ知らない。おかげで計画を実行する時、あなたはだいぶ動きやすいでしょうね」
コピー・レゾはゼロスのポーズを真似して手を組み、足首をかさね、あくびをした。
「私は運がいい、実に簡単に事を運ぶことができる。これほど祖父を楽しませてくれる孫は、ざらにはいない。そうだろう?彼を今以上に精神的に追い詰めることはできないだろうか?」
「面白いですねぇ。自殺に追い込みましょうか?」
「手段は選ばない」
ゼロスが指を鳴らすと、ワインのビンと二個のグラスが二人の間に現れ、空中に浮かぶ。ひとりでにワインがグラスに注がれ、二人の手までグラスは宙を漂ってたどり着く。ビンは部屋の隅のアンティークなテーブルの上に着地して、お呼びが掛かるまでそこでおとなしくしている。
二人は彼らがあがめる邪悪な神と、すぐにでも訪れるゼルガディスの精神的破滅とに乾杯し、一息でワインを空けた。
「さて、コピーさん?」
ゼロスは片目をつぶり言う。その間にも、彼のグラスには、宙に浮いたビンから勝手にワインが注がれている。
「獣王様
(
訳者注2
)
の組織には、あなたのような人間にふさわしい地位があるんですけどねぇ」
コピー・レゾは謙虚に頭を下げてみせた。
「持ち上げてくれるものだね。何を考えている?」
* * * * * * * * * *
一方、セイルーンの王宮のアメリアの個室では、アメリアとリナ=インバースが水晶球を覗き込んでいた。二人とも、そこに映る光景に激怒している。
「あの連中!」
リナは怒鳴り散らし、水晶球に映っている二人に拳を震わせる。彼らは友人を破滅させようとしているのだ!
「いったい、何人のコピー・レゾを倒せばいいっていうのよ!」
歯軋りしながら、リナは吐き捨てた。
アメリアは鼻をすすっている。
リナとアメリアたちがコピー・レゾのコピー(ゼルいわく、レゾ3号)の存在を知ったのは三ヶ月前。しかし、調べたところ、それほど脅威ではないと分かり、害のないものと判断したのだ。結局、彼の名は「リナがこれから倒すかもしれない相手リスト」に記録されるにとどまった。
「どうして彼を倒さなかったんです、リナさん!?」
リナは目を丸くした。
「あたしが彼を倒す!? どうしていつもあたしがレゾを倒さなくちゃならないの? もうアイツと戦うのはうんざりよ! 今度はゼルにやらせなさい!」
「でも、ゼルガディスさんは、あれがコピー・レゾとゼロスだなんて知らないんですよ!」
アメリアは今にも泣き出しそうだ。
「わたしってば、なんてバカだったのかしら!? ドクター・ソレスをゼルガディスさんに勧めたのは私なんですよ! 彼女は友達だと思っていたのに! ゼルガディスさんに知らせなくちゃ! リナさん!」
リナはもう出口に向かっていた。アメリアは水晶球をつかみ、ベルトの留め金に押し込むとリナの後を追った。
「確かに、彼には警告しなくちゃならないわ」
王宮の正面玄関へ下りる螺旋階段を駆け下りながら、リナは怒鳴るように言う。
「そしてまたレゾを倒さなくちゃならないことも事実! おまけにゼロスですって? 油断のならないヤツ! 『それは秘密です』ってもうたくさん! その秘密とやらを吐き出させてやろうじゃないの、スットコ神官! 目に物見せてやる! そのそっ首洗って待っていらっしゃい!」
相変わらず悪態を並べ立てながら、リナは、夕食後の一眠りに就いていたガウリイをベッドから引きずり出した。そのまま王宮を出て、ゼルガディスがセラピストと次に会う予定の町への道を急ぐ。彼がそこに着く前に追いつき、進行中の陰謀について告げるつもりなのだ。
セラピーの様子を覗き見されたと知ったら、彼がどれほど激怒するか、ということは思い浮かばない。たとえ彼に会う前にそこに思いがいたっても、気にするリナではない。彼女が知ったばかりの、欺瞞に満ちた計略の悪辣さに比べたら、ゼルガディスがこうむるプライドの傷などはるかに小さい。
