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イワシノアタマ
信じるかい?

「宗教に対する幻想」というものが広く流布しているように思われる。多くの人は「宗教を信じない」と言うにもかかわらず、宗教に対する期待は高い*1。彼らが信じているのは、「宗教は人を幸せにする」というような思想である。「優しい宗教」像だ。それに伴って「あの宗教は“優しくない”からおかしい」とか「そんな変な宗教規則は“優しくない”からおかしい」といった言葉を聞く。聞いていて、どうにもはがゆい感じを覚える。変なのはそういう思想の方なのだ。たしかに「宗教人」というのは優しい場合もありうるが、「宗教」というのはちっとも優しくない。むしろ恐ろしくグロテスクなしろものだと思う。これについて、正確なところを説明するのは難しい。みんな頭から「宗教は人を幸せにする」と信じているからだ。そこで、このエッセイではあえてエキセントリックに、人が宗教に対して抱いている幻想をぶっ壊してみることにしよう。
注意たぶん読むと、宗教が信じられなくなるだろう……筆者の意図に反して。

■救済
 多くの宗教に「救済」という思想がある。これがどうも誤解を生んでいるようだ。宗教について独学の人は、期待してしまうのだ。「救済ってくらいだから、自分を救ってくれて、幸せにしてくれるんだろう」と。ところが、「救済宗教」というのは、上で言う「人を幸せにする宗教」というのとは決定的に違う。

救済宗教の契約は、原則としてはこういうことだ。
> 信徒は、宗教に服従を誓う。その神が実在することを信じる。その神がこの世界を動かす原理なのだと信じる。その神がもつ力を信じる。その神が信仰にはよい報いを、背徳には悪い報いをもたらすことを信じる。その神を中心にした世界観を信じる。その代償にその人は「救済」される。救われる。
 独学で学んだ人は、ここで間違える。「そうかぁ、俺は今悩んでるんだけど、“救済”してくれるんだったら、幸せになれそうだな」と。そこが罠だ! ダマされちゃいかん。
 あるいは歴史を調べてみて、憤慨する。「どこが幸せだ! 十字軍では何をやった? 魔女狩りはどうなんだ! あんなに人を殺しやがって!」と。これは逆に的はずれもいいトコだ。電子レンジでネコを焼くような苦情だ。途方に暮れる。
 即物的な(独学の人は常に即物的だ)人間は、「救済」=「現世利益」だと信じ込んでいる。「今の俺の人生を幸せにしてくれる」と。そんなことを宗教の方では保証していない。ハンコを押す前に、契約の内容をよく読んでみたまえ。
「救済」される。
とある。「救済」の内容はよく読んでみたかね? 付則:「救済の内容」を見よ。
救済の内容:救済とは、地獄に堕ちないで済むということである。
「地獄」? と即物的な人は困惑する。地獄って何のことだっけ? ああそうか、契約にあった。「その神を中心にした世界観を信じる」だから、その神様が作った地獄から救ってくれるってことか。ん? でも契約しなかったら、その「神様が作った地獄」ってのも信じないわけだから、別に地獄に堕ちないですむ……?
 この契約は典型的な自己撞着の一種なのだ。「神様を信じれば救済する」っていうのは「天国と地獄を信じるなら、天国に入れてやる」と言っているのだ。バカな話である。こんな契約をする方がどうかしている。だが、宗教ってのはそういうものだし、それでいいのだ。そこで宗教を「嘘つきだ!」と攻撃するのはお門違いである。嫌なら契約しなければいい、だが嘘は言ってないぜ。「天国と地獄を信じれば、天国に入れてやる」というのは、契約としてはアリだ。嘘っぱちでもなんでもない、ホントっぱちだ。ホントに入れてくれる。契約通りなんだから。おや、信じない? では、サヨウナラ、ご機嫌よう。だが宗教の方ではまったく大まじめで本気。「天国と地獄」を信じないあなたは「嘘つきだ」と思うかもしれないが、宗教の方では本気で、親身で、あなたを天国に入れてくれる準備がある。さあ、きちがいになりなさい。*2

