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the Quest for the Flower
花の探索

「“世界で一番の花”!」
伯爵が芝居がかった声で告げ知らせると、観衆はどよめいた。
「まさか……」「“世界で一番の花”とは」「これは厳しい……」
「“大地の終わり”に咲くという“世界で一番の花”を三ヶ月以内に持ち帰ること!」
伯爵の声に、観衆は再びどよめいた。
「三ヶ月!」「三ヶ月とはまたずいぶん短い……」「伯爵様も、いくら姫を手に入れたいからと言って」「しっ」
城の門前広場を取り巻いた観衆のどよめきにも、レインガルド家の騎士はまったく動じなかった。伯爵の足元にひざまづいていた彼は、ただ顔を上げ、力強く、言うべき言葉を決められた通り言った。
「拝命いたします。“大地の終わり”に咲くという“世界で一番の花”を三ヶ月以内に持ちかえること」
「今日この日から三ヶ月後の日没までだ。もしも言葉を違えることあらば、騎士の位 は剥奪され、都を追われる。よいな」
「承知しております」
この無謀とも言える決意に、都の人々は大きな歓声と声援を送った。こうして“花の探索”として知られる冒険が幕を開けたのである。

「あなた様は、私のことなど、何も気にかけておられないのです」
「姫、お待ちください。私は姫のためを思えばこそ、この探索に……」
「探索など……探索など、どうでもいいではありませんか」
「しかし、この探索を見事成しとげた暁には、レインガルド家の名誉も高まり、晴れて姫を……」
「あなたは名誉のことばかりを気にしておられて、私のことは考えておられないのです」
「そんな」
「私のこともお考えになってください。もしも、あなたが戻らなかったらと思うだけで、この私の胸がどれほど痛むか」
「ご心配には及びません。姫、必ず戻ります。期限通りに」
「……三ヶ月は短すぎます。伯爵がそう決めたに違いありません。あの方があなたを疎んじておられるのは皆知っています」
「大丈夫です。姫のためなら、どんなに険しい谷も“大地の終わり”も恐れはいたしません」
「あなたはやっぱり何も分かっておられない」
姫はためいきをついた。
「でも……どうか、どうかご無事で……何があっても、期限が過ぎても、私はお戻りをお待ちしております」
姫は涙ながらにやっとそれだけ言った。

 屋敷に戻った騎士はすぐさま支度を整え、両親に別れを告げた。
「父上、それでは参ります」
「レインガルドの誇りを忘れることのないように。勇気と誇りこそが我ら騎士の要だ」
「承知しております。母上も、お元気で」
「息子よ、これを持ってお行きなさい」
騎士の母親は、侍女から羊皮紙の書面を受け取って息子に手渡した。その羊皮紙はもう古びていたが、インクはなぜか生々しく、昨日書いた文字のように黒々としていた。騎士の母親は言った。
「お前に与えられた“花の探索”は、これまでどんな詩人も聞いたことがないほど困難なものになるでしょう。この書状は、レインガルドの家に二十三代も前から伝わる契約の文書です。これを持って、夜闇の谷に住む“雨の魔女”を訪ねなさい。この契約書には、その魔女が一度だけレインガルド家のために力になってくれると書いてあります。お前が父上同様、勇敢で誇り高いと知ってはいますが、それでもこの探索には、雨の魔女の助力が必要だと思うのです」
騎士は羊皮紙を大切にしまうと、馬に乗り、もう一度家族に別れを告げた。そして走り出した。夜闇の谷へ。

