経 世 済 民

・展開編

 5人のみが存在している通貨循環モデルを、まずは社会として想定します。
 この社会には、生産物(商品、と呼んでしまっても良いのですが、ここでは分かり易さを重視して"生産物"と呼称します)が、一つだけ存在している、とします。
 その生産物を、Aと名付けましょう。
 5人は、Aを五個生産し、一人一つずつそれを消費して暮らしています。Aの値段を10円とするのならば、Aに関する通貨の流れは10円×5人で、50円となります。
 (この生産物Aは、限界需要を時間当たりに一個であるとします。通常の経済学ではあまり言われない概念ですが、生産物の需要には必ず限界があるはずです。無限に同じ生産物を消費し続ける消費者などいません。だから、『限界需要』の概念を想定する必要性があるのです)
 これを生産面から観るのならば、

 生産物Aに関して合計50円のコストがかかり、合計50円の収入がある。

 と表現でき、消費面から観るのならば、

 1人につき10円の収入で10円の支出。社会全体では、合計50円の収入があり、合計50円の支出がある。

 と表現できます。
 さて、ここに生産効率の向上を起こします。
 1人のみで、このAを生産できるようになってしまった、とするのです。すると、Aを生産するのは1人で良く、現実社会を考えるのならば、企業はできるだけ無駄を省こうと動くはずですから、1人だけでAを生産販売しようとし、後の4人を解雇するでしょう。すると、この4人は失業者となってしまいます。
 では、こうなると、通貨の流れはどうなってしまうのでしょうか?
 4人には収入がないのですから、収入はゼロです。ただし、解雇されたばかりの時には、前もって得た賃金が4人には10円ずつあるので、生産物Aを消費できます。4人がそれぞれ生産物Aを消費すると、Aを生産している1人に通貨は全て流れ、1人だけに通貨は集中をしてしまいます。
 5人全ての通貨が、1人に集中をするのですから、5人×10円で、50円。
 (この1人を、生活者aと呼びます)
 この1人は、このモデルでは、企業も兼ねているので、この1人に通貨が集中をする事は、企業の業績が一時的に回復をする事を意味してもいます。もちろん、その企業に勤める労働者の所得も上がる場合が多いでしょう(この一時的に景気回復する期間は、失業保険や退職金が失業者に支給される……、或いは、失業ではなく、賃金の低下となってそれが現われる場合も存在する為、現実社会ではある程度の長さを維持すると思われます。また、膨大な現実社会では、これは一度に起こるのではなく、段階を踏んで、波となって何度か繰り返し、徐々に経済社会は萎縮していくと予想できます)。
 生産効率の向上によって起こる不景気の場合、こういった現象が起こるだろうと予想できるのです。
 一部に通貨が集中をした状態が続けば、やがては、消費活動は鈍る事になります。一部の人以外からは通貨がなくなり、その人達は消費活動を活発に行う事ができなくなってしまうからです。
 このモデルでは表現が困難なのですが、売れ行きが伸び悩めば、企業は価格を下げて生産物を販売しようとするはずですので、現実社会では物価の下落が起こります。
 つまり、デフレーションです。
 もし、仮にこのデフレの間に景気が本回復をしなかったのならば、やがては一部だけで通貨の循環が起こるようになり、これまでとは逆に、インフレーション、物価上昇が起こります。
 先のモデルを用いて説明をするのならば、こうなります。
 生活者a、1人に集中をした通貨50円。生活者aは、生産物Aをこれまで通り五個生産したとします。ですが、幾ら生産しても、他の4人には通貨が巡らない為、生活者a1人しかAを消費できません。すると、残り四個は無駄となってしまいます。どうしても売れなければ、やがて生活者aは、Aの生産を一個のみに減らしてしまうでしょう。すると、生活者aは50円を持っており、企業は生産量を下げた分、価格をできるだけ引き上げて利益を得ようとしますから、生産物Aの価格は最大50円にまで上がる事になります。
 この状態は、他の4人を経済社会から切り捨ててしまった状態です。この状態では、経済に関わる人が減り、経済社会が萎縮した事によって、それまで社会全体を巡っていた通貨が一部分でしか循環しなくなる為、通貨が集中をします。すると、当然、一度に流れる通貨量が増えるので、物価が上昇をするのです。
 これは、貧困層と高所得層とに社会が完全に分かれ、安定をしてしまった状態である事を意味しています(僕には、今の社会の現状は、この状態に向って徐々に進行をしているように思えて仕方ないのです。実際、数字の動きは…… 貧富差が増大し続けている事を示しています)。
 貧困層は、非常に厳しい生活を強いられる事になるでしょう。
 では、この状態を回避する為にはどうしたら良いのでしょうか?
 幾つか方法はありますが、一番、得策なのは、前章でも記述した、新たな生産物を誕生させる方法です。仮に、ここではその新生産物を、生産物Bと呼ぶ事にしましょう。
 このBを他の4人が一個生産したとします。通貨を持っているのは生活者aのみで、生産物Aの価格は10円。すると、生活者aの自由になる通貨は40円です。ここでは考え易くする為、生産物Bの価格は、その40円である事にしましょう。
 生活者aは、他の4人から生産物Bを買い、40円を支払います。すると、他の4人にも通貨が巡り、消費活動を再開させる事ができるようになりますので、生産物Aに関しての『通貨の循環』が復活するばかりでなく、生産物Bに関する新たな『通貨の循環場所』が誕生をする事になります。

