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早いもので今年も最後の更新となりました。例年のごとく、どなたにも年賀状を出しておりませんのでどうぞご勘弁を。 年末は28日まで仕事、年明けは6日から仕事開始の予定ですが、たぶんぼくは休みの間もウロウロと事務所に居ると思う。 さて来年はどうなりますか。いま書いている図面がうまく現場で結晶化することを願うばかりであります。ここ3年ほど言いつづけている「町家」についてこの年の瀬に思うのは以下の三つの条件。第一に「構造の無名性」、第二に「名前のついた部品」、第三に「設計の共通ルール」。この三つを来年はモノとしてちゃんと見えるようにしたい。 2010.12.28 なかなかいい案だなあと自信をもって送り出したスケッチだったが(事情は前回参照)世の中そう甘くない。部屋を増やしたいとか、いくつか注文がついた。 部屋ぐらい増やせばいいじゃん、とお思いだろうが、そんなふうにはいかないのが設計っちゅうものなのだ。 ひとつのスケッチはそれだけで完結している。変えるなら、部分だけというわけにはいかないのであって丸ごと考え直しになる。というわけでハイ、やり直しね。 ところで来年一月に「鯰、大事。」なる震災シンポジュームが神戸で開かれる。中谷礼仁さんに、ぼくらが担当する分科会のコメンテーターを頼んだら、大学の講評会があるとかでアウト。まわりまわって構造家の岡村仁さんにお願いすることになった。 岡村さんには以前住宅建築誌の取材でいちどお会いしたことがあるだけ。でもその活躍ぶりはさまざまなかたちで聞こえてくる。こうなったら現代町家の設計陣に岡村さんを引っ張り込んでしまいたい(とかってに目論んでいるのだけれど)。 2010.12.20 浜松で新たに計画が始まった。スケッチをつくってみて、気に入ってもらえたらゴーという、まあ成功報酬みたいな話しではあるが、この際やってみたい仕事なり。だって温室あり囲炉裏端あり、はては「植物といっしょに暮らしたい」というような、夢のごときリクエストなんだもの。 でその計画案を土曜日と日曜日でつくった。むろん事前に一週間、よく頭のなかで練った結果のスケッチで、なかなかいいんじゃないかと我ながら思う。4メートルベースをふたつ離しておいた「分離派」建築なり。「一坪鎮守」と「一坪里山」もオモテとウチで対になっているのだ。 町家っぽいかたちはまるでしていないけれど、それでもこれは町家だなあと自分ではなんかしら納得している。奥行きのある長い平面で、長軸に沿って物語が展開するプラン。起点(オモテ)に一坪鎮守があり、終点(ウチ)に一坪里山があって、中間には格子戸やら障子やら、いくつかのフィルターが置いてある。 2010.12.13 12月3日の朝日新聞朝刊に広島の安芸町家のことが出ていた。生活欄の記事で、タイトルは「都会の庭に命を育む」。 安芸町家中心の記事ではないのが残念だけれど「生態系に配慮した家づくり」という視点が嬉しい。「エコ」とか標榜せずとも自然にエコになってしまう設計法なのだ、現代町家は。 田瀬さんが設計してくれた小さな池のそばに、大須加さんがしゃがんでニッコリこっちを見ている。この大須加さんが安芸町家の発注者なり。工務店の社長がこういうかたちで新聞に登場するのは珍しいんじゃないか。 さてしかし、庭を「一坪里山」というかたちで部品化できたのはいいが(これはむろん造園家の田瀬さんの力だ)、引き続いて「玄関戸」も「床板」も次々に部品化していかなくては。 たぶんクオリテイーの高い部品がラインナップしてくれば、現代町家もかつての町家に近づいていくはずだ。(くどいようだが、かつての町家というのは職人連合によるプロダクトパーツの集合体だったのだもの。)で、ここでいうクオリテイーが高いというのはつまり、設計のルールが明確にあって、そのルールに従う範囲で性能と価格がバランスしてるってことなんだけど。 2010.12.07 しみじみと玄関ドアのことを考えた。