No.009
「実感」ではなく「体感」したい
2000.12.26
text by RB(あーるびー)

 

 

今年も残りあとわずか。同時にそれは20世紀の終焉をも意味している。

近頃、本屋に立ち寄ると「20世紀」という冠がタイトルに付けられた、今世紀100年のスポーツの歴史を振り返るという趣旨の本や雑誌(主に雑誌であるが)がやたらと目に付く。これも、金メダルを取ったと同時に各出版社から高橋尚子絡みの書籍が続々と発売されたのと同様、世間の盛り上がりに便乗して売り上げを伸ばそうとする出版社の思惑が如実に表れた結果そのものである。しかし、私はどうにもそれらを買おうとまでは思えない。1度は手にとってみるが、立ち読み程度で終わってしまう。なぜだろうか。

サッカーに心底まで溺れてしまっている私であるが、今世紀に名を残した名プレーヤーと呼ばれる選手達、例えばペレ、プラティニ、クライフなど(挙げればきりがないので)であるが、いくら「凄かったんだ」と、紙面の上で著者の知り得る限りの美辞麗句を並べられたところで、その「時代」に生き、その「凄さ」を「体感」しない限り、その本当の「凄さ」は真に知ることはできないと思うからである。文明の利器とも言うべきか、現代にはビデオというものが存在し、過去のスーパープレーを私たちはいつでも目にすることができる。そして、その素晴らしさの実感するのである。しかし、「実感」はできるが「体感」はできない。

ON対決として今世紀最後の日本シリーズの話題を独占した王、長嶋両監督も然り。若い世代にとっては、単なる“ちょっと昔に活躍した、今では人のいいおじさん”の域を脱しない。「天覧試合でのサヨナラホームラン」という活字を読んだところで、また、1本足打法によってライトスタンドに放たれた白球の行方をフィルムという映像で見たところで、心の底から込み上げてくるような感動は味わえない。

やはり、リアルタイムでその時代を生き、その現場を「体感」することこそに、スポーツを観る醍醐味が凝縮されていると思う。私は、トヨタカップでのプラティニの“幻のゴール”よりも中村俊輔のFKに震えを覚えるし、王の1本足打法よりも松井の特大ホームランに歓喜の声を上げる。

ブラジルの黄金のカルテットや江夏の三振ショーを「体感」した人に対して、確かに少なからず羨望の眼差しを向けてしまう。しかし、私たちにはこの先、それらにも優るスポーツシーンが待っているに違いない。その一瞬を見逃さないためにも、21世紀のスポーツ界から目を離さずに生きていきたい。

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