 生産物Aに関しての通貨の循環
 10円×5個=50円

 生産物Bに関しての通貨の循環
 40円×1個=40円

 時間の概念を省略して単純に計算をしてしまいますが、この状態の通貨循環量は、全体で90円に増えています。つまり、生産効率が上がり、余った人手で別の新しい生産物を生産する、と経済は発展をするのです。
 前章でも説明しましたが、経済が発展にするに伴ない、様々な生産物が誕生をしてきた背景がこれの証拠になります。
 因みに、生産面からこれを表現するとこうなります(簡単に言えば、企業の立場から観ると、ですね)。

 生産物Aを生産するには、50円のコストがかかり、販売によって50円の収入がある。
 生産物Bを生産するには、40円のコストがかかり、販売によって40円の収入がある。

 続いて、消費面から表現するとこうなります(簡単に言えば、消費者の立場から観ると、ですね)。

 生活者aは、労働賃金として50円の収入があり、生産物Aを1個消費して10円。生産物Bを1個消費して40円。合計50円の支出がある。
 他の4人は、労働賃金として1人につき10円の収入があり、A1個を消費して10円の支出がある。4人全員では、合計40円の収入があり、40円の支出がある。

 (生活者aと他の4人との貧富の差は、やや埋まりましたが、それでも所得50円と10円とで、まだ差があります)

 生産物Aのみがあった状況下よりも、より複雑になっているのが分かると思います。従来の数学を基底にした経済モデルでは、このように、部分と部分を取り出して理解する事しかできなかったのですが、この論は、通貨循環モデルを使用する事によって、経済の総体を、俯瞰し理解し易くしているのです。

 では、更に論を進めます。この状態の通貨循環モデルに、生産効率の向上を起こしてみましょう。
 生産物Bは、今まで4人で一個しか生産できませんでしたが、4人で五個生産できるようになったとします。すると、生産量的には生活者aのみばかりではなく、他の4人も生産物Bを得られるようになります。
 ここで生産物Bの限界需要を、時間当たりに一個とするのならば、四個が余るので、通貨が巡りさえすれば、やがては他の4人にも生産物Bは流通する事になります(もちろん、生産物Bを4人とも需要している、という前提条件があった場合ですが)。
 流通するためには、Bを生産している4人にもその分だけの通貨が巡らなければいけない事になるので、4人の収入は増加します。
 物価の変動を考えないで計算するならば、生産物Bは40円なので、4人にはそれぞれ40円の増収がなくてはなりません。
 この状態で、生産物Bに関しての『通貨の循環』は 40円×1個=40円 だったものから、40円×5個=200円 に増加します。
 つまり、ここでも経済の発展が起こっているのですね。
 ここで注目をしてもらいたいのですが、前の状態では、このモデル社会には所得格差がありました。しかし、生産効率が向上した後の社会には、所得格差がありません。
 生活者aに50円の収入があり、他の4人にも同様に50円の収入があります。
 という事は、所得格差のない社会の方が、経済は発展し易いのだ、という結論が導き出せるのではないでしょうか?
 実際、経済発展をしている国は、所得格差の少ない国ばかりです。表面上は、所得格差が大きくても、社会補償制度などによって、実際は低く抑えられています。
 この事実は、今までの経済学では、実は上手く説明されて来ませんでした。教育水準が高いからだ、などと言われているようですが、それだけでは、とても充分な説明とは言えないでしょう。それでは、数学の教育水準では世界最高と呼ばれるインドが、経済的には発展をしていない、という矛盾を説明できません。しかし、この通過循環モデルを用いれば、それを説明できるのです。
 これは、この論が正しい証拠の一つになります。
 ただし、ここで、一つ留意点があります。
 これは生産面の機能性の保証…… つまり、物を生産する事に労働者が充分な努力をする、という前提条件が満たされている場合において成り立つ結論です。実際には、所得格差をなくし、皆平等の社会にしてしまうと、「幾ら働いても同じだ」、という心理が作用し、労働者のやる気が損なわれてしまい、生産面の機能がうまく働かなくなってしまうので、所得格差は、ある程度存在しなくてはなりません。
 つまり、所得格差の存在を認めつつ、なお一定レベルに所得格差を抑える事が必要なのです(説明は不充分ですが、この必要性に関しては今までの経済学でも、ほぼ同様の結論が得られています)。