最初はフィリップ・ジョンソンのタウンハウスの入り口をモデルにしょうと考えたのだけれど(タウンハウスってつまり「町家」だしね)、あれはよく見てみれば内開きなのであった。 お手本を真似るのはとても良いことだが、本義に沿わなくては真似たことにならない。だからジョンソンのドアをそのまま外開きにするのは論外。で、さて困った。振り出しにもどってしまった。 日本の家は引き戸か外開きがふつうなのであって、内開きというのは少ない。宮脇壇や中村好文さんや、その他のひとの仕事にも内開きがないわけではないが、定番として内開きにするのにはかなり勇気がいる。意気地のないぼくはおおいに迷う。えんえん二週間も考え続けているのにいまだ結論に至らず。 それに光の問題もある。玄関にはそこだけのコントロールされた光が入ってほしいのだけれど、ドア自体にガラスを入れるのはなぜか抵抗があって、これはたぶん開き戸のせいだ。そう考えるとかつての町家の格子戸(むろん引き戸)というのはまことに優れたプロダクト製品だったなあと、あらためて感心してしまう。 2010.11.29 新潟の越後現代町家がついに完成、久しぶりに写真家の市川かおりさんと小池一三さんの三人そろって撮影に行った。ところが雨なのだ、これが。 東京は抜けるような青空なのにトンネルを越えたとたんに曇り出し、雨の雫が落ちてくる。やれやれ。しかたなく三人で越後平野の田園地帯を走りまわればなんと白鳥が。 暮れなずむ田んぼのなかにはロシアからの渡り鳥たる白鳥が群れ成しているのであった。おまけに我が町家のギングロの屋根のうえを、名も知らぬ渡り鳥の黒い群れが飛んでいく。おお、これぞ越後の秋ふかまりし風景なり。 あくまでも日が射すのを待つという市川さんとわかれてぼくらは一足先に東京へ。さて課題の玄関ドアのスケッチをまとめねば。 2010.11.15 現代町家のニューパーツに木製建具を!ってわけで月島のモローズへ出かけた。 モローズというのは萩で見た三分一さんの建物の木製建具を担当した会社。 打ち合わせには博多、広島、島根、浜松と、日本中からメンバーが集まって来たもんでモローズの事務所に入りきらず、そこで月島の商店街のなかの飲屋を借りて会議。こういうスタイルの打ち合わせってなかなかよいもんです。 で、会議そのものはえらく好調だったのだけれど、むろんお楽しみはその後。もんじゃ焼きを食い、日本酒を飲み、月島の裏町をそぞろ歩いたのでありました。 しかしなんで月島はもんじゃ屋だらけなのか?お店の人に聞いても、ワカリマセンとのたまうばかり。商店街まるごともんじゃ屋っていう感じなのに、ワカリマセンはないんじゃないの。そもそもぼくはもんじゃ焼きなどというものは食ったこともないのだよ。 いやそんなことはどうでもいいが、住宅に手づくり感覚を取り戻す最初の一歩はまずは建具だろう。いまのところモローズの建具は外材中心だけど、吉野杉を使ったらどうか。 不意に出た提案だったのだけれど、さっき来たメールによれば、どうやらこれは実現しそうだ。やっぱり広がりのあるチームはいい。一人じゃ実現できないことも誰かがどこかで打開してくれる。ついでに報告しておけば、ぼくはフィリップ・ジヨンソンの玄関ドアをお手本にした「町家玄関」を提案し、これも実現しそう。 2010.11.08 坦々とした日々なり。毎朝目黒川沿いの木立のなかを歩いて事務所に向かい、納まりを考え、図面をつくる。描くのは鉛筆で、殴り書きのスケッチばかり。これが考えるスピードにちょうど見合っているなり。 毎週金曜日朝、仏語の先生の元に通う。15分間の世間話、20分間の書き取り、25分間の朗読訓練と発音の直し。新しい先生の元に移ってもはや二年近い。ほとんど休み無しに通っているのが我ながら不思議だ。そのくせあんまり上達したようには思えないが。教室の窓の向こうにクスの木の大木があって葉叢が風に揺れ、朝の光に煌めく。 夜、BSで熊谷守一の家と庭を見る。15坪の庭を日がな一日巡って暮らし、30年間外に出なかったとか。濃い茂みと木立の庭でとても15坪には思えない。そういえば石山修武さんが書いていたなあと雑誌を繰ってみたら、そこには「30坪の家と50坪の庭」と書いてある。