釣り場をめぐる釣り人のこと

ただただ気持ち良い釣りを続けたい!
この世界を存続させるため、僕らが出来る最大限のこととは何だろう?
今や人跡未踏の桃源郷なんて在り得ない。原始の自然… と言っても今やヒトの所業抜きには語れない。

心地良い釣り場って?

 渓流に向かう釣り人とって心地よい釣り・釣り場とは何だろう。…と考えてみる。

ヒスイ色の淵から湧き上がる白泡。揺らぐ底石を、時に横切る水色の影。  釣り人は此処ぞっ!のイメージと現実がビタリと合う刹那、魚とつながるその一瞬を目指し、流れに対峙する。・・・・

そして竿に伝わる躍動に、釣り人は絶頂に。その抗いは糸鳴りとともに時に潜り、時に疾走する。やがて、山の流れに鍛え上げられた、あの宝石を手に、安堵の充満に伴い、真白な意識に 渓谷の瀬音と森の香りが蘇って来る。

そこへ至る為に、路を辿り、木の根を頼り、岩を攀じ、時に流れに身を投じ釣り人は水脈を遡る。

春には日々力を増してゆく陽光に噴出す芽吹き、 きらめく新緑を、
夏には仰ぐ山々を覆う森の香り、 口腔から直に浸み込んで行く様な岩清水、雨に煙り水墨の濃淡を重ねる谷と峰、
パチッと弾ける火の粉の先の漆黒の峰、その突先の梢越しに昇り行く星の瞬き、 夢のまにまに夜闇に感じる獣たちの気配・・・

あらゆるモノは生命に満ち、 原始からの営み、有機的な現象に五感で接し、その造形、成り立ちに発見と感動がある。

そんな時、心無いゴミが目についたり、先行者や、川下からの人影を気にしていては ・・それやこれやに気を回す事なく、確実に魚のいる川で芯から峪の精気に浸りたい。

釣り場は 釣人自身が創って行くモノ

 渓流つり、しかも深山幽谷に惹かれ、通う事となった所謂「山釣り」を嗜好する人々なら、誰もが抱く願望は、人も稀な山奥の渓谷で一人静かに釣り糸を垂れたい・・

ところが、国土の山谷、今や人跡未踏の桃源郷なんて在り得ない。原始の自然・・と言っても今やヒトの所業抜きには語れないのだと思います。 釣り人の所作や行いは間違いなく釣り場環境の一部であり、更に進んで、それを保ち、創っていくのは釣り人自身だという自覚が必要だと思うのです。

 釣りに純粋に精神を集中させ、真っ向から魚に向き合える場所・・・そういった釣り場が少ないと言う前に、そうゆう釣り場を創り上げて行こうという意思と行動が欲しい。
ヒトのほうから一方的に自然の恵みを頂く・・という時代はもはや過去の事。これからは、 自然をただ単に受けとるだけではなく、自然とヒト・双方にストレスのない付き合い方をしていくことが、必要なのではないだろうかと思う。

 天然・自然の恵みを頂く・・とはよく使われる表現ではあるが、 これは決して、天然、自然が用意してくれた所で釣らして貰っているということではなく、自分達で保ち、創った釣り場で釣るのだ!。 釣れた、獲れた・・ではなく釣った、獲った・・と言いたい。要は主体がどちらにあるかではないだろうか。

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誰もが「気持ち良く釣りたい」… だから。みんなで分かち合う。

 以前にこんな経験があります。夜明けと同時に釣り始めて少し経った頃、下流から黙々とこちらへ向かって来る釣り人に気付きました。「何か落し物でも?」「何か私に用が?」と思ってると、 彼は私の存在など一向に気に掛ける様子もなく、背後を通過し、追い抜いた後、流れをバシャバシャ横切り50メートルほど上流から釣り始めたのです・・・・・。

