文化・継承と創造


縄文文化と弥生文化、アイヌ文化、沖縄文化、アメリカ先住民の文化、
前近代・近代・脱近代 
仏教文化、江戸時代の町人文化、、森林文化、母(女)系社会参考になる本


縄文文化と弥生文化

 縄文文化・アイヌ文化・アメリカ先住民の文化は「狩猟・採集」を基本とする文化である。「弥生文化」は農耕を基本とする文化だ。
「縄文文化」と「弥生文化」の2つの大きな伝統を、日本人は伝えている。 

縄文文化 先住民の文化。自然に感謝する。よこ型社会。
「声中心文化」
弥生文化 渡来人の文化。自然を「利用」する(自然を自分の都合のいいように作り替える)。たて型社会。鉄製の武器と軍隊を持っていた。渡来人であった「弥生人」は、先住民である縄文人を征服していった。
「書字中心文化」

(注) 紀元前1400年頃に生じた中国最古の文字(甲骨文字)の数は約3千強と言われる。この3千強の文字が言語の構造の内に組み込まれた。
 弥生時代は紀元前300年から始まる。紀元前403年〜221年は、中国では戦国時代である。戦国時代は、実力競争の時代で、鉄器の普及や富国強兵策は農業生産力を飛躍的に高め、商工業もめざましく発展した。なお儒家の始祖である孔子は紀元前551?〜479年の人である。
 弥生人とは、そういう時代の渡来人である。


 大まかには、このように見ることができよう。最近の日本人の血液型の分布からも、証拠づけるものが、でてきているように思う。「農耕文化」は、環境破壊とたて型の「暴力」社会を生み出す危険性を常にはらんでいる。「工業文化」はそれをさらに増幅する。
 「西洋」の風土は、きびしい。それゆえ、「縄文文化」に見られる「自然に感謝する」要素は、少ない。そこで、「西洋人」は神を必要とする。「神」の絶対的な禁止令がなければ、おごり高ぶった「人間」は、すべてをむさぼり尽くすことを、「西洋人」はよく知っているのである。「縄文文化」には、「自然の一物として自分をみる」という調和の要素が強い。
 日本人の心の底を流れるのは、「縄文文化」である。そして、「対立と人間中心の文化」が生み出す環境破壊と核戦争の時代にあって、求められているのは、「縄文文化」の「意識化」だと筆者は思っている。
 明治以来の日本人は精神的にきわめて不安定である。「脱亜入欧・富国強兵・廃仏毀釈」のもと、自分の文化の根っこを否定したからだ。もう一度、根っこと繋がることが、必要になっている。そして、その太い幹が、「縄文文化」である。 「自然に感謝する、よこ型」の文化である。
 縄文文化は、アイヌ文化と沖縄文化そして東北文化に色濃く伝承されている。今の、日本人は、沖縄、アイヌ、近畿を除けば、ほぼ似たような縄文人と弥生人の混血である。縄文文化は、1万5000年以上にわたって豊かな文化であったことが、最近の遺跡の発掘から明らかにされてきている。弥生文化は、たかが2000年ちょっとである。日本の先住民の文化を伝えるアイヌの文化と沖縄文化に学ぶことが、今、求められているように思う。
 

 日本人(日本列島に住む人間)の心の基底層(深層)にあるのは、縄文人の心であろうと思う。そこと対話ができないと、不安定になるように感じる。
 「脱亜入欧」は、日本人であることを「自己否定」することだった。日本人の心の根を切ったのが明治である。
 根底に「自己否定」があると「自己肯定・他者否定」に表面上なりやすい。それが、明治以降、さまざまな問題を引き起こした。
 今、大切なのは、明治以降を、総括し、日本人の心の基底層である縄文の心と結びつくことではないだろうか?
 明治を良い時代として、明治の体制に戻そうとする動きがあるが、それは過ちを繰り返す道ではなかろうか?縄文の心を生かす生活が、今こそ大切だと思う。

 日本人の根っこはどこにあるか?歴史をたどって、いきついたのが縄文文化だった。そして、縄文文化と弥生文化を軸として日本の歴史をみると、また新たな発見がある。筆者は、「自然に感謝する、よこ型文化をつくった祖先である縄文人」を誇りに思う。弥生文化は渡来文化である。日本人の個性がなにか?と問われたら、それは「縄文文化」だと筆者は思う、その縄文文化の伝統は、脈々と日本人の心に伝わっている。