 人里を離れ、長い森をくぐり抜け、夜盗の群れさえ通らぬ淋しい荒野を渡ったその先に、夜闇の谷が真っ暗な口を開けていた。この谷には隅から隅まで得体の知れぬ 草花が繁り、どこもかしこもじめじめと湿っぽく、よく訓練された騎士の馬でさえ踏み込むのを躊躇するほど不気味な場所だった。騎士は慎重に道を選びながら、“雨の魔女”が住むという小屋を探してまわった。幾日も幾日も甲斐なく歩きまわり、次第に騎士が不安を抱き始めた頃、ようやく小さな小屋が見つかった。
 それは今にも崩れ落ちそうなひねくれたあばら家で、柱をまっすぐに立てられない人間が建てたような小屋だった。三階まではどうやらあるらしいが、一つとして部屋の真下に部屋はなく、どうにもおんぼろで雑な印象を与えた。騎士が扉を叩くと、狭い戸口から、ひとりの鼻の曲がった老婆が顔を出した。老婆は群青色のゆったりした服を着ており、鼻かぜでも引いたようなしわがれた声を出した。
「誰だい、あんたは?」
騎士は契約書を差し出して言った。
「レインガルドの家の末裔だ。契約どおり、あなたの助力を得るために来た」
魔女は眉間にしわをよせ、羊皮紙に鼻がつくほど近付けて文字を追っていたが、はたと驚いたように騎士を見た。
「思いだした、思い出した。あれまあ、こんな古臭い契約を、よく後生大事にとっておいたもんだよ。あたしゃてっきりもうあんたの家系は途絶えて、取り立てには来ないのかと……おっと、こいつは失言。さ、ともかく話を聞こうじゃないか」
雨の魔女は戸口を開いて、騎士を中に招き入れた。

 魔女の家の中は奇妙な物音でいっぱいだった。というのも、天井という天井から、雨だれがぽたりぽたりと落ちてきて、そこらにあるあらゆる器物に当たって音を立てるのだ。雨は降っていなかったはずだったがと、騎士はちらりと考えた。雨だれは騎士の鎧にも落ちて、ピン、タンと奇妙な音を立てた。それがいかにもこの小屋にそぐわぬ 音で、騎士は自分がここではよそ者なのだと自覚せずにはおれなかった。
「なにせ、雨漏りがひどくてね」
魔女はなにやら言い訳がましくつぶやくと、雨だれで湿った椅子を騎士にすすめた。
「さて、あんたがわざわざこのかび臭い契約を持ってやって来たからには、なにか面倒があるんだろ。まさか裏庭のかぼちゃの出来が悪いからって、あたしのトコに来るわけはない。何かかぼちゃよりもまずいことがあるわけだ。そいつはいったい何だね?」
騎士は自分に課せられた使命について老魔女に語った。
「なんと、“世界で一番の花”か。うまいこと考えたもんだ。あんたみたいなトウヘンボクは、ノコノコと“大地の終わり”までおでましになる。準備もなしにね。そして勇猛果 敢に“大地の終わり”までたどり着く。そりゃたどり着くさ。なにせ並ぶ者の無い勇者様だもの。そしてそこで、はたと困り果 てるわけさ。そして使命を果たすこともできず、かといって都へ恥をさらすこともできず、永遠に“大地の終わり”をうろうろして回ることになる。騎士様の誇りとやらを鼻の先にブラ下げてね」
「使命を果たすことができないと?」
「そうなるはずだったよ……このあたしがついてなけりゃ、そうなるはずだった。あんたの母上は、うまいことやったよ。まさにその契約を使う潮時ってもんを心得ていた。二十三代も過ぎれば、使うのが惜しくなっちまうのが人の性だがねぇ。どれ、あんたの手のひらをお見せ……ほら、やっぱりだ。あんたの家は、いい女性に恵まれる筋だよ。代々賢い女性が登場する。祝福あれ、あんたの姫様も同じくらい聡明なるお人だといいんだが」
「だが、どうして使命を果たすことができないんだ? “大地の終わり”に“世界で一番の花”は咲いていないのか?」
「そんなことはないさ。たぶん咲いているだろう」
「たぶん?」
「だけどあんたにゃ持ち帰れないよ」
「どうして? そこにあるなら持ち帰るだけだ」
「かぼちゃ盗むみたいに気安く言うんじゃないよ。無理無理、それはあんたにゃ無理さ」
「摘むことのできぬ花なのか?」