「おおい、いったい何がどうなっているんだぁ?」
ガウリイがリナに引きずられながら、途方にくれたという態で尋ねる。リナは彼の右手首を掴んだまま、引っ張っていたのだ。
アメリアはガウリイの横で、目的意識に満ちた足取りで歩いている。そう、これは彼女にとって重大な使命を帯びた旅になる。
ガウリイには自分の足で歩かせた方が、女の足で引きずって行くよりは早い。そう考えてリナはガウリイの手を放す。
ガウリイはまた叫んだ。
「どこへ行くんだよ? リナ、教えてくれ!」
立ち止まることなく、彼女は見聞きした胸の悪くなる話を彼に告げた。
「おいおい、どうしてゼルのことを覗き見したりしたんだよ? 悪いじゃないか」
リナは振り返り、流れるような動作でガウリイを一発ひっぱたく。そして、また歩き始める。
「このくらげ! 今更そんなこと言っても意味ないわよ! 覗き見していたからこそ、ヤツラの計略に気づいたんじゃない! ゼルは、彼を精神的に追い詰めようって魂胆で、ゼロスとコピー・レゾが張り巡らしている計略のことは何も知らないのよ? このままじゃ彼は『理想の女性』と恋に落ちて、そして彼女が実はゼロスの変装だったことを見せつけられる! そうなったら、彼がどれほどショックを受けると思うの!?」
「ちょっと! 彼の『理想の女性』っていえば、わたしのことですよね? わたしはゼロスじゃありません!」
アメリアが反論する。
ガウリイとリナは立ち止まり、アメリアにしらけた視線を送った。
「ちゃんとものを見据えなさいよ、アメリア! あなたは彼にとっては友達よ。彼はあなたに恋していない。だから、恋人の幻は忘れなさい! そして泣かないの!」
アメリアは言われたとおり、すすり泣くのをこらえた。
「……でも」
「でも、じゃない! ゼルガディスがあの女とグレニッチで会う前に追いつかなくちゃいけないの! 彼に警告するんでしょ!? だったら黙って走る!」
「あの……リナさん?」
アメリアがおずおずと声をかける。
「何よ!」
「わたし、馬を調達できるんですけど……」
きききききぃぃぃぃぃぃっ!
アメリアとガウリイはリナの背中に激突する。
「馬?」
リナは自分の額をぴしゃりと叩いた。
「それよ!」
彼女は方向転換して、猛烈なスピードで王宮へ目指して駆け戻り始める。アメリアとガウリイを踏んづけて行ったがお構いなしだ。
アメリアとガウリイは目を丸くして後を追う。
「きっとまた『のうたりん』とか言われるんだろうな〜」
ガウリイがぼそっとつぶやく。
「ガウリイさんが馬のことを思いつけば良かったですね?」
「二人ともお黙んなさ〜い!」
彼らは驚いて顔を見合わせた。
「どうしてリナさんにわたしたちの会話が聞こえるの?」
「おお、怖い」
アメリアは面食らい、ガウリイは賞賛の口笛を鳴らした。
* * * * * * * * * *
「お前はこの計画がうまく行く、と確信しているのね?」
獣王は、親指にともした火からタバコに火をつけながら、滑らかな声で言った。
指に火をともすことなど子供だましの技だが、彼女はこれが好きだった。一息タバコを吸い込み、紫煙を鼻から吐き出す。
ゼロスは上司に面する椅子に腰掛けている。彼らの間に横たわる大きな円形の穴には、炎が赤々と燃えていた。彼は、その火でつま先を暖めるように足を投げ出している。ブーツもマントも脱ぎ、シャツの襟を緩め、ハチミツ入りのワインを注いだ銀のグラスを大事そうに抱えて。
「僕はゼルガディスさんの理想の女性を演じました、我が王よ。彼はきっと、僕が演じる女性を恋するでしょう。そして彼がその恋を実らせるべく行動を起こしたその時、僕はその女性が実は僕であったことを暴いてみせます。
