実録 雪シロの滝壷

 4月、その日は雪代で水嵩は普段より多く、三人で肩組徒渉で遡行していた。
両岸に岩盤の屹立する3メーター滝は、白い水柱を釜に突き立ててドウドウと音を立てている。左奥(右岸側)は落ち込み直下に巻き返す強い流れが岩盤のエグレをザブザブと洗っている。
幸い右側(左岸側)の岩盤にはバンド状に棚があるので、滝壷の右から這い上がり、苦も無く落ち口の少しカミまで上がった。ところがそこで三人とも行き詰まってしまった。普段なら水から頭を出している岩伝いに対岸に渡るのだが、その日は真っ白の荒瀬が川一面を覆っている。

 なにせ滝の直上である。「戻って巻こうよ!」と言ったのもつかの間、彼は何かを口にしたが瀬音にかき消されて聞き取れなかった。私が手を口に当て大声で「チョット ヤバイヨ!」と言ったときは既に流れに向けて足を踏み出していた。何もかもが真っ白な瀬音の中に吸い込まれるように。

 アッ!という間の出来事だった。オチタッ!!と叫んだと思う。
耳にドウドウと瀬音が戻ってきたとき、私の視線ははシモの滝壷の開きをさ迷う。もう一人の友人はロープをザックから出しにかかる。 …と、彼が右岸側(滝つぼを挟んだ対岸側)の岩盤のエグレに辿り着くのを確認し、ひとまずホッとした。

 ところがエグレの上はオーバーハング。流れが容赦無く必死にへばり付く彼を引き剥がさんと叩き付けている。彼は動けない。水温は手を切るように冷たい。そう長くは体も動かないだろう。ぼくの心にモヤモヤと暗雲がたちこめる。ハッとして竿を投げ捨てロープを出そうとザックのジッパーをまさぐる。次に目を向けたとき、彼はもうそこには居なかった。

 相変わらず手元を動かしながらシモのさっき彼が出てきた所を凝視する。此処じゃないのか?何処だ!
いつまでたっても彼は出てこない。その場所からは落ち口直下は見えない。ロープを片手に滝壷の全景が見渡せる所まで駆け寄ると。なんと彼は水車のように白泡の中をグルングルン回っている。
マズイ!!私も、友人もロープを投げた!叫んだ!竿を差し出した!とどかないっ!!
…それしかできない!後は自分達が飛び込むか!ダ。

 白泡が一旦彼を開放した。私たちは狂ったように叫び、ロープを投げ、竿を差し出す。水から彼の顔が出た。水流は眼鏡とヘルメットを剥ぎ取り、その瞳は何を見、その耳に何が聞こえているのだろうか。体は何とか動かしているが彼に私たちは見えていないと思った。既に彼は一人虚空を見つめているように見えた。と、そうするうちにまた、対岸のエグレに引き込まれて行く。頼む!何でも良い。私たちと彼を繋げる何かがあれば。何とかこの循環から彼を引き摺り出さねば。

 既に彼に抵抗する気力は見えない、再び白泡の真っ只中にみるみる吸い込まれて行く。友人も私も、もう駄目だと思った。もう叫ぶのも止めた。目をガッと見開き、怒涛の白泡を凝視し続けるしかなかった。
この気持ちは何なんだろう。頼む!彼をこっちに!少しでもこっちに出してくれ。

 来た!今度は少し手前に!!私たちは足のつきそうな所めがけて飛んだ。指が彼に触れた。ヨシッ!ザックのショルダーバンドに手が届いた。ガッチリ掴み手前に引き寄せる。ザックを外し、脇の下を抱え浅瀬に一気にずり上げた。
アアア… 助かった!

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