「いや、摘むのは簡単」
「じゃあ、その花は目に見えない?」
「見えすぎる」
「じゃあいったい、“大地の終わり”に“世界で一番の花”はあるのか、ないのかどっちなんだ」
「やれやれだ。あんたはまだ“世界で一番の花”ってものを理解していないんだね。困ったもんさ」
「何かまずいことがあるのか? 今の時期には咲いていない?」
「いやいや、あんたはさっぱり分かってないよ……」
魔女は手を振って騎士を黙らせると、うんざりしたようにため息をついた。
「いったいあんたの話を聞いていると、“大地の終わり”にたどりつくまでが大仕事のように聞こえるじゃないか。“大地の終わり”にたどりつきさえすれば、彼女の元へ戻れるみたいじゃないか。だけどね、あんた、『どこかに行きさえすればすべてうまくいく』なんて、そんなうまい話はどこにもないんだよ」
「何がダメなんだ? そこにある花を持ちかえるだけじゃないのか?」
「とんでもない、とんでもない! とんでもないこと、この上なし! ここ二十三代のあんたの家系で、今のは一番とんでもない台詞だよ。“大地の終わり”にたどりつくまではほんの序の口、小手調べにすぎないよ。そこで“世界で一番の花”を手に入れるまでが本当のあんたの冒険で、そして何より大仕事だ」
イライラしたように魔女は言った。
「その大仕事は誰にも真似ができないし、誰もあんたを助けちゃくれない。あんたが独りでやりとげなくちゃいけないんだ。もしも誰かがあんたに口出ししたりしたら、手に入れたものが何なのか、あんた自身さっぱり分からなくなっちまうだろうよ」
「どうもよく分からんな」
「当たり前さ。あんたがもしよくよく分かっていたら、指一本、髪の毛一筋動かす必要もなく花は手に入るんだ。だけどあんたはさっぱり理解していないと来た。理解こそが、あんたの使命には欠かせないってのにね!」
魔女は雨漏りでじめじめする部屋をぐるぐると歩き回りながら、額をこすり、眉を寄せ、耳をひっぱりながら思案し始めた。
「自分の求めているものをはっきりさせることがなにより難しい。あんたの探している花をはっきり心に抱くことこそが、何より困難。さて、どうしたものやら。あんたのような阿呆に理解をさせるのはとんでもなく骨折りなことだが、あんたを助けてやると約束したからにゃ、なんとかしなくちゃならんねぇ」
魔女はあれこれとつぶやきながら、あちらこちらの本を開いたり、何かを探したりして部屋の中を歩いた。そのうちに魔女は本に何かの記述を見付け、熱心に読みふけって、そこから何かを思いついたようだった。ばたんと本を閉じると、魔女は騎士に向き直り、きっぱりと言った。
「鎧を捨てるんだよ、鎧も、剣も、盾もすべて。全部捨てて、それでかからなくちゃうまくいきっこないさ。あんたの悪いところは、あんたの鎧があんたの一部になってること。剣だの兜だの、余計なものがどっさりね。でも、あんたの鎧はあんたじゃない。あんたの剣はあんたじゃない。あんたの盾はあんたじゃない。あんたの家はあんたじゃない。騎士なんて肩書きはあんたじゃないんだったら!」
騎士は戸惑ったが、魔女の剣幕に押されて兜を脱ぎ、鎧を外し、剣を机の上に置いた。脱いだ鎧の上にピン、タンと雨漏りが落ちた。
「さ、これでいい。ちょいと、こざっぱりとしたじゃないか。兜をとってよくよく見れば、そう悪くも無い面 構えしてるよ。あたしがもうちょいと若けりゃあねぇ。どうだい、生まれ変わったような気持ちがするだろう」
「鎧がないと、裸になったような頼りない気分だ。第一、肌寒い……」
「そりゃ、生まれ変わる時は誰だって裸さ。そうだろ? でなきゃ生まれ変わる甲斐がないんだもの。寒けりゃマントを貸してあげる。“大地の終わり”まではこのままで行くんだよ」
