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はや年の瀬です。今年最後の更新となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。 果敢にも断熱材なしのリフォームを敢行した我が家は寒いけれど、まあそれなりに快適であります。(子供時代に育った家は、いま思い出せば家の中に雪が舞い散っていたのでありまして、朝起きてみれば布団のうえにもうっすら雪が積もっていたのですが)今年は我が家のリフォームに加えて都城、鹿児島、浜松と三つの現代町家ができたうえに、練馬の住宅もほぼ完成ですから、例年になく多作の年でした。 さて事務所は今日29日に掃除をして終業、年明けは1月10日がスタートです。来年は「どんな冒険が待ってんだあ?」と、ご存知ルフィーの決めセリフで締めくくって、それでは皆さまどうぞよいお年を。 2011.12.29 むかしの建築家は偉かった。吉田鉄郎についての評伝(建築家吉田鉄郎とその周辺)を読んでいるとつくづくそう思う。むかしといっても昭和初期から戦争前後にかけてのことだからそんなに遠い時代じゃないんだけれど。 吉田はいう。‥‥‥欲望として一番こまるのはデザイン欲です。犬小屋でもいいからやってみたいという気がします。どうせ碌なものができるではなし、自分の才能のないことは誰よりもよく承知しているつもりの自分ですが、それでいて何かやってみたいのです‥‥‥ 「犬小屋でもいいからやってみたい」っちゅうのは泣かせますなあ。この気持ち、まことによくわかる。仕事のない建築家なんてまことにゴミみたいなものだってことは経験上身に沁みているもの。生涯仕事に明け暮れた吉田鉄郎にしてこの言葉。なんともはやむかしの建築家は偉かった。 2011.12.20 11月30日、浜松で撮影。例によって市川かおりさんに大阪から来ていただいて、一日がかりの撮影とあいなった。天気も良くてなんとも楽しい一日なり。通行人の役なんか演じちゃったりして面白かった。写真の遠景に人をいれようという企みで、オブジェじゃない住宅の姿を捕まえようとしたんだが。 浜松の仕事は久方ぶりに具体的な建て主相手の住宅なり。モデルハウスではなかったのだけれど、とても理解のある方で思いどうりの仕事ができた。こういうのは珍しい。玄関が大きな通り土間、なんていうのはなかなかやらせてもらえるもんじゃないんだけれど、実現できて嬉しい。土間の格子越しに通りをいくひとの姿が美しかった。 2011.12.5 九州をグルっとまわって、いやはや疲れきって帰ってきた。さすがにメゲた。でも姶良の「薩摩町家」の出来が予想以上によくてほっとした。家と町のさかいめがちゃんと風景化していた。これなら町家といえるね。 途中の熊本でミズタホームが設計した住宅を見学したのだけれど、これまたすごく良い住宅だった。スリーピングバスケットみたいな屋上デッキが乗っていて、まるでシンドラーみたい。ヘタな設計事務所の仕事よりはるかにいい。設計も施工も水田さんという方で、この方はまさにアーキテクトビルダーと呼ぶにふさわしいと思った。 いま住宅はプロダクト化が進んでいるけれど、水田さんの仕事ではプロダクトと手仕事が混じり合っていて、だから手仕事の嫌らしさが消えている。こういうのを見ると設計専業たる自分の足元を見つめ直さざるを得ないね。 手仕事とプロダクトを混ぜ合わせた原祖はイームズで、イームズを有名にしたのはそのプロダクト的な部分よりもむしろ手仕事のほうにあったんじゃないか、とぼくは考えている。つまりイームズのブリコラージュ。ありものを利用転用したポップでアドホックな世界観。イームズはプロダクト製品を素材として使って、手仕事を極力抑えることで、逆に現代の手仕事の生き延び方を教えたんじゃないか。 2011.11.21 このコラムが更新されるころぼくはフェリーに乗って九州へ向かっているはず。 大阪から鹿児島へ向かうフェリーで、写真家の市川かおりさんと一緒です。きっとフェリーの窓から神戸の夜景なんぞ眺めつつワインでも飲んでるっちゅう贅沢を味わっているはずだ。おお、楽しみ。 考えてみれば二年前のおなじ頃、ぼくはやはり市川さんとフェリーで大分へ行ったんだった。そのときは大分のモデルハウスの撮影だったんだけど、こんどは鹿児島のモデルハウスの撮影。「現代町家」をはじめてもう三年も経つんだね。