2005.10.23~10.26
上海市・大阪府友好条約締結20周年記念とその新たな延長を記念して
その調印式の夜上海交響楽団と大阪センチュリー交響楽団が合同演奏会を行う
という親善使節としての訪中でした。


我々は早朝8時半関空集合というスケジュール。
上海浦東空港から上海交響楽団練習場へ直行して
夜九時(日本時間で夜10時)まで練習という
ハードな一日でした。
上海交響楽団のメンバーも前日に
一週間のアメリカ公演から帰国したばかりで
お互いにきついタイトなスケジュールの中での練習でしたが
宿泊先の「浦江飯店」は戦前からの立派なビルの 立ち並ぶ
「外灘(Band)」の一番端に建つ上海でも一番古いホテル。
森さん(ヴィオラ)と
僕の部屋を出た所の通路は吹き抜けになっていま すが
上部はガラスの屋根で覆われています。
なんと僕の泊まった部屋はあのチャーリー・ チャップリンが
1931年、1936年と二度滞在していた部屋で家具調度品がそのまま
残されていました。壁にはチャップリンの写真が額に飾られ
この部屋にだけ彼の作品のDVDがDVDプレーヤと共に設置されていました。
なんだかちょっと得した気分。
今回のツアーではほとんど決められたレストラン で楽員全員が一緒に
中華フルコースというパターン。いずれも美味しかったのですが
やはり毎回毎回続くとあの脂っこさにいささかうんざり。
演奏会当日。
会場は市の中心にある上海音楽庁。
上海の摩天楼をバックに記念撮影。
この後日本では考えられない大トラブル発生!!
ホール内部はヨーロッパの格式あるホールの様な 素晴らしい作りです。
上海交響楽団のコンサートマスターは僕の友人、
読売日響、東京都響のコンサートマスターを歴任して滞日20年経て
2年前から生まれ故郷上海に戻った「潘pang」さんでした。


[大トラブル発生]
実は今回ブゼットは持って行かずに上海交響楽団の楽器を借りていたのです。前日の練習 終了後、上海フィルのハードケースに演奏会用の眼鏡やチューナー・松ヤニ等々の入った小物ケースをつけてその楽器を自分で入れたのです。

翌日、演奏会当日ルハーサル前にステージ裏に運ばれていたそのケースを開けてみるとなんと「カラ!」
誰かが練習場で僕の小物ケース付きの楽器を持ち出した様子。
ステージマネージャが練習場に電話をかけて無事小物付きの楽器を発見。自家用セダンですぐ会場に持って行くからとの事で一安心。
楽器がなくて弾けませんから客席で既に始まったゲネプロを聞いておりました。

ところが小一時間後に到着した楽器は全く別物で僕の大事な演奏用眼鏡の入ったバッグも付いていない!再度電話をかけて聞いてみてもどこにもないとの返事に 業を煮やして自分で練習場へ行き探す事にしました。
取り違えられたコントラバスを裸で助手席に寝かせてスタッフの運転するセダンに通訳と乗り込み練習場へ夕方のラッシュアワーの中、小一時間かけて直行。

やはりありました、練習スタジオにちゃんと僕の小物入れが付いて
寝かせてありました。演奏会用に準備した ケース群から誰かが勝手に楽器を出していて、その上電話の問い合わせにきちんと全ての場所を探していなかったという事。

大陸的な人たちに一々癇癪起こしても仕方がないとあきらめムードで、できる限りゆったりした気持ちでいようと自分に言い聞かせつつ練習場まで車で往復しま したが
夕方のラッシュ時にものすごい数の自転車の群れの中を猛スピードで飛ばす車に同乗するとういう恐ろしい経験をしてしまいました。

日本では考えられない事件を経て太田府知事や関西テレビ社長でセンチュリーの理事長・出馬さん列席の満員の演奏会本番には無事出演できたバッシッシモでし た。
僕と交代で首席を務めた上海の副主席奏者「田 (ティエン)」君。
バッシッシモの知人・オランダのロルフソンに二年間師事していたそうです。
演奏会終了後二人で夜中まで飲み明かしましたが共通の知人がたくさん。
この世界は全く狭いものです。
上海交響楽団バスセクション前列メンバーと
センチュリーバッシッシモと内藤君(右端)
右から2番目の張さんは仙台フィルに5年いたので日本語はペラペラでした。