「“大地の終わり”まで? だがもし途中で魔物にでも襲われたら……?」
「おや、聞き捨てならないね。勇猛果敢な騎士様が魔物を恐れるのかい?」
「そうではない。そうではないが、いくらなんでも剣がなければ、それに鎧も……」
「だめだめ、どうしても鎧はつけちゃいけない。それがあんたの第一歩さ。情けない顔をするんじゃない。あんたの二十三代前の親父は素手で裸だからってそんな顔しやしなかったよ。今のあんたよりはあの親父の方がしゃきっとしてたねぇ。まあこの短剣くらいは貸してあげる。鎧や剣は預かっておいてやろう。欲しけりゃ帰りに取りに来るがいいさ。けど、ここから先へ持って出ちゃいけない。それがどうしても必要なこと。さて次は、と」
魔女はがさごそと棚をひっくり返したり、物入れをのぞき込んだりしながら何かを探していたが、そのうちに取っ手のついた木の箱を持って戻ってきた。
「あったあった。なんせずいぶん昔に手に入れたもんだから、どこにやったかと思ったよ。さ、鎧の代わりにこいつが必要になるはずさ。持ってくといいよ」
騎士はそれを受け取り、机の上で開けてみた。中身は整理されずにごちゃ混ぜになっており、ばらばらと絵の具の容器がこぼれ落ちた。
「絵を描く道具か」
「もちろんさ。何だと思ってたんだい。さ、よくお聴き。大地の果てであんたはきっと“世界で一番の花”を見つけられない。そしたら、そこで絵を描くんだ」
「何の絵を?」
「そりゃ“世界で一番の花”の絵に決まってるじゃないか」
「だが今、あんたは、絶対に見つけられないと言ったばかりだ」
「絶対にとは言わなかったよ。だけど見つけられないだろうね。それだから絵を描くんだよ」
「見つけた絵の花を描くのか?」
「違う違う! 分かってないね、花が見つかったら描く必要なんか無いじゃないか。見つける前に絵を描くんだよ」
「そんな無茶な話は、聞いたことがない」
「無茶というなら、あんたのやってることがもう無茶なんだよ。3ヶ月で“世界で一番の花”を持ち帰るだなんて、できもしないことを約束するもんじゃないよ」
「だけど、せめてどんな花なのか、教えてくれなくちゃ見当もつかない。色とか、花の形とか……」
「知らないよ、あたしが知るわけはないじゃないか。あんたが絵を描く、それで花が見つかるかもしれない。描けなかったらもうあきらめるんだね」
ここまで言うと、魔女はさっさと騎士を追い出した。バタン、と鼻先で扉が閉まってしまうと、騎士は短剣と絵の具の箱を馬に載せた。そして、晴れた空の下、途方に暮れたように歩き出した。“大地の終わり”へ。

 騎士は、“大地の終わり”までの旅がこれほど心細いものになるとはまったく予想していなかった。都を出る時には、自分があらゆる困難を強い意思で乗り越える姿を思い描いていた……もちろん、剣と鎧を身につけた状態で思い描いていたわけだ。しかし今では頼みの剣も鎧もなく、武器といえば腰に差した小さな短剣のみ。これではほんの兎ほどの魔物に襲われただけでも無事でいられるかどうか。馬も、背中の主人が急に軽くなったのをいぶかしむ様子で、とまどったように主人を見上げるのもしばしばだった。しかしいずれにせよ、騎士は先に進まなければならなかったし、馬はそのうちに軽い荷物に慣れ、これまでにない軽快な速さで駆けた。それはまさにくびきを放たれた、といった調子で、騎士でさえもこの馬の変わりように軽い驚きを覚えた。
 騎士自身にとっても新しいこの身体は驚きであった。今まですべて旅に出れば終日ずっと鎧を身につけ、一挙手一投足に鎧の重さを感じながら、それを苦とも思わないのが騎士の誇りとばかりに考えていた。しかしひとたびその鎧を外してみれば、身体は軽く、このような旅もあったのかと不思議に思うほどであった。騎士は風にさらされる肌を頼りなく思う反面 、それがまた快くもあった。