少年老いやすく学なりがたし。いやいや少年どころかもういいジジイなんだけどさ。 というわけで東京へ戻ってくるのが17日の木曜日という、なんと4泊5日の大出張とあいなる。宮崎、鹿児島、熊本、博多、小倉と、ぐるっと九州を駆け巡る予定なり。 ところで、鹿児島のモデルでは小泉誠さんのUチェアーをいれてもらった。Uチェアーは傑作だと思う。値段もあまり高くないしクオリテイーもいい。じつは自宅をリフォームした際にぼくも一脚買った。使ってみると座り心地もよいし、ふたつの直角を組み合わせただけのシンプルなデザインが見ていて飽きない。 先日その小泉さんとお会いした。鹿児島モデルが取り持つ縁なり。MIテーブルが納期の関係でなかなか入手できないといったら、じゃなんか別の丸テーブルを考えましょうかと、嬉しいことをいってくれた。うむ、人の縁というのはどこでどうつながるか分からんもんです。 2011.11.14 先日、某大学から学生がインタビューにやってきた。「卒論を書くにあたってお話しを伺いたい」というメールがあってしばらくしてのこと。むかしぼくが住宅建築に書いた「剣持令(令には日編がつくのですがぼくのパソコンは変換を拒否するのでご勘弁)の建築的青春」を読んだとのことで、剣持論に挑戦するのだという。 じつは最初あんまり乗り気じゃなかった。でも指導教官が鈴木博之さんだそうで、これじゃ逃げられない。観念してお会いすることにした。鈴木先生には大恩があるもの。 乗り気じゃなかったのは、いまもってぼくの仕事があの剣持論のときから抜け出せていないせいで、工業化の力をどう使えばいいのか、まだちゃんとした結論をもっていないからだ。使用者論、既製品の再素材化、半製品、いろんなことを考えたり言ったりした果てに、まだモノとしての姿を示せていない。なんかクラーイ話しになっちゃうんじゃないか。 でもお会いして話しているうちに、なるほど自分はこんなところから出発して、それでいまは現代町家をやっているわけだ、と腑に落ちた。現代町家をはじめた頃、「木造でイームズをやろう」なんて思ったんだよね。生々しく思い出しちゃった。 2011.11.01 大阪で19日、現代町家の説明会。その足で浜松まで戻って泊まり、翌日は工事中の現場へ。浜松では第一号となる現代町家の現場なり。 足場がとれたばっかりで周りはまだ雑然としているものの、その家の姿はなかなかのものだった。町家という呼び名がしっくりくる。3年も町家をやってようやく一歩近づけた気がする。なかがちゃんとできればかなり良いものになりそうで、ウムウム。 ただしこの浜松の場合でも、家の成否を決するのは外部なんだろうと思う。外部というのは外観じゃなくて家のウチとソトをつなぐ中間領域のこと。つまり家と町が接する場所。ここがどんな姿でたち現われるかが勝負の分かれ目になる。一面がクローバーで覆われる駐車スペースはじめ、できるかぎりのスケッチは描いたし、あとは完成を待つのみ。そういえばむかし取材で訪ねた清家清の自邸の庭が一面のクローバーだった。 2011.10.24 高知で「牧野植物園」と「高知駅」を見てきた。内藤廣さんの仕事。高知駅は感心せず、牧野植物園はよかった。人工物が人工物のまま自然物に近づく感じ、といえばよいか。ズントーの仕事とおんなじだと思った。どちらも人工物のうちに潜む自然性をえぐり出そうとしている。 自然を真似てはいけない。だからふたりとも人工物を極める方向に向かう。そのことが逆に、建物を自然物に近づける。 13日は我が家の見学会。日本各地の工務店のみなさん、ありがとうございました。コンクリートの箱のなかに「厚板の文化」が生まれると面白いのですが、みなさまのご感想やいかに。 2011.10.17 田瀬さんの「里山ユニット」の実物を見るために、恵比寿にあるという五倍緑の会社を訪ねた。45センチ立方の里山ユニットは想像していたよりもはるかにデカくてパワーがある。重量は70キロだそうな。 で、ついでに室内におくための30センチ立方のものも追加で注文した。こっちは20キロくらいだから持ち運びできそうなり。五倍緑の会社に置いてあるもの(茨城県産の里山植物だと聞いた)を見るとたしかに植物の色が黄緑で、いまうちにある国籍不明の植物群の、あのギラギラした濃い緑とはそうとうにちがう。枯葉の色がなんともきれいだ。花よりも枯葉のほうがうちには合いそう。 里山ユニットというのは立派な建築だと思った。