彼はこれまで、十分に精神的に追い込まれています。彼が事実を知ったら、きっと発狂するでしょう」
獣王はタバコの灰を一つ落とし、また一息吸う。煙と一緒に、彼女は言葉を吐き出した。
「それで?彼の精神をずたずたにしておいて、それでどうする、と?」
ゼロスは目を閉じ笑みを浮かべる。
「殺します」
ゼラス・メタリオムは物思いにふけりながら唇をなめた。
「お馬鹿さん」
「えっ?」
ゼロスは目を開き、いずまいを正す。獣王のにべもない言いようは、自信があった彼の計画にとって予想外のことだ。
「申し訳ありませんが、どういう意味でございましょう? 我が王よ」
「利用しなさい。彼を我々の手下とするのです。レゾがゼルガディスの岩の身体にしかけた、術者の意志に従わせる呪文は生きているはず。その使い方を知っている者がいれば……たとえばコピー・レゾ……」
獣王の声には猫が喉を鳴らすような響きがある。
「なるほど、それから先はどうなりますでしょう?」
ゼロスは椅子の背にもたれ、ワインを注ぎ足した。
ゼラス・メタリオムはタバコの吸殻を足元の炉に投げ込み、次の一本に火をともす。計略を巡らせる時は普段よりもタバコの本数が増える。
「合成獣
(キメラ)
は強力な存在だわ。おまけにこの合成獣は精霊魔法の達人ときている。三分の一は邪妖精
(デーモン)
でもあることだし
(
訳者注3
)
、彼を我々の側に引き込むことはたやすいでしょうよ。彼はリナ=インバースの友人だから、彼がこちらに寝返れば彼女に影響を与えるだろうし、また、彼はセイルーンの王宮でも顔が知られている。セイルーンといえば、このあたりでは最も有力な都市の一つ」
ゼロスはにやりと笑う。
「セイルーンの姫君は自分に恋をしている、と彼が言っていました」
「いい情報だこと」
獣王は、喉から鼻腔にかけてちりちりと燃える感覚を楽しみながら、煙を鼻から吐き出した。
「彼を誘惑するのよ、ゼロス。なんなら一度や二度、彼と寝たって構わない。彼の精神を打ち砕き、彼を我々の手下にしなさい。コピー・レゾがゼルガディスを操る呪文についてどれほど知っているのか調べ、我々がその知識をどのように使えるのかを検討しなさい。もし彼が我々に寝返らない、と分かった場合にのみ、お前は彼を殺してもいい」
ゼロスは顔を引きつらせた。
「僕が彼と? 寝る? 我が王よ、彼は僕の好みではありませんが」
ゼロスの言葉に対し獣王が見せた表情は、ゼロスの抵抗をしおれさせるに十分だった。
「お言葉のままに、我が王よ」
彼は惨めなため息とともにそう言わざるを得なかった。
* * * * * * * * * *
ゼルガディスは街道から少し離れ、樫の木の根元でしばらく休息を取ることにした。日の出から歩き通しでもう昼過ぎである。
ゼルは水を入れた皮袋を取り出して水を飲み、手で口を拭くと皮袋の口を閉めた。
樫の木の太い幹に背中をもたせかけ、目を閉じると、いつのまにか彼の思考は前夜のできごととドクター・ソレスにたどり着く。
彼女は信じられないくらい──特に、アノ(悪い意味ではない)アメリア姫の友人であるという点では信じられないくらい──に理想的だ。
古風で知的な趣味を持つ魔道士であり、旅を好む。そして美しい。
その時、ゼルガディスの頭に、彼女のファースト・ネームさえ知らない、ということがひらめいた。彼女は「ドクター・ソレス」とだけ名乗ったし、その名前は、アメリアが前もって彼にセラピーを勧めた時に聞いたから知っていた。
ゼルガディスは、今度グレニッチで彼女に会った時、名前を尋ねよう、と心に留めた。
彼は彼女について尋ねたかった(自分の個人的な情報と引き換え、ということで)。