 また、これほどまでに自分の身の上行く末を心配し、頼りなく思ったこともなかった。明日の自分は果 たして五体満足でおれるだろうかと案じ、頼りない短剣のつかに手をかけて慰めを得るなどという不安な感じは、騎士になって以来、ついぞ感じたことのないものだった。それは幼い頃に置いてきた感覚、長い間、騎士の誇りと鎧の下に押し殺してきた不安という感情だったのだ。

 結局のところ、“大地の終わり”までの道のりは問題なく順調だった。道を進むにつれ、次第に太陽はぼんやりとしてきて、昼と夜の区別 が薄れていった。太陽は、曇り空のようにぼんやりとした光を送り、そのうちにはどこに太陽があるのかはっきりとは分からなくなってきた。騎士の影も次第に薄れてゆき、それとひきかえに辺りは薄暗くなっていった。
 地平まで遥かに広がっていた地面は、次第に見える範囲が狭くなり、騎士はゆっくりと馬を進めなければならなかった。馬はゆっくりと、しかし確実な足取りで歩を進め、そしてある日、不意に立ち止まった。騎士は馬を下りた。すると、正面の足元から兜のない騎士の顔に向けて、風が吹き上げた。肌寒い冷たい風だった。ゆっくりと近付いてみるとそこは切り立った崖で、その先は闇に消えていた。騎士は空を見上げ、崖を見下ろし、馬を見た。馬は肯定するかのようにいなないて、のんびりと草を食みはじめた。
「これが、“大地の終わり”か……」
騎士は呆然とあたりを見た。崖からこちらの地面は果てしなく広がっているようだったが、視界の端は薄ぼんやりと闇に包まれ、ほんとうに大地が広がっているのか、それともそこに何かがあるのかはよく分からなかった。地平まで見渡せるようでもあったが、しかしいくら目をこらしても地平線は決して見えず、かすんだように深い霧のように、ぼんやりとしていた。
「さて、“世界で一番の花”というのはどれだろう?」
騎士は辺りを見て、何かの花が咲いているのを見つけ、近付いた。すでに足元もかすんではっきりとは見えず、騎士は兜のない顔を花に近づけてよく見なければならなかった。
 それは、騎士が今までに見たこともないほど美しい花だった。黄色く、可憐な花びらを持つ花だった。しかし、これが本当に“世界で一番の花”かと言われると、騎士には確信が持てない。別 の草も眺めてみれば分かるだろうと、騎士は何歩か離れた場所の花に近付いた。
 それもまた、見たことがないほど美しかった。先ほどの花とはまったく異なって、白く、大輪の花を輝かせ、葉までが生き生きとしていたが、しかしやはり“世界で一番の花”かどうかは判断しかねた。振りかえって見たが、先ほどの花はもやの向こうにかすんで、ぼんやりとしか見えなかった。
 騎士が数歩歩くたびに、別の花が咲いていた。いずれも今までに見たことがないような美しい花で、一つとして同じものはなく、それでいて甲乙つけがたい魅力を秘めていた。騎士は、何度も何度も花々を目に焼き付けようとした。しかし、一つを見ているうちに最初の一つを忘れてしまい、最初の一つに戻れば最後の一つを忘れるといった有様で、結局のところ、この“大地の終わり”に咲くすべての花を比べてみるなどということはできない相談なのだった。
 騎士は途方に暮れた。果たしてどの花を持ちかえればいいのか、彼にはさっぱり分からなかった。その時になってやっと、彼は魔女の助言と魔女が持たせてくれた道具を思い出した。彼は、馬のところに戻って荷物から絵の道具を取り出し、広げた。そして慣れぬ 手つきで画架を組み立て、筆を並べ、絵の具を準備した。絵筆など握ったこともない騎士は、どの筆が何の役割かさえさっぱり分からなかったが、細くもなく太くもない筆を一本握ると、薄くもなく濃くもない色をつけ、画架に向き合った。