ドアや窓なんかとおなじ。建築は時間を直に表現できないけれど、植物は時間を表現する。芽吹いて枯れて散るんだから。それを家のど真ん中に置くというのはなかなかいいんじゃないか。いわば床の間代わりか。 さて今週末は高知へ行かねばならない。耐震改修大勉強会というのがあって、そこでなにか話しなさいという指令なり。いま急いでパワポを準備中。その事例に使うのが昭和10年に建った古い家で、建て主はなんと伊東忠太の遠縁にあたる方。ぼくら設計者は「古いものを残す力」をもっているか?それを話しのテーマにしようと思う。 2011.10.03 高さ1メートルくらいに育ったレモンの木(?)を買った。鉢植え。環7沿いの園芸屋で入手。娘が送ってくれたのがやはり鉢植えのオリーブで、小豆島産なんだそうな。いやはや我が家に「一坪里山」をつくろうと試みるも、手に入るのはみな国籍不明の植物ばかり。これでは造園家の田瀬理夫さんに申し訳がたたない。地域の在来自生種を育てなくちゃ一坪里山にならんのだけれど。 そこで、田瀬さんにお願いして純正在来自生種のプランターを発注。どんなのが来るか楽しみだ。そのプランターで育った植物から株分けしていけば、ちょっとは一坪里山の名に恥じないものができるかも。メダカを泳がせる水盤も物色中なれど、これまた適当なものが見つからず。家の中を植物園みたいにしてしまおうと思っているのだが、やっぱ難しいもんですなあ。 モミジですら、ちゃんと産地を確かめて買おうとするとうまくいかない。園芸屋が適当なこといってごまかそうとしているのがミエミエなんだよね。 2011.09.26 残暑なり。めげます。この湿気と、布団を被せられたみたいな暑さには。 その酷暑のさなかに練馬の住宅が上棟なった。軸材には奈良の吉野材を使う予定が、残念ながら予算の都合で多摩産材に。うーん、どうかなあと心配していたのだけれど、汗をふきふき現場に行ってみたら意外によい。東京の木も捨てたもんじゃない。 年内には完成させなくてはならず、例によってまだ未決定の部分がかなりある。そのひとつがまたもや玄関戸なり。ここは防火制限があるため木の引き戸というわけにはいかず、で、前回あきらめた溶融亜鉛メッキドアに再挑戦することにあいなった。 前回考えたデイテールを引き継いで、正面パネルはビス止め。亜鉛メッキをした後でリン酸塩処理を試みる。この仕上げは建築家の薩田さんに教えていただいたもので、鉛みたいな質感になるのだけれど問題はお金が間に合うか。うーん、住宅の仕事はいつもいつもお金との格闘技なり。 2011.09.20 このところ事務所に居られない日々なり。明日5日の月曜日は岩手県の住田町に行かねばならず、北上駅から車で一時間半もかかるんだそうな。しかも日帰りの強行軍。 いやいやそんなことをいっちゃバチがあたるね。被災者の方々の辛苦を思えば一日くらいの強行軍なんぞ、なにほどのことがあろうか。 ところで自宅をリフォームしていくつか勉強になったことあり。階段の手すりを鉄にして、生のまま塗装しないでおいたところ、やっぱり錆びてきた(当たり前だけど)。 生のままの鉄のことを「クロカワ(黒皮?)つき」と呼ぶのだと聞いたことがあって、自分の家でしかできないからその仕上を指定したわけ。そしたらギラリと鈍く光る手すりができて、「よしよし」なんて喜んでいたら、触って手垢がついたところからどんどん錆が広がりだしたのだった。 そういえばむかしこの仕上のことを聞いたときに、たしか「油で拭いておかなくてはいっけない」と言われた覚えがある。で、あわててまず紙ヤスリで錆を削って、米ぬか油で拭き取った。もっと早く、光っているうちに油を塗っておくのだったと悔やむことしきり。でもまあ、なんとか見られるようにまで回復した。生の素材というのは美しいけれど保つのが難しい。これは設計というよりもお手入れの世界です。 2011.09.05 仙台の勉強会が無事終了して、こんどは28、29日と九州めぐり。都城のモデルが28日オープンで、翌日は鹿児島の現場なり。図面と模型で散々考え抜いたはずなのに、やはりでき上がってみるとまた別の世界が現れる。建築ってやはりおもしろい。 完成した建物を見るのも楽しみだけれどもうひとつ、都城では五十嵐さんにお会いできる。このかたは都城木材という会社の社長さんで、地場の木について懇切な教えを受けた。