15坪と50坪ではえらい違いだが、いったいどっちがホントなの?知っている方、どうぞご教示を。 しかし俄然イメージが湧いたのは「15坪」のほうだった。ものすごく小さな森、でもそこは宇宙的に広い。家よりも庭=森が主役の住まいって、なんか凄いね。 庭を何世代かかけて原生林にしよう。イギリス庭園なんかじゃなくて。石山さんは「神々との暮らし」と書いておられるが、神々がおわしめすのは当然のことながら原生林なり。 2010.11.01 朝、仕事にとりかかったばかりのところに、不意に博多の長崎社長あらわる。あいかわらずラフないでたちがまことにカッコよい。大会社の社長にしてこの進みようだものね、日本というのはまことに未来世紀的な国なり。 博多では現代町家の「シングルベース」タイプの工事が進んでいると聞いていたが、ついに完成したらしい。現代町家にはシングルベース、ダブルベース、ジョイントベースの三タイプがあるのです。 ところで現代町家のパーツ開発進行せり。こんどは木製建具のオリジナルパーツ化に取り組むことになった。二ヶ月ほど前に萩で三分一さんの新作を見たのだけれど、そこの木製建具を担当した会社と打ち合わせを進めることに。あの建具は半製品的な臭いがあってとても良かった。既成品でもなく一品ものの手づくりでもない、その中間。そのあたりが現代なり。 2010.10.25 島根県の柿の木村というところで養老孟司さんの講演を聴いた。「頭ばっか動かしていないで体も動かそう」という話しで、当たり前の内容ながら、その話しはパワーいっぱい。あのパワーは筋肉質の脳から来るものなのか。 その後、柿の木村から海沿いの益田市に移動。じつはここには先月きたばかりなんだけど、今回は日本一の居酒屋なるお店でカニを食った。その蟹の旨いこと。上海蟹よりも美味だというが、まさにその名に恥じず。 なんか遊んでいるばっかみたいだけど、ちゃんと仕事もした。題して「現代町家塾イン島根」。秋山東一さん設計のモデルハウスをお借りして現代町家の勉強会を開催、わずか10名ほどのこじんまりとした勉強会だったけれど、これがとてもよかった。 現代町家は設計なしに成立しないシステムなり。ただしその設計というのは無から有を生み出すようなやり方にあらず。大事なのは繰り返すこと。性能がちゃんと確認されたパーツを繰り返し使いながら、その場ごとの思いがけない解決を見いだすこと。 2010.10.19 7日は新潟へ。そろそろ越後現代町家の竣工も近いねえ、なんて期待して行ったら、なんとまだ仕上げの途中。光触媒による冷暖房に工事途中で急遽切り替えたために遅れているのであった。 光触媒による冷暖房というのは、セラミクスの粉末を混ぜた塗料を壁や天井に塗って、発熱体からの遠赤外線をそこに反射させて室内全体を冷暖房するというもの。エアコンのように風を出さないからじつに心地良い、というのだけれど、ぼく自身はその効果をまだ実体験していない。で、半信半疑なり。本当だったら革命的だが。 ところでその発熱体というのがPS冷暖房によく似たルーバー状の金属フィンで、これを間仕切り代わりにつかっているのが今回のミソ。手づくりのパーツと製品化されたパーツを混在させながら現代町家の表情をつくるべし。 テレビを見ていたら、銀閣寺の外壁にはミョウバンの粉末を溶いた塗料が塗られていたという説が出ていた。月光を反射するための工夫でシルバー色に輝くんだそうな。 庭も建物も観月というただ一点の目的に沿って組み立てられているというのはじつに面白い。貴族だからできた、と一歩ひくよりも、いまなら住宅の基本モテイーフになってもおかしくないと素直に思ってみるほうがいいんじゃないか。 2010.10.12 29日から30日まで鹿児島、宮崎回り。都城から鹿児島までは特急霧島で一時間ぐらいだった。たぶん霧島山系の麓を通ったはずなんだが夜の暗闇でよく見えず。 鹿児島も都城も打ち合わせはもっぱら庭のこと。いや、庭というよりも「家のソト」といったほうがよいか。 家のナカがソトみたいで、ソトがナカみたいにならんもんか。