 魔女が言った通り、今はじめて、騎士の本当の冒険、本当の大仕事が始まったのだった。

 騎士は“世界で一番の花”を描くために筆を握り、思案した。それは紅いだろうか、蒼いだろうか。先ほど見た黄色い花は美しかった。あんな花ではなかろうか。彼は筆を握り直すと、花を彩 りはじめた。だがおよそ、思った通りに筆は動かない。いくらも進まぬうちに、騎士は筆を止めた。だめだ。まず線を思った通 りに引くことができぬ。騎士は何度も絵の具を削り落としながら、思い通りの線を引こうと苦心惨憺、練習を重ねた。筆の特性を学び、太さを使い分けることをようよう覚え、なんとか思った線が引けるようになるとまた花を描き始めた。
 しかし、自在に線が引けるようになって初めて、今度は引くべき線が分からなくなった。どのような線でも引けるのに、どのような線を引いてよいのか分からない。美しい花、“世界で一番の花”の絵を描こうにも、それがどのような形か、さっぱりわからないのだった。
 もしも鎧をつけたままの騎士であったなら、自信に満ちた騎士であったなら、傲慢に一つの花を選んで無理に自分を納得させていたことであろう。しかし今の騎士は根底から自信というものを覆され、自分というものの至らなさ、弱さを実感していた。どうしても、どうしても一つの花を選ぶことができない。騎士は何度も何度も絵の具を削り落としながら、幾多の花を描き続けた。
 そのうちに、騎士にも一つ一つの花の違いが分かってきた。それは良し悪しというにはあまりにかすかな違いであったが、とにもかくにもそれが分かるようになったことで、騎士は花を見る目を養いつつあった。騎士はそれぞれの花の部分を理解し、その役割を理解し、優劣を比較した。そして全体を評価するということが少しずつ少しずつ可能になっていった。そしてついにある日、騎士は自分の中に、あらゆる不満が蓄積していることに気付いた。それは今まで自分が描いてきたすべての花への不満であった。それと同時に、騎士はそれらすべてを払拭する、完全なる花を、まさにありありと、脳裏に描き出すことができていた。彼はもはや迷うことなく、描いた。心に描いた“世界で一番の花”を。

 ここ数日、都は人であふれかえり、この日、それが頂点に達していた。あらゆる人々はそわそわと落ちつきがなかった。仕事をしている者たちも大通りの方を幾度となく振り返り、気にしながら過ごした。どこかから歓声が聞こえてこないものかと耳をすまし、誰もが騎士の帰還を期待した。半信半疑ながらも、勇猛で知られたレインガルド家の騎士が使命を見事果 たすことをどこかで願っていたのである。この日が刻限の3ヶ月目であった。
 街の外門から城の広場へと続く大通りには、朝から大勢の人々が陣取っていた。このために仕事を休んだ者や、騎士に尽きせぬ 憧れを抱く子供や娘たち、そして物見高い与太者たちが通りの左右に居並び、てんでに勝手なことを口にしながら、騎士の帰還を待ち受けた。彼らは、鎧兜に身を包んだ立派な騎士が旅に出るところを見ていたから、大きな平たい包みを抱えた平服の男が馬でゆっくりと歩いて過ぎるのをたやすく見過ごした。
 しかし、男が通りの真ん中を堂々と、広場に向かって進むにつれて、少しずつ群集は男に注目し始め、ざわめいた。誰も、騎士の背格好を覚えていなかった。鎧をつけていれば別 だが、しかし男は鎧をつけていない。髪の色は? 顔は? 兜の形なら分かるが、それに盾の紋章があれば……都の人々は次第に数を増しながら、男を指してささやきあった。だが男はいっこうに構わず、夕暮れの都を馬の背に揺られて進んだ。
