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 柳生和紙は今からおよそ四百年前、仙台藩主伊達政宗公が、米作り以外の産業を盛んにするために奨励し、作られた和紙で、藩の御用和紙としてつかわれていました。現在では、佐藤さん一軒のみがこの伝統工芸を守り続けています。
 今からおよそ400年前(慶長年間)に、伊達政宗は、米作り以外の産業もさかんにしようとして、福島県伊達郡茂庭村から4人の紙すき職人を柳生によんで、和紙づくりの指導にあたらせました。そのころ、この4人のほかに48戸の家で和紙づくりをしていました。この土地は、きれいな地下水がゆたかで、高舘山のふもとにあるため、かわきやすく、紙すきにはつごうがよかったのです。
 後には、近くの高舘村、熊野堂村、吉田村でも紙すきが行われるようになり、作り出される量もふえて、街でも紙を売る店があらわれるようになりました。
 柳生和紙が最もさかんに作られたのは、明治の後半から大正にかけての時期で、「柳生に行くと太白(砂糖)を食わせられる」と言って、近くの若者たちは争って手伝いに来たそうです。またそのころの紙の生産額は、中田全村の米の生産額よりも多かったということです。
 しかし、大正11年(1922)に、長町に紙を大量に作る工場ができ、西洋紙などが使われるようになってからは、手数のかかる柳生和紙も、たちうちできなくなりました。そのためしだいに和紙づくりの農家もへり、昭和35年(1960)には10戸だけとなり、おもに障子紙などを作っていました。
 今では、和紙づくりの農家は柳生の佐藤さんの家1戸だけとなり、菓子のつつみ紙や松川ダルマの型紙を作り、伝統工芸を守り続けています。

柳生和紙プロジェクト
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