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チェーザレ・ボルジアを最初に知ったとき、ショックだったのは、彼がキリスト教世界では否定された存在にもかかわらず、キリスト教会を徹底的に自分の野望実現のために利用しつくした人間だったということです。彼が生まれた宗教改革前夜のローマ教会は堕落しきっていた時期でした。生涯不犯を誓ったはずの聖職者の子どもに生まれながらも、引け目を感じることなく権勢を振るえました。が、それでも限界がありました。たとえば、チェーザレは初め教会に入り、私生児にもかかわらず緋の衣(枢機卿)の地位まで上りつめます。けれど、それ以上(教皇)にはなれませんでした。私生児が教皇の地位に就くことは不可能だったのです。
人間、生まれる場所と親を選ぶことは出来ません。けれども、そういう自分ではどうしようもないことで人生に限界を科せられることがあります。歴史上の人物でなくてもそのような限界に挑んでいった人はいくらでもいるでしょう。チェーザレの場合、その挑戦の足がかりとなったのはローマ教会という彼に限界を与えた存在それ自体でした。
もともと彼の生きたルネサンス期のイタリアは、群雄割拠の時代で、特に世俗世界では力量一つで一国の領主になれることも稀ではありませんでした。日本でいう戦国時代に似ているかもしれません。ただ、日本と違うところは群雄割拠だったのはイタリアだけで、周辺の国々、フランス・イギリス・スペイン等は国王を中心とした中央集権国家へと生まれ変わり、小国分立状態だったイタリアにその食指をのばしつつあったということです。しかも、東方からは東ローマ帝国を滅ぼし(1453)コンスタンティノープル(現イスタンブール)から地中海を支配しようとしていたオスマン=トルコの脅威がせまっていました。
このような時代でチェーザレは「一兵も持たず」自分の王国を打ち立てることを始めます。彼にあるのは父親であるローマ教皇の全面的支援と、己の力量(ヴィルトウ)のみでした。彼は自分の権力の源をよく知っていました。父親であるアレクサンデル6世は長く教皇庁で生きてきた老獪な政治家で、ローマ教皇の権力が一代限りでなくなるはかないモノであると同時に、使い方しだいでは莫大な財産を築くことが出来るものだということを熟知していた人物でした。潜主たちがはびこり、有名無実と化している教皇領を統一し、そこにボルジア家の王国を打ち建てること。そのために(当面は)利害の一致するフランス王の武力を使い、チェーザレ自身の力を蓄えること。そして、これらのタイムリミットは父親が教皇の位を下りる(崩御する)までだということ。
冷徹なまでの現実主義(リアリズム)に徹していたチェーザレは、以上の計画を遂行するため、3年間「いつでも何か行動している」と評されながら、瞬く間にロマーニャ地方を平定してしまいます。チェーザレが還俗した1498年、教皇在位6年目のアレクサンデル6世は67歳。病気知らずの頑健な身体とはいえ、チェーザレには多くの時間は残されていませんでした。なんとしても、父の死までに自分の王国の基礎を固めておくこと。これがチェーザレを突き動かしていたものでした。そしてそれは殆ど達成されていました。アレクサンデル6世が1503年突然の病に倒れたとき、すでにチェーザレの勢力は父教皇の死で揺らぐほど弱いものではなくなっていたのです。ただ、この時チェーザレを襲った唯一最大の誤算は、彼自身も病に倒れ、教皇崩御前後の最重要時期に動きがとれなくなっていた、ということでした。
そして、チェーザレは宿敵デッラ・ローヴェレ枢機卿の教皇即位に協力するという、人生最大の、そして致命的なミスを犯してしまいます。新教皇ユリウス2世の登場により、ボルジア家とチェーザレの運命は決定しました。ユリウス2世はミケランジェロのパトロンとしても有名ですが、軍人教皇と言われた激しい性格の老人で、ボルジアによって舐めさせられた苦杯を決して忘れる人間ではありませんでした。捕らえられたチェーザレはスペインに渡され幽閉。そこを脱走し義兄ナヴァーラ王のもとに身を寄せたものの、戦場にて31歳の生涯を閉じたのでした。
チェーザレの挑戦は運命の女神に斥けられました。同時代人のほとんどが彼を「父教皇の威光を借りた一代の寵児」とみなした中で、チェーザレの可能性を読みとった少数の一人がマキアヴェッリでした。フィレンツェ政府の外交官としてチェーザレと交渉にあたった経験を持つマキアヴェッリは、その著書『君主論』で、チェーザレをイタリアの救世主になぞらえました。
「ある人物に神がイタリアの救いを命じられたと判断できるようなあるしるしが現れたが、周知のごとく彼はその活動の絶頂において運命に見捨てられた。」(第26章イタリアを蛮族から解放すべし)
小国分立状態のまま外国勢力に蹂躙され,息も絶え絶えになっていたイタリアに,強力な中央集権を持つ国家を築き上げ,独立を保つ。それが、マキアヴェッリがチェーザレにみた夢でした。けれども,チェーザレにとっての夢とは己の野望の達成であり、強力な君主国家の建設は,その結果に過ぎなかったのだと思われます。そして、野望の達成の過程で行われるどんなに非情な振る舞いにも,彼は「何かのためだ」というような大義名分を掲げたことはありませんでした。
自分の行動に言い訳をしない、のみならず大義名分すら必要としない。「己が欲するところを知っている」人間ならではの,鮮やかなまでの強さ・・・それこそが、私を捕らえて放さないチェーザレの大きな魅力なのです。
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