 因みに、ここで展開した現象。生産効率の向上と伴に、所得格差の是正が起こり、それによって経済が発展をする、という現象は歴史の流れを観ても明らかです。
 自動車やTVなどの生産物(先のモデルでは生産物Bの事です)は、登場したばかりの生産量の少ない始めの内は、一部の人間(先のモデルでは、生活者aの事です)しか手に入れる事のできない高級品でした。しかし、生産効率の上昇が起こり、大量生産が可能になると、多くの人の手に行き渡るようになったのです。そして、それと伴に、所得格差の是正が起こりました。

 さて、この結論を踏まえた上で、今度は通貨の循環量に注目してみましょう。生産物Aに関しては、50円。生産物Bに関しては200円の循環量があります。合計で、250円ですね。生産物Aのみの頃は、50円の循環しかなかった所に、250円ですから、当然、通貨の量が足りません。価格を変えてしまうか、或いは時間差を上手く利用して取引すれば、今までと同量の通貨でも平気かもしれませんが、それだと不具合が生じてしまう可能性があります。
 循環を潤滑にするために取るべき、一番の方法は不足分の通貨を増刷し通貨供給を行うことです。
 『通貨の循環場所』が増えさえすれば、それが可能…… というよりも、むしろ、その必要性に迫られるからです。
 増えたのは、生産物Bに関する循環で、これには200円分の通貨循環がありますから、200円分、通貨を増やすべきです。更に説明を加えるのなら、初めの1回については、通貨を増刷しての、1人につき40円ずつ生活者に対しての支給が可能です。これで、生活者達に消費活動を行ってもらいましょう。後は通貨循環の過程で通貨が一部に集中しなければ、支出が、生産物Bに関して40円増えた分、それぞれで、40円収入が増える事になります。
 つまり、『通貨の循環場所』が増えた分だけの通貨を増刷するべきだ、という事です。

 これは、先の実例が証拠になります。
 今まで、自動車やTVといったたくさんの生産物が増えてきました。もちろん、生活者はそれらを消費しているのです。つまり、支出は増えているのです。もし、これで収入が増えなければ、消費活動を継続する事などはできないはずです。しかし、現実には、通貨は循環をしている為、我々は消費する生産物の種類が増加しても収入の増加によって、消費活動を継続して行う事ができています。そして、反対に消費活動を行わなければ、収入は減ります。
 つまり、長期間広範囲、マクロの視点で観れば、通貨というものは減らないのです(循環をしているのだから、当たり前ですが)。それどころか、遣えば遣う程増えていく。
 その昔、通貨の循環量が少なかった時代から、生産物の種類が増加すると伴に、通貨が増刷されてきた事実を観ても、これは明かでしょう。
 そして、前章での言葉を繰り返しますが、通貨の循環量を増やす為の生産物は、何であっても構わないのです。
 環境問題。幼児虐待や教育問題。犯罪。医療・福祉。etc…… そこに誕生をする生産物が、様々な社会問題を解決する為の生産物であっても。

 この僕が考えた通貨循環モデルは、数学の一種……、亜種で、思考方法の一つだと僕は判断しています。そして、数学が、演繹的思考によって様々な結論を導き発展した来たように、この思考方法も、様々な結論を導き発展させる事が可能です。
 今までの論はそれに当ります。
 通貨循環モデルを作成し、それを演繹的に展開する事で、様々な結論を導く……
 でも、これまでは、数学っぽくなかったですね(笑)。
 次は、ちゃんと(?)数学っぽいです。
 通貨についての性質の一つを明かにします。