製材、乾燥と、木の世界ではまだまだ地域ごとに事情が違っていて、だれかに教えを受けないかぎり地方では仕事ができないなあと実感した。 前回鹿児島で泊まったときには早朝の城山公園を散歩した。こんどの泊まりは鹿児島中央駅付近なもので、城山には行けないが天文館のライムライト(喫茶店の名前)には寄りたい。ああいう時計が止まったみたいな喫茶店はもう東京じゃお目にかかれないものね。 2011.08.29 月曜日22日から24日まで仙台で勉強会。50歳台中心のオヤジとオバサンが集う勉強会というのはまことに壮観なものです。住宅を勉強するって、なんかヘンみたいでもあるが、ここまで住宅をつくる素材が変わるとたしかに基礎から勉強せざるを得ない。 場所を仙台にしたのはむろん震災をにらんでのことで、思えば今年の正月は神戸で慰霊祭に参加したのだったけれど、まさかそのときには三陸に地震がこようとは夢にも思っていなかった。神戸ではあの夜明け、ヒマワリの種を手渡された。おなじヒマワリが、福島では除染のために使われるそうだ。 お盆の休みのあいだに引っ越しした。雨が漏り、ガスが漏れ、ホルムアルデヒドは充満し、いやはや散々な目にあったがしかしこれぞ家づくりというもの。リフォームの現場ではまことに予期せぬ出来事がおきる。でもまあ、木に包まれるっちゅうのはいいもんです。足裏への接触感がすばらしい。汚れ止め程度の塗装しかしなかったせいで、まるで木の切り株に触っている感じ。10月には見学会をするので、どうぞお出かけくださいな。 2011.08.22 二転三転のあげく、我が家の玄関ドアは木製引き戸になったのでありました。お騒がせしてスミマセン。開き戸ならば迷うことなく亜鉛メッキドアなのだけれど、引き戸となると鉄板はいまいちヘンだし、それに開く機構について金属関係の知識がなくて、うーん、結局モローズの両角さんに「おんぶにだっこ」とあいなったしだい。でもまあ、できあがってみると引き戸というのはよいもんですなあ。開いた状態の姿がまことに自然でかっこいい。 炎天下、25年経過した我が家の姿を見るとさすがにジンとくる。よく耐えてくれたもんです。外部にはまだ一度も手をいれていないもんであちこち風化してボロボロだけど、それでもあと25年は使えるんじゃないか。ぼくの建築家人生はこの家ではじまってこの家で終わるんだと思う。 2011.08.08 ネットの動画サイトでピーター・ズントーの講演会を見た。おもしろかった。「建築を庭に捧げる」といったような意味のことを言っている。 むろんズントーがいわんとする「庭」の意味は広い。庭とはつまり空地、そこに生える草木、路地、つまり家のソトに広がる広大な世界のことだ。 そのソトの世界に建築を捧げるとはつまり、一軒の家をつくることが同時にそのままソトをつくることになる、そういうつくり方をしたい、ということなんだと思う。 この講演会はパリのポンピドーセンターで行われたものらしい。冒頭挨拶に出たスキンヘッドの大男はジャン・ヌーヴェルじゃないかと思う。彼が「スイスの建築家ペーター・ズントー(ヌーヴェルはそう発音した)」を紹介し、これからズントーの六つの最新プロジェクトを見ましょう、みたいなことをいう。 ズントーは英語で語りだす。同時通訳は仏語。英語はさっぱりだが仏語のほうはトレーニングのかいあって、おおよその意味がぼくにもわかった。 この講演会は奇妙な構造をしている。話し始めがズントーの自邸アトリエが面する通りの画像で、そして画像は通りから自邸の庭に移動し、六つのプロジェクトの紹介のあいまに、たえず話は自邸の庭に戻ってゆく。建築をなりたたせる根源はそこにしかない、とでもいったみたいに。 2011.07.25 いやはやなんたる暑さ、さすがに夏バテで、グターと深夜のテレビなんぞ眺めていたら大阪弁の歌が流れていた。ご存知「悲しい色やねん」。 この歌は作者によればモダンな洋楽のつもりで書いたんだそうで、なんとそれが大阪弁に。仕上がりを聞いて作者はぶっ飛んだだそうな。ふーん、建築とおんなじだなあ。 日本に生まれて洋楽で育ち、洋楽を学びつつ歌詞なんかぜーんぶ英語、営業戦略上しかたなく日本語なんかも混ぜて歌をつくってみれば、結局その歌を底で支えているのは日本語の部分なのであった‥‥‥これって建築大好き少年だったぼくらとおんなじストーリーなんじゃなかろうか。 