という話しを延々としていたら建てぬしの奥さんの目が輝いた。窓や壁や屋根のなんかの話しよりも、メダカ池だの実のなる木だのの話しのほうがよっぽど興味を引くらしい。 メダカもモミジも屋根も壁も茶碗も、ぜんぶ等価に表現された住宅があれば、それが究極の家だと思う。 2010.10.04 大阪町家が完成、25日の土曜日に大阪市内都島区の現場で見学会があった。MOKUスクールの方が何人か参加してくださった。吊りデッキといいJパネルといい、三澤さんにはずいぶんお世話になっています。感謝。 敷地が公園に隣接しているせいで相当に救われたと思う。吊りデッキから見る公園のサルスベリの赤い花が見事だった。一坪里山を意識的に露地に向けて開いたのも、それなりの効果があった。 前庭に植えたミカンの木が育てば、狭小敷地の狭小空地を緑化するという考え方がもうすこしクリヤーに見えてきそう。つまりベースとゲヤの間に生まれる隙間(空地)を立体的に緑化する。ミカンの黄色くて丸い果実が緑のなかに点在するシーンってなかなかよいものですが、建物の手前にまずそのミカンの木をスクリーンのように置きたかった。 2010.09.27 新建築住宅特集の記念号のアンケートは総回答数270前後だったとか。2000年以降の住宅作品で優れたものを三つあげよ、というアンケートで、ぼくは難波和彦さんの「箱の家」と中谷礼仁さんの「長屋改修」をあげた。残りのひとつは思い浮かばなかったから該当なし。 そのアンケートに答えるべく2000年以降のことを考えてみたが、住宅にとって大きな出来事はひとつも起きていない。いやこれは自分に向かって言っているの。少年老いやすく学なりがたし。 2010.09.21 日本じゃあんまりニュースになっていないけれど、語学の訓練のためにフランスの新聞を眺めていたら恐ろしいニュースに出くわした。イランにサキネという女性がいて、この女性が不倫の罪でlapidationすなわち「石殺しの刑」に処されるというニュース。 辞書をひいて初めて知ったのだけれどlapidationというのは「石を投げつけて殺す刑」らしい。なんてことを。 と思うのはぼくだけじゃないらしくフランスのメデイアが騒ぎ立てた。リベラシオン誌がその中心。この新聞のキャンペーンにフランスの有名女性がこぞって声をあげた。たしかサルコジ夫人のカーラ・ブルーニなんかの名前もあったような気がする。 でその結果はいかに。キャンペーンはいまも続いているのだけれど、イラン政府もさすがにヤバイと思ったのか、刑が変更されるらしい。それにしても「石殺しの刑」とはね。この刑は(ぼくの覚束ない読解によれば)「土中に体を埋めて首だけ出し、その首に石を投げつけて殺す」というものなんだそうな。おお、なんてことを。 サキネが不倫のために石殺しの刑に処されるんなら、日本の女性はいったいどうなる。いや女性だけにあらず、なにしろ「不倫は文化だ」なんていうお国柄だもん。ぜひ靴下レスの石田純一さんに特使になってもらいイランに飛んでもらいたい。石田センセイには世界を揺るがす不倫文化説を期待したい。 2010.09.13 不意に電話が鳴って受話器(なんか懐かしい言葉ですなあ)の向こうから覚束ない日本語が聞こえる。「建築についてお話を聞きたい」という内容なんだが、よく聞いてみたら、なにやら古い日本家屋の改修を希望なさっているらしい。電話の主はアジアの方だった。「アナタのことは『木の家に住むことを勉強する本』で知りました」とおっしゃる。 はて、なんだかよくわからんが、とにかく一度お会いしてみなくては。場所は八王子のほうというからさほど遠くないし、それに改修すべき建物というのが築70年、基礎は玉石なんだって。面白そうじゃありませんか。というわけでこれから出かけてみます。結果はいかに?乞うご期待。 で、さてその結果。うーん。ご希望は純和風の住宅ということで、しかも完全な伝統工法でつくりたいということだった。どちらもぼくはあまり得意じゃないし、電話の主はお会いしてみればとても良い方だったけれど、どうもあんまり自分の力を発揮できそうになくて困った。 