 「富国強兵・儒教文化」これが、弥生文化の本質だと筆者は思う。よこ型の縄文文化とたて型の弥生文化の2つの要素から日本文化は成り立っている。日本の風土は、よこ型の縄文文化を、はぐくんできた。中国の戦国時代からやってきた渡来文化である弥生文化は、日本文化の幹ではない。縄文文化にからまる蔦のような存在である。確かに、表面を覆っている。しかし、それは見かけだ。日本文化の本質は、「富国強兵・儒教文化」ではないのである。
 明治以降、特に昭和初期の復古思想は、弥生の「富国強兵・儒教文化」の復古だったように筆者は思う。中国の戦国時代の思想の復古を意味していたのである。日本の文化の基底層の復古ではなかった。中国・戦国時代の渡来「軍事優先思想」の復古だった。むしろ、アイヌ文化、沖縄文化の否定に見られるように、日本文化の基底層の根元的破壊をもたらしかねないものだった。
 明治以降の「復古思想」は、中国渡来の「戦国思想、自文化中心思想」の復古であり、日本列島古来の縄文文化のさらなる破壊をもたらすものであった。これが、筆者の見解である。
 弥生文化は、日本文化の薄い表層にすぎない。塗りつけられた表層をはがせば、そこに豊かで穏やかな調和を大切にする縄文文化がある。

(注)人を癒すことができるのは、縄文文化である。
 東北文化、出雲文化、沖縄文化、アイヌ文化は、大和によって謀略と暴力で屈服を強いられた。しかし、人を癒すことができるのは、大和に屈服を強いられた彼らである。

 「おかげさま」という言葉がある。私は、私自身、普段は気づかないが、実は多くのものや、生命に支えられているという自覚の言葉だと思う。自然に感謝する文化の現れである。アイヌ文化とも共通する文化である。
 アイヌは、魚にしても、取りすぎたりはしない。川や海を倉庫のように考えている。川や海、魚のおかげで、生きることができる。だから、大切にする。食べるに必要なものしか獲らない。アイヌの文化は、豊かな精神性を有している。

(参考)
1,「日本人とアイデンティティ」河合隼雄、講談社α文庫、1995

世界最古の土器 1万6500年前 青森の遺跡(1999年4月18日中国新聞より)
 青森県蟹田町の大平山元J遺跡で昨年出土した土器片が、世界最古級の約1万6500年前のものであることが明らかになった。
 これまで中国の長江中流域の遺跡から出土した土器が地層中の花粉分析で約1万4千年前と分かり、最古とされていたが、今回の結果はさらにこれを約2500年もさかのぼり、確認された中では世界最古の土器とみられる。
 縄文時代の始まりは1万2千年前とされており、これより4500年も古い。

伝統芸能
邦楽「・・・邦楽にはそれぞれ独自の譜があります。・・・日本人の原初的な力を表す邦楽は、日々の地味な営みから精神を解放する要素を多く含みます。また、能の囃子方は楽器を『お道具』と敬って呼びますが、これは一生の表現共同体という意味を含みます。・・・」(大倉源次郎、能楽大倉流小鼓方、朝日新聞99年9月6日投稿)


前近代・近代・脱近代

前近代 近代 脱近代
採集社会、農耕社会 工業社会 情報社会
採集社会:交易を基本とする
アイヌは交易を基本とする
近代国家は暴力(軍事力)を使って、資源や市場を国家併合し直接支配しようとした。 貿易(交易)が基本
前近代社会
ブータン、アジア、アフリカ、南アメリカなどの辺境社会に一部みられる
採集社会は一部の先住民社会に伝えられている
 近代国家
 アジア、アフリカ、南アメリカの国々にその典型がまだ見られる。
 近代国家が、暴力による市民管理を、その本質に抱えることは、欧米では、あたりまえのこととして捉えられている。だから、政府や官僚、軍隊の行為については、きびしい監視と制限が必要と考えられている。
市民社会(自立した市民が連帯してつくりあげる社会、男女共同参画・異文化共生の社会)
EUにみられる国境を越えたヨーロッパ市民社会づくりの試み
アメリカにみられる多民族共生の市民社会づくりの試み
南アフリカ共和国でみられる「民族和解」の社会づくり
採集文化:自然に対する感謝の文化。
文化の基底層(深層)である。
 国家主義、全体主義の文化
 「富国強兵」の「管理社会」の文化である。「女、子ども、年寄り、障害者」など「強兵」にならない人間を「2級市民」として差別する価値観を文化の根本に有する。「個人」よりも「富国」を優先する。「個人」は「強兵」(社会に役立つ)場合のみ評価され、「1級市民」となる。
自由で自立した市民文化
ルソー、ロックの思想は、絶対君主制の打倒に大きな力となった。その思想は、脱近代(脱国家主義)の力でもある。
採集文化:「老い」を自然なものとして受け止める
江戸時代も、老いは否定的には、見ていない
「老人」を「対等な一人の人間」として受容できない文化  「老い」を受容できる文化
 デンマークなどににみられる「高齢者」の自立支援活動
採集文化
:調和と循環
対立、ルール無き競争 和解、協働
日本では、縄文〜江戸時代 日本では、明治〜現在  日本やアジアでは、移行がいつになるか、予測できない。
 日本では、芽は、でており、条件も整ってはきている。
 現在は過渡期である。何回かの揺れ戻しを経験しなければいけないかも知れない。
 「近代国家」を強化する動きは強く、逆に市民社会をつくりだす主体である自立した市民は、まだ少数である。