日本で生まれてモダニズム建築で育ち、コルビュジェだのミースを学びつつ和室なんぞ決してつくらず、営業戦略上しかたなく縁側なんか混ぜて住宅をつくってみれば、結局その住宅を底で支えているのは紫式部ばりの「ひらがな空間」なのであった。いやいやこれは卑下しているにあらず、そういうもんです。だからこそ建築って面白い。 2011.07.11 吊りデッキのデザイン頼む、なる「チームおひさま」キャップからの指令にうまく答えられず「もう逃げちゃおうか」と思えど、やっぱ甘くないのであった。ちゃんとメールと電話で追いかけてきて逃げ場を塞がれた。いまじつは見積減額案と格闘中で、これが困難極まる作業で悪戦苦闘中なんだけどなあ。 だがしかし、キャプテン・ルフィーのピンチとあらば「チームおひさま」の模擬ウソップ隊員としても必殺タバスコ星を投擲せざるを得ないであろう。そこで急遽吊りデッキを含む全体断面図に目標を変えて、なんとか書いた。天井が船底型に反っているのはなにを隠そうこの断面図はサウザンドサニー号を模しているのである。いや、マジです。 サウザンドサニー号には甲板両翼上にミカン畑があるというのをご存知だろうか。むろん育っているのはナミが彼女の故郷から持ち出したミカンの木で、チームの重要なビタミンC源なり。そのミカンの木を図面に書き込もうとしている自分に気がついてハタと一瞬踏みとどまった。いかん、なにを考えとる。おまえは海賊か!このぶんじゃ麦わら帽子に髑髏マークまで書き込んじゃいかねないぞ。 2011.07.04 「チームおひさま」のキャップより「吊りデッキをデザインせよ」なる指令があってトライするもうまくいかず。どうもとってつけたような、いかにも環境装置デスみたいなものになってしまう。困った。モデルをジャン・プルーヴェにチェンジして再度トライし直しか。 我が家のリフォームが進んできたのでついでに玄関ドアもやり直そうと、鉄のドアに挑戦中。木のドアならモローズの両角さんというつよーい味方がいるんだけれど、鉄のドアとなると孤立無援なり。 やろうとしているのは亜鉛メッキの鉄板ドア。これまで何度も挫折しているがこんどはモノにしたい。挫折の理由は単純で、薄板鉄板の成形板だとメッキ槽にいれたとき歪んでしまってドアの精度が保てないから。 うーん、と考えた果てに「そうだマークリがやってるじゃん!」と、はたと気がついた。ご存知ピーター・マークリの「彫刻の家」(場所はスイスです)。あれの正面ドアが亜鉛メッキなのだった。 あれこれ写真を探し出して拡大してみれば、ポイントはどうやら亜鉛メッキした平板鉄板を骨に貼付けているところで、しかもその貼付けにリベットを使っている。うん、これなら亜鉛メッキしてから後で貼付けるわけだから歪みも気にせずに済むね。 でも最後のネックは誰に頼んだらこのドアをつくってもらえるか。これまでの経験ではサッシ屋さんに頼んでもダメということで、過去に三回も断られているのだ。元請けの工務店もきっと頭を抱えてしてしまうにちがいない。 だが設計者ちゅうのは懲りない人種なのであって、それでもやりたい。これはビョーキみたいなものだけれど、このビョーキがなかったら設計者に存在価値なんてないとも思う。 2011.06.27 このところモデルハウスの設計がつづいていたせいで見積調整の苦労というのを忘れていたのだけれど、練馬の住宅が大幅な見積オーバー、いやはやこれから地獄の減量作戦に突入とあいなる。 けどまあ、ボクサーに限らず住宅にとっても減量というのは大事なことで、余計なものはイラナイ。ではなにが「余計なもの」なのか。 と考えるとこれは意外に難しいのだ。ライトは見栄と世間体を捨てなさいとクライアントにいったが、いまの時代もはやそんなことぐらいじゃ追いつかない。 たぶん「余計なものはなにか」じゃなくて「大事なものはなにか」と考えるべきなんだろうね。それがわかればあと他のものはみんな捨ててよし。 2011.06.20 久方ぶりの出張で都城と姶良(あいら)めぐり。姶良というのは鹿児島県の宮崎よりの町で、都城とは電車で一時間半ぐらいの距離なり。両方でいま現代町家のモデルハウスを建設中なのだ。 図面は細かく書いて渡してあるものの、やはり遠いと現場とは食い違いがでる。そういったこと全部ふくめてちゃんとまとめるのが力量ちゅうもんだが、なかなか難しいもんです。 家を道具として徹底させていくと精神性をおびる。これはかつての町家が、そしてイームズの自邸が教えることなり。