日影さんか松井さんか、あるいは丹呉さんにでもバトンタッチできればよいのだけれど、聞けば予算も相当に厳しいようでこれまた迷惑をかけてしまいそうな気もするし、ホントに弱りました。 2010.09.06 津和野へ初めて行った。すっかり観光化された町並みで、残念ながら魅力を感じず。むしろ直前に益田の町で立ち寄ったリンケンのモデルハウスのほうがよかった。 萩岩見空港で降りるとそこは益田の町で、さっそくモデルハウスへ直行。リンケンの田村さんにお話を聞きながら見学した。秋山東一さんの設計。分棟形式で6メートルベースと4メートルベースの対比が見事なり。敷地を生かすにはやはり分棟形式が向いているみたい。 4メートルベースのほうは赤い瓦屋根。岩見地方にはポピュラーな和瓦がうまく使われている。その屋根の下には小さな木のロフトがしこんであって、住むことの楽しさが伝わってくるような家だ。 さて益田、津和野と経由して次が萩。三分一さんの新作をリンケンが手がけた縁で、萩ではそれを見学したのだけれど、その新作の建てぬしさんというのがすごい方だった。三輪正知さん。萩焼きでは世界的に有名な方らしい。なんの予備知識もなく訪ねてしまって冷や汗をかいた。名建築に名建てぬしあり。よい建築はよい建てぬしさん抜きには成立しない。後でわかったのだが三輪正知さんは光悦の研究者でもあるらしく、しまった、もう少し光悦の話しなどもお聞きすべきだった。 と、すっかりド肝を抜かれてしまって三分一さんの建物に気が回らず。ただし思っていたよりも環境への配慮が強く働いた建物だった。登り釜の原理を空調のシステムに応用した木造。木造の世界は今後、こんな風な方向に大きく変わっていくのだろうと思う。 今回は萩からさらに山口の長州町家に立ち寄って宇部に泊まり、そこから東京へもどったのだけれど、宇部で泊まったホテルにはなんと三輪正知さんの作品が展示されていたのでありました。 2010.08.30 しばらく更新をさぼってしまい申し訳ない。お盆の間はちょっぴり休めたけれど、休み明けとともに仕事に追われた。出雲、新潟とあいかわらず地方を飛び回る日々なり。 出雲では接着材を使用しない重ね梁の開発。これはなかなか面白い展開になっている。シャチ栓とダボだけで構成する重ね梁に挑戦。三タイプの試験体をつくることになり、その図面を作図した。 で、新潟のほうは現代町家の現場。仕上げにとりかかった直後に仕様の大変更があり、急遽、冷暖房に触媒を使うことになった。それに伴って内装にセラミックの粉が入った塗料を使わねばならず、大幅に内部の様相が変わる。そこで思い切ってキッチンまで変えることにした。いや変えるのはよいのだけれど、これからすべての図面を書き換えねばならず、うーん、我ながらダイジョーブなんか? 週明けには栃木、島根と次の旅回りが待っている。島根では三分一さんの最新作が見れるらしい。ま、この熱暑には旅のほうがむしろ過ごしやすいかもね。どうぞみなさんもお体に気をつけて。 2010.08.23 17日土曜日は新潟で越後現代町家の上棟なった姿を見学、22日と23日は鹿児島で新しいプロジェクトの打ち合わせをした。打ち合わせの合間に、かの有名なシンケンの仕事を見学、さすがに見事なものなり。有名なだけある。 シンケンの仕事を見て感じたのは「建築家的なヘンなこだわり」がほとんどないこと。それがじつに清々しかった。工夫がストレートで、誰にでもわかるかたちをしている。そうとうに質が高いと思った。 しかしまあ呆れるほどたくさんあるなあ。あっちにもこっちにも、なんて多いんだろう。鹿児島空港について車で走りはじめたとたんに出会ったお茶屋さんも、アレッと思ったらやはりシンケンの仕事で、一目でわかる。カントリーハウスではないし、モダンリビングでもないし、あれは何なのか?イームズの原理で町家をつくろうとしているぼくとしては考え込まざるをえない。 2010.07.26 広島と山口の洪水のシーンがテレビで映し出されている。