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Cooking / 米
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米のおいしい炊き方説明サイトに対する怒り 2005/1/11

Cooking/米 のバージョン3において
少し書いたが、どうにもおさまらないのでこっちにかなり書いておこう。
「米の炊き方」だの「御飯の炊き方」だのでぐぐってみると(ぐぐる=Googleで検索すること)、たぶん読者がこの稿を読んでいる“現時点”がいつであれ、怒濤のごとき検索結果が現れることだろうと思う。それほど米は日本人の関心事であり、炊き方を工夫しよう/工夫の結果を皆に見せよう、という意識がある。アマチュアもいればプロもおり、炊飯何十年のベテランだの、米のことなら任せろな農家だの、とにかく言いたい方達が大勢居る。それは大変結構なことだ。

だが、だ。そのことごとくが、どいつもこいつも結果だけ言い放って

理由を一切説明せんとは
どーゆーわけだぁっ!?

それら、あまりにも断定的な物言いに、何度読んでも私は怒りを感じてしまう。どうでもええと見逃すべきなのだが、感じてしまうものはどうしようもない。

彼らの感覚はおそらく、自分がそれなりに工夫し、おいしく炊けた御飯を食べ、それを他の多くの人に知らせて皆においしく御飯を食べてもらおう、という善意・好意であるに違いない。うん、きっとそうだ。そうじゃない人もそういうことにしておこう。それはいい。最近では主婦ですら御飯を炊けない人も出てきているというし、おいしい御飯を炊こうという意識すらなく、ちょっとの工夫でおいしくなるのに、ただ適当に米を水で攪拌し、適当に水を入れ、「こんなもんだ」と思いながらまずい飯を食っているとすれば、できりゃこうしようよ、と言いたくなる気持ちもわからんではない。是非ともおいしい炊き方を普及させ、日本人の米の文化を守る一助としていただきたい。

しかしだ。それらのサイトの文章をよく見てみよう。もう、ことごとく、と言っていい。みなさん一様に自信を持ち、堂々とHow toを書き連ね、そのあまりのおいしさを賛美している。してその根拠は何かというと、

自分が食べておいしかったから

そりゃないだろう。味覚なんざ人それぞれ、飯の用途もそれぞれ。相対的にうまい/まずいはあるとしても、書いてあるその炊き方をしてさえいれば、今これを読んでいるあなたの御飯より

絶対においしいからやってみて

と言わんばかりではないか。
研ぐ時には「乾燥した米は水を吸いやすいから」といきなり結論が出てくる。乾燥していても湿っていても、水は必ず吸う。どちらにせよぬか水は吸ってはならず、きれいな水は吸ってもよい。乾燥した米が湿った米に対してどれぐらい吸いやすいのか、なぜ吸いやすいのか、ぬかがついていたらどうか、等々、速攻で出てくる疑問は完全に無視される。
「米は水につけましょう」「ざるに上げましょう」「乾燥させるとひび割れます」「表面がひび割れるので丁度よいやわらかさになります」、これらいきなり出てくる断定的な相反する結論には読者の好みや意見の入る余地はない。方法論だけで理由が一切書かれていないから、読者が自分で判断することもできない。
つまり、おまえらのやり方は完全に間違いであり、とにかく言うとおりにすればおいしくなるんだからやってみろ、ということではないのかなこれは。絶対においしいですから と言い切った部分に至っては、もう自画自賛的排他意識が垣間見える。

それで、100%合っているなら文句はない。書いていることは全部正しく、言うとおりにしさえすれば、誰でもが必ず最上のおいしさを味わえるのならば。しかし、一読しただけでこれらサイトは容易に馬脚を現す。炊飯器で炊きあがったら蒸らしのために10分待ちましょう、だ。はぁ。君らは一度でも象印タイガーのWEB SITEを見たのかね。ちらっとでも電気店の店員に聞いたかね。炊飯器とはまさに炊飯のための機械であり、炊飯とは蒸らしまでやって完了する。いまどき、

蒸らしをしない炊飯器が
いったいどこにあるというんだ

今やどこにでも書いてある。炊飯器で炊飯が完了したら、蒸らしは終わっているからすぐに蓋を開けて余分な蒸気を飛ばせ、と。炊飯中の蒸気は全て弁によって放出されているから、圧力がないと外へなかなか出て行かない。炊飯完了時の余剰蒸気の放出は圧倒的に蓋を開けることにより為されるのだ。ちょっと読めばわかることじゃないか。せめてそれぐらい調べてから書けないものか。その程度の手間すら惜しんで、自分だけがおいしいと思っているその蒸らしすぎた「まずい飯」を、なぜそれほど堂々とWEBに書けるんだね。