 釣りは所詮道楽。まして山奥、一見、社会性などとは無縁のような気もする。
一人静かに渓魚に向いたい。とみんなが思っていると思う。それは判る…。
けれど。これだけ渓流釣りの愛好者が増えた昨今、人跡稀の渓流なんてほんの一握りに過ぎず、他の釣り師とのかち合い、そしてあの気まずい気持ちは誰でも何回も経験している筈。
そんな時こそ、『一緒に釣りませんか?』と言えるぐらい、気持ちに余裕が欲しいですね。
自分さえ良ければ・・・等と自分勝手な考えは結局自分の首を絞めているのです。ひとつお互いを受け入れようではないか。さもなくば、これからの山釣りの世界は無くなる。

 長い目で見れば「自分さえ釣れれば」とか「俺には関係ない」などとは言ってられない!!
是非とも釣り師として主体的意識(身勝手ではない)を持って、場所割りをすべきです。

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山の掟、犯すべからず。そして会話を!

 渓流釣りでは。『先行者優先』で『入渓場所から釣り上がる。』のが基本です。 つまり先に流れに降り立った釣り人に優先権があり、その地点から上流に向けて釣り上って行きます。 後攻めのアングラーはその人を追い抜いて上流に入渓すること所謂「頭ハジキ・頭ハネ」や入渓点から下流への「釣り下り」はタブー行為とされています。

 本流釣りと言われるような大河川であればまだしも、入渓場所が限られている渓流において 先行者を確認した時は、充分な間隔(数キロ)をとって入渓し直しましょう、 とは言っても、次の入渓可能地点が判らない場合は、先行のアングラーがどこまで釣りを予定しているかを会話『場所割り』『沢割り』してポイントを移動しましょう。 それが不可能な場合は別の河川、沢、ポイントへ移らなければなりません。大抵、この釣り人同士の会話があればトラブルにはなりません。 これを黙って釣り始める行為が釣り人同士のトラブルの元になるのです。先ずは。挨拶と会話です。会話をしましょう。

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山河のゴミ・・残すのは足跡だけに。

 誰かに見つかる。誰かに言われる。きまりがある・なし?そんな事全く関係ナシ!、吸い殻、つり糸のクズ一本、ガン玉一つたりとも置いてこない!それ当たり前なのです。

 しかし一部の限られた人しか来れないような奥地であっても、ギョッとさせられる現実がある。デポしたものなのかと思ってみてみるとゴミです。一つがまた次の一つを呼ぶかのように集まる所がある、溜まっているとどんどん溜まる。俺も良いだろ・・となるのか・・相対的問題ではありません。見られない所こそ責任ある行動をしてください。 折に触れ、あまりの見苦しさにそういった物をザックに入れて持ち帰るのですが・・やはりあまりいい気持ちはしません。 どうして出来ないの?ナゼ?自分が持ち込んだ物は自分で持ち帰らなければいけません。

 しかしながら、魚であり山菜でありそれらを採集しておきながら、不要になったモノを放置してゆく価値観が判りません、 ガスボンベの缶、使った分だけ軽くなっているのだから十分じゃないですか。ゴミを放置して平気なヒトは今すぐ竿を折って山から降りて欲しい。 話になりません。残すのは足跡だけに・・必ず履行したい(しなければいけない)ですね。

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山の水は美味い!!・・のか?。

 巷で人気の登山コースにある山小屋では軒並みヒトの糞尿処理が問題になり、各地有名山岳地域、ルートには有料トイレがお目見えしていますが、国土のほとんどの山谷ではお金で根本的な解決にはなりません。

 普通、生物の排泄物は、1週間程度で分解され跡形もなくなるそうですが、山岳地域、高所寒冷地ではバクテリアの活動が鈍い為これは通用しないそうです。 近年の登山人口のこれ程までの増加には自然分解サイクルも追いつかなくなくなるのは必至で、本来貧栄養であった高所の植生環境に富栄養化という影響を及ぼします。又、地下に浸透し渓流を源とする河川にも影響が出ているといわれています。

 90年代後半に行なわれた南アルプス・北岳の大樺沢(富士川支流 早川源流)の水質調査では大腸菌が検出され飲用不適とされたのを当時新聞で知ったのを覚えています。

『持ち込んだ物は持ち帰る』・・我々の排泄物でさえもそうあるべき時代が来ているのかもしれません。

 今、絶対にしてはならないのは川の流れに直接流す行為で、大・小とも、しっかり土に戻しましょう。その為には必ず水際から離れた林床に致すのが重要で、水が流れていなくとも河原にもしてはなりません。