広島は「安芸町家」、山口は「長州町家」と、現代町家のモデルがあるもんでひどく気がかりだったけれど、どうやら両方とも無事らしい。ほっと一息。 ちょうどその洪水のあった日の直前に、岡山の「ハウジング塚本」さんを訪ねて太陽光発電の現場を見学してきた。6メートル角の片流れ屋根にアモルファスの集光フィルムを接着したもの。2寸勾配という緩い勾配にフィルムが貼られているから、外見は太陽光発電を登載しているようには見えない。6メートル角でおよそ3キロの発電量だそうな。 現場を見学してわかったのは、このやり方は現代町家の緩勾配の片流れ屋根にピッタリだということだ。南向きの片流れだからすべての屋根面を発電に使えるし、それに緩勾配でも必ずしもアウトということではなさそう。屋根の埃を雨が洗い流すだけの勾配があれば十分にイケルと踏んだ。こういうのは自分の目で現場を見ないとワカランもんです。 ハウジング塚本さんの工夫はしかし、それだけではなかったのだった。アモルファスの発電シートを貼った金属屋根の裏側に発生する温風を床下に導いて、簡易なオンドルにしていた。40度ほどの温風にしかならないそうだけれど、家全体の換気システムとしては十分に使える。 いまOMソーラーでは「エコスカイルーフ」という、OMと太陽電池を組み合わせたシステムを出しているけれど、それをぐっと原始的にローテクでやったものと考えればわかりやすい。 なるほどなあと感心しながら、帰りに姫路で途中下車、川端さんにお願いして三澤康彦さんのモデルハウスを見学させていただいた。大小二つのベースを組み合わせた中庭型の町家スタイル。町並みをつくるのに向いたやり方で、建物に奥行きが生まれている。とてもうまい構成だと思った。写真じゃわからん、とにかく現場を見なくては、と強く思った一日でしたよ。 2010.07.20 我が事務所の軒下にツバメが巣をかけた。軒下といっても五階建てのビルの一階なのであって、本郷通りに面した駐車場の天井なり。道を行くひとがみな軒下を見上げていく。道草を食っている小学生やらジイさんバアさんやら。 ピイピイと騒ぎたてるツバメの夫婦を眺めながら、ぼくがいまスケッチしているのは宮崎の現代町家。九州では大分と博多が完成したからこれが三つ目で、しかも鹿児島でも始まる予定。でも残念ながら諫早は中止になるらしい。 宮崎のスケッチをしていて気がついた。ベースとゲヤに分けて考える作業を進めていくと「間取り」という考え方から離れられそう。ゲヤは使い方がはっきりしていてギュっと詰まった感じ、ベースは反対に座敷みたいにガラーンとしてる。座敷の襖を開けると箱階段があるとか、土間につながってるとか。そうすると場面を切り変えるための建具がとても大事になる。 もうひとつ気がついたこと。むかしの町家はプロダクトパーツの集合だったんだと思う。建具も箱階段も坪庭も、あれはみんなその時代のプロダクト製品だった。いまと違うのはそのプロダクト製品が「半製品的な造り置き」状態におかれていたことで、のやり方をうまく再構築できないものか。建具職人なんか最適だと思うんだが。大工とは違うタイプの手を木造住宅に組み込むやり方を考えたい。 2010.07.12 東京ではメダカと雨ガエルが絶滅したそうで、食いつき亀だのワニみたいな怪魚が繁殖していると、これは昨夜のテレビで知った。造園の田瀬理夫さんに聞いたところでは日本の在来植物もどんどん外来種に変わっていて、葉っぱの緑の色が昔よりかケバくなっているんだそうな。熱帯のジャングルのごとき風景が広がる日も遠くないね。 現代町家ではいま田瀬さんの指導のもとに「一坪里山」というのを試みていて、地域自生植物の復活を目論んでいるんだが、やってみて思うのは正確な情報がとても少ないということだ。まったくの手探り状態なり。でも大分、博多、山口、広島と、地域自生種の株分けをする拠点はようやく整いつつある。みなさん、ハーブが素敵だからイングリッシュガーデンをつくってみました、とかいう類いのことを、あんまり気楽にやらないようにしませんか?(なんでダメなの?という素朴な質問にはうまく答えられないんだけれど) 2010.07.05 |