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薄明の美女出現
                   青木外司

高松氏が初めて訪ねて来たのは1968年頃で約
35年前だった。立教大学で数学を研究していた
長身童顔の好青年に私は、どんな高等数学を勉
強しているのかと質問した。
「均一の厚さで無いゴムボ-ルが空中から平らで
ない地上に落ちた時いろいろの条件で不規則に
跳ね上がる。それを数学的に計算する方法、理
論を研究している」との答えで私は何のことか全
然判らなかった。
爾来彼の個展やグル-プ展を何回も開き、絵を
見、人とも接して来たが最近迄この初対面の折
りの話がいつも気になっていた。
彼の作品は練り絹の様な緻密な柔らかさで、色
彩もウイ-ンの幻想画家エ-リッヒ・ブラウア-を彷
彿とさせる華麗な輝きを放つ。が内容は夕焼け
雲とも水中の植物ともつかぬ人間の胎内の溶液
に浮遊する六道絵のドラマだ。
生と死、美と醜、火と水、違ったものが混然と同
居する。この一貫したテ−マ、画風は今も変わっ
ていない。

近年ファージィという言葉が耳慣れて来ているが
、 不規則な跳ね方をする曖昧なものの集合を考察し
、 それ等を積み重ねて統計学が発展し、現在さらに進
化し不規則な形を数学的に表現するフラクタル
(破片の意)、人間の持つ曖昧な認識をコンピュ-タ-
で処理する技術を指すファ−ジィの理論等、花盛り
である。但し「ぐにゃぐにゃ」したものは現在でも
計算は不能とのことである。

曖昧なことは良い意味で融通無碍、正反対のもの
まで包含してしまう広大な思想でもある。思うに高
松氏はこの難解なフラクタル理論と、実践的筋肉
運動の両方を日々黙々と行っているのではなか
ろうか。

今や都会では忘れ去られた薪割の仕事を30年も
続け、草深い森の奥で屋根に芝生を植えた家に住
み、密室のアトリエで黙々と絵を描くこの幸せな画
家は一種の宗教者でもある。
今回出品される「奇妙な果実」という不思議な作品
は4〜5年かかって完成したものだが、高松作品に
は珍しく「天女」と見紛う美女が海藻の衣をひるが
えし空中を舞っている。
醜を超越したらここ迄美しくなれるのかと私はこの
絵に打たれた。夕焼け空の画面は高松氏が汗して
割った薪の炎が密教の護摩焚きの力となって伝わ
って来る様な気がする。