彼女の研究、年齢、出生地、どこで勉強したのか? そして、彼女はどのようにしてアメリアと友人になったのか……あの姫君はドクターと共通するところは何もないように思える。
アメリアはドクター・ソレスが優れたセラピストだということを、彼女自身の経験から知っているのかもしれない。アメリアは自信たっぷりの様子だったたから。
ゼルガディスは、ドクター・ソレスがうなじで髪をまとめていた櫛を引き抜いた時、その肩に落ちた髪のありさまを思い出していた。
蝋燭の灯を受けてその髪は、それ自体が輝いているかのようにきらきらした。そして彼女の瞳──珍しい暗い緑、黒に近く、ちょうど森の木陰を思わせる。
彼は心に彼女の声を聞いていた──柔らかく、低く、喉を鳴らすような声。
ふいに自分の妄想に気づき、ゼルガディスは頭を振ってバカな考えを叩き出す。
俺はなんてことを考えている? 彼女は自分に好意を抱くどころか、迷惑に思うに違いない。第一、ああいうタイプの女性が、自分のような異形の者に好意を寄せるはずがない。
苦々しく戒める。どうやら自分に好意を持つのは、アメリアのような変わり者か、本当は男、というヤツだけらしい。
ドクター・ソレスも女装しているなんてことはあるか? いや、彼女はゼルガディスが「そいつは男だった」と言った時「それは残念でしたね」と言っていたし、女らしい曲線だった……
「もうやめろ!」
ゼルガディスは自分自身に腹立たしく言い放つ。
「あれは仕事だ。個人的な交際じゃない。そんなことはあり得ない!」
怒りのあまり、彼の心は暗澹とした冷たい沼底に沈まんばかりに落ち込んだ。
岩でできた男を、どんな女が望むと言う?
ゼルガディスはしばらく考え込み、ゼロス流のこじつけを考えてみて少し希望が湧き、そしてまた憂鬱に落ち込んでいく。しかし、数秒の後、マルチナがリナについて言っていたジョークを思い出し、彼はくっくっと笑った。
「『いっつも頑固なんだから
(
訳者注4
)
』……別の意味にも取れるな」
もちろん、リナはその後マルチナを張り倒した。
そのなんてことはないジョークに少し気が張れ、ゼルガディスは立ち上がって街道に戻り、また旅路をたどり始めた。
「ふっ、『いつも頑固……いつも固い』ね……」
* * * * * * * * * *
コピー・レゾ(レゾ3号)は、指で自分の顎を叩いていた。
たった今、水晶球で遠視して判明した問題について考え込んでいたのだ。
彼はゼルガディスの仲間が(リナ=インバースでさえ)、これほど詮索好きだとは思っていなかった。
いわば、計画は露見したのだ、自分たちのミスによって。
しかし、まだ駄目になったわけではない。
旅人に事故はつき物だ。特に、道を急いでいる者、気がかりを抱えている者は、道にあいた落とし穴を見落としがちだ。トロルがいいか、狂戦士
(バーサーカー)
か、それとも野生の猛獣がいいか?
そんなことを考えている彼は、まさに油断のならないクローン魔道士である。
彼は光球を生み出し、それに向かって何が起きたか、自分がどうするつもりかをそれに告げ、ゼロスに送信する。
コピー・レゾは待った。
あくびをし、のびをしてから、退屈そうに水晶球に指で円を描いていた。ため息。
「彼らが我々の計画を覗き見していたと?」
「なんでまたこんなに時間がかかったのかね?」
コピー・レゾは何気なく尋ねた。
ゼロスはいらいらと腕組みをする。
彼はまだ、上司から命じられた、ゼルガディスと寝る、という職務に苛立っていた。
時々、あの上司は自らの異常な妄想をゼロスにやらせることで満足しているのではないか、とさえ思う。
「リナさんが詮索好きなことは承知していますが、これはちょっと予定外ですね」
コピー・レゾは片方の眉を跳ね上げ、顔をしかめた。
「誰か君のオートミールに小便でもしたのかね?
