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the Armed Boys
武器を持つ少年たち


<序>

 1998年1月。中学生が教師を刺殺し、世間を騒がせた。僕が知る範囲では、事件の概要は、こうらしい。当該学生が気分が悪くて保健室に行こうとし、それを教師がサボリではないか、ととがめた。気分が悪いところへサボリではないか、と言われてカっとなり、襲い掛かってバタフライ・ナイフでめった突きにして殺した、ということだ。
 他にも中学生による事件がいくつか発生しており、世間は「危険な中学生」の話題で騒然となっている。
 どうやら、ナイフは今、中学生の間の流行りらしい。護身用に、と言うが、実際はやはり刃物へのあこがれがあるのだろう。教育界では、持ち物検査を実施すべきかどうか検討されている。
 これは、一種、僕に対する挑戦だ。このホームページを見た人ならご承知のように、僕はナイフを持ち歩いているナイフ愛好家だ。この事件に対する僕の見解を出しておかなければ、卑怯者とそしられても文句が言えない。先日などはこの件について、ある人物とちと激しい論戦に及んだのだが、論戦にはふさわしからぬ場であったこともあり、ちと僕が冷静さを失ったこともあって、その場ではちゃんとした論を展開できなかった。ここに僕の意見をまとめて提示したいのだ。
 

<僕らがナイフを持つ理由>

 さてどこから始めたものか。まず僕のナイフ所持に関する言い訳から始めよう。エッセイ「武器を捨てよ!」にもあるように、僕は戦力の放棄を支持する人間だ。その僕が、ナイフを持ち歩くのは変ではないか、と。たしかにこれは答えるに足る質問だ。
 僕は、こう答えよう。ひとつには、これは武器ではない。ひとつには、これは役に立つ。ひとつには、これはさほど危険を増すものではない、と。

 ひとつ。僕のナイフは、何度も言うのだが、武器ではないのだ。誰かに襲われれば武器として使うかもしれない。だが、それにしては脆弱なものだ。ブレードをロックすることすらできない短いナイフでは、たいした戦力とは言えない。相手が包丁でも持っていれば、圧倒的に不利だ。むしろ、威嚇だけして逃げるくらいの方が、まだしも安全だと言える。ナイフについてある程度知識があれば分かるのだが、素人がナイフを持っている程度では大した有利にならない。戦うより逃げることをまず考えるべきだ。だから、僕もナイフを戦闘に使うなどあまり考えていない。まず逃げることを考える予定だ。世の中学生諸氏にも言っておきたいのだが、襲い来る危険に対して、バタフライ・ナイフなど対して役に立たないものだ。だから「護身用」などと理由をつけるのはよした方がいい。自分でもそれを信じてしまうからだ。ただかっこいいから欲しいのなら、そう言う方が正直だし、それに安全だ。護身用なら、ナイフより護身用警棒かアラームの方が、過剰防衛にならないですむ。

 ひとつ。僕のナイフは役に立つ。それは、バタフライ・ナイフなんかよりよほど役に立つのだ。バタフライ・ナイフで封筒の封を開く奴はいない。だが僕のナイフは封筒であれ、包み紙であれ、段ボールのガムテープであれ、切り開くことができる。非常に便利なものだ。今や、これを手放す苦労はなんとも我慢できない。たまに家に忘れてきたりするのだが、そんな時、段ボールを開梱する必要に迫られるとなんとも苦痛だったりする。カッターなんか使いにくくて仕様がない。

 ひとつ、これは危険を増すものではないのだ。「わぁ、ナイフ持ってるなんて危ない〜」という人の机の中には、カッターナイフが入っていたりする。家に帰れば、包丁を握って料理をしていたりする。危険な武器なら、ナイフに限らず山ほどあるのだ。工具箱を開けば、そこには武器がごろごろしている。それらに比べればナイフなど、たいした危険ではない。危険なのは、むしろそういったことに気づかないで、ナイフをいかに禁止すべきか、なんて考えている人間だと思う。自分はナイフを持ってないから安全な人間です、なんて言う人間が、どれほど危険なことか。彼らは、危険な武器を持っていることに自覚がないのだ。鉛筆ですら危険な武器になりうる。周囲に凶器があふれているのに「自分は凶器を持っていないから安全です」と主張してみても仕方が無い。むしろ「自分はいつでも人を怪我させる能力がある。だからこそ自分を律すようにしなくては」という自覚がある方が、安心な人間だと思うのだ。本当に恐ろしいのは人間である。ナイフなんかなくたって、人間はいつでも危険になれるのだ。

