殖やし、捕り、食す

ビクは魚を入れるための道具…
未来永劫、ビクに獲物を入れ続けるために

食べたいから釣る

峪師は猟師、水脈の狩人。近頃は魚が少なくなったと言って、ビクを持たない釣り人や釣り場が増えているようですが…
ビクを重くしてゆく感覚は、意識の奥底、本能に直結したモノを感じるのは私だけではないと思います。
ただ必要以上に捕ってしまうのは、ハンドル、ブレーキのない車に乗るようなモノ。
常軌を逸した暴走者。片道燃料は破滅への道です。

釣った魚はすべて川に戻せという… 本当か?

キャッチアンドリリースが問題とされる原因は、昨今の魚の減少にあるのは間違い無い。では何故魚が減ってしまっているのか?真の原因は釣ってしまうからではなく、河川、その流域を巡る大規模な環境の変化に始まると思います。
完全リサイカブルであった天然環境に一つまたひとつと不協和音が打ち込まれて行く…、ダムや林道工事。完全なる平衡組織である人間の皮膚にたとえられる森林。そしてそこに刻まれた一筋の林道はいつになっても化膿が止まらない。その膿が土砂となって川に流入する。ただただ人間の一時の活動の妨げになる物は堰き止めれば良いという、その場しのぎで幼稚な発想。多くの山地ダムは流下する土砂によりその貯水量たるや、湖水面からでは判らない恐ろしいことになっている。そしてまた工事…。こらは開発ではなくて破壊だ。
多くの水性生物の住処であるエゴは土砂の粘土に塗り込められその多くは死滅する。かろうじて残った魚も片道燃料の釣り人のその場の悦楽の犠牲となってしまった。あの地殻と共に有った水脈はいまや土管や雨トイのような水路と化し、さらにそうした一見川のような水路では今だに釣り人の影が絶えない。
魚の再生産能力の無い樋や水路には一時的に魚が泳いでも、いつか魚影が… とはならない。成魚となって放たれた魚は釣られてしまえば居なくなるのは当たり前。魚は残っても川に力が無いからいずれ寿命を迎える。逆にいえば死んだ川に魚を入れてもあまり意味がない。釣堀ならそうでしょうが、魚が減るのは釣ってしまうから。だから戻せば…、というその場しのぎ的で単純なことではない。

環境と繁殖  ゴキブリとギフチョウ。カラスとトキについて思う。

ゴキブリは幾ら獲っても絶滅しません。では、そのゴキブリを絶やすには…。非常に難儀ですが、我々の家(街)を燃やしてしまえば良いのです!これに対してその数が少なく天然記念物に指定されているギフチョウは簡単なことでしょう。幼虫の食草なる植物の希少な発生地をブルトーザーで整地してしまえば… 多分本当にアッ!という間でしょう。
ニッポニア・ニッポンと学名に唯一、日本国名を冠するトキ。日本の伝統色にはトキイロという色があり、旧国鉄の特急電車のシンボルカラーでもありました。今やその純日本野生種としてのトキは絶滅しました。佐渡の檻の中、わずかに個体を残すのも辛うじて中国生まれの親から遺伝子を貰うことでその命を繋いでいるのです。一方カラス。町では、ネオン瞬く夜の繁華街上空を悠と飛び回っています。生ゴミのある所では、人、車にまったく臆する事なくそのくちばしを濡らし、ハンガーの針金で作った街路樹の巣で、着実に繁栄の礎を築いています。
水田に生息する小魚類を主食とするトキに対して雑食性のカラス。農薬の無い水田は姿を消し、町には外食店等から山のような生ゴミが排出される。各々の個体としての繁殖能力は殆ど同じなのに、これほどの個体数の格差は?
つまり現代人の生活環境、様式、都合はゴキブリ、カラスの繁殖環境にピッタリで、ギフチョウ、トキにはまったくそぐはないということで、彼らの棲まう環境がどれだけあるのかの差。捕獲数の問題ではなく、環境の問題なのだと思います。

天然とは尊く、寛容で偉大な物

宮大工の家に先祖代々伝わる教えと言うのを聞いたことがあります。建物は使う材木の樹齢に少なくとも等しい寿命にせよと。つまり樹齢20年であれば20年以上、100年であればを100年以上持つように作れということ。そして刈ったら必ず植えろと。このサイクルを継続すれば未来永劫材木が無くなるということはなかったでしょう。建て直す頃にはまた同じ材料が調達できる。樹は大地と太陽があれば勝手に育ち、木造文化において、それを使う人の知恵で完全リサイカブル、ノンストレスな資源とすることができるということなんですね。そういった点、自然の力とは偉大で寛容な物だと思います。
釣っても釣っても魚がいる水系、力のある川であれば、魚はまた自ずと涌いて出てくるようなものだと思います。一方で、これからも自然環境の大規模な変化は或程度避けられないでしょう。
ではこれから釣り人として、英知を尽くし、でき得る最大限のこととは何だろう。往復燃料をもって、ちゃんとブレーキもハンドルもある車を運転する。ということではないでしょうか。後先を考えて、河川の魚の状況を自分なりに判断して、妥当な釣りをする。さらには、「減らさない」ではなく、一歩進んで殖やすことはできないだろうか。。つり人個人では、土砂の流入を止めることはできないけれど、魚のいない沢の上流に下流の魚を入れてもいい、一握りの発眼卵を携え、種沢を育ててもいい、そこまでやってこの渓流釣りという道楽は完結したいと思います。

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