(
訳者注5
)
」
ゼロスはコピー・レゾに鋭い視線を射掛け、コピー・レゾはさえぎるように手を挙げた。
「冗談だ。勘弁してくれ」
「あなたは、彼らの行く手を邪魔したい、と言うんですね?」
ゼロスは不機嫌そうに問い掛ける。
「いいでしょう、ご自由に。ただし、リナさんは殺さないこと。彼女はまだ、L様にとって役立つ存在でしょうから。僕たちとしては彼女にこの件に関わってもらいたくありません。この計画が完了するまで、彼女とそのお仲間には近づかないでいてもらいましょう。 それで思い出したんですけれど。計画の基本的なところで若干の変更があるんです」
ゼロスが詳細を話すと、コピー・レゾは爆笑した。
「本当にそんなことをやらされるのか? いったいどんなドジで主人を怒らせた? それはその報いなんだろう? ゼルガディスと寝ろ、などと命じられるなんて!」
ゼロスはコピー・レゾがこれほど笑い転げる、そのおかしさが理解できなかった。いきり立ち、レゾに電撃をお見舞いするが、レゾは身をかわしながらなおも笑う。
「おやおや! 考えてもごらん、ゼロス? 彼ほどまたがるにいい男はいない! だって彼は(くすくす)いつだって固いだろう? わっはははは! …ぐぅっ!」
ゼロスは拳を引いて、床に崩れ落ちたコピー・レゾを満足そうに眺めた。
コピー・レゾは身体を二つに折り、両手で急所を押さえ、耐えがたい苦痛に身悶えしている。魔族は満足の笑みを浮かべながら手を払い、コピー・レゾのももにおまけのひと蹴りをくらわせた。
「僕を侮ると怖いですよ。今度の計画であなたはいなくてもいいんです。ただ、僕がちょこっと心を広くしてあなたの参加を許しているだけ、なんですからね。そんなもの、すぐに変わってしまう」
コピー・レゾはまだ自分の身体を押さえたまま転がって、ゼロスをやぶにらみに見上げ、声を絞り出す。
「この……私生児野郎」
「その表現は間違っています」
ゼロスはわざと間延びさせて答えた。
「僕は作られたのであって、両親はありませんから」
魔族はそう言って、コピー・レゾに退室の合図を手で送る。
「リナさんとその仲間たちに、何でもおやりなさい。ただし、リナさんを殺してはならない。もし彼女が死んだりしたら、金色の魔王
(ロード・オブ・ナイトメア)
があなたの失敗を見逃さない、と思い知ることになりますよ。僕がそれを思い知らせてあげます」
そう言うと、ゼロスは姿を消した。
「くそったれ!」
* * * * * * * * * *
「リナ!馬を休ませないと死んじまうぞ!」
ガウリイが叫んだ。その言葉に従い、彼自身、馬を川の流れに向かわせる。
全身汗びっしょりになった哀れな動物は、冷たい流れに鼻面を突っ込み、むさぼるように水を飲んだ。
アメリアもガウリイに並びかけ、馬を休ませて水を飲ませる。
「ゼルガディスさんは大丈夫ですよ、リナさん。ここで休みましょう。わたしたちは丸一日馬を走らせたし、ゼロスたちがそれ以上速いことはないでしょう。ここで休まないと」
アメリアとガウリイの言葉に同調するように、リナの馬がよろめいた。とうとう、リナもしぶしぶ馬の向きを変え、小川に連れて行って水を飲ませた。
「出発できるようになるまで、どれくらいの時間休ませたらいい?」
リナはせかせかとアメリアに尋ねる。
姫君は馬を降り、汗にまみれた馬の首を軽く叩いた。
「少なくとも一時間は休ませないと、リナさん。それでもゼルガディスさんには追いつけますよ。だって、彼は足で歩いているのに、わたしたちは馬に乗っているんですから」
リナは鞍から滑り降り、馬の横の草の上にどっかりと腰を下ろす。
「彼があの女医にまた会える、と興奮しない限り、ね。もしそうなったら、彼は丸一日だって走るでしょうよ」
「それでも大丈夫じゃないか?」
ガウリイがリナの横に腰を下ろしながら言った。
「ゼルはあと一週間は彼女に会わないんだろう? もしゼルが俺たちより先にグレニッチにたどり着いたとしても、俺たちの方が女医よりは早く着く。そして何がどうなっているのか、彼に告げればいい」
ガウリイは草の上に寝転んで、空をよぎっていく雲を眺めた。彼らはセイルーンからずっと馬を飛ばし、食事と馬を休める時以外は走りどおしだった。
グレニッチには東のセイルーンから歩いて一週間かかる。ゼルが居た南のティメロンからもグレニッチには同じ位かかる。馬に乗って行けば、彼らはゼルガディスをグレニッチで捕まえられるだろう。リナが、ゼルガディスに警告することばかり考えて、馬を酷使しない限り。