 これだけ理由を挙げたって、持たないに越したことはない、と思う人もいるだろう。それは実際そうだ。僕がナイフを持つ本当のの理由は「好きだから」「かっこいいと思うから」に他ならない。ただ、それなりの危険を承知で持っている、というとこだけがそこらの中学生と違う。そこは大きな違い……だと思うのだが。
 

<少年とナイフ>

 ちょっと驚いたのは、ナイフを持つ少年を特別視する人間が意外に多いことだ。(男女差別と言われるかもしれないが)これが女性ならまあ仕方ないかとも思う。だが一部の男性までが「ナイフを持つような奴は……」と語り始めるのには恐れ入った。こういう人は、刃物や武器に対する少年らしい憧れを持ったことがないのだろうか。そんな無理解な人間には、ぜひどうか、教育について黙っていてもらいたいと思う。少年の気持ちを理解できないで、教育なんか語れるはずはないからだ。そんな人が語れるのは、せいぜい、管理教育の上手なやり方くらいだろう。
 教育に限らず、人間を、特に罪人を扱うやり方には大きく2通りあると思う(これは僕の好きなチェスタトンからの受け売りだ)。自分はそんな罪人とはまったく異なっているとしてそれを蔑み遠ざけるやり方と、自分はそんな罪人と基本的には同じであると考えて同情しそれを理解しようとするやり方だ。この書き方からすでに明白なように、僕は後者を支持している。少年の多くは、そして一部の少女もそうだと思うが、刃物に対して一種の憧れを抱くものだと思うのだ。だから、僕だって何かが違えばあの少年のように誰かを殺していたのかもしれない、と思う。彼と僕、どこが同じで、どこが違うのか。それが分かれば、何らかの対策が立てられるかもしれない。
 まあ、ナイフを持つ少年をハナっから違う生き物のように扱っていちゃ、まともな対策なんか立ちはしないと思う。対処すべきものが何かを知らずに、対処しようとしたって無理だ。
 

<マスコミと少年>

 脱線するが、こういった「違う生き物」的な見方に一役買っているんじゃないかと思うのが報道のあり方だ。こういった事件をまるで他人事のように「惨殺」だの「悲劇」だのと書くから、同情したり共感したりということができないのじゃないだろうか。「みなさんは品行方正な方々でこんな惨殺事件など理解できないでしょうから、詳細をお伝えしますよ」と言ってるように聞こえるのだ。またそれを真に受けた愚か者どもが「なるほど、僕には理解しがたいほどの残酷さなのか、僕っていい奴だからなぁ」といい気になっているのではないか。僕が、どうにも報道というものを好きになれないのは、そういう無神経さがあるせいだと思う。そりゃ、どっかで無神経でなけりゃ、マスコミなんかできないだろう。いちいち、すべての事件についてこと細やかに同情していたら、キリがない。だからその無神経はマスコミの避け難い業だと思うのだが、それにしても好きにはなれない。聞く方だって、少し加減して聞くべきではなかろうか。

<まとめ?>

 なんだかとりとめが無くなってしまった。
ともかく、少年たちへの理解ってのが、どうしても必要なのじゃないかと思う。理解した上で、どうすりゃいいのか、考えるべきなのだ。少年の気持ちを理解できない「大人」たちがどうのこうのと騒いだところで、いい結果にはならないだろうと思う。
 どうなのかな? 僕はこんな文章を書いているけれど、本当に少年たちを理解していると言えるのか? 恐らく答えは否だ。僕は少年たちとほとんど会話などしていない。だから実はたいして偉そうなことを語れるわけじゃない。でも、やっぱ、僕よりも理解してなさそうな人たちにはぜひ黙ってていただきたい。

<ついしん>

 とある女性の方が「自分は女性であるせいか、少年(ないし少年であった人たち)の気持ちはいま一つ理解できない」とのコメントを含むメールをくれた。なるほど、少女(ないし少女であった人たち)の気持ちは僕にはとうてい理解しかねる、と思うので、もしその点で気を悪くした方がおられたら、どうもすみません。


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もがみたかふみ
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