 いろいろな時代区分があるが、近代を一つの歴史の境とすると、このように区分される。 日本文化は、「採集文化」を現在に色濃く伝えている。筆者が、日本文化に惹かれるのは、「自然の一物として、自然の中で調和」する、その「採集文化」の伝統にある。「採集文化」を、脱近代の過程で、どう生かしていくのか?大切な課題のように思う。


仏教文化

 日本の仏教文化は「採集文化」の心を今に伝える。インドで生まれ、中国、朝鮮半島を経て、日本列島に伝わった仏教は、深層にある縄文文化と融合して、独自の日本仏教を作っていった。
 仏教は、明治になって、「脱亜入欧・廃仏毀釈」で、弾圧された。政府の許可する範囲内の活動に縮まるようになった。仏教が、精神の支えとなることは、時の政府の許すところではなかった。明治以降の、「自民族中心の排外主義」の台頭は、仏教の弾圧によって、可能となった。そして、「自然や他者に感謝する」伝統的な精神文化は、急速に失われていった。
 縄文のこころ、東洋のこころを今に伝える日本仏教のこころを、21世紀に、どう活かしていくのか?大切な課題のように思う。


江戸時代の町人文化


(参考になる本)

1,縄文文化
「よみがえる縄文文化の巨大集落」小林達雄、ニュートン1996年2月号78〜91ページ
「竹内 均の日本人起源論」竹内 均、ニュートン1996年2月号92〜99ページ、1997年3月号56〜63ページ
「日本人の起源」ニュートン1993年5月号72〜89ページ
悠久の時をこえてよみがえる縄文人」渡辺 誠、学習研究社、1996
親子で旅するシリーズ「おとうさん、縄文遺跡へ行こう」結城昌子・体験文化研究会、小池書店、1999
「縄文の音」土取利行、青土社、1999
「海を越えた縄文人」テレビ東京・編、祥伝社、1999
「自給ルネッサンス縄文・江戸・21世紀」現代農業1999年5月増刊、農文協
「日本古代史の歩き方」オフサイド・ブックス編集部、渓流社、1998
見る・読む・わかる日本の歴史(1)原始・古代」白石太一郎・東野治之編集、朝日新聞社、1992
「二重言語国家・日本」石川九楊、日本放送出版協会、1999
「森の思想が人類を救う」梅原 猛、小学館ライブラリー、1994
「霊性のネットワーク」鎌田東二・喜納昌吉、青弓社、1999
「日本の美100」太陽2000年特別記念号、平凡社」、2000
2,アイヌ
「アイヌ群像」飯部紀昭、御茶の水書房、1995
「風のめぐみアイヌ民族の文化と人権」チカップ美恵子、御茶の水書房、1991
「アイヌ・モシリ」アイヌ・モシリの自治区を取り戻す会、御茶の水書房、1992
「萱野 茂のアイヌ語辞典 CD−ROM」三省堂、1999
「北の民族 アイヌに学ぼう」芸術新潮 99年7月号、新潮社
「アイヌ、神々と生きる人々」藤村久和、小学館ライブラリー、1995
3,アメリカ先住民
「アメリカ先住民女性大地に生きる女たち」ダイアナ・ステイア、明石書店、1999
「今日という日は贈りもの」ナンシー・ウッド、講談社、1997
「今日は死ぬのにもってこいの日」ナンシー・ウッド、めるくまーる、1995
「ローリング・サンダー」ダグ・ボイド、平河出版、1991
「リトル・トリー」フォレスト・カーター、めるくまーる、1991
4,アマゾン先住民
「鳥のように、川のように森の哲人アユトンとの旅」長倉洋海、徳間書店、1998
5,先住民文化
「森と氷河と鯨ワタリガラスの伝説を求めて」星野道夫、世界文化社、1996
図説世界の先住民族」ジュリアン・バージャー、明石書店、1995
「先住民とともに生きる」ベス・リシャロン、岩波ブックレット、1994
環太平洋先住民族の挑戦自治と文化再生をめざす人びと」原田勝弘ほか、明石書店、1999
「アジア・太平洋の先住民族権利回復への道」ヒューライツ大阪、解放出版社、1998
「アジアの先住民族」解放出版社、1995
6,仏教文化
「温かなこころ東洋の理想」中村 元、春秋社、1999

「いちずに 一本道、いちずに1ツ事」相田みつを、角川文庫、1998
「親鸞仏教無我伝承の実現」二葉憲香、永田文昌堂、1994
7,江戸時代の町人文化
1,「一日 江戸人」杉浦日向子、小学館文庫、1998
8,森林文化
「森の思想が人類を救う」梅原 猛、小学館ライブラリー、1994
「森林文化への道」筒井迪夫、朝日選書、1995
「森の思考・砂漠の思考」鈴木秀夫、NHKブックス、1978
「ゴリラの森に暮らす」山極寿一、NTT出版、1996
9,クレオール文化
「クレオール事始」西成彦、紀伊国屋書店、1999
「<複数文化>のためにポストコロニアリズムとクレオール性の現在」複数文化研究会、人文書院、1998