メーカーページに書いてあることすら調べないもんだから、まして米の研ぎ方・吸水の仕方など、ほとんど調べてない。工夫はしているだろうが、あくまでそれは自分にとっての相対的方法である。そらおいしかろう、以前自分が食べていた御飯と比べたら。技術は磨かれ、器具は洗練され、御飯は確かにうまくなっている。何をどうしたらうまくなったかもわかっている。そりゃ結構なことだ。しかしだな、それを公にして皆に教えようとする以上は、せめて

最低限の事ぐらい調べてから

書いたらどうか、そしてそれを(自分なりにでかまわんから)説明したらどうか、と思う。
書かれたものが、結果的に正しいか間違っているかは、実はどうでもいい。読んだ者がそれを実行し、おいしく思えばやればいいし、まずいと思えばやらなきゃいいだけの話だ。プロなら名誉がかかっているが、アマチュアなら何の責任もない。こうやったら私にはおいしかったのよ〜、と書くには何の問題もない。読む人が参考にするかどうかは読む人次第だから。ほほえましく読み、おいしく御飯が食べられたWEBマスターに微笑み、自分でやってみるかどうかを楽しく考えればいいことだ。

でもさ。読んでいると、あなたがた明らかにやり方を勧めているでしょうが。それは、自分のやり方が正しいって前提がまずあって、そして読んでいる人の多くが間違っているという前提がいるでしょうに。もう有り体に言ってしまえば、

君たちは絶対に知らないだろうけど、
私が見つけたこの炊き方をするとおいしいんだよ。
まずい飯食べてないでやってみたら?

と書いているのと同じことじゃないか?
そして、そこまで傲慢に書いていながら、何の説明もせず、調べもせず、時には間違ったことをも断定的に書くから、私はどうにも

腹が立ってくるのだ

自分のやり方が間違っている可能性を考えるなら、自分の行動の説明をちゃんとして読者に判断させるか、あくまで一方法として紹介するのが筋じゃないのか、と思う。私は、私のやり方及び考察が絶対に正しいとは思えない。現に考察結果は変わっていっているし、新たな事実が明らかになるたびに考察の間違いに気づく。いま食べている御飯が最上の出来であるとはとても思えず、所詮は自分における相対的な向上でしかない。だが、その過程をしっかり書いておけば、これを読む人が(分析の誤りや意見の相違があったとしても)少しでも参考にできるし、間違っているところがあれば読者自身が修正できる。だから私は書いている。


いま特に腹が立っているのが、鍋派である。これは2派に別れる。「鍋の方が炊飯器より楽だし〜の点でやりやすい」という派は、自分にとっての利便性を追求しているので、誠に結構、何も反対すべき事はない。それでおいしければ、皆様に幸あれ、である。
問題はもう一派、すなわち「炊飯器より鍋で炊く方が絶対おいしい」派だ。曰く、「炊飯器にはできない高圧力で一気に炊きあげるから」「微調整が効くから」「おこげができるから」等々と書いてあるが、なぜ高圧力で炊くとおいしく炊けるのか、そもそもなぜ炊飯器より鍋の方がうまいのか。その理由をちゃんと書いてあるサイトを、未だかつて


私は一度も見たことがない


彼ら(のおそらくほとんど)は、炊飯器で限界までおいしさを追求したこともなく、鍋で炊いてみたら今までよりもおいしかったから高圧力のせいなんだろうと漠然と思っているだけに過ぎないんじゃないのか? そしてやっぱり根拠は、自分が食べておいしかったから、だけなんじゃないのか? だったら自分でおいしく食べていりゃいいじゃないか。なんでわざわざサイトに書くんだ。断定的に。鍋で御飯を炊いている自分を

自慢したいのか!?

いいだろう。だったら私は検証してみる。本当に炊飯器は鍋に劣っているのか。鍋で炊けば本当にうまくなるのか。炊飯器は絶対に鍋に勝てないのか。炊飯器が鍋に勝つ方法はないのか。
いつになるかはまだわからないが、優れた炊飯器を作り続けている多くの技術者の名誉のために、必ず決着をつけてみよう。

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