 現世利益の話に戻る。
 契約の大筋において、現世での利益はまったく保証されていない。誰がそんなことを保証できる? 宮殿みたいな自宅で、左うちわの生活をさせてくれるのか? 悩みから解放され、毎日歌い踊りながらウキウキ暮らすのか? むしろこの世は「すべて神が与えたもうた試練だと思いなさい」ってなことになる。服従を誓ってるんだから、何をされても文句は言えないのだ。「死んだら救済してやるって言ってんだろ。そっちの世界にいる間は住みにくいだろうけど、ちょっと我慢しろや」ってことである。
 普通の人が言う「人を幸せにする宗教」という言葉の間違いは、言外に「この世で人を幸せにする宗教」という部分を含んでいることだ「この世界をより良くしてくれる」とか「平和な世の中を作ってくれる」とか「あなたの悩みを和らげてくれる」とか、そんなのはみんな嘘っぱち、宣伝文句、コピーライターが10文字100円*3で考えるキャッチコピーだ。宗教が本当に約束しているのは「(来世の)救済」つまり「(来世での)魂の幸せ」だけだ。「救済」だって? 正直に「恐喝」と言った方がいいんじゃないか? 神様の出すルールを守らなければ地獄行きだ。また新しいお客かい? よしきた、一生の7倍のさらにそのまた7倍もの時間、こんがり強火でローストしてやるぜ。へっへっへ。

■ルール
 ところで、もう一つ誤解を解いておきたい。「神様の与える掟、ルール」と「倫理道徳のルール」はまったく無関係である。
 学校では、倫理道徳のルールを教える。「人を殺しちゃいけません」。これは社会で殺人が頻発すると不便だから、という理由で作ったルールだ。違反すると牢屋行きになる。
 キリスト教でも似たルールは教えている。「人を殺しちゃいけません」と。だがこれは、倫理道徳とか関係ない。「神様がそう言ったから」というだけのことである。たしかにキリスト教の場合、たまたま倫理道徳と重なる部分は多い。でも、神様がお許しになるなら、別に殺したっていい。
 ここを間違えてはいけない。宗教が倫理道徳や社会のルールに従うなどというのは、幻想だ。一致しているとしたら、「たまたま偶然」一致しているだけだ。中学校Aと中学校Bで校則が違うように、宗教ルールと社会ルールはまったく相容れない。キリスト教であれ、仏教であれ、どんな宗教であれ、宗教ルールは社会のルールを無視してできている*4。牢屋行きがなんだ? 7倍ローストが怖くないか?

 かつて、カトリックがヨーロッパ全土を支配していた頃には、みんな心の底から天国と地獄を信じ切っていた。だから「救済される」ためなら何でもやったもんである。十字軍? 魔女狩り? どんと来いだ。地獄に行かないためなら何でもやるぜ。「神さんがよぉ」と聖女ジャンヌは言う。「『オルレアンを救え』って言うから、来ちまっただ。神さんに逆らうイギリス野郎どもヌッ殺して#1やるだよ。戦さは怖ェけんど、地獄行きよかマシだもんな」 たいした田舎娘だ! 信徒の鏡だ!
 ところが「宗教改革」以降、特に近代では「宗教を選ぶ*5」という思想が広がってしまった。また、グローバル化が進んで、人々はイスラム教、ヒンズー教、仏教、その他たくさんの宗教があるということに気づいてしまった。宗教の「買い手市場」だ。信徒が宗教を選ぶ。そういう時代だ。
 すると「正しい宗教」と「間違った宗教」という思想が登場する。「あの宗教はダメだね。こっちのやってることの方が正しい」と評価するようになる。それは、宗教のルールを、現代的な倫理道徳というルールで評価している*6のだ。ホントは、宗教が絶対で、正しいハズだった。マルティン・ルターが余計なことをしなければ*7、誰も宗教以外にルールがあり得る、なんてことには気づかなかったかもしれない。でも、今じゃ現代的な倫理観の方をみんなが本気で信仰してしまっているために、その倫理観に合わない宗教は捨てられてしまう*8のだ。自分の倫理観に合わせて宗教を選ぶ、そんなファッションな宗教なんて、眉唾だと思う*9。「宗教が●●●だから嫌だ」なんて、宗教があなたに合わせてくれると思う方がどうかしている。本来(信者にとっては)、宗教こそがこの世のルールなのだ。そのルールに必死でしがみついていかないと、いつか7倍ローストの刑が待っているのだ*10
 オウム真理教は間違った宗教だとみんな言う。違う。あれは「現代社会の倫理道徳に合わない宗教」なのだ。だから抹殺されてしまうのだ。彼らは「オウムルール」以外のルールは何一つ信じていない。あれが、宗教の生の姿である。どんな宗教だって、一皮剥けばああなっておかしくない。
 すべて宗教は、本質的には、倫理道徳に従う必要などまったく無いのだ。ただ、社会にとけ込もうと思うなら、どうしても倫理道徳に合わせないと信者がついてこない。だから「合わせてやってる」だけのことである。それを「倫理道徳に合わない」と批判されたら“軒先を貸して母屋を取られる”といった有様で、「衆生風情がいい気になるなゴルァ」と言いたくもなる。