リナはため息をついて寝そべった。
「心配なのよ」
つぶやくように言う。
「彼は夢中になってる。ゼロスは本当に、ゼルの考える完璧な女性を演じてみせていたんじゃないか、ってね。アメリア、反論しないでね」
「別に何も言いません」
アメリアはリナとガウリイに並んで腰を下ろしながらつぶやいた。
彼女は、ゼルガディスが彼女に関心がない、という話をやめてもらいたかった。辛い。
彼はアメリアに、彼女のどこが物足りない、などとは言わなかった。リナとガウリイ
が本当のことを言っている、とさえ思えない。
アメリアは時々、リナはゼルガディスとアメリアを引き離すために、いろいろなことを言っているんじゃないか、と感じる。リナがガウリイに好意を持っていることを知らなかったら、アメリアは彼女がゼルを惹きつけようとしている、と思ったことだろう。
リナは続けた。
「ゼロスが約束より早くグレニッチに行ったとしたら?」
「そん時はぶちのめすだけさ!」
ガウリイが言う。それと同時にアメリアも。
「それでもわたしたちはゼルガディスさんに本当のことを伝えられますよ! 彼はわたしたちの言うことを信じてくれるはずです!」
リナは頬杖をついて、ガウリイの胸越しにアメリアを見つめた。
「ゼロスと戦うつもり? あいつの力はかなりのもんよ」
「でもリナさんは金色の魔王
(ロード・オブ・ナイトメア)
の呪文を使えるじゃないですか!」
アメリアが反論する。
「金色の魔王
(ロード・オブ・ナイトメア)
はゼロスより強いし、リナさんのこと気に入ってくれてるんでしょう?」
リナは顔をしかめた。
「いったいどこをどうつついたら、金色の魔王
(ロード・オブ・ナイトメア)
があたしを気に入ってる、なんて話になるのよ? 金色の魔王は一度あたしを支配し、フィブリゾとガーヴを倒したわ
(
訳者注6
)
。その後、あたしは虚無に呑みこまれて分解されるところだったのよ! あの時、ガウリイが追いかけて来なかったら、あたしは死んでいた」
リナは言いながら、アメリアの目の届かないところでガウリイの手を握っていた。ガウリイが握り返し、リナは少し落ち着いた。
「たとえ金色の魔王の力を借りたくても、おいそれとはできないわ、アメリア。危険過ぎる」
「でもゼルガディスさんのためです!」
アメリアも身を起こし、リナの目と向き合う。リナは悲しげにため息を漏らした。
「彼は仲間だし、彼のために命を惜しむことはないわ。でもね、今度ばかりはその必要はないでしょうよ。あなたの言うとおり、ゼルガディスはあたしたちの言うことを信じるでしょう。あたしはただ心配なだけ。だって彼はこのところ、いつもよりも不幸な状況が続いているから、何か馬鹿なことをするんじゃないか、と思っているのよ」
「ゼルガディス(さん)が?」
アメリアとガウリイが同時に叫んだ。ガウリイはさらに。
「まさか!あいつが馬鹿なことなんてするはずないだろう?」
アメリアははにかむように頭をすくめて言った。
「レゾに力を求めたこと以外には……」
「自分の祖父だか何だかが、自分を合成獣にするなんて、どうやったら分かったっていうのよ?」
リナは反撃するが、すぐにアメリアに同情的になる。
「でもね、確かに、分を超えて欲張ったり、魔道を扱う人間として当然の修行の時間を惜しむってことは、馬鹿な真似だと思うわ。どんなに取るに足りない呪文でも、それなりの代価が必要なのよ。宇宙全体がバランスを求めているから」
アメリアはうなずき仰向けに寝そべって、ガウリイがまた、魔法についてトンチンカンな質問をするのを期待したが、彼は何も言わなかった。
アメリアがガウリイを覗き込むと、リナの講義に退屈したのだろう、彼はすっかり眠っていた。これもまた、この長身の剣士にはよくあることだ。そして今回ばかりは、リナも気にしていないようである。
アメリアは、金色の魔王
(ロード・オブ・ナイトメア)
の呪文に関して、リナの言い分が正しいと思い当たった。
もっと弱い呪文を唱えるのとは訳が違う。L様は魔王の中の魔王なのだ。
アメリアは始め、L様がリナを気に入っている、という考えは天の恵みと思っていたのだが、そうではない。
そのような存在の力を使うことは、それなりの代償が要る。リナがこれまで神滅斬
(ラグナ・ブレード)
や重破斬
(ギガ・スレイブ)
を使って来て、その代償を払い終えているかというと疑問だ。彼女が金色の魔王の力を使いたがらないのも仕方がない!
