No.019
「リベンジ」再考
2001.03.08
text by RB(あーるびー)

 

 

ゼロックス・スーパーカップ鹿島アントラーズvs清水エスパルスについて、試合に関する批評や、天皇杯決勝と絡めた審判問題は他の方にお任せするとして、ここでは、清水のゼムノヴィッチ監督が試合前に残したコメントに注目してみたい。

ゼムノヴィッチは、天皇杯決勝で延長戦の末に敗れた鹿島との再戦を前に、「あえて『リベンジ』という言葉は口にしなかった」(テレビ解説者)そうだ。この言葉を聞いた時、私は妙に納得し、ホッとした気持ちになった。

リベンジ――ここ数年の日本で、特にスポーツ界において頻出している言葉である。西武ライオンズ・松坂投手の発言に端を発していることは周知の事実であるが、サッカー界に限らず、スポーツ選手や監督は事あるごとにこの言葉を用い、メディアもまた好んでこの言葉を使用する。

今回のゼロックス・スーパーカップや先日のラグビー日本選手権決勝、そのいずれもがこの“リベンジ”という言葉をもって表現された。プロ野球の開幕を控えた近頃は、ジャイアンツに対するホークス、ジャイアンツに対するドラゴンズ、ホークスに対するライオンズなどなど、この言葉を聞かない日はないと言ってよいほどである。さらには、昨年のシドニーオリンピックにまでさかのぼれば、メダル獲得を逃した日本野球チームの4番・中村紀洋(近鉄)が、3位決定戦後、テレビ局のインタビューに対して発した「4年後も選んでもらえたらリベンジしたい」という言葉まで。

まあ、これも一時の流行ということなのだろうが、どうにも気になって仕方がない。

日本の教育現場では長年、相対評価(偏差値など)というものが用いられたきた。近年になってようやく、個性を重視した絶対評価に少しずつ移行しているが、長きにわたって続けられてきたこの相対評価という制度が、今の“リベンジの氾濫”の一因になっていると思う。なぜならリベンジとは、明らかに特定の他者との相対評価であるのだから。

あの選手に勝ちたい、あのチームに勝ちたい。1度敗れた相手に対して、2度同じ目には遭いたくないという気持ちは誰にでもあると思う。しかし、何でも「リベンジ」という一言で片づけてよいのだろうか。私には「あの選手、チームに勝てればそれでいい」というように聞こえる。一戦の勝利にこだわるあまり、自分達の理想像――すなわち絶対評価――を自ら捨て去っているように思えてしまうのだ。

“リベンジ”という魔法の言葉を用いれば、今の日本では事が済むというような風潮がある。だが、大事なのは目先の1勝ではなく、理想を貫いてこそたどり着ける最終的な勝利である。この言葉を乱用している選手、監督には、他の存在に左右されることのない絶対的な理想像というものがどのようなものであるのかを、ぜひ聞いてみたいものだ。

絶対評価と相対評価。その優劣は決められるものではないし、どちらか一方のみが必要で、他方が不必要であるともいえない。しかし、今の日本のスポーツ界においては、あまりにも後者に偏った物の見方がなされているように思う。

ゼムノヴィッチ氏の言葉は、そんな流行や相対評価という、いかにも日本人的な部分を考えさせられるきかっけになった。

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