モーツァルト と シカネーダ    


   〜 パパゲーノが書かせた魔笛 〜   ・・・ かくして三大オペラは完成した ・・・   


 
シカネーダって誰?


 オペラ「魔笛」に出てくる陽気でひょうきんな妖精?の「鳥刺しパパゲーノ」,彼こそがモーツァルトにこのオペラを書かせた男その人だ。その名はエマニエル・シカネーダ(写真)「魔笛」を語るときこの男を抜きにしては語れないのである。モーツァルトの研究家オットー・ヤーンによると彼はレーゲンスブルクの生まれで,家は貧しかったが若い時から演劇を志していた。二人の出会いは1780年のザルツブルクで,モーツァルトがウィーンに移り住む前年にあたり24歳の時である。興行師であり座長そして歌手,俳優,詩人,演出家で台本作家でもあるシカネーダはモーツァルトより5歳年上だからこのとき29歳である。シカネーダ一座はザルツブルクに芝居の興行にやって来ていたのだ。彼はモーツァルトにある劇に挿入するアリアの作曲を頼んだりししており,モーツァルトとはこの時点で友好な関係が出来ていた。モーツァルト一家に一座の観劇を自由に認めていたほどである。

 この男とモーツァルトとの接点はボーマルシェの三部作の一つ「フィガロの結婚」でもみられる。フィガロについてはアントワネットのところで記述したが,1784年パリで芝居として初演された作品である。シカネーダもヨハン・ラウテンシュトラウフの翻訳でこの芝居を翌年の1785年ウィーンで上演しようとした,ところが検閲を受けて印刷に回すことはできるが上演は許されなかったのである。ヨーゼフU世は皇帝として世を乱すこの種の演劇を禁止せざるをえないのであった・・・しかし,妹アントワネットからパリでのこの芝居のうわさを聞いて是非とも見てみたいと思っていたに違いない。モーツァルトは1850年ザルツブルクでシカネーダからこの作品のことを聞かされていたのだろう,台本を手に入れオペラとして仕上げるのである。ダ・ポンテが上演を皇帝に願い出て許可され,1786年にウィーンで初演されたのである。パリの芝居初演から2年後にはもうウィーンでオペラ上演されたことになる,皇帝はよほどこの「劇」を見たかったのであろうと推測される。

 さて,「魔笛」のいきさつについて述べてみよう。1776年以来シカネーダは劇場興行師として浮き沈みの激しい人生を送っていた,時には贅沢な暮らしをしたり,時には破滅の寸前までいっていた。1789年に一度別れた妻がその時の夫と共に所有していたアウフ・デア・ヴィーデン劇場を,夫がなくなると同時に彼女と和解しこの劇場の共同支配人となっていた。この頃ウィーンでは魔法ものの大衆劇は人気を博していた。1790年シカネーダは彼の最初の魔法オペラ「賢者の石」をこの劇場で上演している。このときモーツァルトはこのオペラのために一曲の二重唱を書いており,その後も彼のオペラの歌曲からピアノ曲などを書いている。このような状況の中「魔笛」は二人の利害がうまく絡み合って作られたといえる。モーツァルトは1790年にイギリスの興行師ザロモンからハイドンとともにイギリスに来て仕事をしないかと持ちかけていた。ハイドンは早々とこの誘いに応じていたが,モーツァルトは金の工面が出来ず,ハイドンを涙ながらにイギリスへと見送ったのである。このような窮状のさなかシカネーダからオペラを書かないかと持ちかけられたのである。モーツァルトはこれを喜んで承諾したようである。シカネーダもこの話を持ちかけた時破滅の一歩手前であったようだ「私の劇団の為に大衆受けのするオペラを書いてくれ」話は成立した。台本はシカネーダが書いたもので「エジプトの王ターモス」など小説やオペラから題材をえている。自らが扮するための役パパゲーノ(図-左)とパパゲーナを登場させたのは彼だ。モーツァルトがストーリに手を加えたりした為,他に類を見ない支離滅裂な台本となってしまった。また,この作品は二人ともフリーメーソンの会員であったため,この会の秘境的な儀式などを表現しているとして非難されることとなるのである。しかし,モーツァルトの最後期の音楽は異様な美しさに満ちている。モーツァルトの妻はこの頃バーデンに療養に行っていたため,シカネーダはモーツァルトのために劇場のそばにあった木造りの小屋を提供している,ここでモーツァルトは友人に囲まれながら「魔笛」の作曲をおこなったのである。これが有名な「魔笛小屋」で今ではザルツブルクのモーツァルテウムに移築されている。
 「かくして,1791年9月30日,アウフ・デア・ヴィーデン劇場で作曲者の指揮のもと魔笛の初演が行われた。観衆はまったく冷ややかな態度で,モーツァルトは最初から心配でたまらなかったにもかかわらず,しまいには心からの拍手が送られることになった。まもなくこの作品は第一級の大当たり作品であることが実証された。10月にはシカネーダは24回上演することが出来たし,1792年11月23日には100回めの上演を記録したのである。」・・・ 注 )

 シカネーダは窮状のモーツァルトに後世に残る大きな仕事をさせた男といってよく,この男もまたモーツァルトによって音楽史上に永遠に名を留めることが出来た幸運な一人といえる。


注 ): 参考文献 1)より引用

 〜参考文献〜
 
1)ミシェル・パルティ(高野優 訳,海老澤敏 監修):モーツァルト,1991,創元社(大阪)
2)ヨハンナ・セニグル(セルナー啓子 訳):ザルツブルクのモーツァルト 足跡と生涯  ガイドブック,    1996,国際モーツァルテウム財団(ザルツブルク)
3)田辺秀樹:モーツァルト,1984,新潮社(東京)
4)海老澤敏 :モーツァルト 改定,1961,音楽之友社(東京)
5)海老澤敏 :新モーツァルト考,1987,日本放送協会出版(東京)