あれほど強大な魔王の力を導くとはどういうことなのか、想像もつかないだけではなく、正直なところ、アメリア自身そんなことをしたいとは思わなかった。
彼女はため息をついて目を閉じた。リナとガウリイの二人をしばらく休ませてやろう。しかし、その時アメリア自身も眠っていた。
* * * * * * * * * *
コピー・レゾは馬を小川からおびき寄せ、にやりと笑った。やって来た三頭の中の一頭、ガウリイが乗っていた牡馬にまたがり、残りの馬の手綱を手繰り寄せる。そして、自分の馬のわき腹に踵で蹴りを入れると、一散に駆け出した。
「なんてことはない!」
コピー・レゾは自賛した。
「実に簡単に……何っ!」
閃光と雷が空から降って来て、彼の目の前の地面に炸裂する。
恐怖にいなないて、コピー・レゾの乗った馬が棒立ちになり、彼は持っていた他の二頭の手綱をもぎ取られ、地面に振り落とされた。
「誰だ?!」
コピー・レゾは片膝立ちになり、攻撃呪文を唱える。
「ここよ! お馬鹿さん!」
突然掛けられた声に驚いて振り返り、バランスを失ってコピー・レゾは尻餅をついた。その目の前にリナ=インバースが立っている。
「お前は? だが、なぜ? お前たちには眠りの術をかけたのに!」
リナはその返事の代わりに、ばさりと髪を振ってみせる。ガウリイとアメリアが、彼女の後ろから駆けつけて来るのが見える。姫君は、今にも正義の演説を始めようかという、強いオーラを放っているほどだ。
最初に言葉を発したのはリナだった。
「冗談じゃないわよ! そんな安っぽい呪文でやられるとでも思った? どうせ何かしかけてくるだろうと思って警戒していたのよ!」
ざっ!
