モーツァルト と ニッセン    


  モーツァルトの妻コンスタンツェの二番目の夫,モーツァルトの伝記を著す  


 ニッセンと言えば「モーツァルト伝」(1828)を著した人物として、そして
モーツァルトのお陰で名を残した人の1人といえるでしょうモーツァルトがいたから名を残すことができた人は多いのですが、この人はモーツァルトを利用して名を残した人?ともいえるかも知れません。
 さて、この人物とはどのような人だったのでしょうか。多くのモーツァルト周辺の有名な人のために話題にあまり上ることがなく、さほど知られている人物とはいえないかもしれませんが、彼こそ今モーツァルトを知る上で最も基礎となる「書」著した人なのです。モーツァルトとは5歳年下になりますが、モーツァルトの死後18年経って、妻であったコンスタンツェと結婚しています。この結婚生活は彼が65歳で亡くなるまで17年間におよんでいます。これはモーツァルトとコンスタンツェの9年間の結婚生活より長くおよそ2倍の長さとなります。
 デンマークの外交官であったニッセンはモーツァルトを崇拝していたようで、このことからコンスタンツェとの結婚に至ったのではないかと考えられます。このとき、コンスタンツェは47歳ニッセンは一つ年上ですから48歳ということになります。この結婚はニッセンが初めから「モーツァルト伝」を書くために行われたものかどうかは定かではありませんが、後世の人がそう考えるのも無理はないでしょう、実は私もその1人なのですから。
 結婚後ニッセンは妻を伴い故郷のデンマークに帰り新聞社に勤めていたが、その後ミラノなどを経てモーツァルトの姉ナンネルの住むザルツブルクへと向かった。ナンネルに会ったニッセンはモーツァルト父子の400通にものぼる書簡を託されるのである。この時の対面でニッセンは、大作曲家モーツァルトの伝記を書く意思を示し、ナンネルはまたこの男の言葉を信じ貴重な手紙を手渡したのだ。ともかくこのことによって多くの手紙が散逸せず、ニッセンに渡ったのは後世のモーツァルトを愛する人々、研究をする人々にとって幸いなことであったかもしれない。勿論ニッセンが「モーツァルト伝」を書くにあたって、妻のコンスタンツェが多くの証言や助言を与え大きな力になったことは間違いないであろう。しかし、コンスタンツェは自分に不名誉になるような事は話さなかったし、自分にとって不利な内容の多くの手紙を捨てたと言われている。このようなことからコンスタンツェの悪妻説に拍車をかけているのは疑う余地がない。特に「モーツァルトの死」についての証言は彼女から得ることができず、妹のゾフィーからの手紙をもとに筆をとったとされている。ともあれ、コンスタンツェが「モーツァルト伝」の出版に大きく貢献したことは間違いないのであれば彼女の大きな功績として賛美されよう。この「モーツァルト伝」はニッセンの死後2年経った1828年に出版されたが、購入者の中には各国の王や貴族が多く含まれていて、オーストリア皇帝、デンマーク国王、バイエルン国王、プロイセン王などの名があり、また、メンデルスゾーンなど当時
の有名な音楽家の名もあり、600件にもおよぶ購入予約があったと伝えられている。このことをみてもモーツァルトは現在と同様その当時からから、大作曲家としての地位を築いていたことがうかがえる。

 このようにニッセンのことを書いてくると、初めに述べた「伝記を書くつもりでコンスタンツェと結婚したのではないか」という部分は訂正するのが妥当かもしれないが、真実は「ニッセン」にしか解らない。


〜 参考文献 〜 
1)田辺秀樹:モーツァルト,1984,新潮社(東京)
2)海老澤敏 :新モーツァルト考,1987,日本放送協会出版(東京)