経 世 済 民

・言及編

 生産物の生産効率が上昇すると人手が余る。その余った人手で別の何か新しい生産物を生産する。
 それが繰り返される事で、どんどんと新たな生産物が誕生をし、生産物の種類は増えていく…………
 (言い換えるならば、それは、人々が分業を行って様々な生産物を生産している、という事を意味してもいます。農家が社会の生活者全員分の農作物生産を担当してくれているお陰で、パソコン生産を担当する人が存在できるのです。ですから、経済発展の歴史とは、作業分化発展の歴史でもある、と呼んでしまってもいいのかもしれません)
 さて、それを踏まえて考えてみると、ここで当然、疑問に思うべき事柄が出て来るのではないでしょうか?

 "生産物の種類の増加に、限界は存在しないのだろうか?"

 前章で、一つの生産物に関しての限界需要がある事を、僕は明記しました。だからこそ、生産効率が上昇した場合、新たな生産物が必要になって来るのです。しかし、新たな生産物の誕生にだって、限界は必ずあるはずです。今度は、それを考えているのですね。
 生産物が、 B,C,D,E…… と、どんどん増えていく。もし、その生産物の増加が終ってしまったなら…… 人手は余りっぱなしになってしまいます。

 前章でも少し触れましたが、今までの経済学は、需要の限界、という概念をあまり重視してはきませんでした(というよりも、無視して来た、と見なすべきかもしれません)。
 特に、『新古典派』と呼ばれる学派は、人間の欲望は無限である、という前提条件に沿って論を展開しています。
 消費者は、通貨を持っていれば、持っている分だけ消費を行う……
 しかし、現実を観れば、そうはなっていないケースが散見しています。例えば、物質的な豊かさをあまり重視しないで暮らしている人もたくさんいますし…… (或いは、これについては特例と見なしてしまってもいいかもしれませんが)、多くの金持ち事例で、彼らが莫大な貯金…… つまり、遣わない通貨をたくさん残し、しかも寄付活動なども活発に行っている事などは『欲望は無限である』という前提条件に明かに反しています。
 欲望には限界があり、その欲望の限界を満たすレベルにまで消費活動を行ってしまったのならば、つまり、全ての生産物を充分に手に入れてしまったのならば、それ以上の自分が持っている通貨は、全て余りになってしまいます。そして、その行き場がなくなり余ってしまった通貨は、或いは貯金にいき、或いは寄付に行くのではないでしょうか?
 こう考えるならば、この現象をすっきりと説明してしまえるのです。
 また、もし仮に欲望が無限であったとしても、需要に限界は必ず存在します。何故ならば、生産物が増加していけば、空間的時間的に、生産物を消費する事が不可能な点を迎えてしまうからです。つまり、物理的制約の為"需要の限界"は必ず在るのです。
 だから、もちろん、長過ぎる労働時間によって、消費活動に必要な時間を奪われてしまえば、その分、需要は減少する事になります。

 (当たり前だろ! って、思う人もいるかもしれませんが、本当に、今の経済学の論の展開にこの概念はないんです)

 では、もし、生産物の種類の増加が限界を迎えてしまったのならば、一体どういった事が起こるのでしょうか?
 生産効率の向上が起きた後ならば、当然、人手が余っています。人手が余った状態というのは、もちろん、失業者が存在している状態の事ですね。
 つまり、前章のモデルでは、生産物Aを生活者aが生産し、後の4人には職がなく通貨が巡らない状態です。
 この状態は、不景気で、経済社会は萎縮に向かってしまいます。新しい生産物が誕生をしないので、残りの4人は働くことができず、景気を回復させる事ができないからです。つまり、これを放っておけば、経済社会は破綻してしまうのです。