 広場には、伯爵と、その手下の兵士たちと、そして姫君とが壇上で騎士の帰りを待っていた。男が広場に入ってゆくと誰よりも先に姫君が立ち上がり、騎士の無事な姿を見て涙をにじませた。それを見て初めて、広場を取り囲む群衆は、この男がかの騎士であると、はっきり分かったのである。騎士は、壇の前まで進むと、馬を下り、壇に向かってひざまづいた。
「よくぞ、ご無事で……」
言いかける姫君を、いまいましげに押しとどめたのは伯爵だった。伯爵は壇上から、ひざまづいたままの騎士に向かって言った。
「刻限に間に合ったのは結構なことだ。それで“大地の終わり”に咲くという“世界で一番の花”を持参したか?」
騎士は、馬に向き直ると、大きな平たい包みを下ろした。そしてその包みを解くと、まず壇上の姫君に、そして伯爵に、最後には馬上から群集に向けて、高々と掲げた。
 それは、一面に咲き誇った美しい花畑の絵であった。その息を呑む美しさはまぎれもなく“世界で一番の花”であると、誰もが認めた。そして、その絵の中央に座って微笑んでいる美しい女性は、壇上にいる姫君その人に他ならなかった。この美しい一幅の絵に、そして騎士が成し遂げた冒険に、そして彼の想いに、群集は大歓声を上げた。
「さすがレインガルド家の騎士だ!」「花の探索を成し遂げるとは……」「これぞまさに“世界で一番の花”だ!」「騎士の誇りにふさわしい……」
 だがしかし、怒号を圧して響き渡ったのは、怒りと妬みに震える伯爵の叫びであった。
「静まれ!!」
伯爵の声に、都の群集はしんと静まりかえった。
「絵は絵だ。花ではない。まして、“世界で一番の花”などではない。見苦しい詭弁に過ぎぬ ……」
群集は再び叫び出した。
「ひどい」「ひどいぞ」「詭弁はどっちだ」「不公平だ」「成功だ! 探索は成功だ!」「成功だ!」
伯爵はなおも続けた。
「騎士の探索は失敗だ。レインガルド家の騎士の位を剥奪し、都から追放する。衛兵!」
伯爵の命令に兵士たちは進み出ようとしたが、それに反して高まった群集の叫びのあまりの迫力に、わずかに躊躇した。その瞬間、騎士は姫君を見た。姫君は、もはや一瞬も躊躇しなかった。
 姫君は兵士たちが動き出すよりも素早く壇を飛び降りると、馬の背に手をかけた。さっきまで騎士だった男は、馬上から姫君に助けの手を差し伸べ、自分の前に横座らせた。拍車をあてるまでもなく、馬は主人の意を得たりとばかりに走り出した。鎧のない主人とその姫君を乗せて走るくらいは、訓練された馬にとって何ほどの苦労でもなかった。
 我に返った伯爵が大声をあげて叱咤した。
「追え!」
兵士たちは今さらながらに後を追おうとしたが、遅すぎた。歓声をあげる群集が、道をふさいでしまったからだ。
「レインガルドの騎士、万歳!」「お幸せに!」「万歳!」
大通をかけてゆく二人に、都中の人々が祝福を投げかけた。二人は門を抜けた。どこまでも馬を走らせた。そしてそのまま、二度と都へは戻らなかった。


「おや、来たね。分かってるさ、鎧を取りに来たんだろう? そこの袋の中をご覧……鎧兜や剣を売った分の銀貨さ。どうせ売り払うつもりで来たんだろ、手間がはぶけた方がいいと思ってね。妙に多いって? 騎士様の鎧を高く欲しがった奴がいたのさ。……ああもう、うるさいね。あたしからの祝儀も入ってるくらいのことは、察しておくれよ。相変らず物分りの鈍い……こんなのについていくと苦労するよ、娘さん。どれ、手のひらを見せてごらん。……なるほど、悪くない。ねえ、あんた、あたしゃこの前、ちゃんと言っただろう? あんたの家は女性に、それも賢い女性に恵まれる筋だってね……」

Fin


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もがみたかふみ
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