モーツァルト と マリア
 


   〜 モーツァルトが母から与えられたものとは 〜   ・・・  悲しいパリでの死  ・・・



 母の肖像画(写真−左)からうかがえる表情は厳格ではあるが女性としてのやさしさがにじみ出ているような気がする。この母から息子モーツァルトは一体何を受け継いだのであろうか。モーツァルトを知る上で母の存在は重要であるがあまりにも資料が少ない,数少ない文献より母親像を探ってみた。
 
 モーツァルトの母アンナ・マリア・ヴォールブルガ・モーツァルトは,ザルツブルクから30kmほど離れたヴォルフガング湖のほとりの小さな村ザンクト・ギルゲンに生まれた。父はザルツブルク宮廷の地方管理官であったが聖ペテロ大修道院で合唱も歌いバス歌手として優れた存在であった。このことは両親の家系から芸術家・音楽家の素質を受け継いだことを意味する。27歳で1歳年上のレオポルドと結婚し7人の子をもうけたが,この時代は生まれたばかりの子どもが早世するのは当たり前のような時代であり,このうち生き残ったのはわずか2人だけで三女の姉ナンネルと四男モーツァルトであった。

 ここで,彼女の女性像・性格・人柄の手がかりとなる部分を文献より2編引用してみよう。
 「25年後の結婚記念日に夫レオポルドが旅先のイタリアから手紙の中で感慨を込めて振り返っているように,マリアは気品と教養では必ずしも充分とは言えなかったものの家事に熱心で家計を切り回していくのも上手だった。素朴な庶民性と冗談好きの楽天性が彼女の身上だった。几帳面な努力家タイプの夫とはうまく釣り合いがとれていたのであろう。・・・注-1)」
 「モーツァルトの母親となったこのアンナ・マリアは快活で,やさしく,家事に熱心な女性であり,忠実に夫に従い,夫や子どもにひたすら愛情をささげたが,モーツァルトに特にどのような点で遺伝的な素質が伝わっているかについては,あまりはっきりとしたことはわかっていない。ただモーツァルトの女性的な,受動的な性格や顔かたち,あるいは,たび重なる実生活上の失敗などにうかがえる社会的な活動の為の配慮の不足といった点,あるいは,苦しみや悲しみといった暗いできごとに長くはこだわっていない明るい性格は,モーツァルトがレオポルドからうけたというより,やはり,この母親の系統からゆずりうけたものといえよう。・・・注-2)」
 これらの事柄より2人の結婚は幸せな結婚であったようだ。これを示す絵がある(写真-下)。2年前にパリで亡くなった妻の肖像画を壁に掛け,ピアノを弾く娘と息子そして,自らはバイオリンを持ったモーツァルト一家の肖像画である。特に妻の肖像画を画面中央に配置した構図より,私は,夫レオポルドが前には出ないがこの慎ましい妻に対して愛と信頼を寄せていたに違いないと思うのである。またこの絵がかもし出す一家の家族愛を感じるのである。このような家庭を作り上げたアンナ・マリアは天才モーツァルトを育むのに大きく貢献していることは言を待たない。


 モーツァルトについて彼の優しさを示す大きな出来事がある,それは母の死についてである。これに関して少し述べてみよう。
 モーツァルトと旅行に同行するのはいつも父のレオポルドであったがマンハイム・パリの旅行(モーツァルト21歳)に関しては大司教より旅行の許可が受けられず,仕方なく妻をモーツァルトに同行させたのであった。マリアは夫宛てにモーツァルトの状況を細かく手紙に書き送っているが,そのうち孤独な母の状況を知らせた部分がある。「ヴォルフガングは12月7日の今日ウェドリングさんのところに食事に行っています。私は宿でひとりぽっち。これはいつものことで,しかも恐ろしいほどの寒さの中にいなくてはなりません,宿の人は火を焚いてくれますが,燃え尽きるとそれっきりなのです。部屋はまた元通り。こうした暖房にも12クロイルァーかかります。そこでわたしは朝の起きがけと,夜に少し焚きますが,日中はひどく寒くても我慢しています。今もペンを持つのがやっとで,こごえそうです。・・・注-3)」なんと悲しく寂しい文面であろうか,このようなことがパリに着いてから母の体を衰弱させ死期を早めたのかも知れない。1778年7月3日,57歳で死亡するが,その傍らでその死を伏せ,亡くなる前の状況を知らせる父姉への手紙と,真実を知らせる友人への手紙,この二通をしたためるのである。ただ1人そばにいたモーツァルトは姉と父に衝撃を与えないように,このことを親しかったザルツブルクの知人ヨーゼフ・プリンガーにまずすべてを打ち明け,このニュースを父姉が聞いても刺激が和らげられるように接してくれるよう友に頼んだのであった。父姉に心の準備をしてもらおうというモーツァルトの心のやさしさ,家族への愛がうかがえる。このことも母から学んだのかもしれない。

 モーツァルトの明るさついても少し述べてみよう。
 ピーター・シェーファー原作による映画「アマデウス」をご覧になった方は,お分かりと思うが冒頭に展開されるコンスタンツェとのじゃれ合いのシーンや,父レオポルドとともに向かった仮装パーティでの騒ぎぶり,これらはみなモーツァルトの楽天的で明るい性格を現しているのではないだろうか。また,21歳の時アウクスブルクで,父の弟であるフランツ・アーロイスの娘のマリーア・アンナ・テークラ(2歳年下)とに交わされた,会話やジョーク・言葉遊び,そしてスカトロジー(糞尿短譚)好みの表れもまた人間モーツァルトを理解するうえで重要な一面である。これらのジョーク・言葉遊び・スカトロジー好みを厳格な父レオポルドから受け継いだとは到底思われない。これらも母マリアから受け継いだものであろう。

 これら,家族愛・人間愛・明るさなどはウィーンに移り住むようになって彼の作品にも表れている。例えば,オペラ「フィガロの結婚」のテーマが「男女の愛」であることなどは,母から受けた人間モーツァルトの人柄をよく表しているのではないだろうか。


注-1.3):文献 5)より引用 , 注-2):文献 3)より引用

〜参考文献〜 
1)ヨハンナ・セニグル(セルナー啓子 訳):ザルツブルクのモーツァルト 足跡と生涯  ガイドブック,1996,国際モーツァルテウム財団(ザルツブルク)
2)フリッツ・ヘンネンベルク(茂木一衛 訳) :大作曲家 モーツァルト,1993,音楽之友社(東京)
3)海老澤敏 :モーツァルト 改定,1961,音楽之友社(東京)
4)海老澤敏 :新モーツァルト考,1987,日本放送協会出版(東京)
5)井上太郎:旅路のアマデウス,1996,NTT出版株式会社(東京)
6)ミシェル・パルティ(高野優 訳,海老澤敏 監修):モーツァルト,1991,創元社(大阪)