 では、この問題を解決するためには、一体、どうすれば良いでしょうか? これから、それを考えてみます。

 経済社会が萎縮をするのは、生活者の多くに充分な通貨が巡らず、それによって活発な消費活動が行えなくなるからです。
 それによって、それまでよりも『通貨の循環場所』が減ってしまうのですね。
 ならば、何らかの方法で、生活者に充分な通貨を巡らせれば良い訳ですが、その為には、一体、どうするべきでしょうか?
 簡単に考えられるのは、通貨を直接、失業者たちに支給してしまう事…… これは、失業保険(年金もこの方法の一つになるでしょう)といった方法で、現行社会でも既に行われています。
 もう一つ考えられるのは、職をつくり、生活者をそこで働かせることです(それによって、労働需要も高まる為、所得格差の問題も解決するはずです。他に良い労働条件の職場を用意してやれば、ほとんどの労働者はそちらへ流れようとします。それを防ぐために、企業は労働条件の改善を行うのですね)。
 職をつくる方法として、今まで用いられてきた代表的方法は、公共事業への投資です。国が通貨を出して、なんらかの公共投資を行えば、その為の労働需要が産まれ、生活者に通貨が巡る事になります。ですが、これは国が借金をして行っている方法である為、また前章で、「投資は失敗をすれば商品として機能する」と書きましたが、失敗し続けている為、"投資"ではなく単なる無駄遣いになってしまっているので、継続し続ける事ができません。その借金は膨大なものになり、そろそろ限界を迎えています。

 (もちろん、国の借金は税金によって返済されますから、それは国民の、つまり僕らの借金である、という事になります)

 日本では行われていませんが、職をつくる為に行われている方法には、他にもこんなものもがあります。それは、

 ワークシェアリング

 ヨーロッパの経済危機を救ったと言われている"仕事の分け合い"ですね。
 1人分の労働時間を減らし、なるべく多くの人に働いてもらおう、という方法です。
 これの効果は、通貨循環モデルを用いればうまく説明できます(既存にある経済学で、ワークシェアリングの効果をうまく説明したものを、僕は知りません。因みに、ワークシェアリングの成功は、『新古典派』の市場万能主義の主張と明かに矛盾します)。
 生産効率が向上し、生産するのに今まで5人必要だったのが1人で充分になった。ここで、普通ならば、企業は4人を解雇する訳ですが、1人分の労働時間を減らして、今まで通り5人働けるようにします。すると、失業者は発生せず、通貨の循環を保てます。
 生産効率が向上をしたから、失業者が発生をした。ならば、再び生産効率を(労働時間を減らす、といった方法で)下げてやれば、失業者は発生しない、という訳です。
 また、労働時間が減る、という事は、それだけ自由になる時間もできる為、ワークシェアリングには、職をつくる、といった効果以外にも消費活動の活発化が期待できます。

 (低賃金で、なるべく労働者を長時間働かせようとする日本社会…… 例えば、サービス残業などを平気で行わせてしまう日本社会では、この効果は望むべくもありません)

 さて、今まで通貨循環モデルの観点から、既存にある解決方法を観てきましたが、では、この通貨循環モデルを用いて考えられる何か別の方法はないのでしょうか?
 ここで一つ注意してもらいたいのは、経済学が欲望の無限性を前提してきた様に、今までの経済の発展は、「人間の欲望」を動力として基本的には行われてきました。乗り物が欲しい、離れた場所にいても会話がしたい、面白い芸能を見たい、それらの欲望を適える生産物が誕生をし、それらを人々が需要するからこそ、経済は発展して来たのです。
 ですが、本当に経済の発展とは、人間の欲望によってのみしか行われないものなのでしょうか?
 例外は存在します。
 例えば、警察。 警察は普通、個人が欲望によって需要するものではありません。しかし、社会全体から観れば必要である為、我々はそれに通貨を支払い、結果として、その機能を得ています。
 もちろん、普通に生活をしていると、通貨を支払っているとはとても思えませんが、僕らはちゃんと、通貨を支払って警察という機能を買っているのです。
 税金を支払う事によって。
 僕らが支払った税金のその一部は、警察を運営する為の資金になっています。つまり、それは、間接的に僕が警察という機能を買っているのと同じ事なのです。これは、他の諸機能についてももちろん同様です。消防署や、市役所、政治家…… 僕らは、それらを強制的に消費させられています。
 そして、そこにも通貨の循環がある以上、それももちろん、経済発展の一つです(ただし、原理編で述べたように「国」という機関には多くの問題がある訳ですが)。
 では、この既に国が行っている方法と同様の原理を、現実社会で(国以外の機関を通して)新しく用いる事はできないのでしょうか?
 つまり、生活者たちに、通貨を支払ってもらって、何かしらの機能を得、そこに新しい『通貨の循環場所』を誕生させる、という方法です。
 絶対にできるはずです。
 これは既に原理編で述べましたが、介護保険で既に用いられているからです。だたし、これも述べましたが、そこには『通貨の循環場所』を増やす、という意図・概念が抜け落ちているのですが。
 では、『通貨の循環場所』を増やす、という概念を加えて、この原理を用いたならば、更に何が可能になるのでしょう?
 その概念を加えたならば、新たな生産物を絶対に生じさせる事によって、そこに『通貨の循環場所』を増やせる…… つまりは、新たな職をつくり、失業問題を解消する事ができるのです。
 しかも、その新たな生産物を、環境問題や教育問題、幼児虐待、犯罪などの様々な社会問題を改善する為の機能にしてしまえば、社会問題を改善する事で、失業問題を解決する事ができるのです。
 つまり、これは、「人間の欲望」に拠った経済発展ではなく、別の、「社会的必要性」に依る経済発展です。
 限界需要を迎え、新たな生産物が誕生しなくなったのならば、その需要の元を、「人間の欲望」ではなく、「社会にとって必要な機能の補充」にしてやる事によって、新たな生産物を誕生させる事ができ、人手が余っているという問題を…… つまり、失業問題を解決する事ができるのです。

