No.020
『スポーツ』の定義を考える
2001.03.20
text by RB(あーるびー)

 

 

『スポーツ』という言葉の定義を考えた時、それは一体どのようなものになるのであろうか。これを考え始めてみると、意外な程に難しいことであると気付く。「『スポーツ』とは?」という質問を投げかけられた時、何人の人が即答できるであろうか。皆さんも考えてみていただきたい。しかし、私なりにその答えの一部を導き出すことはできた。

『スポーツ』は人間がやるものである。

これは、ある物事を『スポーツ』という枠組みに入れるか否かという岐路に立たされた時に、最低限満たすべき条件であると私は結論付けたという意味である。

現在、一般に『スポーツ』と呼ばれている数多くのものも、大別していくつかのジャンルというものに分けられている。球技、格闘技、モータースポーツ、ウインタースポーツなどがそれである。しかし、モータースポーツの最高峰に位置するF1を見てみると、どうも“私の定義”からは少しずれてしまう気がするのだ。

「今年はF1も見てみようかな」という軽い気持ちから、開幕戦となったオーストラリアGPをテレビ観戦した。昨年までに、レースの一部に限って言えば何度か見たことはあったが、予選でのM.シューマッハがP.P.を獲得するまでの流れ、さらに決勝のスタートからゴールまでのすべてを見たのは今回が初めてのことであった。言わば、素人の目で世界三大スポーツの一つとまで言われているF1を見たのだ。

しかし、レース後の私の心の中に残ったものは、美しい曲線を描いた真っ赤なマシンが疾風迅雷の如く駆け抜けていく姿ではなく、「F1は『スポーツ』という枠の中に入れて良いのだろうか?」という疑問だった。その疑問の出発点となったもの、それは「ドライバーの技術でマシンの性能差は埋められないのでは?」というものだ。私の率直な感想としては、ドライバーのテクニックによってマシンの性能差をひっくり返すことはできないと感じてしまった。すなわち、私の中では、M.シューマッハは世界一ドライビングテクニックに優れた男ではなく、世界一速い車に乗る男として認識されたのだ。

また他方では、F1はマシン作りの段階から、ドライバーを含めたチーム全員で速さを追求しているのだという意見もある。しかし、現状のままでは、極端な話パソコンメーカーが“速いマシン(ここではパソコンを指す)”作りの競争をしているのと大差がないようにさえ思えてしまう。

その勝敗が、あまりにもマシンの部分に依存し過ぎていて、人間が行う部分のパーセンテージが極端に少ないF1。『スポーツ』として定義するにはあまりにも寂しい気がしてならない。人間が行うからこそ美しく、見るものを魅了し続けてきた『スポーツ』ではなかったか。

F1は『スポーツ』とは別枠として考えるべきではないのか。「『スポーツ』を定義する」という難題の解決のためにも、もう少し考えてみたいと思う。

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