■サービス
 かといって、宗教もちょっとは優しくしないと誰もついてきてくれない。何せほら、買い手市場だから。そういうわけで、最近はサービスするようになっている。宗教は飼い慣らされて大人しくなった。「人に優しく、地球に優しく」が合い言葉だ。「平和マンセー。戦争反対」。悩む人を見れば、「どうしました?」と優しくカウンセリングして悩みを減らしてあげる。倫理道徳に沿った形でないと、人気が出ないのだ。そのせいでみんな「サービスするのが宗教だ」と思いこんでいる。「高い金払うんだから、この世で幸せにしてくれないと」と思っている。戦争を始めるイスラム教徒を見て「イスラムってやぁねぇ、好戦的で。なんであんなの信じるのかしら」なんて眉をひそめる。とんでもないあべこべな話だ。宗教が人に仕えている。「人が宗教に仕える」というのが宗教の本来の姿なのだ。
 本願である「来世での救済」に、ついでの「現世でのサービス」加わり、いっしょくたになってしまっているのが、最近の宗教だ。みんな混同している。「悩んでいたんですが、宗教のおかげで救われました」なんて言ってる信者も混同している。現世で救われたと感じるのは本人の勝手だが*11、それはあくまでも追加サービス。神様の方にしてみれば、まだそいつを「救済」してなどいない。現世でいい目に合おうが、痛い目に合おうが、神様にとってみればどうでもいい。すべては、来たるべき日の「救済」が目的である。そのために、倫理道徳とはまったく関係なく、神様のルールを守って生活する。それが宗教のあり方だ。