 紙はトイレットペーパーかちり紙を使い、自然界へティッシュペーパーは絶対に持ち込まないこと。

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源流域でヒトは最大の外来生物

 言うまでもなく水は高いところから低い所へ流れ下ります。当然、上流域の環境汚染は下流域に伝播するということ・・。

 海や河川の中・下流域は、魚を初め様々な生物が比較的容易に行き来することが出来るので、魚は釣られても、魚影は上下流から供給されます。又漁協による放流が成されている河川でも同様です。 ところが源流域、供給される物は上流から流下してくる物がその殆ど総てで、下流からの供給はあり得ません。つまり源流域の魚は他所からの供給が無い以上、その魚を獲ってしまえば、絶える。ということです。その影響、魚影の衰退は水の流れに乗って、下流へと伝播してゆくのです。
逆に言えば、源流(上流)域の魚が生息し続けることが出来れば、その下流域の魚影は保たれるということで。これは釣り人が魚影の供給源でもある沢の魚を釣る時にも同じ意識を持つべきです。

 

 源流域にヒトが立ち入ることで、与える影響を噛締めて、
釣り人は源流域にとても大きな影響を及ぼし得る最大の外来生物なのだという事を肝に命じなければならないと思います。

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渓流釣りをめぐる情報について

 釣り場ガイド・釣り場を紹介する本の魚止め情報(魚影が何処まであるか)は悠久の自然、天然に対する一種のテロとさえ思う。

 過去に魚影が絶えながらも、今再び人々の力で回復しつつあった、ある河川の事を、釣りライターが取り上げた・・・それが出版された数週間後に現地がどうなったのか想像してみてください。 残った魚は殆ど稚魚のような状態、あの復活しかけた魚影は一時のシャボン玉・・。その状態がその記事が人々の記憶から薄れ、時に埋没してしまう迄続くのです。

 尚、過去には一部の出版社によってのみ、情報が発せられた時代は変わって、今やネット環境で一個人がどんどん情報を発信出来る時代になっています。
 釣りは漁だから、定められた漁期、漁域で、遊漁者の漁方などに法的な拘束力。つまり反した場合は罰則が在りますが、事、情報の取扱いについての規制はないのです。

 漁協等によって定常的に保守が出来ない地域の情報、源流域や、魚止めの情報、魚の供給源となっている種沢の情報。
我々一個人はこれらの情報には、細心の注意をはらうべきと思います。 そういう意味でも、善しも悪しきも知恵を持つ釣り人は自らが釣り場の環境に及ぼす影響を肝に命じて行動すべきです。

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永く良き友を作ろう

 人も通わぬ地域、気象によっては絶えず状況を変化させる渓流エリアでは、ちょっとした判断違いやケガが、遭難や果てはそれ以上のトラブルになり得ます。 ですから、渓流への単独行はせず、パートナーと二人以上での入渓が望ましい。というのを基本に考えるべきと思います。

 また、ある程度自分の行きつけの河川があるのであれば、其処に詳しい釣り仲間、知人等を作り、いざ予定が決まったらざっとした入渓計画を伝えて出かけましょう。 当然、家族や釣りをしない友人にも知らせて出掛けると同時に、万が一に備え、彼らにも釣り仲間の連絡先を教えておくのが良いでしょう。現地(釣り場)の地理、事情の判る人が居るというだけでも、相当な助けとなります。

 谷の中では水の流れに人の声などはまったく掻き消されてしまいます。パートナーとはお互いのペースに絶えず気を配り、はぐれないようにしましょう。着かず離れずが基本です。
未知の高巻きなどでは絶えずお互いの位置をホイッスルなどで確認し合いましょう。高巻きの途中やガレの登り降りでは、上の人は不用意に石などを落とさないように、下の人は絶えず落石に注意し合いましょう。
また、無茶はその本人のみならず、同行者にも精神的にとんでもないプレッシャーをかけてしまいます。これでは気持ち良い釣りどころでは在りません。

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