モーツァルト と マリア・テレジア    


   〜 膝の上に乗ってキッス 〜 ・・・ マリア・テレジアの役割とは ・・・


 女帝マリア・テレジアは,世界史に名を残した女性の一人といえましょう。23歳で夫のフランツT世が皇帝の座についた時から女帝と呼ばれるようになったが,このとき既に3人の娘の母であった。有名なマリーアントワネットも含めて16人の子どもを生んだ偉大な母なのである。ハプスブルグきっての才媛であるが,心やさしい女王でもあった。シェーンブルン宮殿内に作られた庭園や動物園を一般市民に開放するなどしオーストリアの母とも呼ばれ民衆から慕われ数々の政策を実行に移した。また,見かけによらずしたたかで,いかなる苦境にあってもくじけない芯の強さを持っていた。シュレージンの確保をめぐってプロイセンのフリードリッヒU世とは生涯にわたってライバル好敵手となったが,このことからも分かるように戦争の手腕も持ち合わせていた。政治手腕と戦争共に秀でた才能を発揮しオーストリア帝国を守りぬいたのである。ウィーン王宮前のテレジア像がひときわ大きく力強く作られているのも頷ける気がする(写真-右)。






 モーツァルトとの接点はいくつかある。最初に一家4人でウィーンに訪れたとき,モーツァルトは6歳であったが既に神童ぶりはウィーン中に知れわたっており,シェーンブルン宮殿に招かれ女帝マリア・テレジアや皇帝フランツT世の前で御前演奏を行っています。このときモーツァルトはテレジアの膝の上に乗って抱擁しキッスをしてもらったというエビソードが残っています。あの有名な「大礼服を着た6歳のモーツァルト」の絵で着ている大礼服はこのとき女帝からもらったもので,皇子マクシミリアン・フランツのものだと云われている。

 15歳のときには女帝からフェルディナント皇子の新婚の祝典オペラの作曲を以来されている。この時書かれたオペラはジュゼッペ・パリの手による「アルバのマスカーニョ」という2幕もののセレナータである。この時ウィーン宮廷はハッセという70歳を越した老巨匠のオペラと競わせているのである。勝負はモーツァルトに軍配が上がりハッセはこれを期に引退したのである。この老巨匠はマリア・テレジアのお気に入りの作曲家であったようだ。このことがフェルディナント大公がモーツァルトを自分の宮廷に取り立てようとした時,母マリア・テレジアはよい返事をしなかったようである。この時フェルディナントが女帝に問い合わせているがその答えは「・・・・・あなたが,作曲家とか,無用の人間を必要としているとは信じられません。・・・・・・・それにこの手の人間に肩書きを与えるものではないということです。乞食のように世界を渡り歩くような人たちを雇うと,奉公人の質が悪くなります・・・・・・」といういささか辛辣な内容のもので,この時も宮廷音楽家になるチャンスを失っていたのでした。しかし2002年の今考えると,10歳代の若さで宮廷音楽家になっていた場合モーツァルトの音楽が,200年を経て今に残る作品を創り続けられたかどうか疑問となるかもしれない。少なくともあの謎に包まれた曲「レクイエム」は生まれなかったに違いない。

  モーツァルトの曲の多くが今日聞けるのは,マリア・テレジアのお陰と云えなくもないと考えるが,皆さんはいかがでしょうか。


〜参考文献〜 
江村洋 :ハプスブルク家,1990,講談社(東京)
中丸明 :ハプスブルク1千年,2001,新潮社(東京)
フリッツ・ヘンネンベルク(茂木一衛 訳) :大作曲家 モーツァルト,1993,音楽之友社(東京)
海老澤敏 :モーツァルト 改定,1961,音楽之友社(東京)