その道具立てを精密にラインナップさせていく途上にいまの現代町家はあるのだなあと、ふたつの現場をめぐりながら考えた。パーツ(部品)を商品とは異なる体系の道具に育てることが大事なり。 都城は快晴、姶良では大雨。おかげで帰りの飛行機は一時間遅れ。待ち時間にゃワンピース読み続け、ついに62巻まで読破してしまった。 2011.06.13 我が家のリフォームにようやくとりかかった。「ムク材の実験台になる」という条件のもとで、かろうじて補助金をもらうことができたからこそのリフォームなり。そうでもなくちゃビンボーなぼくにはとてもじゃないがお金の工面ができない。 なかをぜーんぶ取り払ってみれば我が家は意外に広いのであった。4階建てコンクリートの箱の4階部分ワンフロアー24坪。若いころ自分で設計したコンクリート打ち放しの家なので、とにかく寒いのだ。だが、その寒さに耐えかねて子供たちはめでたく家を出て行き、おかげでいまとなっては好きなことができる。子供を自立させるには家を寒くするに限るね。 とはいえさすがに寒すぎるから断熱材を入れようかとも考えて、でもここはグっと我慢した。「自然な暮らしがいいね」なんて言ってきた手前、自分の家くらいは断熱材ナシを貫かねば。こんなこと自分の家でしかできないもの。やせ我慢もここまでくればビョーキだが、しかし春をひたすら待ちわびるココロちゅうのもなかなか捨てがたい。 というわけでコンクリート打ち放しの空箱のなかにヒノキのムクの床と壁が浮くという年甲斐もなく無理をした工事が始まった。子供室はないが植物の部屋はある。というか、植物のための場所しかない、みたいな家なり。人間と植物とどっちが寒さに強いか、勝負勝負。 2011.06.06 連休からこっち(ってもう一ヶ月も前か)さっぱり更新せず申し訳なし、いささかグロッキー気味なり。浜松、北九州、練馬と、立て続けの実施設計に追われて、窮地の連続なのであります。おまけに室内気流の工夫と断熱材の建築化まで付録について、もうやってらんない。 救いといえば我が息子が読み捨てた「ワンピース」ただひとつ。このマンガ・ジャポネは傑作です。文化勲章あげてもいいんじゃないか。 とあらぬことを思いつつ本屋のタナをふと見れば、なにやら「ワンピース名言集」(書名は定かならず)みたいな本が上下巻で出ているのを発見。なんと解説(?)が内田樹なのであった。 立ち読み三秒の秒刹速読によれば、桜木花道からゴム人間ルフィーに至るマンガ・ジャポネの青春の軌跡が解き明かされているみたいで、ちゃんと梶原一騎への言及も忘れていない。いやはや大瀧詠一「日本ポップス伝」ばかりじゃなかった。この人のカバー範囲の広さにはたまげる。いったいいつレビナスだのジジェクを読んでんだか。 ところでルフイーもいいが、ウソップのネガテイブチャンピオンぶりにはもっと心を打たれる。かのチーム(仲間)のキーパーソンは私見によればウソップなのであります。最近スタートした我らが「チームおひさま」でも、ぜひ見習いたい。 2011.05.30 風薫る五月ですなあ。重い課題をいっぱい抱えつつも季節はめぐり風は吹いて、ちっぽけな悩みなんぞ蹴散らしていくのでありました。連休はひたすら仕事であります。がしかし、なんぼやっても追いつかず焦るばかり。 このところ心躍る建物に遭遇していない。みなさんもうお忘れでしょうが「暗箱と鳥籠」(@中尾寛)という住宅は衝撃でした。 もう15年にもなるか、抽象でもなく具体でもない、まったく別の世界観に導かれた住宅で、あれは心の支えでしたが、結局自分はあの方向には進まず、住宅のスタンダードを考え続けることになったのでありました。だがどちらの方向に進もうと困難さは同じなんだよね。いまは思う。スタンダードというのは一般解にあらず、ものすごく特殊な姿をしているに違いない。 2011.05.09 長い間のごぶさたでまことに申し訳ない。雑事に追いかけ回されていたのであります。昨日の日曜日は仙台から20分、多賀城に住む姉の家へいってきた。 床上1メートルまで水が上がるも、家はなんとか残こせそうで修理中。あたりは見るも無惨な有様ながらも、首の皮一枚で踏みとどまった感あり。海から運ばれたヘドロで、夏に伝染病が発生するんじゃないかと心配していた。津波は恐いが、生活の基盤がそこにある以上そんなに簡単には土地を捨てられない。 さらにその一週間前の日曜日は釜山にいた。おりしも釜山郊外の原子力発電所で電源トラブルが発生。