 後は、生活者の負担にならないように工夫する方法ですが、これには、所得の標準偏差を求め、規制を行い、極端な所得格差をつくらない、といったような方法や、或いは、既に社会で行われている、所得に応じて負担を変化させる方法などで解決できます。
 また、展開編で既に述べましたが、『通貨の循環場所』を増やせれば、その分だけの通貨の増刷が可能で、しかも、最初について言えば、それを直接生活者に支給してしまう事が可能ですので、負担増を回避できます。
 後は支払った通貨が、一部に集中し過ぎないように監視してやれば、大きな問題は何もないはずです。

 (繰り返しますが、この原理の応用は、既に社会で行われいます。実行できないはずはありません)

 新たな生産物が誕生しなくなってしまった状態。に社会が陥り、しかも、人手が余っている場合、今まで述べて来たような解決手段が考えられます。
 では、今、(2004年4月現在)、の社会の状態はどんな状態なのでしょう?
 もし、仮にその状態であったのなら、或いはその状態に近かったのならば、今まで述べて来た方法と同様の方法が必要です。
 もちろん、限界を迎えている、とまでは僕は思いません。しかし、一つの大きな壁に行き当たっている事だけは確かなのではないでしょうか?
 ヨーロッパで経済危機を乗り越える為にワークシェアリングが必要だった事実。或いは、どれだけ公共投資を行っても、新生産物がそれほど誕生してこなかった事実が、それを裏付けているように思えます。
 もし、そうならば、人間の欲望に依った経済発展では、つまり、今までの経済発展方法では、それを脱出できない可能性が濃厚なのです。短期的には回復する時期が何度かあるはずですが、長期的には萎縮する事になるでしょう(不景気に合わせて、莫大な財政赤字が不安の要因になっています)。
 更に言うのなら、
 もし、仮に、経済が回復するのだとしても、それによって、諸社会問題を更に悪化させてしまっては意味がありません。
 そして、不況下で人手が余っている今は、逆に社会問題を改善させるには、チャンスであるとも言えるのです。
 社会問題改善の為の、人手を確保できる、という事でもありますから。
 だから、今、この理論が必要なんです。この論さえあれば、述べて来たような事が本当に実現できるのです…… お願いします。

 (少しだけ、手伝って下さい)

 僕の力だけじゃ、それはできない。

 この章の最後に少しだけ、付け加えをしておきます。
 生産効率の向上が起こり、新たな生産物が誕生しなくなった状態を想定しましたが、これはそれと全く逆の状態も有り得ます。つまり、新たな生産物が誕生をしたのに、生産効率の向上が起こっていない状態です。前者とは違い、この場合は人手不足です。何か、別の生産物の生産を終了にし、人手を余らせなければ、新たな生産物を生産する事はできません。
 ただし、この状態は通貨の循環が維持されている為、不景気は生じません。

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