佐賀城跡・鯱の門

鍋島藩三十六万石の城跡。火災や佐賀の乱(1874年)で殆ど焼失。この門にも、佐賀の乱での鉄砲跡が残っている。

大隈重信旧宅

日本初の政党内閣の総理大臣であり、早稲田大学の創設者でもある大隈重信の生家。天保以前の武家屋敷がしのばれます。

重信(幼名八太郎)の勉強部屋は二階にあったそうです。跡継ぎの長男だったので、必死に勉強したことでしょう。なにせ、学業不振の藩士は、家禄が削られ、役職にも就けなかったそうですから・・(^^;;;

龍造寺隆信誕生地

戦国時代、肥前肥後、筑前筑後、豊前に壱岐対馬の太守となった武将の生誕地。鍋島家は、龍造寺家の家来筋に当たるそうです。

副島種臣誕生地

明治維新後、外務卿として誕生後まもない明治新政府の外交を担当しました。
佐賀城周辺には、他にも大木喬任や前述の大隈重信誕生地もあります。みな、城下に住む藩士の家柄だったのです。

つぎに、佐賀県立博物館へと向かいました。ここには、吉野ヶ里遺跡から出土した「有柄細形銅剣」と青い「ガラス管玉」が、展示してあります。出土状況が実寸大のレプリカで展示してあって、状況がよくわかりました。
また、幕末の佐賀藩が作り上げてきた、大砲、蒸気機関車などの模型、反射炉や蒸気船などの図面や、書籍など、「技術立国」佐賀を彷彿とさせる、展示物を見学することが出来ました。なお、これだけの内容で常設展は、無料!・・なんて太っ腹なんだ、佐賀県(笑)。

築地(ついじ)反射炉跡

かつて、この地に日本最初の洋式反射炉が建設され、鋼鉄の大砲が造られました。現在は、日新小学校の敷地内にあります。

反射炉というのは、大量の鉄などの金属を溶かす溶解炉のことです。溶解した金属はそのまま鋳型に流し込まれ、砲身が造られます。
最初は鉄の溶融がうまくいかず、失敗が続いたそうです。けれど、洋学者達の最新の知識と、鋳物師や刀工らの伝統技術によって、ようやく成功。幕府からも大砲の注文を受けるまでになりました。

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