作業員の配線ミスで一時すべての電源が落ちて福島とおなじような状況になったらしい。「フクシマダイイチ」は世界中どこでもいつでもおこりうる。 そのどちらの町にも、なにごともなかったかのように桜が満開だった。これ以上の災害がやってこないことをただ祈るばかり。 2011.04.25 地震と原発でなにを書く元気もでません。「山を削って高台に住宅地をつくり、港に通勤する」という管首相の「ビジョン」にも呆れました。そんなイージーなビジョンでは被災者が浮かばれない。 2011.04.04 とんでもないことになりました。町は暗くて戦争中のようです。地震に津波に原発。こんなことが現実に起ころうとは思いもしませんでした。被災された方々、そして原発で身をはって作業しておられる方々に、お見舞いと感謝と敬意を表します。 2011.03.22 新潟で現代町家の勉強会。まず越後現代町家を見たあとで長岡へ移動し、そこで地元の高田建築事務所の仕事を見学した。 長岡はまだ深い雪のなかなり。ぼくも青森育ちなもんで、この灰色の風景がなんとも懐かしい。高田事務所の仕事は家並みと町づくりをしっかり考えた仕事で、地元に根づいた建築事務所ならではのものだった。 その夜はみなで蓬平(よもぎひら)温泉に泊まった。地震ですっかり有名になった山古志村の一山となりなり。谷川に4、5軒の温泉宿があるだけの寂しいところで、雪がしんしんと降り続け、この旅ではぼくはひたすらシンミリしっぱなし。さてしかし、雪国にまで前線をのばしてきた現代町家だが、しっかり根づくためのしかけを考えねば。 2011.03.10 安藤美姫優勝!(カダフィのせいでもはやフルーイ話に聞こえますが、まだほんの一週間前のことです)めでたし。 自宅改修の話がどうなったのやら担当工務店から連絡がない。メールを書いても返事もなし。なんか悲しい気分なり。どうやってなけなしのお金を用意しようかと、こっちは余計な心配事に頭を悩ませているんだけれど。 それにひきかえ他の仕事のほうはせっつかれ放しの一週間だった。図面はいつできるの?とか、玄関広くしてねとか、北九州やら浜松からメールが飛んでくる。はい、はい、了解。花粉症に苦しみながらも老骨にむち打って頑張っておりますです。なんかこの春は、待ったなしで仕事に追いまくられそう。 2011.02.28 北九州の計画がようやくまとまった。イライラしながら待ってるんだろうなあと(建て主さんに申し訳なくて)えらく焦ったのだけれど、やれやれやっとできた。難問をブレークスルーしたの感あり。 出来上がったスケッチをつくづく眺めてみれば、おやこの中庭のかたちはル・トロネの修道院の回廊に似ているじゃないの。 トロネの修道院というのは中世ロマネスク建築の傑作なり。ふたつの直角が少し歪んで交差し、対角線上の鋭角と鈍角を介して回廊を閉ざすというもの。コルビュジェがラツーレットの修道院を設計するために毎日通って実測したなる逸話があるが、真偽は不明。たぶんウソだろう。 それにまたこの修道院は建築家フェルナン・プイヨンの小説「粗い石」の舞台でもあるのであった。なんか因縁めくね。この「粗い石」という小説と建築家フェルナン・プイヨンについては新建築「住宅特集」の2007年5月号に書いたのでどうぞご覧ください。(同誌15ページです)。 がしかし、一難さってまた一難。こんどは林野庁に向けて調査原案をつくらねばならず、これがまた難しいのだ。今夜は四大陸フィギヤーで安藤ミキのフリーがあるっちゅうに、トホホ、時計を見ればもう8時じゃないの。あーあ、結局見逃しですなあ。ミキテイーにはぜひ優勝してほしい。浅田のマオちゃんだってスゴイけれど、ミキテイーのいまの姿はなんかこう苦難の果てにブレークスルーした震えみたいなものを感じさせる。 2011.02.21 悩みに悩みつづけて、いまだ北九州の案まとまらず,困った。空地法といういま取り組んでいる設計の方法を、もう一歩先にすすめたいのだが。 プロダクト化された住宅と地形化されたゲストハウスが一緒になってネガポジの関係をつくる、というところまではいいの、でもそれが納得のいくかたちにならず、トホホです。中途半端なものはつくりたくないし。 連休の間もずっとスケッチをつづけている。昨日まで雪が降っていたかと思えば今日は抜けるような青空なり。スケッチのなかで遊んでいるのは楽しいがこうも出来ないとちょっとメゲル。 2011.02.14 悪戦苦闘中。