 先の、一番最後の通貨循環モデル状態における、生産物A、Bの価格と、労働者数を書き出します。

 生産物A 価格10円 労働者数1人
 生産物B 価格40円 労働者数4人

 これだけで気付く人もいるかもしれませんが 生産物A:生産物B で、価格の比と労働者数の比が同じです。

   生産物A:  生産物B
  価格10円: 価格40円
 労働者数1人:労働者数4人

 つまり 価格比=労働者数比 が成り立ってしまうのです。
 (ここは価格ではなく、支出、とした方がより正確です。生産物に関する一人当たりの支出)
 しかし、これが成立するには前提条件が存在をします。このモデルは、『全ての生活者の所得が同じで、全ての生産物を時間当たりに一個ずつ消費している』状態ですから、この条件がなければ、これは成立せず、数値は別の値に変動をします。すると、様々な別の結論も導けるはずですが、ここではそれを追求しません。
 普通、価格を決定する要因として、需要と供給のバランスが言われています。しかし、現実社会の商品における、価格の硬直性や、需要が少ないからこその高額な商品(専門書などですね)の存在は、それだけでは説明がつきません。しかし、この論を用いれば、それを理解する事が可能なのです。
 さて、この結論によって、通貨についての性質の一つが分かります。『通貨には、ある生産物の循環に関して、労働者をどれだけ働かせるか、を決定する力がある』
 生活者が、通貨をどれだけ遣うかによって、そこで働ける労働者数が決まって来るのです。もちろん、これには『生産効率』の制約が存在するのですが。
 という事は、もし仮に、人々が通貨を遣わないままでいつまでもいたらば、一体どうなるのでしょうか?
 もし、遣わなければ、それは、労働者を遣わない事、を意味するのではないでしょうか?
 もちろん、これは遣う予定のある貯金には当て嵌まりません。ただし、通貨を遣わない状態がいつまでも続いてしまうと、労働者を働かせない、決定をしてしまうのと同じ事になってしまいます。
 つまり、失業者を出すのです。
 長期間の貯金の持ち過ぎは、失業者を生み出してしまうのですね。
 因みに 貯金÷平均所得 で、その失業者数を求める事ができます(もちろん、現実社会では、職を失う所得層が偏っている可能性や通貨価値が変動する場合が考えられるので、これは曖昧な数字と捉えるべきですが)。
 失業者が存在していた通貨循環モデルで、これを確かめてみましょう。
 生活者aのみが、生産物Aを生産するという職に就き、他の4人は失業者であったモデルです。
 生活者aには、50円の通貨が存在し、生産物Aは10円だったので、50円−10円で、40円。40円÷平均所得10円で4人。
 失業者数4人。一致します。
 (ここでの平均所得は、4人が失業する以前のものです)

 さて、今まで通貨循環モデルを使用して導き出せる様々な結論を観てきましたが、金融というものを想定しないで来ました(国の存在も無視して来ましたね)。
 金融は、少々特殊な生産物です。そして、とても複雑な動きをみせます。このモデルは単純なものですから、その複雑な動きを表現することが…… (できない訳ではないのですが) とても難しいのです。
 (実は、一度だけチャレンジした事がある)
 それで割愛させてもらいましたが、一つだけ、明確に結論出せる事があるので、明記をしておきます。

 『何処かに"投資"を行い、それが失敗した場合、その"投資"は一般の生産物と同じ働きをする』

 投資は普通、利益を想定して行われるものですが、それが失敗をした場合は、利益が生じず、結果的に投資を受けた人達に通貨を支払ったのと…… つまり、"投資"を消費したのと同じ状態になるのです。
 よって、投資活動が活発な社会では、投資意欲によって経済が保たれているケースが考えられるでしょう。(恐らく、アメリカはそんな社会なのです)。ただし、そんな社会は言うまでもなく不安定です。もし、仮に、それで経済危機が回避できるのだとしても、そんな社会になる事は、極力避けるべきでしょう。

 最後に、今まで求めて来た結論で、この二点だけは押さえておいてもらいたい、重要な部分を纏めてみたいと思います……。

 1. 経済社会の発展には、生産物の生産技術と、その生産効率の向上という要因がある。
 (これを、仮に技術的経済力と名付ける事にします……)

 一つの生産物に関する需要には限界がある為、新たな生産物の誕生は、経済発展にとって有益であると考えられます。
 また、その流れは、生産効率の上昇によって人手が余り、その余った人手で別の新しい生産物を生産する、といったものが基本。
 これを繰り返すことによって、生産物の種類はどんどんと増加していきます。

 2. 経済社会の発展には、技術力ばかりではなく、通貨の循環が重要である。通貨が上手く循環しなければ、生活者は生産物を消費する事ができない。
 (これを、仮に通貨循環的経済力と名付ける事にします……)

 充分な生産量を確保できる場合、所得格差が少ない方が、消費面からのみ考えるのならば、経済社会にとって有益に働くと考えられます。
 これは、逆を言えば、大量生産できない生産物が消費される為には、高所得者が必要であり、同時に、所得格差が開いてしまったのならば、一部で高級品の需要が高まるのだ、という事を意味してもいます。

・次へドン♪       ・難しい童話の表紙へ