Can you believe it?*12


*1宗教に対する期待は高い:「宗教を嫌いだ」という人の多くは、「宗教に失望した」という。「神がいるなら、どうして世の中こんなふうなんだ?」と不満を言う。それは、宗教への強い期待の裏返しである。G.K.チェスタトン『ブラウン神父の不信』に収蔵の「ムーン・クレサントの奇蹟」を参照のこと。
*2さあ、きちがいになりなさい:フレドリック・ブラウンの著書タイトル。星新一が訳した。でもこのタイトル、今じゃ発禁だよなきっと。
*3 10文字100円:コピーライターの値段の相場なんて知らないよ(相場ってあるのか?)。本気にしないように。
*4宗教ルールは社会のルールを無視してできている:ただし、「よくできた」宗教は、ほとんどの場合、倫理道徳ルールに沿った形で宗教ルールを定めている。そうでなければ、大勢の民衆の支持が得られないからだ。結局のところ、"古い"宗教は法律以前の秩序体系を担っていたので、ある程度、法律/法倫理に似た性質を持たなければならなかった。法律をまったく無視した倫理体系を持つことができるのは、新興宗教の特質だと思う。
*5宗教を選ぶ:マルティン・ルターやカルヴァンは、「(一般の倫理観に照らして)カトリックは間違っている」とか「免罪符は倫理的におかしい」と言ったわけではない。「カトリックは腐敗している。免罪符は神の御心を離れている」と言っただけで、たまたまそれが当時の職業観や倫理観に合っていただけである(ルターの中で、倫理観と神の御心が同一視されていた可能性はある)。信者でもない人が「ルターは正しかった。カトリックは間違っている」と言うのは、馬鹿げている。バレーボールのルールを知らない人間が、どうやって勝敗を決めるんだ? 神(主審)から見て、ルター派が正しいかカトリックが正しいかの結論はいまだに出ていない。「社会的に見て、ルター派の方が時流に乗っていた」というのなら、まあ分かる。
*6宗教のルールを、現代的な倫理道徳というルールで評価している:中学校Bに通う生徒が、中学校Aに通う生徒を指さして怒鳴る。「あいつ校則違反だよ! あんな長髪、認可されてないぜ! 許せねぇ!」
*7マルティン・ルターが余計なことをしなければ:ルターやカルヴァンの反乱は宗教的な情熱によるもので、「神の意志」を実現し「正しい信仰」を取り戻すためのものだったはずだ。だがそれは無神論者にとっても格好のエサになった。「カトリックが間違いだったと言うなら、キリスト教そのものが信頼ならない」という思想を広げてしまったのである。その点で、カトリックがプロテスタントを「悪魔」と呼んだのは、間違いではなかった。たしかにプロテスタントの分離は、キリスト教の滅亡に一役買った。
*8倫理観に合わない宗教は捨てられてしまう:「中学校Bマンセー! 中学校Aの校則なんて、カスだぜ。あんな校則、守る価値ないよ」
*9自分の倫理観に合わせて宗教を選ぶ:「お客様、こちらの宗教はいかがですか。最近の流行ですし、現代の倫理観にもぴったりフィット。信者になった方々の評判もよくて、みんな晴れ晴れとしてますよ」
「そうねぇ、でもちょっと地味かしら」
「おや、なるほどおっしゃるとおり、お客様にはもう少し……こちらはいかがですか。今ならお布施も大変おやすくなっております。なかなかルールの方もよく練られてましてね、これなら社会生活にバッチリ適合。素敵な宗教ライフが送れると存じますが」
「まあ素敵、私の好みよ。こんな宗教探してたの。これいただくわ」
「毎度ありがとうございます。きっと素敵な救済がありますよ」
*10ルールに必死でしがみついていかないと、いつか7倍ローストの刑が待っている:少なくとも、彼らはそう主張している。
*11現世で救われたと感じるのは本人の勝手だが:ちょっとこのエッセイの論旨からは脱線するが、「宗教によって救われた」という人間は大勢いるし、それが現代の宗教にとっては非常に重要なセールスポイントになっているのは間違いない。キーワードはおそらく「依存」である。神に「依存」することによって、信徒はさまざまな心理的重圧を、文字通り神に投げてしまうことができる。罪悪感や不安を「神がお許しになります」「神様の与えたもう試練です」となれば、なんとなく納得がいくし、とにかく何も考えなくてよい。神様に頼りっきりになれば、人間の負担は10倍軽くなる。そう言うとアンチ宗教の人は「考えることを放棄するなんて」と眉をひそめるだろう。だがそんなにあれこれ考えて嬉しいか? 下手の考え休むに似たり。考えなくていいことまで考えて悶々とする一生と、どっちがマシだか分かったもんではない。
*12Can you believe it?:念のために言っておくが、僕は「破戒信者」である。狂信者ではないし、アンチ宗教でもない。この文章で僕が宗教に否定的であるとか、肯定的であるとか結論するのは間違っている。僕は自分が思ったとおりの宗教のイメージを描き出したに過ぎない。ただし、どちらかと言えば、宗教に対しては肯定的なつもりである。

#1ヌッ殺して:(2005.03.23追記)この下りについて「ブッ殺して」の誤記ではないかとのお問い合わせあり。これは2ちゃんねるなどで使われる、誤用から転じた表現で、個人的によく使っている。「ヌッ殺す」って音が間抜けで好きだ。ここでも、「ブッ殺して」ではあまりに血なまぐさい表現と思われたので、和らげるために「ヌッ殺して」を使用した。


■参考文献
◆G.K.チェスタトン『ブラウン神父』シリーズ(創元推理文庫)
コナン・ドイルと並び称されるほどのミステリの古典だが、宗教的にも文学的にも深い内容を含んでいることで知られる。ソリカン3大重要書籍の一つ。
◆G.K.チェスタトン『正統について(Authodoxy)』
チェスタトンが書いた分厚い宗教論。宗教論の常として、ドグマティックな部分は否めない。多分、宗教に関心のない人が読んでも面白くもなんともない。
◆R.A.ハインライン『ヨブ〜コメディ・オブ・ジャスティス〜』ハヤカワSF文庫
ハインラインには珍しい宗教を扱ったパラレルワールドSF。主人公は牧師で、聖書からの引用や、聖書の意外なエピソードなどがたくさん紹介されている。「コメディ」とある通り、それほどマジメな作品ではないので軽く読める。(が、ハインラインの小説の中ではあまり面白い方ではないと思う)
(2003.06.08)

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Mogami Takafumi / もがみたかふみ
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