リナはかかとで土を蹴り、地面に尻餅をついたままのコピー・レゾに意地の悪い笑みを見せた。
「覚悟はいい?」
「火炎球
(ファイアー・ボール)
!」
リナが放った光球を、コピー・レゾは転がってよけた。地面でバウンドした光球が
(
訳者注7
)
、リナに向かって飛んだが、彼女はこれをジャンプしてよけ、続けざまに炎の矢
(フレア・アロー)
を放つ。コピー・レゾはごろごろと転がってこれをよけようとした。
リナの炎の矢の合間に、アメリアが火炎球をお見舞いする。
「わたしのゼルガディスさんをたぶらかそうなどという邪悪な計画を、邪魔されないと思ったら大間違いです!」
アメリアが叫ぶ。
「あなたの邪悪なパートナー、獣神官ゼロスにもその報いがあるでしょう!」
「そうとも!」
ガウリイが吠え掛かる。彼は剣を抜き、いつでも飛び出せるように身構えながらも、呪文に巻き込まれない位置にいる。
「貴様を黒焦げにしてやるぞ! この赤いウジ虫め! リナ、アメリア、やっちまえ!」 その刹那。
真紅の閃光とともに、コピー・レゾの姿が消え失せた。
「ちくしょう!」
光に目を灼
(や)
かれ、激しく瞬きしながらリナが吐き捨てた。
アメリアが怒鳴りたてる。
「戻って来なさい! 害虫にふさわしい末路を迎えさせてあげるわ、この変質者! できそこないのコピーのコピー! 正義の鉄槌があなたに下るのよ! そしてあなたの、おぞましい、ゲスな仲間も一緒に打ち砕かれるがいい!」
彼女はびしっ!と空を指差し、お得意のポーズを決める。
「わたしたちは、ここに宣言します!ゼルガディスさんに真実を知らせ、ゼロスが化けたあばずれ女にもてあそばれて狂うのを阻止して救い出すまで、けして手を緩めないことを!」
彼女は胸に両手を押し当て、泣きじゃくる。
「ああ、あの女
(ひと)
――見せかけだけの友人だったなんて! 彼女の狡猾な嘘に騙されて来たなんて! そして今また、わたしの愛しい人が、彼女の邪悪な罠にかかろうとしている!」
アメリアはぐっとこぶしを握り締めた。
「見ていらっしゃい! あなたたちの計画を阻止し、ゼルガディスさんの心が救われるまで、わたしたちを止めることはできないのよ!」
リナとガウリイは、ぽかんと口をあけ、互いの顔を見合わせた。ガウリイなぞ、剣を取り落としそうにさえなっている。
「英雄劇の女王様だなぁ……」
「オペラでも書くつもりじゃないのぉ?」
ガウリイのつぶやきに、リナはため息交じりに答えた。
散り散りになった馬を呼び寄せる呪文を詠唱しながら、アメリアは二人を蹴散らして走り出す。
三頭の馬がまた集まって来ると、彼女は自分の馬にまたがり、仲間に「分かっているでしょう?」という視線を向けた。
ここでリアクションが遅れたら、またぞろ演説を聞かされかねない、と、ガウリイとリナは慌ててそれぞれの馬にまたがる。
無言のまま、アメリアは馬の腹を蹴って早足から全力疾走へと促す。リナとガウリイは、うなずきあい、自分たちの馬をアメリアに追いつかせようと急がせた。
訳者注1
「魔獣ザナッファー」=原文では"Dark Lord Zanaffer"。筆者はザナッファーを、シャブラニグドゥ同様の強力な魔族だと思っているらしい。ほかにも、フィブリゾ、ゼラス・メタリオムらを魔王シャブラニグドゥとは独立した邪悪な存在だと捕らえているふしがある。
訳者注2
「獣王」=原文では"Beast Master"。アメリカでスレイヤーズがどのように紹介されているが分からないが、この創作小説の中では獣王は、原作でおなじみの「グレーター・ビースト」ではなく"Beast Master"と称される。
訳者注3
「邪妖精でもあることだし」=海外ではゼルは邪妖精との合成獣、とは紹介されていない。demonとの合成獣、となっており、demonは魔族にも使われているため、英語圏ではゼルは1/3魔族と信じられている。
訳者注4
「いつも頑固」=原文では"Always hard"。"hard"という単語は態度の頑固さのほかに物質的な硬さも意味する。ゼルガディスは岩の肌で全身を覆われているため、いつも硬い、セックスに支障がない、という冗談に転じる。
訳者注5
「オートミールに小便でもしたのか」=これは直訳だが、「小便をする」という動詞 peeを使った慣用句に、pee off(怒った)というのがある。それをふまえた表現で、何にイライラしている?という質問を下品にした表現。
訳者注6
「フィブリゾとガーヴを倒した」=リナがフィブリゾに重破斬を使ったこととガーヴに神滅斬を使ったことを指すと見られる。ご存知の通り、ガーヴを倒したのは、実際はフィブリゾである。
訳者注7
「地面でバウンドした光球」=火炎球は一度何かにぶつかった時点で爆発を起こすのだが、この作者はそれを知らなかったようだ。アニメを見ただけでは呪文の細かい性質までは分からないので無理もないだろう。また、この後に出てくる炎の矢も、一度に一本しか放てないアニメ・バージョンである。
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