北九州ではじめた町家の計画がうまくまとまらない。 いや、考え方の大きな枠組みはすぐに出来たの。でもそこからあとが進展しない。「住宅と教室をいっしょにおく」という、じつにエキサイテイングなプログラムなんだけど、これがうまくかたちにならず、ただ紙を汚すばかりなり。ハゼモト建設さん勘弁。もうちょっとだけ時間をください。 2011.02.09 「狭小住宅」という呼び方は止めにして「町家」に代えたらどうか、そう塚本由晴さんが提案しているのを読んだ。賛成。都市のなかに建つ小住宅のことは町家と呼んだほうがいい。 狭小住宅という言葉には「私」の世界に閉ざした印象があるけれど、町家はもう少し社会につながろうという意思を感じさせる。そのつながり方が、家のつくり方や住み方に具体的に反映してくるなら、住宅を設計することがひとつ次元を繰り上げた挑戦になる。 「外はみな汚い」というのが70年代の住宅の考え方だったけれど、「良いものはみな外から来る」という(これはうろ覚えだがたしか伊礼さんがどこかで言っていた)考え方は明るくてよい。なぜこの考え方は明るいか?それはたぶんここでは「私」と「社会」が対立するものと考えられていないからだ。 2011.01.31 「都市という観点からみれば新築なんてものはない、すべては増改築なのだ。」と、はるかむかしに石山修武さんが言っていた。浜松の住宅のスケッチを繰り返していて、不意にその石山さんの言葉を思い出した。 ぼくらはモダニズムの美学に骨の髄まで浸かっている。なんとかそこから逃げ出したいと思いながら、気がついてみれば自分のスケッチでもやっているのは単純化と抽象化。うん、これはいかん。切り捨てばっかりだもの。 そこでこう考えた。まず読み人知らずの構造体を先に敷地に置いたらどうか。これは無性格なほどいい。もしもそこに古屋が建っていたらこうだったろう、とでもいうみたいなやつ。で、次にはその構造体を利用して、どうやってそこに棲み着くかを考える。いわば新築なんだけどリフォームしてるみたいな感じ。 たぶんかつての町家というのはそういうふうに出来ていたんだと思う。かたちを真似ても町家にはならない。町家という家のあり方にたどり着くには、構造体がもっている社会的な意味を発見するところからスタートしないとダメらしい。 2011.01.24 自分の家をリフォームすることになった。日光から八溝山系にかけてのヒノキを商品化する話しがあって、そことのタイアップなり。 ぼくの家というのは25年前につくったコンクリートの四階部分で、その四階をコンクリートの空箱にもどして内装をやり直そうというもの。木材の代金は負担してくれるというものの、その他の工事費は自分で工面しなくてはならず、そこが大問題なり。けどまあ、この際お金を借りてでもなんとかしなくちゃ。 なかはもちろんゼーンブ木。で、ここぞとばかり、まな板みたいにでっかい木のパネルをつくってもらうことにした。 これは製材所のひとのアイデアなのだけれど、板目の板から柾目の板をつくり出す魔法のようなやり方があるらしい。その魔術的集成材のサンプルをつくってもらったら、これがなんともいいのだ。幅50センチ、長さ4メートル、厚さは20ミリと25ミリの二種類。 というわけで、このパネル板を全面的につかうべく図面はなんとか書いた。あとは4月の着工までに自分のほうのお金が工面できるかどうか。うーん、いまさら金がないとは言えんしなあ。 2011.01.18 新年あけましておめでとうございます。正月明けに事務所に出てみればおお、年賀状の山が。どなたにも年賀状を出していないぼくとしてはもう、恐縮のあまり身を縮めるばかり。まことに申し訳ない。 というわけで、さて恒例の目黒不動尊におわします神様の今年のお告げでありますが、なんと大吉と出ました。 昨年は神様のやる気をつい疑ってしまったのでありましたが、今年はどうやらやる気満々、こう告げておられます。 災害自ずから去り福徳集まり誠に平地を行くが如く追手の風に船が進むが如く目上の人の助けをうけて喜事があります。信心怠らず心直く行い正しくなさい なんかこう、ジワーっときますなあ。信じていいんだろうか、この大吉。とはいえ天は自ら助くものを助く、目の前に山のように溜まっている仕事にまず立ち向かわなくては。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 2011.01.11 |